アオイトリ

 正直なところ、八雲は苛立っていた。


 青を担いだまま、階段を三段飛ばしで駆け上がる。加えて、踊り場で定期的に半回転するので、青は今にも目が回りそうだった。

 初仕事がいきなり護衛任務に決まり、八雲はさんざん浮かれていたが、今ではまるで夢でも見ていたかのような気分だ。


 今朝、八雲は普段よりも早く起き、忌まわしき寝ぐせを懸命に黙らせた。それだけではない。帽子をかぶって行くかどうか、かぶるとしたらどんな帽子が良いだろうか、と、昨夜から累計して小一時間は悩んだのだ。……結局、何もかぶらず行くことにしたけど。

 とどのつまり、人生で最も気合を入れて家を出た八雲だったが、護衛対象がまさかの万引き未遂者だったせいで、すっかり興が醒めてしまったのである。

 イライラした気持ちを落ち着かせられないまま三階にたどり着き、そこで青を下ろす。古い木造の床がきしむことは気にせず、青はそこそこ勢いよく膝をついた。げっそりとしている青に対し、八雲は容赦なく問いかける。


「お前、盗みを働いたことあるの」

「いえ。ないです。あの、本当にないんです……!」


 気持ち悪そうな顔色をしていても、青は必死で答えた。その言葉に偽りはない。今回の件は、少年たちのからかいがエスカレートした結果、起きたことだったのだ。

 そうか、と八雲は胸をなでおろす。


「なら問題ないな。けど、二度とあんなことしようと思うなよ。……まあ、そん時はあんたが何かする前に、オレが焼き鳥にしてやる」


 純粋な眼で八雲はしっかりと釘をさす。犯罪者の護衛なんて御免だと、子ども心に彼は思った。とはいえ、以降はころっと気持ちを切り替え、座り込んでいた青に手を差し伸べる。


「ほら、行くぞご主人様」

「ご、ご主人様って……? あの、ぼく、初耳なんです。お父からも、本当に何も言われていなくて。あなたが……ニンゲンが、アオイトリの用心棒だなんて……」

「え? は? 聞いてない?」


 八雲は目を白黒させる。その手は、未だ何も掴めぬまま、空中にとどまっていた。しばし二人は黙考していたが、ゴーンゴーンと鐘が空気を揺らしたため、八雲が我に返る。


「うわ、遅刻した!」


 屋内だというのも忘れて叫び、一気に顔を青くする。その横を、猫背の男性が静かに通り過ぎて行った。俯いたまま、その男性は「中・梅組」と書かれた木札が付いているドアを開ける。

 廊下と同様に古木の床をギシギシと鳴らして室内を進んだ男性――率川良祐いさがわりょうすけ――は教卓の前で止まった。そして、出席も取らずに丸いチョークを手に取り、「では、昨日の続きから始めます」と、覇気のない声で告げる。


 追って後方のドアから入室した八雲たちは、コソコソと空いていた席に滑り込む。そして内心、八雲は呻いた。


 学校も個々の家が経営しているので、規則に若干の違いはあれど、入学条件は主に二つ。――大陸の共通語を話せること、ヒトかアオイトリであること。

 つまり、お金を払わなくても入学は可能だ。

 その代わり任意の入学料、授業料の支払額によりクラスが編成され、率川校では金額の高い順に松、竹、梅組になる。当然、教師もクラス別なので、必然的に最下層の梅組には新人や見習い教師、あるいは何かしらの欠点を持つ先生が配属される。

 率川良祐は、おそらく後者だ。


 八雲は昨日まで中級の竹組に通っていた。なお、中級とは、いわゆる学年のことだ。

 学校ではなく、家で必要なことを教える家庭も多い。学級としての機能を果たせるくらい人数を一クラスに集めるために、十歳から十八歳までの子どもを、上中下の三学年に分けていた。


 八雲がクラスの落差を受け止められないでいると、隣の席の椅子がガッと危うい音を立てた。察するに、後ろの席の者が蹴りを入れたらしい。被害者の青は、わたわたと必死に手をばたつかせたが、あっけなく机に顔面をぶつけた。

 瞬間、八雲はしまった、と思う。

 真横にいながら、護衛対象を護れなかった。そのことを純粋に恥じ、気を引き締めなければと自らを叱る。

 想定外のことばかり起きるせいでうっかり忘れていたが、今日からここは学び舎ではない。八雲にとって、仕事場の一部なのだ。



 *



 率川校では、一人の教師が一つのクラスの全授業を受け持つ。幸か不幸か、梅組の担任は生徒に無関心だ。授業中の私語はおろか、席を立っても教室を去っても完全無視である。

 ……もっとも、それを八雲が試したわけではない。クラスメイトのほとんどが好き放題やっていた。

 二限目は、先ほどとは別の男子が青の頭上で墨汁を構えた。

 八雲はすかさず、休み時間に用意した瓶を取り出し、片方の手で自分に向かって風を吹かせる。黒い液体がきれいに瓶の中へ飛び込んできた。と同時、青と反対側に座っていた生徒らの机上の一式まで全て吹き飛ぶ。ごくり、と八雲は空気を飲み込む。


