Chapter37 Don't think,feel

 俺は家に帰り、一人ソファで横になる。

 ひじ掛けに足を投げ出して、天井を向き、目を閉じる。

 部屋の中はすでに暗くなっていたが、リビングの灯りはつけなかった。

 そのうちに、玄関のドアが開き、外に出ていたリイが帰ってきた。撮影の進捗具合や現状の、定時報告に行っていたのだろう。電気のスイッチが押される。


「どうしたんですか? 電気もつけないで……」


 リイの履くスリッパの音が近づき、俺は目を開けた。彼は身に着けていた黒いハンチング帽やフロックコートを脱いで、壁に丁寧に掛けている。

 身体を起こして、俺は言った。


「別に何でもない」


 リイは、それ以上は何も聞かずに、黙って夕食の準備を始めた。俺も立ち上がって、一緒に台所に立った。もうこの生活スタイルにも随分と慣れた。

 トマトとブロッコリーのスープに、豚肉のステーキ。ダイニングテーブルで、向かい合って食べる。

 二人の間に積もる静寂を、俺はやんわりと破った。


「今日の提示報告はどうだったんだい?」

 リイは手を止めて、皿から顔を上げた。

「いつも通りですよ」

「いつも通りではないだろう? 実際に制作は遅れに遅れているからね」

「……そうですね。そこも含めて伝えていますよ」

「審議会側の反応はどうだい? どうせ怒っているんだろう?」

「いえ……私は、事実だけを向こうの複写生命に話しているだけですから。そこから先、審議会の反応までは知り得ません」

「向こうの複写生命って、マリリン・モンローか」

「ええ。審議会で何か伝えたいことがあれば、彼女を通じて私に言伝されます」

「そうかい……君も遅いって思ってるんだろう?」

 俺は食べる手を止めずに何気なく訊いた。俺は、俺のやっていることを誰かに許して欲しかった。

「いえ……特に何も思っていません」

 リイの冷めた声。俺は肩透かしを食らった格好になった。そうだろう、彼は何も考えていない。俺は責めるように言った。

「このまま映画が完成しなければ困るだろう?」

「私には……分かりかねます」

 俺はステーキをナイフとフォークで切り分ける。

「そうか、君には関係ないんだろうな。映画がどうなろうが、俺がどうなろうが。君はただの伝令役、伝書鳩だもんな」


 沈黙。

 

 リイが何も反駁してこないから、俺は手を止めて、彼を見た。

 彼は俺を真正面から見据えていた。鋭く、射貫くような目つき。画面の中で観た、焔のような圧が、その瞳に灯っている。


「映画を完成させるかどうかは、あなたの問題です」とリイは力強く言った。


 俺はひるんだ。彼の声色に気圧された。

 食器とカトラリーが触れ合う、高い音だけがその場に残った。

 俺は絞り出すように、一言だけ言い返した。


「映画を作る理由が、よく分からなくなったんだ」


 数十秒、もしかしたら、数分の間の後、リイが口を開いた。

「私が映画を撮っていた理由は……一つに、私がサンフランシスコで生まれたことも多分に影響していると思われます」

「……サンフランシスコ?」

 突然始まった身の上話に、俺は少し戸惑った。もちろん、今彼が話していることは、オリジナルのブルース・リーのことだろう。

「ええ。私はそこで移民として生まれたのです」先ほどの態度は幾分軟化し、リイは続ける。「あの地は、当時からすでにエンターテイメントの帝国でしたが、私が生まれた時代、我々のようなアジア人はまだまだ偏見と差別にさらされていました。そして若い時分の私は、喧嘩やダンスに明け暮れる、そういう不良学生だったんです」

「そういう風には見えないな」

「鍛えましたから、自分を」

 そう言って、人懐っこい笑みを浮かべる。

 「あの時の私は、恐らく腹が立っていたんだと思います。あの時代の、あの国の、あの雰囲気に。だから、私は鍛えたのです、彼らに負けないように」

「……それでああいう映画を撮ったのかい? 白人をなぎ倒す映画を?」

「ふふ、それは大きな勘違いです」

 俺は小さく首をかしげる。

「私はむしろそういうものを打破するために映画を撮ったのです。表面上の形だけを観てはいけません。映画には勝ち負けなんかじゃないものがあります。本来そんなところに創作を置いてはいけないのです」

「……じゃあ、何だい? 映画……というか創作か。創作には何があるって言うんだい?」

 リイは再び、笑みを見せた。人を安心させる大きな笑み。

「さあ、分かりません。私はそれを見出す前に亡くなってしまいましたから……だからそれは、イチカワさん、あなたが自分で見つけてください。そして、その何かは、それぞれにきっとあるはずです」

「……よく分からないな」


「考えるな、感じろ、です」


 俺は、目をぱちくりさせるばかりで、彼の言いたい事を上手く掴むことが出来なかった。それ以上は訊いても何も答えてくれなかった。話ははぐらかされた。

 だが、創作には何かがある——しかも、それぞれに。リイはそう言った。このそれぞれが、作品を指すのか、人を指すのかは分からないが。


 * * *


 その晩、俺はベッドに入り、自分がどうしたいのかよく考えてみた。そして俺は、ようやくそれに思い至ることが出来た。あまりにも身勝手だが仕方がない……嘘はつけなかった。


 俺は、彼らと、ビオスコープのメンバーと、映画を完成させたいと強く願っていた。だが、それは所詮、果たされることのない夢物語だ。そして、俺はそれを果たさない方法を一つだけ思いついた。


 彼らに全てを話そう。正直に全てを。

 そして彼らをどこかに逃がすのだ。

 映画は完成しない。だが、それでも彼らは助かる。今この時代では、それだけでも十分な戦果だ。

 問題は、俺に何もかもを話すだけの度胸がなかったことだ。だから、映画の制作は止まらなかった。

 俺の不安をよそに、撮影は着々と進んでいった。

 そして残すところ、結末を決める段までやってきた。ホリーの案で行くか、俺の案で行くか、話し合いの場が設けられた。だが俺は、覚悟出来なかった。結末のことではない。洗いざらいの一切を、その時その場で告白する覚悟である。映画製作を彼らから取り上げる覚悟である。俺は、その日が来ることに怯えた。

 

 そしてその日の前日に、俺は彼女に呼び出された。

 ワダ・コマドリ、その人にである。

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