青風日和
結雨氷
浮き雲
よく晴れた日の、朝の商店街。
茶色い建物が道の両端に整然と並び、その真ん中をいつものように人が行き来する。しかし、青たちだけは、かれこれ十五分くらいその場から動いていなかった。
少年たちがかばんの存在を気にせず、青へ詰め寄る。うち一人がずずいと顔を近づけて口を開く。
「なあ! おれの代わりに、あの本とってきて!」
ぞっとするほど無邪気な声だ。悪びれることなく、その少年は向かいの通りにある本屋を何度も指さす。店先の漫画をどれかを指しているのだろうが、青には目を凝らす余裕などなかった。
少年は続けて念を押す。
「十巻だぞ、緑の表紙のやつだぞ」
「……で、でも。あ、あの、ぼく、お金、持ってないです……」
青はもごもごと唇を動かして、一歩後ろに足を引こうとした。とたんに一番背の低い少年が「あ! 逃げるなよ、アオイトリだろ!」と声を張る。まるで卑怯者を蔑むような目つきだった。
頬にそばかすのある少年が、意地悪な笑顔を浮かべて言う。
「それならさ、お金がないなら、盗めばいいじゃん。おれたちはニンゲンなんだから。言うこと聞いてくれるよね」
ピリピリと手の甲が痛んで、青はわずかに顔を歪める。それをどうとらえたのか、彼らは一層不機嫌な目つきになった。
――幸せを運ぶ、アオイトリ。
今や、地球上で最も優れた種族であるヒトに守られて生きるために、彼らはヒトの役に立つことを使命とし、ヒトに幸福をもたらすエネルギーを蓄えられる身体に進化したのである。ある程度蓄えると、身体に変化が起きる。それをもって、アオイトリは「大人」になるのだ。
青は「子ども」だが、ただの子どもではない。特異体質――ヒトの感情を肌で感じ取れる能力――を持っていた。
少年が片手を持ち上げると、青の顔からさっと血の気が引く。不機嫌な子どもほど恐ろしいものはないと、青は知っている。なぜなら、このくらいの年頃になると、ヒトは魔術を自在に扱えるようになるからだ。にもかかわらず情緒や判断力はまだまだ子どものままなので、機嫌を損ねたら何をされるか予想できない。
「……はい。わ、わかりました」
青は痛いのが嫌いだ。疲れることも嫌いだ。本を一冊盗ってくるだけで事が済むのなら、早く終わりにしてしまいたい。そう思ってしまった。
大通りを横断するべく、少年たちの輪から外れた青は、しかし、次の瞬間にはハッとして立ち止まっていた。ビリリと鋭い痛みが、服の中までも刺激する。これほど強い感情は、生まれて初めて受けた。青は吃驚のあまり動けなくなる。――振り返りたいけれど、できない。
一拍置いて、「あーあ」と落胆したような声が飛んできた。
「だーめなんだ、だめなんだ」
ぐつぐつ煮えたぎるような感情とは裏腹に、冷たい声。その声の主は人々の往来から抜け出てこちらに近づいてきたが、彼からは袴の衣擦れの音も聞こえなかった。
青のすぐそばへ迷いのない足取りで歩いてくると、男子は軽蔑的な視線を一同に浴びせる。それからほんのわずか思案し、何かを諦めたように乱暴に息を吐く。
「あのなあ、お前ら。最低限、やっていいことと悪いことの区別くらいつけてから外を出歩けよ」
青は一瞬、呼吸を忘れた。
どっと嫌な汗が全身を流れる。目の前がちかちかして、今まで感じたことのないくらい、ひどく体が震え始めたけれど、原因は罪悪感か男子への恐怖か。得も言われぬ焦燥感から、考える間もなく一歩前へ歩み出た。
「ち、ちがうんです……! あの、――あ、あのっ!?」
話している最中、突然ひょいと肩に担ぎあげられて、青はあたふたと手足を無茶苦茶に振り回す。てっきりこのまま投げ飛ばされると思っていたが、予想に反して、男子はただ、暴れる青をものともせずに踵を返す。
「じゃ、遅刻するんで」
言うが早いか、一目散にその場から逃げていった。
*
本当に遅刻寸前だったと気が付いたのは、始業の鐘が鳴る五分前のことである。
正門をくぐり抜けたときに予鈴が鳴り、男子が仰天して悲鳴をあげる。青はぐわんぐわんと揺れる視界が不快でずっと目をつむっていたが、その声で瞼を上げた。
そして思う。まさか、俵担ぎで運ばれる日が来ようとは、と。もちろん、青は夢にも思わなかった。
体勢と視界の悪さにどうにか耐えていると、男子がふと思い出したように口を開ける。
「そうそう、知ってると思うけどさ、オレは
――知らない。
青は心の中で返事をしたが、当然相手に届くはずもない。八雲は二人分の上履きを片手で掴み、そのまま勢いを落とすことなく階段を駆け上がった。
口を開けば舌を噛んでしまいそうなので、青はなおさら何も言えなくなる。
再び、八雲がやすやすと言葉を吐く。
「親父さんから聞いてるよな? オレは今日から、あんたの用心棒になった。色々と言いたいことはいっぱいあるけど……まあ、ひとまず、よろしく頼む」
言いたいことがいっぱいあるのは、青とて同じ。
――聞いてない。
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