Chapter6 準備

 映画製作の依頼を受けたその日の帰り道、俺はブルース・リーに尋ねる。


「俺は……あんたのことを、その、何て呼べばいいんだ?」


 彼は、素性がバレない用心のためか、夜にも関わらずサングラスをかけていた。俺の一歩後ろを歩きながら、彼は答える。


「ブルースでも、リーでも」

「……難しいな。本名は何なの? ブルース・リーは芸名なんだろう?」

「本名は、リイ・シャオロンです」

「リイ・シャオロンね……年齢は?」

「年齢ですか?」

「うん」

「三十二歳です」

「同い年じゃないか」

「私のオリジナルが、その歳に亡くなりましたから」

「ああ……そうか。すまなかったな」

「何故ですか?」

「いや、別に……じゃあ、まあ、何だ。俺はさ、複写生命の事はほとんど何も知らないし、よく分からないが……そうだな、とりあえずはリイと呼ばせてもらうよ」

「承知しました」


 俺は地下鉄への階段を降りながら、釈然としない気持ちを抱いた。

 こいつは一体何なんだ?

 複写生命?

 生体アンドロイド?

 そいつはロボットみたいなもんなのか?

 心ってやつはあるんだろうか?

 俺はリイの横顔をチラリと見る。

 彼は至極真面目な顔で見返して、それから意外にも、さわやかな笑みを見せた。さっぱり意味が分からない。


「あんたもさ、俺に敬語を使う必要はないよ」

「しかし、私はあなたの付き人ですから」

「いや、それでもさ。あんたは人の形をしているんだから、あんまり酷い態度はとれないだろう?」


 これは嘘だった。彼は審議会からの借りものだ。どれだけ貴重なものか判断も付かない。無下むげな対応は控えるべきだろう。


「私は造り物です。残された記録や遺伝子といった情報から、モデリングされた集合体に過ぎません」

「……よく分かんないけど、君がそう言うなら、まあいいか……」

 そう言って俺は改札を抜ける。リイも審議会が用意した情報端末を使って、改札を通る。

 オレンジ色の電車がホームにやってくる。夜も大分遅い。疲れ切った勤め人たちと一緒に俺たちは電車に乗る。吊革につかまり、何も言葉を交わすことなく、俺たちは麻布エリア・テンにある高層マンションの自宅へと帰る。


 家に帰ってからも、リイは俺の後ろを律義に付いてきた。

 とんでもなく難儀なものを抱えてしまったと、俺は恐ろしくなった。そしてついには我慢が出来ず、部屋の片隅にいるように命じた。リイは素直に従った。命じたことには柔軟に従うのだと、俺は即座に理解した。これは使いようによっては有益なのかもしれない。だが、それでも、この環境に慣れるまでは、かなりの時間と労力がかかるだろう。

 そしてベッドに入った時、俺はふと気が付いた。

 ダダイ議長の言った二階級分の昇進——あれはもしや殉職したときに使われる特進のことじゃないのか?

 俺は深く重たいため息をついて、そして小さく長い呻き声を漏らした。


 翌日から俺は、地下組織に潜入するための準備を開始した。

 幸いにも、本件に係る費用については、全く心配が要らなかった。審議会は、今回の潜伏活動に関する経費の一切を、全面的に見ると約束してくれていた。

 そして、その審議会からの案内で、俺は今日、情報省管理局——元の職場とは別の建物だ——へと出向くことになっていた。


 恐ろしく憂鬱な朝だった。スーツに着替え、髪にくしを入れて、午前九時。

 それから十時を少し過ぎたくらいに、俺は重い身体を押して家を出た。

 後ろにはリイが控えている。リイは白いワイシャツに黒くて太いスラックスを履いていた。そして相変わらずサングラスを掛けている。これが彼の制服なのだろう。しかし、後ろをずっと歩かれるのは居心地が悪い。

 隣を歩くように指示をして、俺らは仲良く目的地へと向かった。


 管理局は、俺がいた統制局とは違い、アキラが作った映画や小説、その他の創作物を中心に管理している部署だった。だが、今日俺が行く最大の目的は、それらの作品群ではない。


 アキラそのものに会いに行ったのである。

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