第18話 主要登場人物

 さて、それでは次に夢野久作著『ドグラ・マグラ』の主要登場人物について。


◆私………一人称小説『ドグラ・マグラ』の主人公。典型的な〝信頼できない語り手(悪意なき語り手)〟である「わたし」は九州帝国大学医学部・精神病学教室所管の、解放治療場内にある附属病院「せいひがし・第一病棟」の七号室に隔離収容されている入院患者。「私」は大正15年11月20日と思われる日の午前1時であろうかという時刻に柱時計の時鐘じしょうの音で眼醒めるが、それ以前のすべての記憶を喪失していた。大正15年10月19日の「解放治療場の惨劇」と、同年4月26日の「姪浜めいのはま花嫁殺し事件(姪浜事件)」、ならびに大正13年3月26日の「美人後家ごけ殺しの迷宮事件(直方のおがた事件)」、これら三件の殺人および殺人未遂事件と「私」は深い関わりをもつとされているのだが……。

 みずからの記憶を喪失したまったくの手探り状態から、「私」は正木敬之博士が残したという五つの遺稿類を手掛かりに事件の真相に迫っていく。その中で「ドグラ・マグラ」と題された謎の原稿に出合い、一連の事件の謎はさらに深まっていく。

「私」は何者で、なぜ狂人として九州帝大の病室に隔離収容されているのか。記憶喪失者としての「私」の苦悩と謎の殺人事件の真相とが絡みあいながら、やがて物語は信じがたい驚愕の真実へと収斂しゅうれんされてゆく……。

呉一郎くれいちろう………「解放治療場の惨劇」、「姪浜花嫁殺し事件」、「美人後家殺しの迷宮事件」、これら三件の凶悪殺人事件を引き起こしたとされる被疑者。もともと善良かつ頭脳明晰な美青年であったが、祖先から受け継いだ「心理遺伝」によって人格が唐の玄宗げんそう皇帝に仕えた宮廷画家・呉青秀ごせいしゅうに入れ替わり、一連の殺人事件を引き起こしたのだという。しかし、事件の捜査に学術面から協力する若林鏡太郎博士は、裏には隠れたる真犯人「怪魔人」が存在し、これらの事件の糸を操っているとにらんでいる。おそらく呉一郎であろうと思われる「私」は、若林鏡太郎の協力を得て正木敬之の遺稿類を頼りに事件の真相に迫っていく。

◆呉モヨ子………呪われた狂人の家系・呉家に生をけた、本作品のヒロイン。匂いたつような可憐な美少女だったが、呉家でその血脈を受け継ぐ若者も、とうとうモヨ子と一郎の二人を数えるまでに家勢は細りきっていた。呉家の血統存続のためというお家事情とは別に、真心からぎけい一郎を恋い慕うモヨ子であったが、結婚式の前の晩に、絵巻物の呪いで殺人鬼・呉青秀の人格に入れ替わった一郎に絞殺されてしまう。よわい十六でその命も果てたと思われたモヨ子だったが、実は……。

◆六号室の少女………本作品の主人公である「私」の隣室・六号室に隔離収容された謎の少女。「私」のことを「お兄さま」と呼び、呉一郎であると信じて疑わない美少女である。彼女は「私」に、自分が呉一郎の従妹イ トコであり、かつ彼の義妹いもうとであり、さらには婚約者であったのだと病室の分厚いコンクリートの壁越しに告げる。呉一郎との結婚式の前の晩に「お兄さま」の手にかかって絶命したものの、その後チャント生き返って、今はこうして六号室にいる……というのだった。

 若林鏡太郎の説明では、彼女は祖先からの呪わしい「心理遺伝」のために、人格が唐の玄宗皇帝の時代の楊貴妃の侍女であった芳芬ほうふんにしばしば入れ替わるらしい。彼女もまた記憶障害のために、若林鏡太郎から尋ねられても自らの名前が分からず、ただ「私」が自分の「お兄さま」であるということ以外には何も分からないと答えるのだが……。

若林鏡太郎わかばやしきょうたろう………「解放治療場の惨劇」、「姪浜花嫁殺し事件」、「美人後家殺しの迷宮事件」、これら三件の殺人事件の謎を追う九州帝国大学医学部在籍の法医学者。九州帝大の医学部長であり、専門の法医学教授に加えて、大正15(1926)年10月末以降は後任不在の精神病学教授を兼任。法医学界の権威であり、過去に数々の難事件を解決に導いた実績から「迷宮破めいきゅうやぶり」の異名も持つ。

 三件の殺人事件は精神に異常をきたした狂人・呉一郎による犯行と思われているが、若林はその背後に隠れたる真犯人「怪魔人」がいて糸をあやつっているとにらみ、一連の事件の真相を追っている。そのために「私」に前任の精神病学教授・正木敬之の遺稿類を与えて、事件解決の鍵を握るとみられる「私」の過去の記憶の回復に協力しているのだが……。

正木まさき敬之けいし………九州帝大精神病学教室の前任の主任教授。研究狂兼誇大妄想狂を自認する天才肌の研究者。若林とは同郷で、九州帝大在学中は学業に恋にとその覇を競った好敵手の間柄。

 明治40(1907)年に帝大第一期生中首席で卒業を果たすが、卒業式の二日前に蒸発して世界放浪の旅に出る。10年後の大正6(1917)年に帰国後、自作の「キチガイ地獄外道祭文」をチョンガレ節の節回しにのせて唄って回り日本各地を放浪するも、大正14(1925)年10月19日の恩師・斎藤寿八じゅはちの死を機に母校に戻り、翌15(1926)年2月に斎藤教授の後任として九大精神病学教室の教授職に就く。

 新学説「胎児の夢」や「脳髄論」、「狂人の解放治療」の提唱者で、精神病患者の治療場と称して同年7月、九州帝大構内に「解放治療場」を私費で創設する。その後、4ヶ月間の学術実験の後に、自らの研究があだとなって10月20日に自殺……と思われていたが、1ヶ月後の11月20日に彼の「遺言書」を読んでいた「私」の眼前に突如、出現する!

◆呉千世子ちよこ………呉一郎の実母。「直方事件」で呉一郎か、あるいは謎の怪魔人に殺害されたとされる。若き頃よりの美貌の持ち主で、学生時代には「虹野にじのミギワ」の変名を使って多くの男性と浮名を流し、当時の知人からは「男喰い」と噂されていた。

 勝気な娘時代であったらしく、17歳で県立女学校を首席で卒業。刺繡ししゅうに堪能で、幻の技法とされる唐代の「つぶし」を縫い上げることができた。若林鏡太郎や正木敬之とも、それぞれ入れ替わりに同棲関係にあった過去を持つ。一人息子である呉一郎を女手ひとつで育て上げ、一郎の実父の正体を、姉の八代子やよこにも一郎本人にも告げぬまま他界する。生前に一時期、密かに「呪いの絵巻物」を所持していたことがあり、一連の事件の謎を解く重要なヒントをその巻末に書き残していた。

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