Chapter10 映画鑑賞
翌日、彼女厳選の映画三十本を収めたディスクをもらった。
彼女は俺に渡す際、見る順番を熱心に教えてくれた。
「まずは、チャップリンから入りましょう。『街の灯』です。それから年代を上がってドラマを何本か。いきなりサイレントばかりだと抵抗があるかと思いましたので、今回はこのドラマたちとは別にSFとサスペンスを入れておきました。ちなみに『スターウォーズ』はエピソード4からで問題ありませんからね。間違えないようにしてください。観たら是非、感想を教えてください」
家に帰って再生してみると、メニュー画面のサムネイルにはわざわざジャンル分けのタグ付けがされていた。俺は、彼女の念の入れように、苦笑してしまった。
暗い部屋で、音量を絞って、俺は一日三本づつ、映画を観続けた。
正直、よく分からない作品ばかりだった。
俺は一体何をしているんだろう。毎日仕事もせず、こんな歪な物語を見ている。
何故、荒れ果てた大地の惑星で彼女はこんなにも露出が激しいのか。
何故、陪審員の全員が全員、間の抜けた白人なのか。
何故、目標にしていたダンス大会に敗れ、友達を失って物語が終わるのか。
俺にはさっぱり理解が出来なかった。
俺は時々、リイにも声を掛けて一緒に観たりもした。だけど、彼は特に何も答えてはくれなかった。
十日後に、再び彼女を訪れる。
彼女はきっと、次の三十本を用意していることだろう。それを思うと、少し気が重くなる。
「どうでしたか?」と彼女の嬉しそうな第一声。
俺はハッキリと言ってやった。
「ダメだな。てんで良くない」
彼女は少し驚いたような顔をして、それから少し悲しそうな目で俺を見た。俺は僅かに怯んだが、それでも続けて、観て思ったことを率直に答えた。
しかし、そんなことをするのは完全に誤りだった。
彼女は、俺の話を一通り聞き終えると、今度はニヤニヤしながら俺に反論をしてきた。それもまるでまくし立てるように。
「何にも分かってませんね、イチカワさん。いいですか?
『禁断の惑星』は、人間の心の奥底にある悪意をテーマにした作品なんです。それまでのSF映画と言うのは、半魚人やモンスターにヒロインが襲われるような作品ばかりだったんですよ。そういう意味で、思想的な主題を本筋に据えた点で、この作品には価値があるんです。確かに、ヒロインのスカートの丈が短すぎるのも否めませんが、そこはかつてのB級SF映画の名残なのでしょう。でもそのB級映画だって『シェイプ・オブ・ウォーター』なんかで一気に名作になるんですけどね。
あと『アラバマ物語』の陪審員は、それで良いんですよ。白人による差別が根強く残っていたあの時代に、公民権運動の最中に、これが作られたことに意義があるんですから。この手の作品で、私のお勧めは『夜の大捜査線』ですね。これ、黒人の刑事と白人の刑事が協力して、事件を解決するんですけど、ラストの駅のシーンが本当に良いんです。今度貸してあげますから是非観てください。
それと『サタデー・ナイト・フィーバー』ですね。これはアメリカンニューシネマの流れを汲んでる作品なんですけど……あ、アメリカンニューシネマっていうのは、この時代のベトナム戦争に対する反戦感情とか政府への不信感などが相まった反体制主義的な映画のことを指すんですけどね、大抵、最後は負けちゃうんです」
「え、負けちゃうの?」
「ええ。だから『サタデー・ナイト・フィーバー』は色んなものを失って、終わるでしょう?」
「いや、そうだけどさ……そこのところがよく分からないんだけど、負けちゃっていいもんなの?」
「負けちゃダメな理由なんてありますか? そんなこと言ったら『俺たちに明日はない』とか『明日に向かって撃て』なんか観れないですよ。これより酷いラストなんですから」
俺は、言葉が出ない。
バッドエンドの存在は理解できる。
でも、何だ?
