Chapter25 創作談義

 撮影は続いた。

 晴れの日も、雨の日も、朝も、夜も関係なく、必要なシーンはカメラによって切り撮られ、必要な台詞は役者によって伝えられた。

 俺の懸念をよそに、全ては、思いのほか順調にいっていた。


 俺は、河原の端にあるベンチに腰かけて、遠巻きに撮影現場を眺めていた。


 映画はよくできていた。

 メモリーカードに収められた傍から、データはパソコンに移されて、編集の手が加えられていった。

 俺はそれを、その都度その都度、ボーマンと一緒に観返して、今後の方針を決めていった。


 映画について、俺はてんで素人だった。今ですら、全く分かってないと言っていいだろう。そんな俺が、この作りかけの作品を見て、アキラのものと遜色ないように感じている。それは詰まるところ、他の者が見ても、おおむね抱く印象は変わらない、ということだった。


 クランクインのあの日、ワダさんに言われた言葉を思い出す。

 演技は嘘ではない。

 映画で伝えたいことも、嘘ではない。

 よしんば彼女の言っていることが真実だとしたら、この作品の伝えたいことは何なのだろう。アキラの中にそんなものが一体全体存在するのだろうか……いや、あり得ない。俺はアキラを信じているが、彼が機械であることは理解している。彼に心は無い。


 だが、かのアキラが参考にした過去の作品群はどうだろう?

 確かに、アキラ以前、人の手による創作には、きっと幾ばくかの真実が含まれていたのだろう。しかし、知っての通り、それらにはも混じっている。


 歪さは、ある種のベクトルを指す。ある作品には、肌の色に基づく蔑みがあり、ある作品には肌の色に基づく増長がある。そういった真逆の歪さがあらゆる作品に紛れ込んでいる。それではこういった作品たちを、無造作に、一挙に、飲み込んでしまうことが出来たとしたら? 一体その時、そこでは何が起こるのだろう?


 無風帯なんじゃないか、と俺は思う。


 あらゆる差別や偏見が、あらゆる逆向きのベクトルで打ち消され、その結果、何も歪さが生じない。

 それが、アキラが純粋無垢な美しい物語を作れる所以なのではないだろうか? だが、きっとそうだとしたら、アキラ自身に、何か伝えたいものは残っているのだろうか? 過去の人の想いですら、そこでは消えてなくなってしまっているのだとしたら?


 まるでブラックホールみたいだ。あらゆる物語を飲み込んでは、歪さを打ち消す——そしてそれは同時に、真実も消し去る。過去の作り手が信じた何がしかは、アキラに飲み込まれ、どこかに行ってしまう。


 だが、と俺は考える。アキラは実際に物語を作っているではないか——俺たちを感動させる物語を。一体それはどう考えればいいのか?


 ……待てよ。ブラックホールには、確か、出口があるんじゃなかったか。

 だとすれば、飲み込まれた物語は、アキラという特異点を通過して、再び現世に押し出される——そういう風に考えてみるのはどうだろう。

 そう、アキラはろ過装置なのだ。あらゆる物語の持つ濁りを除去し、綺麗な上澄みだけをすくいとる。


 しかし、それだと大きな疑問が生ずる。

 最後に残った物語は、一体何を語っているのか?

 アキラが無に帰したものを、再び物語として成立させているものは何か?


