Chapter24 嘘と真理

「何か考えごとですか?」

 ワダさんに声を掛けられて、俺は顔を上げた。


 俺たちは今、電車に乗って、家に帰る途中であった。無事に撮影初日を終えて、方角が同じだったワダさんと一緒になったのである。すでに日も落ちて、外は暗い。電車は、光る帯となり、のろのろと蛇行している。


 吊革につかまった彼女は言う。

「脚本のことでしょう?」

 俺は周りを見回した。車内はあまり混んではいなかったが、それでも映画製作の話を誰かに聞かれるのはマズいだろう。

 俺は、声量を絞って答えた。

「分かる?」

「ええ、まあ」彼女も声を小さくした。

「君は、ホリーの案をどう思う?」


 ホリーが望む結末は、姫野が脚本家の正体をハッキリと口にして終わる、というものだった。彼は、宇田神の功績はキチンと世の中に残されるべきだと、強く考えていた。だから、俺が提案した〝ほのめかして終わる結末〟に納得がいかなかった。


「まあ、そうですね。あの場であんまりハッキリ言うのは現実的ではないかもしれませんね」

「そうだよなあ……自分の仕事が認められないことなんか、よくある話だからな……」

「宇田神と姫野の関係を中心に考えれば、お互いのキャリアが終わるようなことを、そこまで強硬にする必要はないかもしれませんね……」


 そうなのだ。大半のメンバーは、俺の説明を聞き——また、説得のかいもあり——おおよそこの考えに理解を示した。

 だが、ホリーは反対した。

 俺は驚いた。彼は大人しく控えめな性格だと思っていた。そんな彼が、最後のシーンでは明確に宇田神の名前を出したいと言う。


「『雨に唄えば』では、最後に正体を明かしているじゃないですか」

 と、ホリーは言った。

「ハッキリさせないことも手段の一つとして、あると思うけどな」と俺は返す。

「例えば?」

「……例えば、『スキャナーズ』のラストとかさ」

「そう、ですね……」


 そんな調子で俺とホリーは、常時、意見を交わしてきた。俺だって、ひと回りも年下の彼にあまりキツイ言葉は使いたくなかったから、出来るだけ、過去の映画なんかを用いて納得しやすいように話してきたつもりだ。それでもホリーは決して首を縦には振らなかった。


「まだ時間はありますから、ゆっくり話し合って考えましょうよ」

 ワダさんが言った。

「ダメだよ。時間はあんまりない。今日だって、チャーリーに急かされたんだから。あの人、監督でも何でもないのに」

「そりゃあ、大変だ」ワダさんは小さく笑い声を上げる。「でも、ボーマンはあなたの案でも構わないのでしょう?」

「もちろん、支持はしてくれているよ。でもボーマンは、みんなの意見を一致させたいって言ってるんだよな」

「ボーマンは優しいですから」

 俺はため息をつく。

「大丈夫ですよ。どうにかなりますよ」

 いい気なもんだ。俺の疲れた顔を見て、ワダさんは話題を変える。

「今日の私、どうでした?」

「ああ、演技のことかい? とっても上手かったよ」

 これは本心だ。

「良かったです。制作者からお墨付きを貰えて」

「茶化すなよ。でも君、何であんなに上手いんだよ? どこかで何かやってたのかい?」

 ワダさんは、肩を小さくすくめる。

「いいえ、特には」

「じゃあ、才能だな。うらやましいよ」

「そうですか?」

「ああ。嘘がつけて損するってことはないだろうさ」

「嘘?」

「いや、まあ演技ってのは、ある意味嘘を形作っているわけだろう?」

 ワダさんは眉間にしわを寄せて、俺を小さく睨んだ。

「悪かったよ」

 俺は先に謝る。何か間違ったことを言ったのだろう。ワダさんとの会話はいつもこんな感じだ。

「謝ってもダメですよ、イチカワさん。あなた、演技が全部嘘だと思ってますね?」

「……違うのかい?」

「ちょっと違いますねえ。いいですか? 台詞も動きも全部作り物かもしれませんけど、あの時あの場で演じている時の私の気持ちは本物なんですよ?」

「気持ち?」

「ええ、例えば今日やったエイトさんとのやり取りなんかのシーンは、私、本当にムカついてやってたんですから」

「ははっ、面白いこと言うね」

「笑わないでください。ああいう嫌な人って、どこにでもいるでしょう?」

 俺は頷く。

「そういう嫌な人と対峙したときの気持ちをそのまま演技に乗せてやってるんですよ。だからそういう意味ではあの演技は作り物や嘘なんかじゃないんです」

「うーん……つまりさ、あの時の君の感情は本物だから、嘘はついていないってこと?」

「ええ」

「演技してても、感情の面では嘘じゃないってこと?」

「ええ。というか、気持ちで嘘ついてたら、演技ってバレちゃうと思いますよ」

 バレてもいいのではないか? だって作り物なのだから……そう思ったが、俺は口には出さなかった。どういうやり方であれ、彼女の演技が真に迫ったものになるのであれば、俺が文句を言う筋合いはない。ここで一番大事なのは、映画の質を担保することだ。

「映画だって、伝えたい何かがあって作られているわけでしょう?」彼女が続ける。

「そうだね」

「もちろん、筋書き自体は作り物ですけど、その伝えたいことっていうのは、きっと現実的な本当の気持ちなんだと思うんですよ」

「まあ……そうかもしれないね」

「何だか自信なさそうですねえ……イチカワさんの小説を基に作っている割には」

 ワダさんは俺の顔をのぞき込む。俺はドギマギして、顔をそむけた。


 当たり前だが、俺に伝えたいことなんか、これっぽちもなかった。あの作品の骨組みは、アキラが作ったものなのだから。


「まあでも、みんなのおかげでいい作品になりそうで良かったよ」

「ホントにそう思ってます?」

「思ってるさ、本当に」

 俺は力強く答えた。そんな俺の顔を見上げて、ワダさんはニッコリと微笑んだ。


 そのうちに、列車は駅に到着し、俺はホームに降りた。

 二つ先の駅まで向かうワダさんは、降りずに車内から小さく手を振った。

 俺は仕方なく頭を下げて、挨拶を返した。


 真っ暗な空の下、ひと気の少ないホームを一人歩いて、考える。

 俺は、ビオスコープに素性を隠して潜入しているが、果たしてそれはどう考えればいいのだろう。アレだって言い方を変えれば、演技の一種だろう。もしや、俺の素性はすでにバレているのではないか? そんな疑念がふと浮かんだが、俺は考えるのをやめた。

 そんなことは今やもう、あまり関係がなかったからだ。

 何故ならば、映画製作はすでに俺の手を離れ、一人勝手に突き進んでいるのだから。

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