そこまで色々積み立ててきたものを、一気に積み木崩しみたいに見せることに一体どういった価値があるって言うんだ。
「そこは時代を知らないからですよ。その作品が作られた当時、みんなが何を考えて、何を見出そうとしていたかを知らないと、その作品の言いたいことは上手く掴めないと思います」
「それはおかしいだろう。何でこっちが作った人の思惑を図らないといけないんだよ。こっちは金を払ったお客さんなんだぜ?」
「何言ってんですか。私がこっそりコピーして渡してるんですよ。お金なんか貰ってません」
「いや、そりゃあそうだけど、俺が言いたいのはさ——」
「まあ確かに、イチカワさんの発言にも一理ありますね。映画は大衆芸術であり、大衆娯楽でもありますから。でも、今回渡した『シックスセンス』、アレのラストには驚きませんでしたか? 『パラサイト』後半の展開にも驚きませんでしたか?」
俺は、ホンの僅かに頷く。
そう、彼女に……同意してしまう。
「そうでしょう。実際に観た人を楽しませる映画もたくさんあるんです。そんなに難しく考えなくても大丈です」
そう言って、彼女はカウンターから立ち上がり、後ろの棚から封筒を取り出した。
「さ、これが次の三十本です。アクションを多めに入れておきました。あとコメディです。『ワイルドスピード』なんかは純粋に楽しめると思います」
貰った封筒の中を見てみる。一枚のディスクと一緒に、『ミッションインポッシブル』『ダイハード』と書かれた作品のリストが入っている。
俺は一つ、彼女に尋ねた。
「あのさ、ブルース・リーの作品ってのはあるの?」
「ええ、ありますよ。観たいんですか?」
「ああ、うん、ちょっとね、観てみたいんだけど」
「それでしたら……」彼女はカウンター越しに身を乗り出して、俺の手にしたリストの一か所を指差す。「これですね。『燃えよドラゴン』。ブルース・リーは、それまで存在しなかったカンフー映画を生み出した人なんですよ」
「ふーん……彼の作品は他にもあるの?」
「ええ。『ドラゴンへの道』でも『死亡遊戯』でも。あ、でも『死亡遊戯』は未完ですけどね」
「未完?」
「ええ。未完っていうか、遺作です。完成せずに亡くなったんですよ」
「そう」
「じゃあ、他の奴も次の時までに用意しておきますね」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
「全然いいですよ。それでイチカワさんが映画を好きになってくれれば」
彼女は子供みたいに微笑んだ。俺もあいまいな笑顔だけを返した。
帰りの電車の中で思う。
彼女には申し訳ないが、俺が映画を好きになることはないだろう。ただ仕事として観ているに過ぎない。それに、こんなにも不出来で不完全なもの、相手を慮ることで補てんしなくてはいけないようなもの、そんなものは、要らない。アキラが完全なものを用意してくれているこの社会では。
帰って、ブルース・リーの映画を観た。
隣にいる複写生命の彼とは違い、画面に映るリイは、鳥のような声で鳴き、手や足を振るって敵をなぎ倒していた。
「すごいアクションしてんだな。このパンチはもちろん早回しなんだろう?」
俺が茶化しても、リイは何も答えず、得意げな笑みを浮かべるだけだった。
その後、彼女のオフィスにはもう二回だけ行って、適当な感想を言ってやった。もちろんその都度、彼女の喜びそうなことも含めて。
俺は最終的に、全部で百二十四本の映画を観終えた。そこで彼女とのやり取りは終わった。俺がヨコハマに行く準備が出来たからである。
身分は、不動産経営者ということにしておいた。ミナトミライ跡地を利用した事業を営んでいる金持ち。それに合わせて引っ越しもした。跡地はずれにあるタワーマンションの一室。もちろん、リイも同行した。
季節はすでに八月の中旬になる頃だった。
ワダ・コマドリに、挨拶はしなかった。
俺は今までの生活の全てを捨てて、犯罪者の根城に潜り込もうとしていた。
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