Chapter40 襲撃

 ワダさんに全てを告白し、俺は一人、自宅へと帰る。


「あなたを許せるかは分かりませんが、許せる、というのが一つ、人間の持つ矜持だと思っています」


 彼女は別れ際の俺に向かって、そう言った。そして続ける。


「あなたがもしも本当に映画のことを好きになってくれて、私たちのことを本当に見てくれているのなら、私もあなたをキチンともう一度、見るように努力します。取締官や創作者、そういった関係ではなくて、あなたという個人を見たいと思います」


 彼女はそれから、テーブルの上の拳銃を手に取って、顔の前で掲げてみせた。曖昧な冗談めいた顔。何を意味しているのかは分からない。結局、それが本物かどうか聞くことは出来なかった。


 家に着き、普段の生活へ戻った時、リイに尋ねられる。だが、俺は何も答えなかった。どこに行き、誰に会ったのか、教えなかった。

 彼は、自分には中身がないと言っていた。だがそれでも俺は、彼が政府の側の人間だと思わざるを得ない。何故なら、俺の彼への発言は全て審議会に筒抜けだからだ。

 だから俺は、今日あった出来事、それに明日実行しようと考えていることを胸の内に留めて、その日は寝た。


 翌日、何食わぬ顔で日中をやり過ごし、夕刻を迎える。四月のくっきりとした紅い陽が、建物と建物の間を縫って、真っ黒な影を落とす。二色パズルに染められた舗装路を俺は重い足取りで進んでいく。

 東方の遠くの空に星が一つ瞬き、もうじき訪れる夜を伝えている。

 ビオスコープに近づいていくにつれて、俺の鼓動は激しくなった。

 一体、何を今さら彼らに話せというのか?

 初めて行った集会の日を思い出す。

 あの日した自己紹介は全て嘘っぱちだったと、白状すればいいのか?

 緊張した面持ちで隣に立っていたホリーはもういない。彼には謝ることも出来ない。彼の悩みをもう少し親身に聞いてやればよかった。だが俺にそんな資格はない。何故なら俺は取締官だったから。

 頭上に掛かる街灯が徐々に灯り、緑色の蛍光灯が小さな音をパチリと立てた。

 

 ビオスコープのある丁字路が見えてくる。俺は気が付いた。

 何かがおかしい。急な違和感を抱く。

 半地下の店。そこへ降りる階段の前に、三台の黒いバンが停まっていた。

 俺は足を止めて、物陰に身をひそめた。車だけではない。数人の男もいた。そのうちの二人は作業着を着ており、残りの一人はスーツ姿だった。

 俺は息を殺して、見つめる。作業着の男たちの服は、間違いない、取り締まり従事の際の制服だ。夕暮れの中であろうとも、俺が見間違うはずもない。取り締まりが行われているのか? 俺はその場を動かずに様子を伺う。一体何が起きているんだ?

 しばらくして、地下から何人もの作業員が出てきた。彼らはそれぞれに、大きな段ボールを抱えていた。そして段ボールはバンに次々と詰め込まれていく。下から誰かを呼ぶ声が聞こえ、スーツの若い男が店へと降りていく。

 考えられない。アレはガサ入れだ。何故だ? 何故そんなことが行われている?

 審議会は約束したはずだ。ビオスコープには手を出さないと。

 しかし、今目の前で行われていることを見れば、間違いではなさそうだった。

 どうする? 出ていって止めるべきだろうか? しかし、これは明らかに審議会が約束を反故にした形だ。今さら俺が出ていって出来ることがあるのか?


 俺が躊躇している間に、ビオスコープから二人の男が上ってきた。作業着ではない。スーツ姿の男だ。立ち居振る舞いからして、取締官であることは明白だった。若い方は見たこともなかったが、壮年の男の顔には記憶があった。額から頬へと走る大きな火傷の跡は忘れようはずもない。

 アレはこの所轄の部長級の一人だ。

 関東部会の大規模研修会で、一度会ったことがある。あのクラスが現場に出張ることは、通常あり得ない。限りなく審議会に近いところから出された指示に基づいて動いているとしか思えない。

 二人が一番先頭のバンに乗り込んだ。車が発進する。その他大勢の作業員たちも、残りのバンで後を追って、行ってしまった。

 あとには静寂だけが残された。


 俺は、物陰から出ていって、ゆっくりとビオスコープに近づいていった。他のメンバーはどうなったんだ? 無事なのだろうか?

 辺りの様子を伺う。看板に明かりは灯っていない。路肩の立て看板も今日は出ていない。俺の他には、誰も何もいなかった。暗い地下入口に向かう階段を見下ろす。チャーリーはいない。空の酒瓶の収められたラックが、無造作に放置されているだけだ。

 階段を下りていく。入り口ドアの下からも明かりは漏れていない。下に着き、深呼吸した。意を決し、ドアを開ける。


 中は真っ暗だった。

 俺は記憶をまさぐり、照明のスイッチのある場所まで進んでいく。スイッチを押す。部屋が光に包まれる。

 室内は、台風の通り過ぎた後のようだった。テーブルもソファも、酒もグラスも、置物も観葉植物も、何もかもが、本来そこにあるべき場所にはなかった。全てが乱暴に投げ出されていた。

 俺は、恐る恐る、散乱したものを踏まないように室内を歩き回る。

 誰もいない。倒れた誰かがいるかと思ったが、いなかった。


 情報端末を取り出して、ワダさんに連絡を試みる。だが、十数回のコールの後、端末は彼女の不在を伝えてきた。ボーマンも、テリーも、シュピルマンも、誰も彼もがそうだった。パニックが急に俺を襲ってきた。遅かった。何もかもが。俺が彼らを逃がすより先に、審議会は手を打ってきたのだ。


 映画は? 俺たちの映画はどうなったのだ?

 

 ボーマンがいつもいたカウンターを抜けて、通用口に続くドアを開ける。奥に設けられた事務室に駆け込む。

 室内の棚やラック、そこにあったはずの道具類、記録媒体、そういった一切合切は全て消えていた。俺たちが映画を作った痕跡は全て、無くなっていた。あいつらに、何もかも持っていかれたのだ。

「クソっ!」

 誰一人とも連絡がつかない。作品は奪われた。俺は、どうしたらいい?

俺に、審議会と交渉するだけの余地が、まだ残されているのか?

「クソったれ!」

 悪態をつくことしか出来ない。大人げないことは分かっている。だが他にどうしろって言うんだ。俺にはもう何もない。出来ることは何もない。万事休すだ。

 ひとしきり悪態をつき、そこら辺に転がっていたパイプ椅子に腰かける。すでに考えることはやめていた。どのくらいそこにいたか、分からない。

 だが、声が俺を呼んだ。


「イチカワさん、ご無事でしたか」


 俺は、ゆっくりと顔を上げた。

「何でお前がここにいるんだよ」

 ブルース・リーが戸口に立っていた。白いシャツに黒いダボダボのスウェット。手には黒いサングラスを持っている。似合わない変装。リイは、少しだけ微笑んで言った。

「あなたをお迎えに上がりました」

「迎え……?」

「そうです」

「どこに連れていくっていうんだい?」


「ボスのところです。あなた方がここでオスカー・シンドラーと呼んでいた人物のもとへ、あなたをお連れします」

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