Chapter26 クリスマス

 風が窓を叩く夕方の五時。

 見れば、外はすでに真っ暗で、乾いた冬の空気を透かして小さな光が瞬いている。周辺に建つ高層マンションの灯りである。


 俺は、窓に反射する自分の姿を見ながら、緑色のネクタイを結ぶ。黒のジャケットを羽織り、その上にグレーのチェスターコートを着る。

「今日は遅いのでしょうか」

 リイが、靴を履く俺に尋ねる。黒く輝く革靴。

「どうだろう。クリスマスパーティーだからな……なんか困ったことでもあるかい?」

「いえ、月末の報告の締め切りが近づいていますから、大丈夫かと思いまして」

 なんてことはない。彼は、俺を心配したのではなく、仕事の進捗を気にしただけだ。


 一緒に住み始めて、すでに半年が経つが、未だに彼の内面が見えない。俺はその存在に慣れ切ったのに、彼はキチンと一歩分、俺から距離を取っているようだった。

 もちろん、彼の仕事は俺と審議会のパイプ役——それも監視役を兼ねたものだから、俺とは仲良くしないのかもしれない。もしくは、本当に彼の中身が空っぽなのか、そのどちらかなのだろう。

「平気だろう。だって、先月のレポートにも書いたけど、撮影は八割方終えてるんだぜ? 編集も並行して行っているし、不安になる要素はそんなにないだろう?」

「結末がまだ決まっていません」

 彼の声はまるで機械のようだった。恐ろしく硬質な発意をそこに感じる。俺は彼を冷たい目で見返して、それから努めて明るい調子で答えた。

「これからパーティーに行く人間に、そんな憂鬱な仕事の話をする奴がいるとはな。でも、心配は要らないさ。今日のビオスコープの集まりはそれを決めにいくようなものなんだから」


 少しの間。

 そして––––


「かしこまりました」とリイ。

「ん……あと、そうだった。悪いんだけど、そこのマフラーを取ってくれないか?」

 俺は話題を変えるように言う。

 リイは、廊下にかけられたマフラーを俺に手渡した。

「君も出掛けたらいいんじゃないか? 今日はせっかくの聖夜なんだぜ」

 リイは小さく微笑んだが、何も答えない。

「俳優仲間と飲んだらどうだい? ダダイ議長のところにも、アキラのところにもかわいい女の子がいただろう?」

 リイの笑みが微かに大きくなる。

「何だい、笑ってんのかい?」

「いいえ、何でもありません。彼女らをかわいいと言ったものですから……」

「何言ってんだよ。アレはアキラ以前の映画俳優だとしても、美人は美人だろう」

「そうですね」

「マリリン・モンローにもオードリー・ヘップバーンにも仕事でちょいちょい会ってるんだろう? 遊びにでも行ってきなよ」

 ふふっ、とリーが失笑した。今まで見たことのない反応をされて、俺は少し緊張する。

「まあ、いいさ。家でダラダラしてるといい。行ってくるよ」

「ええ。楽しんできてください」

「何言ってんだ。仕事で行くんだ、仕事で」

 玄関を出ると、しっとりと重く、冷えた空気が辺りに満ちていた。空を見上げると厚い雲がある。雪が降るかもしれないと、俺は身を固くして、真っ赤なエレベーターへと向かった。


 * * *


「これなんかどうでしょう?」

 そう言って、ワダさんは手に取ったトイカメラを俺に見せた。手のひらサイズで、黄色の象が描かれたものだった。

「少し子供っぽくないかな」

「そうですか? でもこれ、データの転送もできるんですよ。とってもいいと思うんですけど……」

 パッケージの裏面を見つめながら、彼女はジッと動かない。思案している様子である。俺は立ち止まった彼女を置いて、店内をぶらぶらと回った。


 俺たちは今、ビオスコープのクリスマスパーティー用にプレゼントを買っているところだった。

 場所は、最寄り駅の北口を行った先の雑貨店である。特にオシャレな場所ではない。古くさいカビの生えた玩具を売っている店だった。電動の犬のヌイグルミや声が宇宙人みたいになるボイスチェンジャー。そういった代物がところ狭しと並べられている。

 そして、そんな店でも時節はクリスマスで、内装は赤や緑、サンタやツリーで飾られていた。


「ああ、これがいいな」

 そう呟いて、俺は棚から黒い筒状のものを持ち上げた。

「何ですか、それ?」

 傍に来たワダさんが顔を近づける。

 俺は、彼女の顔を見てから、台座に乗った黒い筒をそっと撫でた。筒が回転を始める。筒には細いスリットが何本も開けられていて、ちょうど向かいの筒の内側を覗けるようになっていた。ワダさんがスリットから中を覗く。

「……走馬灯?」

「いや、正確にはゾエトロープって言うんじゃなかったかな」

 筒の内側には、馬の絵が、微妙に形を変えながら幾つも描かれていて、それが回転することで、スリットを通して観たときに、まるで絵が動いているかのように映るのだった。それはまさしく映画の根源的原理でもあった。

「これ、ユニコーンですね」

「ああ、そう?」

 ワダさんに続き、俺も筒の中を覗いてみる。白地に黒いインクで描かれた動物が目の前を疾走している。言われてみれば、頭に一本、角が生えているようだ。

「羽はないですからね。ペガサスではないです」

 したり顔で彼女は言う。俺は、筒の回転を止めて、台座の裏側を見る。値札が貼ってある。別段大した金額でもない。むしろ、ちょうどいいくらいだ。

「俺はこれにしようかな」

「あ、もう決まったんですか」

「うん」

「ズルいですよ。それ何かビオスコープっぽいですし」

「さっきのトイカメラにしたらいいじゃん」

「子供っぽいって言ったじゃないですか」

「まあ、いいじゃないか。マチルダやホリーあたりは喜ぶだろう。でも、津島さんなんかに渡ったら、逆の意味で笑えるな」

「酷いですよ、イチカワさん」

「悪かったよ。でも、そろそろ行きたいんだよ」

 ワダさんが時計を見る。

「まだ少し早くないですか?」

「……ちょっと他に寄りたいところがあるんだ」

「そうですか。分かりました。じゃあ、あのトイカメラにしましょうかね」

 彼女はさっきの棚まで小走りで戻る。

 そして振り返って、手にした小さな写真機を俺に向けて、微笑んだ。

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