「すっ……すみません! すぐ直します!」

 引き攣った顔で席を立つと、誰かが盛大に舌打ちをした。


「ざけんな」

「潰す」

「あっ、いいよいいよっ! 僕のは自分で直すから!」


 問題児と聖人しかいないのかここには、と、八雲は思わず最後に発言した生徒を見つめた。黄色い髪の毛と、蜂蜜のような色の瞳。その明るい色彩のせいか、以降、彼には後光が差して見えるようになった。

 束の間の安息は過ぎ去り、三限目のこと。計算練習の時間に、今度は八雲の椅子が奇襲を受けた。

 だが、椅子は蹴られてもびくともしない。日ごろから鍛えている八雲に、普通の家の息子が敵う道理はなかったのである。八雲もあえて無反応を貫いた。


 その後青にとばっちりがいかないかと注意を払っているうちに、鐘が鳴る。

 率川校には、三限目と四限目の間に昼休憩の時間があった。とはいえ、こんな場所では安心して飯も食えない、と八雲は青を連れて廊下に飛び出す。


「ど、どうしてあなたは、ぼくを担いで運ぶんですぎゃ」

 どうやら舌を噛んだらしい。


「アオイトリって足遅いんだろ? この方が早くないか?」


 青はつい、確かにと納得してしまった。おまけに舌が痛いので何も言い返せない。

 八雲は魔術だけでなく筋力も鍛えているようで、青を抱える腕はがっちりと硬い。身長こそ青より小さいものの、青は、埋められない種族の差を感じざるを得なかった。


 身を任せるまま、連れてこられた所は校舎外だった。

 ほとんどが日陰になっている、校舎の北側。そこにある倉庫の裏には、体育や球技大会付近の時期を除けば、人が近寄らず、静かである。梅組の連中はクラス内では傍若無人にふるまえているようだが、他の教師、ひいては学外の人間に見られる可能性のある野外ではそうもいかないはず。

 見逃してくれる教師など、あの担任くらいだろう。そう思いながら八雲は雑草の上に腰を下ろす。名も知らぬ鳥のさえずりが妙に心地良かった。


「……あ、あの、ありがとうございます」


 青は棒立ちのまま言う。見ると、再び頭に血が上って酔いそうになっていた。

 しかし、八雲はそれに気付かず「まあ、仕事だし」と照れたように頭をかく。青は首を横に振った。


「でも、それでもあなたはぼくに……アオイトリなんかに、不名誉を承知で尽くしてくれて、あのその、本当にすみません」


 なぜか謝ってしまった青を見上げ、八雲は「不名誉?」と首を傾げた。

 どうして青がそこまで自分を卑下するのかわからなかったのだ。確かに、アオイトリは魔術を使えない。身体能力もニンゲンに及ばないが。


「プラスの感情を幸運のエネルギーに変換できるのは、アオイトリだけの稀有な能力だって聞いたぜ。珍しい力持ってんだし、ちょっとくらい自信持ってもいいんじゃねえの」


 笑えなかった。

 アオイトリは、ヒトの感情以外を活用することができない。しかも、エネルギーとして貯蓄できるのはプラスの感情のみ。そのような厄介かつ依存的な能力に頼る生き物は、きっと世界中を探してもアオイトリだけだ。珍しいことは事実だが、誰かに誇れるような能力ではないと青は思う。

 それをもごもごと歯切れ悪く八雲に伝えてみたが、八雲は「ふぅん」と軽く相槌を打つだけであった。


「そういえばさあ、ご主人の周りにプラスの感情を持ってるような奴なんているの?」


 あっさり聞き流されたことに青は驚きと若干の虚しさを覚えつつも、その問いになんと答えようか考え込む。残念ながら、三秒も待ってもらえなかった。


「なるほどいないんだな」

「そ、そんなことはっ……」


 反論しきれず、悔し気にぎゅっと目をつむる。


「あ、あと、これもお前の親父さんから聞いたんだけど、その幸運を生み出すエネルギー? を一定数溜めないと『大人』になれないって、本当? オレ、ご主人が大人になるまで護衛を頼まれてんだよ」


 青はぎこちなく頷く。――でも、どうしてお父は何も教えてくれなかったんだろう? 帰ったら聞いてみようかな。

 そう考えた矢先、八雲はとんでもないことを告げた。


「ご主人、本当に何も言われなかったのか? 今日からオレんで暮らすことになってるのに? 別れの挨拶もなし?」

「……えっ?」

「あの人、見た目のわりに薄情なんだなー。……でも、わざわざ用心棒雇うくらい、ご主人のことを考えてるんだよな……わけわからん」


 八雲は腕を組んで、空を見上げたかと思えば俯いて目を閉じ、うーんと唸る。

 アオイトリは人間と瓜二つの容姿を持ち、青髪碧眼。だがその言葉を聞くと、顔まで青色になった。もしこの場所に日光が差し込んできていたら、きっと眩暈を起こしてしまったに違いない。


「……ああ! それより、早く弁当食わねえと時間なくなる! なあ、ご主人も座れよ、ここ」


 八雲は、次から次へと話題を変えていく。初対面のときに青が感じ取った強い感情も、けろりと変化させてしまった。

 生まれた種族のことでずっと悩んでいる青とは、正反対の性格かもしれない。ゆえに青は話についていくだけでも精一杯だったが、言われた通り、若葉の上に腰を落ち着けた。

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