Chapter5 ブルース・リー

 そもそもこの仕事を——本当にやるかどうかは置いておいても——上手くこなせるのか、俺には全く見当が付かなかった。


 まず、俺はこの秘密の脚本を持って、反体制組織に潜入する。

 そのうえで、奴らに俺の素性を知られることなく、映画を完成させる。

 果たして、そんなことが実際に可能だろうか?


「ちなみに、この仕事を完遂した暁には、君には二階級分の昇級を約束しよう」


 ダダイ議長の言葉に、俺は顔を上げた。

 二階級分の昇級……っ! 俺は一気に部長級まで上がることになる。この年齢で部長級は前代未聞だ。心が動く。しかしまだだ。まだ不明瞭な点がある。


「一応の確認ですが、この脚本通りに作ったとして、最後のシーンはどうすればいいのでしょうか? すでにアキラが機能を停止しているのであれば、最後のシーンについても誰かが作らなければいけないと考えますが……」

 議長が頷く。

「その通りだ。もちろん誰かが書かなくてはならない。そしてそれは恐らく地下組織の誰かになるだろうが、その時に問題なのが、その結末がアキラの作ったものにかなうかどうか、ということだ」

 俺は頷く。この作品は、正真正銘しょうしんしょうめい、アキラの作品として世に出さなくてはいけない。人の手による創作は、その存在自体、許されない。

「そこで一つ、君の出番となってくるわけだ。ヘーゲル=カルノサイクル試験を作った君ならば、一定程度であれば、その作品がアキラのものに近いかどうか判断が出来るだろう」

「そ、それは、難しいです……。私の試験で分かるのは、物語上の歪みの検出であって、アキラの作品との類似性では……」

「そんなことは分かっている」

「すみません……」

「それを分かったうえで、ある程度、現場でコントロールが出来る人間が必要だと考えて、君に依頼しているんじゃないか」

「失礼しました……」

「だが、君の気にすることも最もだ」

 そう言って、ダダイ議長は隣の委員に何かを確認する。それから頷いて、再度俺の方を向いた。

「そこでだ。君が地下組織に潜入して、映画の制作に取り掛かっている間は、ハスミ機関の使用を許可しよう」

「ハスミ機関、ですか」

 阿呆みたいに繰り返してしまった。

 

ハスミ機関:

 人工知能アキラに付随した批評機関。アキラが無数に作る物語を、アーカイブ化し、加えて分解、その構成要素を数値化する機関。その機関を使えば、その物語がアキラのものであるかないか、またアキラのものにどのくらい類似するかどうか、数字で判断することが出来た。


「映画製作の途中途中、また最後のシーンについての脚本が完成したタイミングで、ハスミ機関を使用して構わない。そして具体的には、適合率九十パーセントを超えることを原則とする」

 議長が言い切る。

 俺はめまいがしそうになった。


 。そもそもアキラが作った作品でなければ、百パーセントには絶対にならない。真似て作ったものだって、せいぜい良くて七十パーセントくらいなものだ。にも関わらず、今回の目標値は九十パーセント。ハードルが高すぎる。


 俺の渋い顔に気づいたのか、議長の口調が少し柔らかくなる。

「君には難しいかね?」

 それでいて、俺を煽って楽しんでいる。心の中でため息をつく。上はいつもこうだ。下に無理難題を押し付ける。

 だがまあ、いつもの事であるならば、どのみちどうにか出来るような気もしてきた……仕方がない。断る権利は、初めからない。俺は腹を括った。であればこそ、ここから先は俺が有利になるように話をさせてもらおう。


「いえ、いくつかの条件を整えれば、可能だと思います」

 委員たちの間にさざ波が立つのが聞こえた。俺にはやれないと思っていたのだろう。

「まず、ハスミ機関の使用を許可いただいたのであれば、結末だけに限らず、ある程度内容の修正についても許可をいただきたいです」

「……分かった。許可しよう」

「かつ、適合率は八十五パーセントまで下げさせてください」

「……理由は?」

「九十パーセントの達成が出来ない、というわけではありません。国民の規定思想に影響を与えるのは、アキラの作品から十五パーセント以上の歪みが出てからになりますので、その点を鑑みて目標値を設定させてください」


 しばらくの沈黙。

 数字自体は事実だったが、上がそれで良しとするかは、また別の問題だ。

 議長が他の委員と相談をする。

 そして、言った。

「分かった。その点についても許可する」

「ありがとうございます」

「他には? まだ何かあるかね?」

「そうですね……ハスミ機関の使用とは別に、審議会とのホットラインも必要と考えます」

 議長が頷く。

「その点については考えてある。マリリン、彼を呼んできてくれ」

 ダダイ議長が命ずると、彼女はするりと部屋を出ていった。


 数分後、マリリン・モンローは、〝彼〟を連れて戻ってきた。

 俺には馴染みのない顔だったが、議長の説明で有名な映画俳優であったことが分かった。小柄なアジア系。射貫くような鋭い目つき。シャツの上からでも分かる山のような筋骨。

「彼は、ブルース・リーの複写生命だ。今後の我々とのやり取りは、原則彼を通して行う。電話やネットは盗聴の恐れがあるからね」

 ブルース・リーは俺に向かって、礼儀正しく頭を下げた。


 俺は戸惑った。複写生命とのやり取りなんてしたことがない。どう対応すればいいのか、まるで見当も付かない。何も言葉を返せず、俺も頭だけを下げた。で、何だ? 俺はこれから、こいつと一緒に行動しなければいけないのか? これは上流階級の御仁が密かに従えておくものだ。俺にはあまりにも不釣り合いだった。

「よし、それでは他に何もなければ、潜入先の詳細と、今後の流れを説明させてもらおう」

 そしてダダイ議長は、他の委員に説明を投げた。



 一時間後、ようやく俺は解放された。最初に審議会室に着いてから、ゆうに三時間近く経っていた。

 ドアの前で俺は立ち尽くす。そばには、複写生命が何も言わずに立っている。何から始めればいいのか、まるで考えがまとまらない。

 来年の十一月。それが映画製作の期限だった。今が六月の終わりだから、一年と四カ月だ。

 そして、俺は今日付けで異動となった。元の職場に戻る必要はない。審議会がよしなに取り計らって、俺はカナザワの出向先に行くことになっていた。

 だが、それもフェイクだ。実際に俺が潜り込むべき地下組織は、カナザワにはない。ここから小一時間の場所にそれはあった。


 移民と博打の街——ヨコハマである。

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