Chapter17 原作

 休日昼間のビオスコープは、当たり前だが、誰もおらず閑散としていた。


 薄暗いホールの端、ステンドグラスの傘を被ったランプに照らされて、俺たちは四人でテーブルを囲んでいた。赤、青、緑、黄色で象られた長い影が壁に伸びている。

 三人——俺以外のボーマン、テリー、シュピルマン——は、思い思いの姿勢で、くたびれた革張りのソファに座り、印刷された脚本に目を通していた。束ねたダブルクリップが音を立てて外されて、俺は静かに固唾を飲んで見守っていた。


 そして、一時間と少しが経過したころ、三人が三人、ほぼ同時に脚本をテーブルの上に置いた。

『かの名よ、綴らん』

 それがその作品のタイトルだった。

 そして、それはアキラの遺作——といえるのかどうか分からないが——であった。

 俺は三人の顔を見回した。

 最初に口火を切ったのは、テリーだった。

「で、何なんだよ? これ、あんたが書いたのかい?」

「そうだ」

「……別につまらないってことはないな」

 素直じゃないやつだな。アキラが書いたんだ。面白くないわけがないだろう。

「この作品の続きはないんですか?」とシュピルマン。

「すまない。まだそこまでしか書けてないんだよ」

「そうですか」

 シュピルマンはもう一度脚本を手に取って眺める。

 俺はボーマンに向いた。彼は嬉しそうな笑みを俺に返した。

「面白いね」と一言。

「ありがとうございます」

「で、これを撮りたいんだね? 君は」

「ええ」

「でも、君も分かっているだろう? この作品を撮るのにどれだけのハードルがあるか」

 ボーマンは両手を小さく広げて、疑問を投げかける。

「そうだよ。あんた、この作品の時代設定、間違ってるんじゃないのか?」

 テリーも口を挟む。

「そもそも中世ヨーロッパを舞台にした話なんか、俺たちには撮れないだろう? 一体どうするつもりなんだよ」

 そこについては俺にも考えがあった。用意した嘘を口にする。

「もともと俺はさ、小説を書いていたんだ。でも、どうせなら映画にしてみたいと思って、手直ししたものがこれなんだよ」

「小説?」

「ああ。だから、舞台設定は中世ヨーロッパになっている。でも、もしもみんなが映画の制作に手を貸してくれるであれば、設定を思い切り直そうと思う」

「例えば?」

「この物語は、近世の舞台作家志望の男の子とお姫様の話だろう? この舞台作家というところを、映画の脚本家志望に直して、お姫様の役回りも新人女優にしたいと思うんだ」

「現代劇ってことか?」

「いや、現代劇じゃないよ。現代じゃ脚本家なんて絶滅しているからね。アキラが動き出す前の話にしようと思っている」

「フーン……まあ、ちょっとばかり興味が惹かれるな」

 テリーは顎に手をやり、考え込む。

 シュピルマンが言う。

「でもですよ、これを撮るって、正直かなりリスキーだと思いますよ。だって、この脚本、ラストはなくても、尺で言えば少なくとも百分近くはあるわけでしょう?」

 俺は頷く。

「撮影期間や場所を考えたら、どうやったって人目に触れないわけはないと思うんです。取り締まりの対象になったらどうするんですか?」

「今のところ、ネットに公開するつもりはないんだ」

「いや、それでも、ですよ。僕たちは現に、公開をしなくても取締官に目を付けられたんですから」

「分かってる。だけど、そこについては、君たちが撮影したときよりも状況は良いと思うんだ。第一に、ここにいるメンバーで制作できるのなら、話は外には漏れないだろう? そもそもここに所属していることが、ある程度のリスクなんだから」

