Chapter34 審議会

 翌々日。

 俺はリイと一緒に審議会に呼び出された。初めて足を踏み入れて以来、一度も行っていなかったから、実に半年以上が経っていた。


「こちらです」

 そう言って、リイは俺を先導していく。

 当たり前だが、俺だって審議会室の場所は知っている。だが今回は、前回と同じ身分で行くわけではない。今の俺は外向きにはカナザワに出向している身だから、ここで知り合いに会うわけにはいかなかった。だから、正面玄関ではなく、指定された裏口から入り、人目につかないエレベーターで最上階まで上がった。


「この建物の裏側にこんな通り道があるなんて知らなかったぞ……」

 俺は一人呟く。隣に立つリイが答える。

「これは一般の職員には知らされていない特別な経路なんです」

 俺はリイを見る。

「今日は、お手数をおかけしてすみませんでした」

 リイは俺に深く頭を下げた。

「何でリイが謝るんだ?」

「いえ、本来、あなたと審議会の直接のコンタクトは、映画が完成するまでは禁じられていました。にもかかわらず、私はあなたを審議会に連れていっています。そのお詫びです」

 俺はリイの肩に手をやって、身体を起こした。

「頭をあげろよ。そんなのは要らないよ。俺も今日は、議長たちに話したいことがあるんだから、別にこれくらい全然構わないよ」


 正直、少し頭に来ていた。

 ここまで撮影が滞っているのは、第一にあの取締官たちの捜査がビオスコープに迫っていたからだ。何故、委員会の方で、あの管轄を押さえておいてくれなかったのか?


 エレベーターが到着し、青い絨毯敷きの長い廊下を進んでいく。二回角を曲がって、その部屋に到着する。鳳凰が木彫りされた重厚な両開きのドア。それを押して開く。そこで、俺の足は止まった。


「そこに座りたまえ」


 そう言って、委員六人の中央に座る男が、向かいの席を指し示した。

「……」

 声が出なかった。

 そこにいる委員会の面々は、俺の知らない者たちだった。

 視線の端で何かが動いた。俺はそちらを向く。

 マリリン・モンローが、優雅な手つきで俺の椅子を引いていた。


「座りたまえ」


 俺は状況が飲み込めないまま、不安定な足取りで席まで行って、着座した。リイは控えの姿勢で、俺のすぐ後ろに立った。俺は顔を上げた。対面にいる六人は全員、見知らぬ顔だった。俺は訊かざるを得ない。

「ダダイ議長は?」

 俺に声を掛けた壮年の男。銀縁の丸眼鏡、ロマンスグレーのオールバック。彼が答える。

「ああ、彼は異動したよ」

「異動? どちらに?」

 男は俺を見る。君にそんなことは関係ないだろう、まるでそう言いたげな瞳だった。

「彼は、彼にふさわしい適切な役職に、配置転換されたんだろう」

 聞いたことがない。いつの間に人事異動があったんだ?

「自己紹介がまだだったね。私はロガン。この度、新しく審議会の議長に就任した。よろしく」

 俺は小さく会釈を返す。議長は、口元だけの作り物めいた笑みを浮かべた。

「他の委員も紹介しよう」


 そして議長は、自分以外の委員について、簡単な説明を始めた。説明は全く頭に入ってこなかった。

 一体何が起こっている?

 俺は肩越しに、後ろのリイに視線をやる。特に何も読み取れない。いつも通り、生真面目に立っているだけだ。


 説明が終わり、議長は改めて俺を向く。

「さて、今日は……映画製作の件だったね?」

「ええ」引継ぎは問題なく行われているようだった。「そのことでお話ししたいことがありまして……今日はお時間を作っていただき、ありがとうございます」

 議長は俺の顔をジッと見つめてから、眼鏡を外し、胸ポケットのチーフを取り出して、レンズを拭き始めた。そして言った。

「……いや、逆だな。私たちが君に言いたいことがあって、こうやって集まったんじゃないか」

「……逆?」

 俺は胃の腑が冷えるのを感じた。眼鏡をかけて、議長は続ける。

「そうだよ。本来ね、我々が直接会う理由なんてないだろう? 我々が指示をする。君がそれを実行する。それだけでいいんだから。それにも関わらず、我々が直接、対面で、君に物を言う。これがどういう意味か、理解しているかね?」

