第7話
「素材の扱いには、特に気をつけろ。生きた魔獣そのものでなくとも、おまえには危険だ。そうでなくても毎年のように事故が報告されている。触れるときは必ず手袋をすること。手袋は、魔獣ではなく羊毛か木綿でできたものにしろ」
「わかった。注意する」
ダニロと別れ、教えられた薬屋に向かう道すがら、たったいま言われたことを反芻する。魔獣素材の事故については知らなかったが、酸性の体液に触れたり、毒を浴びたりすることがあるということだろう。鱗も思いのほか鋭利なようだし、棘なんかもあるのかもしれない。
薬屋「アラディア」は、こじんまりとした店構えのわりに、奥が広く取られていた。天井までの薬棚にかけられた梯子は、踏面や手すりがところどころ擦れてピカピカになっている。薬の受け渡し台の脇には、すぐ手に取れるかたちで薬効事典が並んでいた。その小口の手垢に、勉強のあとが見てとれる。
俺が受け渡し台のうえの呼び鈴を鳴らすと、階上から駆けてくる足音がする。飛び出してきたのは、小柄な女だった。そばかすの散った頬に赤毛の後毛がまとわりつくのを、ついと直しながら、女はまっすぐこちらを見た。
「いらっしゃいませ。お探しは?」
「冒険者ギルドから紹介されてきた。魔獣の血液が欲しいんだが、在庫はあるか?」
「症状は?」
「──ああ、すまない、説明不足だった。俺は文具屋のアルバ。インクの材料になる魔獣素材を探しているんだ。冒険者ギルドの査定部によると、血液が適しているらしい。ギルドにはモノがないから、薬屋に行くように勧められて、ここに来た」
「おう、そういうこと! ちょっと待ってね」
言うなり、女は奥へ引っ込んで、瓶入りの赤い液体を持って戻ってきた。
「いまうちにあるのは、
「ちなみに、血清って、どんな色なんだ?」
問いかけると、女は指で丸を作って、店内をつっきり、梯子を動かした。薬棚の上のほうの抽斗を開け、小瓶を取り出す。手渡された小瓶は驚くほど冷えていた。あの抽斗、冷蔵のための装置がついていたのか!
小指ほどの大きさの小瓶の中味は透明だが、ほんのりと淡い黄色みを帯びている。ためつすがめつしていると、女は笑った。
「爆発物だから気をつけてね。落とすと足が吹っ飛ぶわよ」
「血清って、薬じゃないのかよ!」
「薬だよぅ。火蜥蜴の血がそういう性質ってだけ。おたくの扱うインクが、インクのかたちで泉から湧かないのと、いっしょよ。飲んだり塗ったりして症状が治まる物体だから薬って呼ぶんであって、逆じゃないんだから」
女の説明に納得し、改めて小瓶をてのひらに収める。この量で売るということは、わずかな量でも効果が得られるのか。それとも、冷蔵しないと日持ちしないのか。直球で質問を投げてみると、女は慣れたようすで説明書きの小片を出してきた。
「一日一回、水か白湯一杯に一滴落として飲むの。その瓶には十日ぶん入ってるわ。瓶の口には触れないこと。手についた薬は舐めたり拭きとったりせずに、必ず流水で洗ってね。少しでも残ってると火事や炎症の元だし、目に入ったらたいへんだから」
「火事?」
聞きとがめた俺に、女は笑い含みで、なんでもないことのようにうなずく。
「火蜥蜴の血清だもの。燃えやすいらしいから、火の気には近づけないこと。昔から言われてることではあるけど、あたしも燃えるところは見たことがないの。店を燃やすワケにはいかないし、足も吹っ飛ばせないからねー。薬効や味は試すようにしてるんだけど、そういうのまでは、なかなか試せないじゃない?」
怖いことばかり言う。
火蜥蜴の血清は、これっぽっちで10ライケールした。必要経費だ。血液も買い求めておく。
「今後ともご贔屓に」
「ああ、うまくいくといいんだが」
店に帰りつくころには、あたりは暗くなりかけていた。今日はここまでにしておこう。ジャンが妙なことを引き受けてきたせいで、売上はなし。だが、レオナルドを助けて侯爵家との大口取引が生まれれば、よしとして、本日は仕舞いにした。
翌朝、いくらかの品が売れたあたりで、ジャンが顔を見せた。青果店の親父さんがホクホク顔だったと聞かされ、ミラの件は無事にファボローゾ子爵家と商談がまとまったようだと察する。
ジャンは金髪をかきあげ、そういえば、と切り出した。
「全版だけどさ、親方が『自分で
「俺はもう工房の職人じゃないんだが」
「そう言わずにさ。親方は、アルバを息子みたいに可愛がってくれてるんだから、親孝行だと思って、たまには工房に顔ぐらい見せろよ」
「どのつら下げて会いにいけると?」
親方には親方の産んだ息子がいる。俺が一方的に育ての母だと慕いはしても、息子だと思ってもらわなくていい。
目を伏せた俺の後ろに回って、ジャンは俺の両肩を軽く揉む。聞こえてきたのは、兄貴風を吹かせていた先程までとは打って変わって、優しい声だった。
「親方、後悔してんだよ、アルバを傷つけたって」
「傷ついたのは親方だ。歩けなくなったんだぞ?」
「アルバの目の前で起きた事故だっただろ? おまえ、スゲーぶちキレて御者に殴りかかったって」
──そのとおりだ。
親方が轢かれた瞬間、その生死を気にするよりも、怒りがからだを支配した。ひとを轢いた大きな揺れに、馬車が一度止まる。そこへ唸りを上げて駆け寄った。キョトンとしたようすの御者の襟首を掴み、頬を殴った。強い痛みで、一発で指がイカれたのがわかった。
止めろと、見知らぬ周りの人々が俺を抱え込んだ。お貴族様に難癖をつければ、賜るのは死だ。御者だけにしておけ。そういうことだったのだろう。それでも気が収まらず、殴る相手を失った俺は客車に向かって怒鳴った。
「出てこい! ひとを轢いておいて、謝りもしないのか!」
俺の怒声に応えるように、客車の窓にかけられたカーテンが揺れた。なかから、だれかがこちらを覗いた。そして、戸が開いた。出てきたのは、年若い紳士だった。
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