第17話 ドグラ・マグラの用語

 では、まずは『ドグラ・マグラ』を読み解く上に必要な〝夢野用語〟についての説明から……。


◆(作中作)「ドグラ・マグラ」………夢野久作著『ドグラ・マグラ』の中には、筆者名のない「ドグラ・マグラ」という標題の手書き原稿が出てくる。この原稿は全部で五冊に分かれていて、その第一ページ目ごとに赤インキの一頁大の亜剌比亜アラビア数字で、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、(2)と番号が打ってある。

 標題の「ドグラ・マグラ」という言葉の原義については、切支丹キリシタンバテレンの呪術を指す長崎地方の方言とされたり、幻魔術げんまじゅつもしく「堂廻どうめぐり目眩めぐらみ」「戸惑とまどい面喰めんくらい」という字を当てて「ドグラ・マグラ」と読ませてもよいとの若林教授の説明がある。

 この原稿は九州帝大の精神病科に入院していた若い大学生の患者が正木敬之の死後、不眠不休で一週間で書き上げたもの。夢野久作著『ドグラ・マグラ』と同じく、最初と最後の各一行目が、同じような「……ブウウ――ンンン……ンンンン……(3)」という柱時計の時鐘じしょうの音となっている。「胎児よ 胎児よ……」で始まる「巻頭歌」やドグラ・マグラと題した「標題」などがあり、この手書き原稿の内容が夢野久作『ドグラ・マグラ』と一致していることを、夢Qは若林の言葉を借りて強く匂わせている。

◆呪いの絵巻物………この絵巻物には、唐の時代に宮廷で玄宗皇帝と楊貴妃ようきひに仕えた天才画家・呉青秀ごせいしゅうによって描かれた未完の九相図くそうず(4)が収載されている。呉青秀みずからが絞殺した妻・芳黛ほうたいの死骸の腐敗過程が六段階まで描かれた、いわば「六相図」とでも呼ぶべきもの。黛の双生児ふたごの妹・芳芬ほうふんの手を経て日本に渡来した。六相図のあとには芳芬によって漢文で浄書された由来記が書かれており、さらに巻末には呉一郎の実母・千世子ちよこによる正木敬之へ宛てた走り書きが残されている。

また、絵巻物の死美人像の第一図と精神科病棟六号室の少女の寝顔は瓜二つである。

 他にも多くの謎をもつこの絵巻物は、呉家の代々の男子の心理遺伝による発狂の暗示作用のトリガーとなり、呉青秀の自我を千百年後の現在いまにも呼び起こす。

◆心理遺伝………心理遺伝とは、何らかの精神科学的の暗示材料により、当人の人格と自我が何代か前の祖先のそれに入れ替わる症状を指す精神病。祖先の記憶は体細胞の中に眠るとされ、正木敬之博士が提唱。

◆キチガイ地獄外道げどう祭文さいもん………精神病院における患者の非人道的な実状を告発した、赤い表紙の小冊子のこと。「一名、狂人の暗黒時代」。精神病患者救済の世論を喚起するために、面黒樓万児めんくろうまんじの通り名で全国放浪中の正木敬之がチョンガレ節にのせて大道だいどうで歌った祭文歌さいもんか(5)が収録されている。末尾には、新治療法の研究施設を新設するための寄付を呼びかける葉書も添えられている。

◆解放治療場ちりょうじょう………精神の遺伝作用の研究を目的として、狂人患者を集めて精神的な暗示と刺激を応用した治療法を試みるために建設された施設のこと。大正15年7月に正木敬之の私費により九州帝国大学構内に完成するも、同年10月19日に大惨劇が発生。

