Chapter32 探り合い

 車内はしばらくの間、無言だった。

 だがそのうちに、

「今度は俺があんたの部署に電話するが、いいな?」

 ナンジョウが、自身の端末を取り出した。

 俺はナンジョウに向いた。

「ええ、構いません。ですが、俺は今、表向きにはカナザワに出向していることになってますから、ナンジョウさんの欲しい情報は得られないと思いますよ」

「何だって?」

「だから、これは審議会直属案件なんです。限られた人間にしか、情報は開示されていない。いいですか、俺がここにいることを向こうにばらしたら、あなたたちの立場も危うくなるってことを肝に銘じてください。これは本来、あなたたちのような人が知っていい案件じゃないんだ」


 ナンジョウは苦虫を噛んだような顔で睨んでから、俺の元いた部署を検索し、電話を掛けた。

 微かなコール音が何度か聞こえたのち、受話器が取られる音がした。

 ナンジョウは、言葉を選びながら自身の所属を伝えて、イチカワゲンゾウ取締官——つまり俺の所在について確認を取った。


 電話口の向こうから、若い男の声が聞こえてくる。恐らく、シュンジだろう。それから声の主が、課長に変わった。

 課長の説明を聞きながら、ナンジョウは、ああ、とか、ええ、とか言って、相槌を打つばかりだった。そのうちに話が終わり、ナンジョウは、電話を切った。

 運転席のキタミが、バックミラーで上司の様子を伺いみる。


「あんたの発言通りだった。あんたはカナザワにいることになっている」


 ナンジョウは、わずかに気が抜けた様子だった。どう動くのが正解なのか、分からなくなっているのだろう。

「これが、本当に審議会直属案件だとして、俺らはそれを知ってしまったわけだが、そこんところはどうなるんだ」

「別にどうにもなりませんよ。あなた方の代わりに俺が潜入して調査している。何かあれば逮捕に動く。ただの役割分担の話です」

「そうか……いや、まだあんたの話を信じているわけじゃあねえが……それなら目的は一緒だな」

 ナンジョウは独り言のように呟く。それから俺に言った。

「しかし、この案件は何なんだ? 何であんたみたいな中央がここまで出張ってきてるんだ?」

「それは訊かない方がいいですよ」

 ナンジョウの言葉が僅かに詰まる。

「……ナマイキ言うじゃねえか。俺たちだって、プライドってもんがあんだ。見つけたヤマを前に、ハイそうですかとやめるほど馬鹿じゃねえ」

「……別にどうということはないですよ」

「そんなわけはねえだろう? あそこで映画を作ってるって噂があったんだ。間違いなくやっているんだろう? だからあんたが潜入捜査をしてるんだ」


 俺は微かに動揺したが、顔には出さないように努める。


「……俺に言わせれば、どうしてあなた方が、そんな噂だけで動いたのか、そっちの方が疑問ですよ」

「どういう意味だ?」

「いえ、あの組織はまだ、映画も何も制作していない」


 俺は嘘をつく。


「だから、あなた方の得た情報は、まあ、ただの学生の嘘だったってわけです。俺も仕事柄、情報提供は山ほど受けますけど、それだってほとんどはただの噂で、本当に作ってネットで流すほどの奴らってのは、数パーセントもいない」

「ああ、そういうことか。いやな、今回のタレコミはまたちょっと毛色が違うんだ。今回、この話を持ってきたのは、この辺り一帯のあるお偉方なんだよ」

「お偉方?」

「そう。で、その人のお嬢さんが通っている高校で、移民の学生が何やら自分にちょっかいを出してるって言うんだ」

「ちょっかい」

「そうさ。まあ、気立てのいい上流のお嬢さんだからな、そりゃあ海千山千の男が声を掛けてくるだろうさ。けどな、移民の子ってのは、またこれよろしくないだろう」

「よろしく、ないですか」

「そりゃあそうだろう。あいつらは勝手にやってきて、法律もルールも守れねえ奴らなんだから。でだ、そもそもは好きだとか付き合ってくれだとか、そんな話だったわけだが、それがそのうちに映画を作ってるって噂が出てきたんじゃ、俺たちだって動かないわけにはいかねえじゃねえか」

「ええ、まあ……」

「で、仕方なく何かあるかもしれねえと張り込んでみたら、見事お前さんに出会ったというわけだ」


 俺はゆっくりと顎に手をやって、何気ない様子を装いつつ、考えた。

 こいつは一体どこまで知っているんだ?