「うーん……まあ、そうかもしれませんけど……」

「だろう? みんなで共犯になるんだからさ。第二に、撮影場所については、俺の方でいくらかはコントロールできると思うんだ」

「コントロール?」

 俺はここで一旦間を置く。俺は三人の顔を見ながら、慎重に答える。

「俺は親の遺産で、ミナトミライ跡地の土地を、いくつか所有しているんだ」

「……君んちは、不動産屋さんだったのかい?」とマスター・ボーマン。

「いえ、そういうわけではありません。特に勤め人としての活用はしてません。個人で自由に使っているくらいです」

「地主みたいなもんか」

「そんなもんです。規模は小さいですけど……。で、ミナトミライ跡地であれば、場所によっては塀で囲まれてますし、建物が残っているところもあります。そこを上手く使って撮影できないかと考えているんです」

 三人は、視線を交わす。今聞いた話の現実味を検討している様子だった。テリーが口を開く。

「で、もしあんたが言った話が本当だとして……監督は? あんたがやるのか?」

 俺は首を横に振る。

「そんなつもりは全くないよ。俺はロケ地やお金の工面をして、監督は別の人に任せたい」

「誰だよ」

 俺はボーマンを見る。

「もしもマスターが嫌でなければ、あなたに任せたい。あなたはここのナンバー2だし、皆のこともよく知っています。あなたならみんなも言うことを聞くでしょう」

「言うことを聞かせるだなんて、言っちゃいけないよ、ロン」

 ボーマンは諭すように言った。俺は、一瞬顔をしかめたが、すぐに隠した。ここで俺のそういう態度や姿勢を見透かされるはよくない。

「いいかい、ここは仕事の集まりじゃないんだ。映画を作るにしても、みんなのさ、自発的な参加でないと」

「ええ、確かに。すみません、言葉が悪かったです」俺は頭を下げた。「でも……それでも俺は、あなたにお願いしたいです」

 ボーマンは頭を掻きながら、テリーとシュピルマンを見た。

「君らはどう思う?」

「俺は別に、あんたなら不満はねえよ」とテリー。「人望もあるし、頭もいいしな。でも、ボーマン、あんたは監督をしたことはあるんですかい?」

 ボーマンは、ふふっと乾いた笑い声を漏らす。意外な反応だった。俺たちは顔を見合わせた。

「いや、済まない。君らを笑ったわけではないんだ。本当のことをいうとね、私は昔、映画を撮っていたことがあるんだよ」

 俺らは声を上げそうになる。だが、ボーマンは、俺たちが何かを言う前に、手を上げて制止する。

「いやね、もうずっとずっと昔の話さ。それに著作禁止法が制定される前のことだよ。学生時代にね、映画サークルに入っていたんだよ、私は」

「映画サークル?」と俺。

「ああ、禁止法の制定以前はさ、別に誰が何を作ってもよかったからね。学生でも平気でそこらで映画を撮っていたんだよ」

「へー、それは凄い」

 俺は、心の中でガッツポーズをした。ボーマンが映画を作れるのなら、百人力だ。だがまだ監督することを、了承してもらっていない。

「じゃあ、ますますあなたが適任だと思います。是非撮りませんか? せっかくこんなにいい仲間たちがいるんです」俺は、テリーとシュピルマンに視線を送る。「それに、人員の問題も、撮影場所の問題も、お金だって多少は都合が付きます。まだ公開すると決まったわけじゃないんです。まずは純粋に、俺らで映画を作ってみませんか?」

 俺は待った。ボーマンの返事を。

 テリーが俺の思惑通りに声を上げた。

「撮ろうぜ、ボーマン。ここで撮らなきゃ何のためのビオスコープなんだ」

 ボーマンは、ジッと動かない。願望とリスクを天秤で図っている様子がありありと見て取れた。

 走り去るバイクの音が、遠くに聞こえる。

 テーブルランプの光が、小さくカチリと瞬く。

 マスター・ボーマンはついに口を開いた。


「分かったよ。やろうじゃないか」


 テリーとシュピルマンが声を出して喜んだ。俺も笑みを浮かべた。だが、二人の想いと俺のそれは一致していない。もちろん一切は気づかれていない。

「じゃあ、さっそく準備に取り掛かろうじゃないか。何を飲む?」

 バーテンダーは立ち上がった。

 俺らは、勝利の美酒を頼んだ。

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