Chapter3 呼び出し

「ですが、この場合だとシェイクスピアの戯曲をただ演じただけって言われませんかね?」

「台詞が戯曲通りだからってこと?」

「そうですよ。そしたらこれは創作にはならないって言えませんか?」

「どうだろうなー。そもそも論としてさ、シェイクスピアの戯曲そのものが歪んでいることを鑑みればさ……」


 情報省の七階。

 会議室A。

 青い床にオレンジ色の椅子、ガラス張りの壁。

 俺の目の前で部下の二人——シュンジとタニガワさん——が意見を出し合っている。俺を含めて、計七人の打ち合わせ。

 ネットに上げられた動画の取り締まりについて、その方法を協議していたところだった。動画と言っても、分かりやすい映画やアニメではない。今回は、自身の演技をアップロードしたものの取り締まりに関してだった。


 禁止法が施行されて、すでに二十五年が経っている。にもかかわらず、創作をしてはネットに上げるやからは、一向に減る気配がない。自分のうちに留めておけば、捕まることはないにも関わらず、だ。おかげで俺らの仕事は息つく暇もない。そしてまた面倒な事に、上層部はそんな現場の忙しなさなんかどこ吹く風で、仕事を増やしてくるものだから溜まったもんじゃない。


 そう、今度の取り締まり強化の対象は演技であった。


 そもそも演技を創作と呼べるのかどうか。今ある著作禁止法を読む限り、この点についてのハッキリとした言及はなかった。だからこうやって雁首揃えて取り締まりの方針にかかる打ち合わせをやっているわけだ。


「少なくとも、禁止法施行前の作品をアップロードするのは問題ないわけでしょう?」とシュンジ。

「著作権が切れていればね」

 タニガワさんが返す。彼は四十代半ばのベテラン取締官だった。

「じゃあ、その中の台詞を読み上げたことが創作に当たるかと言われれば、問題ないような気もしますけど」

「いや、でもさ、禁止法の趣旨からしてみれば、歪んだ思想の流布が問題なわけじゃない?」

「それはそうですけど」

「そもそも禁止法以前の作品だって悪貨なわけだから、本当ならもっと厳しくそこから取り締まる必要があるよ」

 しかし、それはまだ出来ていない。

 著作権者がまだ存命な間は——出版社等がいくら自主規制を実施していたとしても——そこまで踏み切った取り締まりには手を出せない。

「じゃあ、タニガワさんは演技を創作ってみなすんですか?」

「そりゃあそうだろう。台詞一つ取ったって、演じ方次第じゃ意味合いが変わってくることもあるだろう」

 俺は黙って、二人の話をぼんやりと聞いている。他の四人もまた似たようなものだった。あの二人はいつも意見がぶつかりがちだった。

 その時、ガラス戸が開き、課長が俺を呼んだ。

「審議会がお前に話があるそうだ」


 廊下を歩きながら課長は、後ろを小走りでついていく俺に言った。

「今日は審議の日でしょう? 呼び出しは、今なんですか?」

「審議会自体は先ほど無事に終わった。その後の調整会で、イチカワ課長補佐を、と言われたんだ」

「はあ……そうですか。一体何でしょう?」

「この前作った試験の件とかで、お前に議長賞の打診をしたいそうだ」

「ああ、アレですか。そりゃあ良い」

「まあ、とりあえず審議会室に行ってくれ。よろしくな」

 課長に肩を叩かれて、俺は一人、エレベーターに乗った。最上階に行き、紅いベルベット地の廊下をまた進んでいく。芸術の神、アポロンのレリーフが施された両開きの扉の前に着く。

 ノックを二回。押して入る。


「ああ、君がイチカワ課長補佐かい? 急に呼び出して済まないね」

 議長のダダイが手を差し出し、俺に着座するよう促す。

 審議会室の壁は落ち着いた薄緑色で、欄間らんま巾木はばきには贅沢にも金縁きんぶちが施されている。背の高い艶やかな革張りの椅子を引く。

 俺は、審議会のメンバー六人を前にして、神妙な面持ちで座った。どの委員も見たことはあったが、直接に話をするのは今日が初めてだ。全員、よわい六十は過ぎていた。

「さて、今日ここに呼んだのはね、ある仕事を君に依頼するためなんだ」

 ダダイ議長は自身の顎を撫でながら、俺の顔をゆっくりと眺めた。

 ——課長の話と違うじゃないか。俺の不思議そうな表情を見てか、議長は言った。

「君が作ったアレ……何といったかな?」

「ヘーゲル=カルノサイクル試験」と隣の銀髪の淑女が言う。

「ああ、そうそう、それだ」


 ヘーゲル=カルノサイクル試験とは、俺が作ったチャート式の試験問題だった。

 これを用いれば、人の手による大抵の創作物について、それが持つ矛盾点を暴き出すことが出来たし、加えて、創作者自身の認知の歪みをあらわにすることが可能だった。

 大半の違反者は、自分たちの力作がこの試験を受けさせられ、その辛辣な結果を見、また自身の才能の無さを知って、筆を折ることになった。そういう意味でこの試験には価値があったし、俺にはそれを作り上げた功績があった。

 ゆえにこの年齢で課長補佐にまで昇進出来たのである。


「アレ、いいねえ。面白いよ。若いのによくやっている」

 ダダイ議長が笑顔で俺を褒める。ありがとうございます、と俺は当たり障りのない返事をする。

「でだ、今日の本題はね」そう言って、議長は部屋奥に控えた人物に声を掛けた。「マリリン、例の物を」

 俺は、気が付いていなかった。部屋の奥に彼の秘書がいたことに。しかもまたその秘書が異形だった。

 彼女は、かつての銀幕のスター、マリリン・モンローの複写生命ふくしゃせいめいだった。


 ——複写生命とは、人工知能アキラが製造した生体アンドロイドだった。十数年前までは、かつての映画俳優たちを複製し、彼らを使って新しい映画を制作していたのである。しかし、考古史学こうこしがく人権派からの強い批判を受け、また、アキラのデジタルアーカイブ充実化によるフルCG俳優の精度が上がったことで、それらは徐々にスクリーンから姿を消していった。


 お役御免やくごめんになった複写生命は、官営かんえい事業の払下げとして、密かに売りに出されていると、風の噂には聞いていたが、まさかこんなところでお目にかかれるとは……。

 俺は、生物学上は全く本物と変わらないマリリン・モンローが近づいてくるのを見て、ドギマギしてしまう。やはりこういったグレーな手合いは、政府上層部や裏家業界隈が一手に握っているのだろう。

 


 派手なピンクの制服に身を包んだモンローは、よく訓練された笑顔で、俺に紙の束を一つ渡してくれた。俺は意味が分からず、その束を見つめる。

「その書類はね、脚本なんだ」と議長。

「脚本、ですか……」

「そう。でだ、ちょっと面倒かけて申し訳ないんだが、ここで一読してもらえないか?」

「え、全部ですか?」

「そうだ、全部だ。何も聞かずに、全て読んでくれ。ああ、もちろん音読なんかしなくていい。黙読で構わない」

 俺の顔に戸惑いが浮かんでいたのだろう。議長が最後にダメ出しの一言を加えた。

「我々の時間を気にすることはない。ここで君が読み終わるまで、気長に待っているよ」

 断ることは出来ない。

 俺は、素直に頷いて、視線を手元の脚本に移した。

 居心地が恐ろしく悪いが、仕方ない。

 この作品がどこの誰のものなのか、そんなこと、今は無視だ。

 とにかく言われた通りに読むしかない。


 俺は、内容に集中した。

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