◆胎児の夢………「胎児は母の胎内で、原生生物から哺乳類へと続く〝生物の進化〟という遠大なストーリーの夢を見ており、その夢に符合ふごうしながら肉体を変化させ、個体発生している」という学説。この学説によると、胎児は祖先たち一人一人が生前に体感した感覚や感情・思考などの記憶を夢の中で追体験する。西洋のフロイトとユングの理論をヘッケルとダーウィンとアインシュタインの理論で再構築し、さらに東洋の仏教思想と荘子そうじの「胡蝶こちょうの夢」や「盧生ろせいの夢」を融合させたかのような印象を受ける一大論文。帝大の卒業論文で正木敬之が提唱し、明治40年末に発表。

脳髄論のうずいろん………「脳髄は物を考えるところあらず」を根本主張とする学説。全身の細胞ひとつひとつは等しく対等に物を考えているとする説。正木敬之が放浪時代に論文にまとめて、大正13年3月に九州帝大の斎藤さいとう寿八じゅはち教授に提出して発表。この説によると、脳髄という器官は、人体を構成する体細胞一粒一粒の間でやりとりされる数十兆もの「細胞の意志」を、相互に移転させる交換局にすぎないとされる。

夢中遊行むちゅうゆぎょう………患者の自我が眠っている間に無意識のうちにいろんなことをしてしまって、眼醒めざめた時にはそれを覚えていないという症状を指す。「あてもなくフラフラと出歩くこと」をいう場合もあるが、本作品ではそれと区別されている。正木博士曰く、夢中遊行の発作中に限って人間わざでは出来そうにないスゴイ仕事をやって退けたりする患者もいるらしい。

離魂病りこんびょう………患者の今現在の感覚に上書きするように、過去に経験した感覚が幻視・幻聴される症状を指す精神病。非睡眠時に離魂病状態におちいった場合には、無自覚な本人には現実と夢の区別がつかず、完全に、または部分的に現実との接触を失う。その結果、本人は夢を現実として誤認する心の病を発症する。正木博士が提唱。

◆正木敬之の五つの遺稿………四百字詰め原稿用紙換算で約千二百枚といわれる夢野久作著『ドグラ・マグラ』の、実に四割以上の文章量を占める膨大な遺稿類。それらの中でも、五番目に登場してくる「空前絶後の遺言書」がダントツの分量を誇る。

 ここでは以下、『ドグラ・マグラ』に登場する順にⅠ~Ⅴの番号を振る。

◇遺稿Ⅰ「キチガイ地獄外道祭文」。赤い表紙のパンフレット。

◇遺稿Ⅱ「地球表面は狂人の一大解放治療場」。羅紗紙らしゃがみの台紙に新聞切抜き記事をじたもの。

◇遺稿Ⅲ「絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず」。脳髄論について正木敬之から取材した内容を新聞記者が文字起こしした原稿。

◇遺稿Ⅳ「胎児の夢」。日本罫紙けいしに毛筆で書かれたものを綴じ合わせた、正木敬之の大学卒業論文。のちに提唱する「心理遺伝」論の中核理論をなす。

◇遺稿(6)「空前絶後の遺言書」。正木敬之が西洋大判罫紙フ ールスカップに走り書きしたもの。狂人の解放治療の実験の結果報告ともいえる遺言形式の原稿。




注解

(2)夢野久作著『ドグラ・マグラ』の本文中の説明によると、作中作「ドグラ・マグラ」は全部で五冊に分かれていて、それぞれ第一頁目ごとに赤インキの一頁大の亜剌比亜アラビア数字で、「Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ」と番号が打ってあるのだという。つまり、「ドグラ・マグラ」の原稿はブロックごとに冒頭に「1、2、3、4、5」とアラビア数字が大きく書き込まれている訳だが、『ドグラ・マグラ』の主人公の「私」は、それを目にした瞬間に心中で「Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ」と羅馬ロ ーマ数字に変換して知覚するという離れ技をやってのけている。これは、前述の六大前提のⅥ項に則れば、英語の弁論を得意とした呉一郎と主人公の「私」が同一人物であるということを、夢野久作がさり気なくヒントとして忍ばせた高等な〝叙述トリック〟と受け取るべきであろう。つまり、「夢Qの原稿の誤字(アラビア数字とローマ数字の取り違え)などではないッ!」と……。筆者も主人公の「私」を真似て、そんな知覚が実際に可能かどうか試してみることに。