「いい時計ですね」

 ホリーの声が、俺の思索を断ち切った。

 俺は自分の腕を見る。顔を上げて、前に立つ彼に言った。

「大して高い時計じゃあないよ」

 撮影は今、ワダさんが№8の作品を覚えていると告白するシーンだった。

「でも、その時計、『インターステラー』で出てきたブランドと同じですよ」

「ああ、あの親娘がつけていた奴か……気が付かなかったな」

「ええ。カッコいいです」

 ホリーは顔を近づけて、まじまじと俺の時計を見る。

「そうかい? これくらいなら君でもバイトすれば、すぐにでも買えるよ。ていうか、君、高校生なんだよな?」

「ええ」

「じゃあ、バイトだな。バイトをしたらいい」

 ホリーは肩をすくめる。

「どうですかね。ウチの母さん、厳しいですから……バイトなんか許可してくれないと思います」

「そうか。まあ、ウチも随分厳しかったな。勉強して良い大学に行けってさ」

「ウチも似たようなもんです」

 ホリーはため息をついて、俺の隣に腰を下ろした。だが、何も言わずに。黙り込んでしまう。俺は、頬杖をついた彼の横顔を見る。視線の先に、撮影風景があった。

「何か、悩み事が?」

「いえ、別に……」

「脚本のラストのことかい?」

 ホリーは気だるそうに少しだけ俺の方に顔を向けた。

「いえ……いや、そんなこともないか。そうですね、脚本のことも悩んでます」

 俺はベンチの背にもたれかかる。悩み事は一つじゃなさそうだったが、まあ、それはいい。若い時分にはよく悩むものだ。だが、脚本となると話は別だ。さて、どうやって説得したものだろう。

「ラストに姫野が脚本家の正体をハッキリさせないこと、まだ納得できないかな」

「そう、ですね」

「どこら辺が引っかかるの?」

 ホリーは頭を捻り、言葉を選びながら答える。

「作ったことを主張しないのが、何か綺麗ごとに過ぎる気がするんです」

「……これは、映画だからね。綺麗ごとでも構わないじゃないか」

「でも、僕ならそうしないと思うんです」

「うん?」

「ロンさんたちの言うことも分かるんです。普通は、今後のキャリアや周りのことを考えて、ハッキリと言わないことが大人の対応ですよね。でもそんなの僕に言わせれば、アキラとやってることが変わらない気がして……」

 俺はドキリとする。

「アキラ? どういうこと?」

「何ていうか、間違いを許さないっていうか……」

「間違い?」

「……宇田神が脚本を書いたことを公表するのは、世間的に見たら、正しくないわけでしょう?」

「まあ、そうかもしれないね」

「僕はそんな風に大人にはなりきれないです。バカだと思われても、自分の作品だって世の中に言いたいです……」

「若いね」

「でも、創作ってそういうもんじゃないですか? 伝えたいことがあって、誰かに届ける。そういうものだと思うんです。でなければ、作る意味がない。それじゃあ、まるで一人相撲です」

「そうかもしれないね」

「僕、創作はコミュニケーションだと思うんです、作り手と受け手の。もしも宇田神が自分で作ったことを言わないのであれば、それは受け手が欲しいものをただ差し出しているだけですよ。だって、アイドルが脚本を書いたって方が、センセーショナルで観客も喜びますから」

「ああ。そういう意味でアキラに似ているってこと?」

「ええ……だってアキラは僕たちが望んでいる物語を供給しているわけでしょう? それはキチンと調整されているから、もちろん間違いなんかないんでしょうけど、僕はその間違ってないってのがそもそも嫌なんです……」


 俺は、身体を起こして、彼の顔をまじまじと見た。彼は、少なくとも俺の眼には、間違ったことを言っているつもりはないように見えた。発言内容そのものは俺には受け入れらないだろうという不満めいたものをその眼に含んではいたが、それでも彼は、俺に向けてハッキリと自分の主張を押し通した。


「君は、間違ってもいいって言うんだね?」

 彼は、俺を見返して言った。

「いいえ、違います。僕だって間違っていいとは思いません。でも、間違えてしまう人間もいると思うんです……でも、それでも何かを一生懸命に伝えようとすることを、僕はしたいんです……それは、許されないことなんでしょうか?」

 彼はそれきり黙り込んでしまった。

 何かを答える前に、俺はボーマンに呼ばれて、その場を立ち去った。


 間違える人間はいるだろう。そして間違えた映画もあっただろう。

 だが、創作はもう間違えない。アキラがその代わりを担うから。

 じゃあ、人間は?

 人間は間違えないようになるのだろうか?

 間違えた人間は、許されないのだろうか?

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