 俺は気が付いた——相手は怒っている。平静さを装ってはいるが、その実、俺に苛立っている。

「ええ……理解しています。申し訳ありません」取り敢えずの方便だ。

 そして核心。

「一体いつまでかかってるんだ? 映画一本作るのに」

 審議会の懸念事項はこれか。しかし、それを言われる筋合いはない。俺にだって事情がある。

「時間がかかって、本当にすみません……」座ったまま俺は深く頭を下げる。「ですが、色々と邪魔が入りまして……」

「邪魔? 邪魔とは何だね?」

 顔を上げて、相手を真っすぐに見返した。

「取締官です」

「取締官……」

「ええ、ヨコハマが管轄の取締官が、ビオスコープの一メンバーに接触していました。私の方で、手出ししないように働きかけましたが、もう少し遅れていれば、最悪、あの地下組織ごと摘発されるところでした」

 議長は、他の委員と顔を見合わせる。そんな話は聞いていない、そういった小さなやり取りが交わされる。

「それで? それが原因で制作が遅れているのかね?」

「ええ。その捜査のせいでメンバーの一人が、いなくなってしまいました。組織も動きが取りづらくなっています」

「……たかだか一人の人間がいなくなったくらいで、支障が生じるものなのかね、映画製作というのは? 人を入れ替えるか、補てんをすればいいじゃないか」

 議長の口調は至極真面目だった。ただ人を出し入れすれば済む問題だと、本気で思っている。背筋に小さな悪寒が走った。俺は答える。

「映画製作には……膨大な人と金と時間が必要になります。全てをこなせるアキラとは違うんです。ですが、今制作が足踏みしているのは、組織内に生じた不安が原因です。それは、自分たちが取り締まりを受けるのではないか、という不安です」

 議長は腕を組む。逡巡するように目をつむり、そしてゆっくりと開く。

「それは、取締官が今後一切手を出さないといった保障があれば済む話なのかね?」

「ええ、もちろんです」

 俺は安堵した。だが——


「……矛盾しているよ、矛盾している。彼らは許されないことをしてるんだよ? 映画製作という、許されないことを。それなのに何故取り締まりを受けない、なんて保障が必要なんだ」


 俺は、一瞬口ごもる。

「……ちょ、ちょっと待ってください。彼らは我々にとって必要なことをやっているんですよ? そもそもやっていることも映画製作だけで、公開はしていません」

「そんなことは分かっている。だが、公開しないとしても、しなくてもいい事をしている。違反行為の一歩手前まで来ているんだよ? それなのに何で、何のお咎めもなしなんだ、と言っているんだ、私は」

 俺は、自分の思考の確度に自信が持てなくなってくる。

「……すみません……その、確認なんですが、今回映画を作るのは、アキラが映画を作らなくなったせいですよね? その代わりに彼らが作っている……そういう認識でよろしいですよね?」

「そうだ」

「つまり、この国の秩序を守るために彼らは、騙されて、映画を作っているわけです」

「そうだ」

「それなら、映画製作が終わるまでの間は、何もなく、無事に制作を終わらせるようにしてもらえないと、その、困ります」

 口調が段々としどろもどろになってくる。まるで話が噛み合っていない。そら恐ろしいものの気配を感じる。

 議長は言った。


「意味が分からない。彼らは許されないことをしている。それも自発的に喜んで。だから罰せられないといけない」


「ですが、映画が必要なんですよね、この国には」

「そうだ。だが、彼らの在り方およびそれを罰することと、我々が映画を手にすることは何も矛盾しない。全く別の話だ」

「……そうかもしれませんが、このままでは製作が進みません。お願いですから、本当にお願いですから、取締官による捜査が及ばないように、手を貸していただけませんか?」

 俺はほとんど懇願した。ここにいるメンバーは何も分かっていない。今、俺がどんな状況に陥っているかを。

 議長は他のメンバーと視線を交わす。それから小さく肩をすくめて言った。


「……いいだろう。分かった。君の要求を受け入れよう。あの管轄の取り締まりが行われないように手を回す」


「ありがとうございます」

 俺は深く低頭した。情けなかったが、今はそれしか出来なかった。

 そして議長が最悪の一言を発した。


「だが、制作が終われば話は別だ」

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