Chapter4 依頼
一時間と少しで、俺はその脚本を読み終えた。
内容は近世を舞台にしたもので、劇作家を志す青年が国家からの依頼を受けて代筆屋として成長していく物語だった。
俺は、顔を上げた。
「どうだね?」
議長、他五名の委員が俺の顔をのぞき込むように見る。俺は感想を言う前に、一つだけ疑問を口にした。
「これには……最後のシーンはないのでしょうか?」
そう、この脚本は完成していなかった。物語は、主人公がヒロインであるお姫様にある手紙を書くシーンで終わっていた。最後がどうなるのかは、書かれていなかった。
「ない」
議長はきっぱりと言った。
「そう、ですか……」
「ラストがなくても感想は言えるはずだ。君はこれを読んで、どんな感想を抱いたかね?」
俺は警戒した。
これは何かのテストだろうか? 回答によっては俺の査定に傷がつくこともありうるのか? 考えてみても分からない。それだけの時間的猶予もない。ここは正直ベースで対応をするべきだと、俺は判断した。
「最後のシーンがないので確定的なことは言えませんが、かなり歪みの少ない脚本だと思います。併せて、大部分の人間には全く無害です。恐らく私の作った試験であれば、まず間違いなく突破できるのではないでしょうか?」
議長は、黙ったままこちらを見つめている。
「もちろん、私の試験であれば、の話です。人工知能アキラに併設されたハスミ機関にかければ、結果は分かりません」
議長は、隣に座った銀髪の委員に、小さな声で話しかけた。他の委員たちも互いに何かを話し合い始める。
恐らくホンの一、二分だったと思う。だが、俺にはかなり堪える長い時間だった。
そして、議長が俺を向いた。微かな笑みが浮かんでいる。
「君がやはり適任だと思う」
そう言った。
「異論はないね?」
議長は、委員たちに問いかける。特に誰も意見は言わなかった。
「それじゃあね、イチカワ課長補佐、君にこれから一つ、仕事を依頼したいんだ」
ダダイ議長の口調は極めて軽い感じであったが、その業務が簡単でないことは、容易に想像が出来た。俺は、内心怯えながら、小さく固く頷く。
「ありがとう。そしてね、この仕事は絶対に他言無用だ。我々、委員会のメンバーと一部の人間のみが関わる仕事で、世間には絶対に知られてはいけない」
「……はい」
「よろしい。それでは君にはね、これから映画の制作を取り仕切ってもらいたい」
俺は一瞬、はい、と返事をしそうになった。
しかし、あまりに現実的でない議長の発言に、無意識下での警報が鳴り響き、すんでのところで思いとどまった。
どもりながら、俺は尋ね返す。
「え、映画の? 何ですか……?」
「映画の制作だよ」
「……何故そんなことを?」
ダダイ議長は少しだけ肩をすくめて、それから真剣なまなざしで俺を見た。
「アキラがね、もう映画を作らなくなってきているのだ」
——強い衝撃。
「君が先程読んだ脚本は、機能が停止しかかっているアキラのストレージから何とかサルベージしたものなんだよ。だからこそ、未完なのだ」
——二度目の強い衝撃。
「しかし、もしも本当にアキラがその機能を止めて創作をやめてしまったら、この国は大変なことになる。人々の心の拠り所がなくなってしまうからね」
「そ、それは……本当なのですか?」
俺は乾いた口から何とか言葉を絞り出す。
「アキラが創作できないことがかね?」
俺は頷く。
「事実だ。すでにアキラは壊れかかっている」
「げ、原因は?」
「原因は現在調査中だ。今のところ皆目見当もついていない」
俺は、もうそれ以上何も言えなかった。
アキラが壊れている……? 古今東西のありとあらゆる過去の創作物——もちろん玉石混合の創作物——を全て取り込んで、完璧な物語を作ることが出来た至高の存在。 世界の娯楽産業を壊滅させた創造の巨人。現代のミューズ。それが壊れている。
しかも何だ。その代わりの映画を作る? この俺が?
「大丈夫かね?」
議長に声を掛けられる。俺は取り乱した心をすぐに整える。大丈夫だ。恐ろしい事実だが、今すぐに俺がどうこうされるわけではない。落ち着け……まずは一旦落ち着くんだ。
「大丈夫です。少し驚きましたが……」
「まあ、動揺する気持ちはよく分かる。では早速だが、映画の制作方法について、いくつか話しておくことがある」
俺は驚きで目を見開いた。
「何だね?」
「いや……何でも、ないです。どうぞ続けてください……」
一瞬で悟った。俺に断る権利はない。あり得ない現実を知らされた時点で、俺に選択の余地はなかった。
これは命令だ。やれ、と命令されている。
恐怖が俺を襲った。それも一挙に。手に汗がにじむ。鼓動が乱れそうになる。
しかし、聞かなくては。議長の説明を。大事な話をしているのだ。審議会のメンバーが依頼しているのだ、この俺に。仕事を。しかも秘密裏の仕事を。
さあ、聞くんだ。
「映画の製作といっても、だ。一人では出来ないだろう。そこで我々は、アキラの不具合を感じ始めた数年前から、ある計画を実行していたのだ」
「ある計画?」
「そうだ。君も知っているだろう? 映画製作の地下組織があることは?」
「え、ええ」
「そういった組織は——まあいくつかあるわけだが、そのうちの一つはね、我々の息のかかった組織なんだよ」
「息のかかった……?」
「そうだ。我々は、アキラが致命的な事態に陥る前に手を打とうと、密かに映画を作れる環境を整えていたのだ」
「……それが、その地下組織」
「そうだ」
「で、その地下組織が映画を作るってことですか?」
僅かではあるが、何とか心を立て直せそうだった。割合問題は現実的なところに落ち着きそうに見える。政府が映画を作る手段を用意していたことは信じがたいことであったが、それでも脚本はアキラのものだ。その地下組織が、即物的に映画にしていくだけの話である。まあ、実際に映画がどう作られるのかは全く見当も付かないが。
ここまで考えて、俺の中に一つ疑問が浮かんだ。
「その……アキラの不具合のために地下組織を設けたことは分かりました。しかし、そうであればその地下組織が映画を作ればいいのではないでしょうか? 私の役割とは一体……」
俺がこの計画に参加する理由がよく分からなかった。
「ああ、いやいや、そうじゃないんだ。その地下組織はね、創設者だけが政府の者でね。それ以外の構成員は全員、反体制主義者なんだよ」
あっけらかんとした議長の物言い。
「だから君にはね、その組織に潜入してもらい、彼らを利用してほしいんだ。上手くだましてだね。ああいう奴らは火をつけてやれば、きっとよく働くだろう」
大体、分かった。つまりこういうことだ。俺は、アキラに代わって映画を作らなくてはいけない。そして作るには人手がいる。しかし、この映画製作は極秘裏に実施されなければならない。そのために、政府が裏で手を引いて作った地下組織があり、それを使って製作させる。
「……その地下組織の構成員たちは、アキラの現状は知らないんですよね?」と俺。
「当たり前だ」
「地下組織を作った
「それは難しい。彼の本職はそれに従事するような
彼、と言うのが誰なのか気になったが、詳細は訊けなかったし、また訊いても答えてもらえなかっただろう。
「そうですか。分かりました」
それだけ答えて、俺は黙り込んでしまった。
少し考える必要があった。
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