Chapter33 話し合い
極めて険悪なムードだった。
言葉数は少ない。
思うことはあれど、口にすることがはばかられる。そんな質量を持った空気が辺りに充満していた。
ソファに腰かけた俺は、ホール内にいるビオスコープの面々をジッと見ていた。皆表情は暗く、俯いていた。酒のグラスを持つ者は少ない。
俺たちは今、二か月ぶりに、ビオスコープに集まっていた。今後の方針について話し合うためである。
「やっぱりもう撮ることはやめた方がいいんじゃないでしょうか?」
誰かが言った。そしてまた沈黙が訪れる。
それほどまでにホリーの死は、俺たちの間に、暗い影を落としていた。やはり、幾ばくかの不安が——取締官に見つかるのではないか、という不安が、俺らの中を駆け巡っていた。
もちろんそれは噂の域を出なかった。メンバーの様子を見る限り、直接的に取締官と接触した者は——俺を除き——誰もいないようだった。
「でも、俺たちはまだ公表はしてない……ただ自分たちのために作っていただけだ……」
テリーがそう呟くのが聞こえた。だが、それは、さっきの意見に反駁するためのものではなく、まだ大丈夫だと、自分に言い聞かせるためのものに過ぎない。
「あんたたちは、一度やりあってるからね、アイツらと……」
これはデロリスだ。下を向いたままのテリーに代わり、そばに座るシュピルマンが小さく固く頷く。
「……俺は、ここでやめるのは嫌だ」
テリーの震えの混じった声。シュピルマンが彼の背中をさする。
「俺も反対だ。そもそも俺は初めから、隠れて撮影することだって反対だったんだ」
鋭い口調。声の方を向く。津島だった。彼は鋭い眼で周囲を見回しながら続ける。
「俺たちはもう後戻りの出来ないところまで来たんだ。ホリーが自殺した本当の理由は、俺たちには分からないだろう。だが、アイツだってこの映画をいいものにしようとしてたじゃないか。それを何だ、ちょっとビビったからってやめちまおうって言うのか? 作品は完成させてこそ意味があるんだぞ」
誰も何も答えない。
「……あんたはどうなんだ、ボーマン」
津島はボーマンに水を向ける。カウンターに寄りかかっていたボーマンは、組んでいた腕をほどいて、掌を胸の前で合わせながら、ゆっくりと話し出した。
「まず、私としては、皆を危険に晒すわけにいかない。それを第一に考えたい。しかし、そうは言っても、ここはそもそも、映画を観て、語って、作ることを目的にした集会だからね。そういう意思を尊重しないわけにもいかない」
「もって回った言い方だな、相変わらず。結局どうしたいんだ?」
「私の本音で言えば、作品はあと少しで完成だし、最後まで作りたい。でもそれをみんなに強制させることは出来ない。創作は自由意志に基づくものだからね。誰かに無理やりやらされるものじゃない」
津島が頷く。
「だから、もし今このタイミングで抜けたい人がいれば、抜けてもらっても全然構わないと、私は思っている」
「……弱腰な方針だな」
「津島さん、そんな物言いはやめてほしいな。自分の人生をどう生きるかを選択することに、強いも弱いもないんだから」
「……」
「私はね、ここの扉をくぐってきた人に、悪い人はいないと信じているし、皆の決断を尊重したいと思っているんだよ」
津島は観念したように、首を横に振った。
「悪かったよ。前のめり過ぎた。だが、俺は制作を継続させたい」
「津島さんの気持ちも分かる」そう言って、ボーマンは俺を見た。「まあ、もし続けるにしても、制作を担ってきた彼がどう考えるかも聞いてみないと」
俺は、皆から一斉に視線を送られて、一瞬間戸惑った。だが、小さく息を吐いて、考えた。焦ってはいけない。
まず、取締官による捜査は実際に存在していた。だが、そのことを確信をもって断言できるメンバーは、俺以外には誰もいない。彼らの中では噂でしかない。取締官による実在的な脅威は、俺の方で排除できる。であれば、問題は彼らの中にある不安の払しょくだ。
「一応、確認なんですが」と言葉を選びながら、俺は話し始める。「今回の撮影に関して、具体的に取締官の捜査と思われる事態に遭遇した人はいますか?」
俺は手を挙げてみせる。そんな目に遭った人が本当にいるのであれば、挙げやすいように。
しかし、誰も手を挙げなかった。俺は安心した。何も問題ないだろう。
「じゃあ、こうしませんか? あと一カ月くらい撮影を休みにしてみて、それでも何もなければ再開するということで。それにまだホリーが死んでから、日も浅いですし……心の整理をするのに、一定の時間が必要じゃないでしょうか」
俺はメンバーを見る。
誰も何も言わなかったが、その表情を見て、俺の真意が伝わったことが分かった。
ボーマンが引き取って、言った。
「是非そうしよう。今ここでやみくもに動いても、恐らく上手くいかないだろう。いったん休憩を取って、それから再開と行こうじゃないか」
それでその日は無事に終わった。
俺は内心焦っていた。正直、ホリーが亡くなってから、これまでの間、撮影は全く進んでいない。それにも関わらず、俺はさらに一カ月間の先送りを提案してしまった。
だが、仕方がない。実際に取締官による捜査の手が近づいていた。俺自身、体制を整えるのに時間が要る。家に着き次第、審議会に連絡を取ろうと決めた。
解散後、帰宅に向かう皆の足取りは重く、口数もほとんどなかった。
俺は、ベルベッド地の黒いロングコートに袖を通しているマチルダに近づく。
「体調はどうだい?」
マチルダは少しやせたようだったが、それでも化粧はしていた。
「特に問題ありません」
「学校も大丈夫かい?」
「ええ……もう、みんなの中ではホリーの話題は過去の事みたいですけど」
「まあ、そんなもんさ、世の中」
少し寂しいです、と言って、マチルダはうつむいた。俺は話題を変えようと尋ねる。
「今日は、キャシーは見てないかい?」
「そう言えば、今日は見てないです。珍しいですね、キャシーさんが来ないなんて……」
俺は辺りを見回した。ひと気は徐々に減っている。彼女はいない。彼女がいないなんてことは、かなり稀なことだった。
「帰ろうかね」
俺はマチルダを促して、外に出た。時刻は夕方六時過ぎだった。
か細い街灯に照らされた舗装路は、うっすらと雪化粧をしており、吐く息も真っ白になった。俺はふと、ホリーの横顔の肌の白さを思い出す。
俺は二の腕をさすりながら、他のメンバーたちと足早に別れた。
家に着き、開口一番でリイに言った。
「審議会に連絡を取ってくれ」
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