」……出来た! 不可能ではない。やはり夢Qは天才‼



(3)松柏館書店版の『ドグラ・マグラ』の原文は以下の通り(リーダー罫は戦前版なので: = …に換算、表記は新字・新かな)。


 その次のペーヂに黒インキのゴヂック体で『ドグラ・マグラ』と標題が書いてるが、作者の名前は無い。

 一番最初の第一行が……ブウウ――ンンン……ンンンン……という片仮名の行列からはじまってようであるが、最終の一行が、やはり……ブウウ――ンンン……ンンンン……という同じ片仮名の行列で終っているところを見ると、全部一続きの小説みたような物では無いかと思われる。何となく人を馬鹿にしたような、キチガイジミた感じのする大部たいぶの原稿である。

「……これは何ですか先生……このドグラ・マグラと云うのは……」


 この場面で主人公が標本室で発見する「ドグラ・マグラ」の冒頭と末尾のそれぞれの時計の時鐘じしょうのオノマトペ(声喩・擬音語)は、戦後に刊行された他社版の『ドグラ・マグラ』でも松柏館書店版とほぼ同じである。ところが、角川文庫版では「……ブウウ――ンンン――ンンンン……」と、「ンンン」のあとの二倍分の三点リーダーが二倍分の長音符号になっていて、表記が異なる。本書では前者の松柏館書店版に準じることとした。



(4)「九相」とは仏教用語である。広辞苑によると、「人間の死骸が腐敗して白骨・土灰化するまでの九段階を観想すること。肉体への執着を断ずるために修する」とある。「九相図」は、この人間の死後の姿が九段階で変化する様を描いたもので、修行僧に肉体への執着の滅却と諸行無常を説いた絵図。小野小町など高貴な美女が朽ちる様子を描くことが多い。



(5)八坂圭やさかけい画伯の表紙画が毎号美しい「月間はかた」の令和3年6月号の特集「楽しく学ぶ、博多芸能史」によると、博多区御供所町ごくしょまち聖福寺しょうふくじ扶桑ふそう最初禅窟ぜんくつ)の西門のある界隈は〝芸どころ・博多〟の原点となった場所だという。


 聖福寺を開いた栄西禅師が宋から博多に戻る際に連れ帰った宋の人々たちは、僧衣と数珠を与えられ、寺内に住まわされました。彼らは念仏踊りなどで布教をしていましたが、言葉や文化の壁から上手くいかず、そのうちに寺で覚えた「祭文」(神仏に捧げることば)にリズムや節を付けて表現する「歌祭文」を生み出しました。なかには歌祭文に合せて人形を操るなど、独自の芸に発展させる者も出たといいます。やがてさらに変化を遂げて、僧籍を離れて滑稽な歌や舞を披露し、喜捨を受ける俳優わざおぎへとその存在は変化していきました。

 寺内に住むことから彼らは「寺中じちゅう(役者)」と呼ばれるようになりました。寺中は歌舞伎が流行すれば、歌舞伎を演じる役者となり各地を巡演して、江戸時代になると福岡藩より興行権も与えられることに。明治時代に浪花節が一代ブームになると、多くは浪花節語りとなり、同業者が西門さいもんエリアに集まりました。〈後略〉

(〝「博多芸能横丁」と呼ばれた西門エリアが芸どころ博多のはじまり⁉〟から)


 この聖福寺の川向こうが『ドグラ・マグラ』の主人公・呉一郎生誕の地と設定されているのである。



(6)この遺稿Ⅴは、一見いっけんすると冗談半分に書いた遺言書のようにも思えるが、途中〝心理遺伝論附録/各種実例〟という見出しが付けられた〝附録〟が収載されている。これは直方のおがた姪浜めいのはまで発生した殺人事件について若林が捜査した調査書の原本を正木が抜粋したもので、一連の事件の真相に迫る重要ながかりが秘められている。

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