第15話 鬼滅の刃を迎えて解く

W:……しかし、話をまたし返すようですが、〝インターネット上の百科事典〟を標榜ひょうぼうしておるウィキペディアの『ドグラ・マグラ』の解説放棄ぶりはひどいですなあ……。

I:『ドグラ・マグラ』は昭和10年の初版発行時こそ、

「日本一幻魔怪奇の本格探偵小説」、「幻怪、妖麗、グロテスク、エロテイシズムの極」、「日本探偵小説界の最高峰」……

などの宣伝文句で読書界に大きな話題を提供していたようですが、令和の現代において僕がウィキペディアをのぞいてみた限りでは〝謎解きの解答など一切用意されていない幻魔怪奇探偵小説〟と分かってもいないくせにアッサリくくられて、〝探偵小説〟なのに謎解きそのものが諦められて「迷宮入り」ならぬ「ゴミ箱入り」してしまっているようですからね。

W:迷宮入りからゴミ箱入りですか……。アハ……アハアハアハ……。面白う御座いますなあ。

「迷宮破り」の二つ名を持つ私奴わたくしめと、〝透き通る世界〟にも匹敵する卓越した推理眼をお持ちの「超脳髄式青年名探偵」の呼び声高い貴方様とで相棒バディを組めば、そこいらのウィキ……モトイ、ゴミ箱なんぞ蹴飛ばして、解けない迷宮事件など、この世に一件たりとも在ろうはずはありますまいに……。ドグラ・マグラの謎解きとて決して不可能な話ではありませんぞ、我々二人が全集中の推理をするならば!

I:まあ、僕もそんな気がしないでもありません。しかし、ドグラ・マグラの方の「脳髄の迷宮」は我々二人にもちょっとばかり歯応えがあり過ぎる嫌いがありますから、脱出口を見つけだすのにかなりの手間と時間を要することは必定ひつじょうでしょう。ここはまず、『鬼滅の刃』の方から謎解きにかかってみましょうか、教授。

W:……ナルホド。貴方様としては、主菜メインディッシュのドグラ・マグラは鬼滅の後のお楽しみとして取っておきたいと、そういうお考えなのですな!

I:ハイ、そういうことです。最初は食前酒アペリチフとして『鬼滅の刃』からせんを開あけて、その後に「黄金の夜明け団ゴー ル デン・ドーン」が残した「生命セフィロト」のダアトの謎解きやら、アルブレヒト・デューラーの「メランコリアⅠ」の謎解きなんぞを前菜オードブルに添えて、その後でユックリと主菜の『ドグラ・マグラ』の謎解きに取り掛かるというのでは如何いかが ですか、教授?

W:……アハハハハハ。腕が鳴りますなあ、九大病院こんなところでドグラ・マグラ退治の夢がかなおうとは! 初版本の発刊から何とか一世紀以(34)にはドグラ・マグラの謎解きを終えてやらぬことには、御笠みかさ川(石堂いしどう川)横の墓の下で眠っておられると貴方様がおっしゃった、ある意味では我らの生みの親たる夢野久作サンも浮かばれますまいに……。

I:ええ、そうですとも!

 サテと、それでは若林教授。『鬼滅の刃』の粗筋あらすじについては誰が読んでも読了後に解釈のズレはほとんど発生しないと思いますが、『ドグラ・マグラ』の方は百人が読めば百通りの解釈が可能と世間ではいわれているようですから、僕と教授とで『ドグラ・マグラ』の基本構造についてお互いの認識が一致しているかどうか、前もって確認しておきませんか? 夢野久作『ドグラ・マグラ』の読後の解釈で、双方に齟齬そごがないかどうかを最初にハッキリさせておきましょうよ!

W:そうですな。まあ、貴方様と私奴とは、例の人体学術実験の当事者でもありましたから、それほど認識にズレがあろうとも思えませんが、念には念を入れて『ドグラ・マグラ』の粗筋についてザッとおさらいを致しておきますか……。

I:ハイ。それでは折角せっかくですから、ここはひとつ気分を変えて、とある帝国大学の大講義室かどこかで、満堂の夢Qファンを前に講演しているようなつもりで、例の博士の口振りなどもチョイと真似て語ってみましょうか……。

W:左様ですか……。それでは早速、貴方様の見解をお聞かせくださいませ……。

I:サテと……。では、一席ぶってみましょうか。ゴホン……………………。

 ヤアヤア。遠からん者は望遠鏡にて見当けんとうをつけい。近くんば寄って顕微鏡でのぞいて見よ。吾こそは九大病院・精神科病棟・七号室に、キチガイ探偵としてその名を得たる呉一郎とは吾が事なり。今日しも満天下の常識屋どもの胆っ玉をデングリ返してくれんがために、突然の謎解きを思い立ったるそのついでに、古今無類のドグラ・マグラ論を発表して、これを聴く奴と、話す奴のドチラが馬鹿か、気違いか、真剣の勝負を決すべく、一席口上こうじょうつかまつるもの……吾と思わん常識屋は、眉につばきしてで会いそうらえ候え……

W:チョ、チョット待って下さいませッ。ストップ、ストップ!

I:……ハ? どうかなさいましたか、若林教授?

W:昨今のわれわれのドグラ・マグラが置かれた境遇、その無視のされように貴方様がいきどおっておられることは私にもよ~くわかりますが、そのような無声映画の弁士かテキ屋の口上のような口調くちょうでは、いまどき誰ひとりマトモに耳を傾けてはくれませんぞ!

 今は面黒樓万児めんくろうまんじ作歌の例の「外道祭文げどうさいもん」や、キチガイ博士の「空前絶後の遺言書」が書かれた時代ではないのですから、もう少し気を落ち着けて、此処ここは理性的かつ論理的な節回しで、常に謙虚な語り口を意識しながらご自分の論旨を述べられた方がよろしいのでは御座いませんか?

I:そんなもんですかね~?

 それでは気分一新、教授の助言に従ってお上品に、よりフォーマルな感じで……

コホン!




注解

(34)1935年に初版本が刊行されたドグラ・マグラは、やがて出版百周年を迎える。これまでフランス語(2003年)、韓国語(2008年)、ロシア語(2023年)で翻訳出版され、英語訳は2002年に文化庁の事業として、夏目漱石や芥川龍之介ら他の26作品とともに翻訳が試みられたが途中で挫折している。なお、アマゾンで検索するとフランス語版を底そこほ ん 本とする英語版ドグラ・マグラ

が2023年4月に上じょうし梓されたとの情報がある。また、「Demon Crane Press」という出版社が2023年から英訳作業を進めており、ネット上でその翻訳文の冒頭部が公開されている。以下、『少女地獄』、『瓶詰地獄』、『あやかしの鼓』の外国語版のカバー写真とともに掲げる。

 ドグラ・マグラは中国語では2004年に『腦髓地獄』のタイトルで台湾で出版された。その後、中国語版では複数の版元からも出ているようである。簡体字の中国本土版『脑髓地狱』の中には次のような眉唾な推薦文つきの翻訳本がある。

〝私にとって日本の芸術品は3つしかない。大阪の太閤の城、黒澤明の羅生門、夢野久作の『ドグラ・マグラ』だ。私の『もののけ姫』と『千と千尋の神隠し』はそれに遠く及ばない〟――宮崎駿

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