Chapter7 ハスミ機関

 第二カスミガセキの地下ホームに到着し、俺らはレンガ造りのかび臭い階段を登る。

 人影がまばらな地上階は、快晴にも関わらず、薄暗い。

 周囲差し渡し五百メートルの範囲に立つ九本の高層ビル。それらの間を繋ぐコンクリートの蜘蛛の巣が、縦横無尽に空の光を刈り取っている。


 暇そうなサラリーマンを尻目に、俺は湿ったビルの谷あいを進んでいく。これまで実際に行ったことはなかったが、目的のビルは近づいてすぐに分かった。


 その建物は、まるでパルテノン神殿だった。正面入り口には何本もの太い柱が屹立きつりつし、天に掲げられた巨大な屋根は俺たちを悠然と見下ろしている。

 目の前にある階段は、横幅が五十メートル近くもあり、正面玄関は遥か彼方にあった。

 だが、一番の特徴はその色だった。それは真っ黒だった。完璧で完全な黒。それは来る者を拒み、それでいて見る者を深淵に飲み込む、まさしく虚無の色だった。


 俺は周囲を見渡す。辺りには誰もいない。意を決し、階段を上がっていく。

 登り切った先を、さらに歩き続ける。

 しばらくしてようやく俺は、情報省管理局の金属プレートが飾られた玄関口に到着する。

 自動ドアを抜けて、エレベーターに向かう。男二人で乗り込む。情報端末のステータスをかざし、俺は最上階のボタンを押す。

 そして到着。管理局付のアクセス権限を、審議会が俺の端末に与えてくれていた。

 その階は、アキラとそれに付随する機構だけを収めた特殊な階だった。だから俺は、もっと機械だらけの寒々しい空間を想像していたが、実際は違った。


 エレベーターを降りた先には、両開きのアーチ状の扉があった。

 そして、その脇に案内人が座っていた。

 事前に受けた説明によれば、彼女は、オードリー・ヘップバーンの複写生命だった。

 彼女は俺とリイを見て、小さなデスクから立ち上がった。

「イチカワ・ゲンゾウ取締官ですね?」

 俺は頷く。

「話は審議会から聞いております。今日ご案内をさせていただくオードリーです」

 彼女は頭を下げた。

 俺は後ろに控えたリイに視線を向けたが、特に反応はない。お仲間だからといって、友達ってわけではなさそうだ。

「どうぞ、こちらへ」

 彼女は、鉄製の扉の前に立ち、右の手の平をそっと押し当てた。ガチャリと音がして、開錠した。生体認証が組み込まれているようだった。

 そのまま彼女は扉を押し開いた。


 中に入ると、そこは随分先へと続く長い廊下になっていた。

 幅は二メートル強くらいだろうか。白いパネルの床からは、柔らかいフットライトが、行く先をずっと先まで照らしている。

 廊下の両脇には、大小さまざまな絵が飾られていた。

 俺たちは、オードリーに導かれて、中へと入っていった。

「この廊下に飾られている絵は、全てアキラが描いたものです」

「ああ、そうなんですか」

 俺は即座に理解した。

 そうだった。ここはアキラのアーカイブも兼ねているのだ。

 しかし、絵を見ても、何もピンと来なかった。そんな俺を見て察したのか、オードリーはガイド役を買って出た。


「ここら辺にある数枚は、ルノワールやモネと言った印象派を参照して、アキラが独自に作成したものです」

「印象派、ね」

「もちろん、アキラは人工知能ですが、ここにある絵は全て外部デバイスを用いて、筆で描いたものなんですよ」

「へえ、CGではないの?」

「ええ」


 俺は歩きながら、絵に顔を近づけてみる。そう言われれば、キャンバスに筆の跡を見ることが出来る。

 そのうちに絵は、曲がりくねった時計や、缶詰の羅列といったよく分からないものに変わっていき、最後には絵の具が飛び散っただけの謎のキャンバスになった。

 そしてそこまで行きつくと廊下は終わり、眼下には、高さ五階分くらいはありそうな、開けた空間が広がっていた。


「この階段を降りていきます」

 オードリーの案内で、俺たちは螺旋階段を降りていく。天井にはいくつもの水銀灯が吊るされており、壁面には——四面全て同じだろう——書棚らしきものが組み込まれていた。

「ここから先、壁面にはアキラが作成した小説、戯曲、漫画、そして映画など、全ての作品が収められています」

「すごいな……こんなにあるのか……」

 俺は目を凝らして、作品の背表紙を見ようと手すりから身を乗り出す。だが、俺は違和感を抱いた。

「知らない作品ばかりだな……」

「そうですね。アキラが作った作品の全てが世の中に出るわけではありませんので」

 前を歩くオードリーが言う。

「そうなのか……」

「ええ。彼が作った作品の二十パーセントも市場には出回っていません」

「何で?」

「需要と供給のバランスの問題もありますが、それ以上に彼が無尽蔵に生み出す作品群は、全部が全部、歪みないというわけではないのです」

 俺は何も答えない。オードリーは説明を続ける。

「彼は、膨大な量の過去の人の手による作品群を参照して、物語中心点を定めていますが、作品の種類を多種多様に作るためには、幾つもの中心点が必要です。加えて、その中心点から、時間的前後の支点を定めていきますので、当初は数値にも出ないような微小だった歪みですら、物語を生成していく中で指数関数的に増大していくことになります」

「まあ、何となくその理屈は分かるけど……でも、じゃあ一体誰がその作品の中から歪みのない……」

 そこまで言って俺は気が付いた。俺が作った試験以上の批評機関があるではないか。

「そうです。そのための機構が、この先にあるハスミ機関です」


 俺たちは階段を下りきり、白い大理石の床に立った。辺りは、壁面の書棚も含めて、全てが白い空間だった。

 少し先に行くと、僅かばかりの観葉植物とベンチで囲われた縦長の人工池があった。

 池の前には小さな操作卓が設置されていて、オードリーはその前で立ち止まった。それから、怪訝な俺の顔を見て、言った。

「これがそのハスミ機関です」

「……何?」

「この池が、ハスミ機関なんですよ」

 オードリーがニッコリと笑う。恐ろしく人工的で美しい笑顔。

「この池が?」

「ええ。今後、あなたはアキラに代わる作品を、ここで審議させなくてはいけません。これが、そのための機構なのです」

 俺は、池をジッと見つめた。キラキラと水面が七色に光っている。

「……コンピューターなのか」

「ええ、生体を用いた液体コンピューターです」

「生体?」

「この池の下には、約百人の批評家および評論家の脳が半液状で格納されていて、それらとこの池に模した疑似ニューロンを繋ぎ合わせることで、統一、平準化した物語の規格が生み出されているのです」

 薄気味悪いものを感じて、俺は少し後ずさる。だが、オードリーは俺のそんな様子には気づかない。

「このコンソールに、各種媒体をセットすることが出来ます。ディスク型メモリでも、半導体メモリでも何でもです。差し込んで再生キーを押せば、自動的に再生されて、アキラの基準に合致しているものかどうか、判断することが出来ます」

 どうぞ、という仕草をしてみせる彼女。

 俺は近づいて、操作卓を見た。小さな画面があった。恐らくここに必要な情報が提示されるのだろう。俺は、分かったという意味で、彼女に頷いてみせる。

「のちほど実際の使い方は説明いたします。それでは、こちらへ。アキラへご案内します」


 俺の鼓動が一つ、大きく鳴った。緊張する。

 この俺があのアキラに会う。信じがたいことだった。アレだけの素晴らしい物語を生み出してきた人工知能。それにお目にかかれるとは……。

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