Chapter44 真相

 チャーリーことシンドラーが、ビオスコープの真実を明かしたその日、俺たちは彼の用意した特区内のホテルでその晩を越すことになった。


 リイに案内されて、高級なホテルの廊下を歩く中、皆は一様に黙っていた。何かお互いに言いたいこともあっただろうが、今は恐らく、心の整理の方が大事だったに違いない。最低限した会話といえば、それぞれの部屋に行く際に交わした挨拶くらいのものだった。

 俺もその日は、リイが傍にいることもなく、本当に一人で、無駄に広いベッドで寝ることになった。暗くなった部屋で、これからのことをジッと考える。


 シンドラーの話では、ビオスコープは襲撃されたが、メンバーの顔までは割れていないだろう、とのことだった。だから、明日以降、帰りたい者は帰ることが出来たし、不安があれば、当面の間は、この特区内に留まることも可能だった。

 そして、審議会がどこまで手を回し、次にどう動くかは、リイを使って内偵させることとなった。リイは、やはりシンドラーが所有する——この物言いを彼は嫌っていた——複写生命で、彼の腹心として、裏で色々と動いていたらしい。今回、ビオスコープのメンバーが無事だったのも、彼が事前にメンバーたちを連れ出したおかげだった。


 かつてアキラに接続されていたリイが、そのアキラに対抗するために尽力していることは、何か不思議な心持ちがしたが、それは彼が自由になった結果なのだろうか。恐らく、その点はいつまで経っても分からないままだろう。だが、分かったこともある。アキラが機能を停止した原因だ。

 これは推測だが、と前置きしたうえで、シンドラーは説明をしてくれた。


「アキラのそもそもの存在理由は、もちろん、我々に娯楽を与えるためだった。これは、著作禁止法が制定され、創作物の一切が人の手を離れたことにより、人々の娯楽への渇望を満たすための処置だったと言えるだろう。

 ここで問題だったのが、アキラが優秀過ぎたことと、ステータスの評価と連動して創作活動を行ったことの二点だ。


 まず、アキラは我々の趣味嗜好に合わせた作品を作ることが出来た。要するに私たちが欲しているものを的確に作って、適宜与えてくれた。我々は考える必要もなく、ただ与えられた、快適なものだけに触れることが出来た。だが、アキラが生み出された当初は、ここまでの完全性は想定されていなかった。何故なら、人々の好みは千差万別で、恐ろしいくらいのバリエーションが必要になるだろうと考えられていたからだ。


 しかし、そうはならなかった。もともと近しいステータスの、それぞれの母集団に向けて、アキラは創作活動を行っていた。始めは人々が与えられた娯楽物を見て、出来不出来を感じるようなことが、往々おうおうにしてあった。だが徐々に、そういった個々人の好みと作品の品質の差はなくなっていった。人々はこれをアキラの精度が上がったためだと考えた。


 ところが、実態は違った。実際には、アキラの精度が上がったのではなく、人々の思想が似通ってしまったのだ。自分に近いものを摂取し続けることで、人々は自身が所属するグループの色に染まってしまった。人々の思想や趣味嗜好は、当初考えられていたよりも、ずっと可塑かそ的で、後天的に作り替えることが可能だったのだ。


 そして、アキラの創作ペースは明らかに落ちた。これは恐らく、人々の思考が似通にかよい、いくつかの母集団が完成しつつあることの証左ではないかと、私は考えている。


 つまり、このままいけば、いくつかのステータスに分かれた集団、趣味嗜好が同じ集団のためだけに作品を作れば済むようになってしまう。母集団が大きくなればなるほど、アキラが創る作品数は減っていく、というわけだ。


 またそれと連動し、人々の各々の思想や趣味嗜好は母集団と同一化し、徐々に個人という枠も消えて無くなるだろう。


 さらに突き詰めれば、そのような母集団は、すでにあるものを繰り返し観るだけで十分に満足するようになるかもしれない。つまり新しいものを作る必要がない。それも恐らく、アキラの機能停止の原因なんじゃないかな。そんな未来は、彼の存在意義に疑問を投げかけるからね。恐らく彼自身、どうしたらいいのか回答が出せないのだろう。


 そしてそんな未来はきっと、アキラよって形作られた思想と趣味嗜好の中で、何度も何度も繰り返される安寧、というわけだ。

 もちろん、それが良いか悪いかは、私には分からない。母集団の中で、他者との軋轢もなく平和に生きていくことが、世界で望まれているのかもしれない。


 ……だが、私はそれを否定したい」


 翌朝、ホテルの真っ白なラウンジで、朝食のバイキングをとる。テリーやマチルダは、朝から何を食べるかで、騒いでいる。ビオスコープ以外の客もいる様子だったが、そんなものはお構いなしだった。

「ここのフルーツ、食べました? こんなにおいしいの初めて食べましたよ」

 ワダさんがトレイを持って、俺の前に座った。

「いや、まだ食べてない。おすすめはどれかな?」

 俺は努めて平静に返事をした。今回の件についても、喫茶店の件についても、何も掘り返さないのが賢明だと思ったし、彼女が普通に接してくれたことに、俺は感謝しなくてはいけない。それを壊すようなことはしたくない。

「これですね」彼女は白いフルーツの切れ端をフォークで持ち上げてみせる。「ラフランス」

「後で俺も食べてみるよ」

「ええ、是非」


 しばらくの間、俺たちは黙ったまま、皿の上の料理だけを相手にしていた。俺がちょうどブルーチーズの入ったオムレツを平らげたころ、彼女が言った。

「ロンさんは……元の職場に戻るんですか?」

 俺は顔を上げて、彼女を見た。彼女は、皿の上でブドウの皮をむこうとしていた。

「いや、別の部署に異動出来ないか、チャーリーに相談したよ」

「そうですよね」

「君は? やっぱり難しいのか?」

「ええ、顔が割れていますからね。普通の生活には戻らない方がいいって、チャーリーが」

 彼女や№8たち俳優陣は、すでに審議会に人相を知られてしまった。だから、たとえ身元が割れていなかったとしても、元の生活に戻ることは危険だった。

「辞めるのかい? 職場は」

「そうしたかったんですけどね」

「したかった?」

「ええ。でも、チャーリーが病気を理由に長期休業に入れって」

「病休? 何で?」

「さあ? 私は辞めたかったんですよ、あんな職場に未練なんてありませんでしたし」

「職員証の顔写真があるだろう? 危なくないか?」

 彼女は微かな笑みを眼元に浮かべて、自身の情報端末を操作する。これだなと呟いて、端末の画面を俺に見せた。

「職場で使ってた写真です」

 俺は目を細める。数年前の彼女の写真。今よりも随分と暗い印象を受ける。だが何も口にしない。

「何か言いたい事がありますか?」

「いや、何もないよ」

「就職活動中の写真です。そうそう私だとは分からないと思います」

「まあ、確かに……でも、何で辞職じゃなくて休職なんだ?」

「分かりません。何か考えがあるんでしょう」

「そしたら、当分はここにいるのかい?」

「ええ、置かせてくれると言っていました」

「そうか、それなら安心だな」

「でも、つまらないですよ。しばらくは皆に会えません」

「大丈夫だよ。少し待てば撮影も再開するし、また会えるよ」


 そう、俺たちは昨夜、映画の制作を続行する決断をした。たとえ、この先にどんな困難が待ち構えていようとも、作品を完成させることを選択したのだ。


 彼女はブドウを口にほおばり、手を拭きながら、言った。


「ええ、そうですね、プロデューサーさん」


 そしてまた、以前のような笑顔を見せた。

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