Chapter2 映画館

時刻:

夜六時半。


場所:

直径高さ共に1キロ強の超高度建築物、ギンザ・ストラクチャー。

現代のコンクリートピラミッド。


 もちろん、墓場ではない。劣悪な天候から完全に隔離されたその内部には、居住区、商業施設および行政機関など、生活に必要なものが全て収められている。


 俺は地下鉄を降りる。階級も服装もバラバラな雑多な人々の間を縫って、高速エレベーターを見つける。情報端末をコンソールに近づけると、許可された階層のボタンがオレンジ色に光る。

 第十六階層へのボタンを押す。

 選ばれた市民しか入れない階層の一つ。

 二分後、目的の階層に到着する。一緒に乗った他の乗客たちは、第十五階層までの間に降りていた。

 情報端末をタップし、幅広のエレベーターのドアが開く。俺は一人、悠々と降りる。着替えたスーツを見下ろす。特にしわはない。靴もよく仕上がっている。そう、俺の顔が反射しそうなくらいに。


 目に優しい淡いオレンジ色の光が、長い回廊を照らしている。

 身なりのいい男女数人が、派手な観葉植物に彩られた一角で、話し込んでいる。

 俺は、壁に表示された劇場までの案内に従い、歩いていく。左手にある5メートルもの背の高い窓からは、街が見下ろせた。薄い霧状の雲を透かして見るそれは、まるでミニチュアみたいだった。


 しばらくして、俺は巨大な劇場の入り口に辿り着く。

 赤いカーペットが敷かれた大理石の階段を登る。他にも俺と同じ階級の招待客が続々と劇場に入っていく。

 チケット売り場はない。入り口のドアマンに情報端末を見せて、招待状と自分のIDを知らせる。つまりは、ステータスの確認。この場にふさわしい人間かどうか。それをドアマンは見ている。

 俺のステータス:ランクファイブ

 ランクシックスが最上位の階級。

 ランクは、その人物の社会的地位や実績に応じて、人工知能が振り分けるものだった。国家一種公務員であることや、この年齢で課長補佐に昇任していることを考えれば、俺のランクは妥当なものだった。

 そして今日、半年ぶりに新作映画が封切られ、俺は人工知能に選ばれてこの上映会に招待されたのだ。


劇場内:

緩く湾曲した幅五十メートルはある巨大なスクリーン、および千人を収容できる二階建て構造の座席。


 俺は自分の席を見つけて座った。

 腕時計を見れば、もう七時を回る。そろそろ始まる頃合い。

 もちろん、この映画は全国にオンラインでも配信されることになっている。だが、劇場で、公開初日の最初の回を観られるのは、選ばれた人間だけだ。

 俺は、座席のクッションに身を預ける。柔らかい快適な感触。


 劇場内の灯りが落とされる。

 ブザーが鳴り、そして上映が始まる。


 * * *

 

 この時代、人の手による映画は存在しなかった。そしてそれは映画に限らなかった。小説や漫画も同様だった。そう、現在、この国では人々の創作と公表が禁じられていた。


 創作がこことは違う別の世界を醸成し、そこに人々を誘うものだとすれば、それはあまりにも壮大な夢物語だった。私たちに世界は作れない——完璧に調整された世界は。人の手により生み出された世界は、どうしても歪んでいた。そして、残念なことに、それは多かれ少なかれ、人の心を蝕んだ。


 だから、そういった流れをどうにか正そうとして、この国は一つ、大きな方針転換をした。まさしく荒療治かつ根本的な治療だった。


 著作禁止法の制定である。


 だが、人々も政府も分かっていた。そうはいっても娯楽がなければならない、と。日々の苦しい生活の中で、映画や小説や漫画がないことは耐えられない、と。しかし、この問題は程なく解決した。


 人工知能が、小説を書き始めた。そのうちに漫画も描き始め、ついには映画も作り始めた。

 これは政府にとって好都合だった。

 人工知能が作る物語は、おおむね人々の欲求を満たしていた。しかも制作数が増えれば増えるほど、その精度や確度は上がっていった。かつて危惧された、物語内の不純物はほぼ完全に除去された。また、創作された物語は、必要な人に、必要な分だけ配給された。人工知能が各人のステータスを管理監督し、それに見合い、かつ社会的有用性を慮った物語を適宜供給したのである。人々は、その人向けに調整された物語を必要十分に享受した——人工知能によって濾過された綺麗な物語を。


 その人工知能の名は、アキラといった。


 * * *


 エンドロールが流れる。

 ——実にいい映画だった。俺は、今観た映画の主人公が如何に困難を乗り越え、目的を達成したかを噛みしめ、自分もまた日々の仕事に精を出さなくては、と強く思った。それくらいに、いい映画だった。


 天井のライトがゆっくりと灯り、人々が帰り支度を始める。出口から大勢の客が流れ出ていく。色とりどりのドレスやスーツに身を包んだ彼らの口々から、感想が漏れ聞こえてくる。どれもこれも絶賛といって良かった。

 こうしてアキラが作った映画は、日々の疲れを癒し、明日への活力を人々に与える。


 俺は、劇場脇の売店でパンフレットを買った。出ている俳優のヴィジュアルをもっと見たかったし、インタビュー記事も読んでおきたかった。もちろん全て、アキラ製だった。俳優は完全にCGで、アキラが作ったキャラクターだった。インタビュー記事も——質問もそれに対する回答も全て——アキラが考えたものだった。だが、俺はそれでもよかった。俺は、この映画を十全に満喫したかったのだ。そしてアキラはその期待を絶対に裏切らない。


 だが、そんな最高の一日も最後の最後で水を差された。

 階層を下った先、雑多な地下鉄駅構内の公衆トイレ。俺がそこで用を済ませていると、目の前の壁に、チョークで描かれたそのマークを見つけた。

 そのマークは、長方形の中に大きな丸が書きこまれ、その下にばってんが描かれている。ちょうどばつ印が長方形を支えて立つような構図である。

 これは、かつて存在していたアナログカメラを模していた。

 そしてこれはまた、情報省統制局の掃討対象の一つ——映画制作を執り行う地下組織のシンボルマークでもあった。

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