 映画を作っていることまでは把握していないようだが、ビオスコープの場所は知っているんじゃないのか?

 こいつは絶対にここで手を引かせなくてはならない。

 しかし、何を言っても危ない橋を渡る予感しかしない。


「まあ、じゃあここから先は俺にバトンタッチってことでお願いしますよ」

 当たり障りのない答え。余計な情報は与えない方がいい。

「そこを右に曲がってください」

 俺は話を終わらせるように、キタミに指示をする。

 キタミは面倒くさそうに、俺を一瞥した。

 それでしばらくの間、会話はなくなった。だが、あともう少しで俺の家というところで、ナンジョウが再び口を開いた。


「しかしなあ、自殺するとは思わなかった」


 俺は横目でナンジョウを見る。


「いやな、死ぬ前にあの学生の家に一度行ってんだ。母親と二人暮らしのぼろいアパートだったんだが……彼に話を聞きたいって、取締官の徽章を見せてね……その日は顔を拝みに行っただけなんだが……しかし」ここで、ナンジョウは口元を手で押さえて黙り込んだ。俺はナンジョウを向いた。

「本当に面白かった。あんなに青ざめることはなかっただろうに……傑作だったな、なあ!キタミ」

 ナンジョウは、笑いを堪えていた。前に座るキタミは、黙ったままニヒルな笑みを上司に返した。

「あんなに目を白黒させて、何も言えずに口をパクパクと……っ。おふくろさんも可哀想だったなあ、何が起こってるのかさっぱり分かってなかった」


 そしてナンジョウの笑い声が、車内で爆発した。

 

 俺は意識を窓の外に向けようと努めた。だが——

「さっきから聞いていて疑問だったんだが、あんたたちの調査は、時期尚早だったんじゃないのか?」

 俺はナイフを差し込むように、冷たく訊いた。

 ナンジョウは、笑いが引くのを待ち、涙目になった眼元を拭きながら、俺を見た。

「何だって?」

「だから、あんたたちの調査は時期尚早だったんじゃないのか? そもそもあの地下組織はまだ映画制作も公開も、何もしていなかったんだぞ?」

 ナンジョウは驚いたように目を見開いて、それから小さく肩をすくめた。

「イチカワ取締官、いいかい? 俺たちは先手必勝で仕事をやってるんだ」

「先手必勝?」

「そうだ。いいか、中央で偉そうに座っているあんたには分からねえかもしれねえが、創作をしようと考えるような奴らはな、絶対に公開もするもんなんだ。一度ネットなんかに公開されてみろ。誰がそれを見るか分かったもんじゃない。だから、俺たちは作りそうな気配がある奴がいたら、先に取り調べを行うんだよ」

 ナンジョウは嫌な笑みを浮かべた。俺はナンジョウを睨んだ。

「何だよ、その眼は」

「いえ」

 そして、車は止まった。俺たちはマンションの前に着いていた。

「いいとこに住んでんだな、中央の奴らは。羨ましいねえ」

 ナンジョウが嫌味を言った。

 

 そこから先のやり取りはあまりハッキリとは覚えていない。

 俺は、エレベーターで階を上がり、自室に入った。審議会からもらった特命書——A4サイズのぺら紙一枚だ——とリイを連れて、二人を待たせているロビーへと戻った。

 特命書だけだったなら、難癖も付けられたかもしれない。だが、複写生命のリイを見たナンジョウは、さすがに何も言い返せなかった。

 キタミは事の重大さを理解できていない様子だったが、ナンジョウはブルース・リーを知っていたのだ。その莫大な生身の政治的資産が目の前にいれば、何か大きな力が働いていることは容易に想像がつく。

 ナンジョウとキタミは、ようやく事の次第と大きさに気が付き、この件から手を引くと言って、帰っていった。


 俺は、大きなため息をつき、ロビーに置かれた革張りのソファアに座り込んでしまった。リイは傍に立っている。

「何をやっているのですか、一体」

 俺はリイに視線を向ける。とにかく、疲れた。何も話す気力がない。

「分からない」

 それだけ言って、俺は立ち上がった。二人でエレベーターに乗り込む。ナンジョウの笑い声がまだ耳に残っている。


 思いたくもなかったが……アレは、俺だった。


 つい半年も前は、俺もああだったのだ。


 本当に俺は、どうしちまったんだ、一体。

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