第5話

 魔法陣フィグラはもしかしたら、一般には知らせないほうがいい図案なのかもしれない。平民のなかには、俺のような生まれの者が数多くいる。貴族の血が半分流れているだけで魔力持ちになってしまうことがあるのであれば、魔法陣や呪文フォーミュラはもっと秘匿すべき技術だ。平民が魔術を使えるとなれば、身分制度すら揺るがしかねない。レオナルドが紙に魔法陣を書き記して持ち歩けば、古文書にしか残されていなかった知識が貴族以外の目に触れる。一度は絶えたはずのものが、いずれ広まってしまう。練習や試し書きに使う魔法陣で、この威力だ。他のものなんて、きっともっと危険だ。


 俺は下克上に興味がない。金持ちにはなりたいが、貴族になんかなりたいとも思わない。あいつらは金づるであって、同輩であって欲しくないのだ。


 そうとなれば、魔法陣を描くのに使うインクはなるべく目立たないものがいい。紙の色と揃えて馴染ませてしまうか、それとも炙り出しがいいだろうか。炙り出しといえば、柑橘系の果実の皮。手に入りやすいのはシトルか。いや、ちょっと待て。見えちゃならんのなら、炙り出せちゃダメだろ。


 動揺で頭が混乱しているらしい。俺は深呼吸して、考え直す。……紙に顔料を引いて染め、同じ顔料で魔法陣を描くのが最も手軽だ。顔料の色を魔法陣ごとに変えれば、レオナルドには紙の色で見分けがつく。まず、ここまではいいだろう。後日、全版を持参するときに顔料と引き染めした紙も併せて用意する。


 問題は、魔術の威力だ。半分平民の俺より侯爵子息のレオナルドの魔力が弱いはずはないと思うが、なぜ、俺の描いた魔法陣のほうが強火力だったのだろうか?


 俺は頭を整理しようと、反古紙を出してきて、隅にペンを走らせる。魔力持ちの身体からは、自然に魔力が排出されるとレオナルドは言っていた。人型を描き、内側に魔力と記す。人型からは方々に魔力が出ていくのを矢印で示す。これと言った方向に魔力を出力するには、フラクシヌスの枝で作ったバケッタや呪文が要る。レオナルドは魔法陣も要る。単独ではなく、併用だ。人型に杖を持たせ、吹き出しを書く。魔法陣は怖いので、適当な円にしておく。


「杖や呪文や魔法陣があると、一定の方向に魔力が出せる。ということは、これは、身体に魔力の出口になるような風穴があく感じなのか?」


 触媒なのかもしれない。魔法を学んだわけでもない俺に、くわしいことはわからない。杖で開く穴、呪文で開く穴、魔法陣で開く穴? でも、呪文は杖といっしょに使うから──


 頭をよぎるものがあった。教授陣の話によれば、呪文は魔法陣の代替品だったよな? これはつまり、呪文の位置に代入できるということだ。魔法陣は本来、杖といっしょに使うと仮定できる。では、杖と、呪文や魔法陣とは、魔法における意味合いが異なるのだ。呪文や魔法陣が文字や絵ならば、魔力はインク、杖はペンか! 万年筆のようにインクを吸いあげる機構だと思えばいいのだろう。


 魔法に使うのは、フラクシヌスの杖だ。フラクシヌスは、大陸に広く棲息する魔樹だ。落葉樹の森林のなか、葉を落とさないものがあれば、フラクシヌスだと言われる。


 フラクシヌスは丈夫で、家具材や建材としても人気だ。武器にも使われる。見つけると、木こりたちが独特の方法で討伐するらしい。魔樹と知らずに近づいた小鳥や小動物はフラクシヌスの樹皮に捕らえられ、飲み込まれ、こぶになる。このこぶから作る魔樹インクは耐水性が高く、港で重宝されていると聞く。


 俺も以前、試しに作ったことがある。少し粘りは強いが、伸びが良くて書き味の良いインクだった。だが、さすがに魔樹のこぶを定期的に仕入れできるツテは持っていない。良い品だとしても、常に揃えておけないものを商品として売るワケにはいかないのだ。


 ──フラクシヌスの魔樹こぶインクかぁ。あれ、高価でさえなければ、日用にしたいくらいの一品だったなあ。


 思いながら、反古紙に落としたペン先を見つめ、「あっ」と声を漏らす。フラクシヌスの杖なしで魔法陣が発動したのは、もしかして、俺の使ったペンに魔樹こぶインクがわずかにでも残っていたせいか? それならば、いくらか納得がいく答えに辿り着きそうだ。それでもなお、強火力の説明はつかないが。


「魔樹こぶインク、残しておけばよかったか」


 ほんとうに魔樹こぶインクのせいなのか、ペンを新品に替えて試してみたくてウズウズする。はやる気持ちを抑え、俺はいったん初めのほうの考えに立ち戻る。魔樹こぶインクは高価で希少だ。今回レオナルドのために用意するなら別のインクだ。──でも、いつか魔樹のインクを試したら、魔樹の繊維から紙も作ってみたい。実験はわりと好きなほうだ。


 フラクシヌスの杖だけでは、レオナルドの魔法の出力はじゅうぶんではなかった。魔樹こぶインクのかわりに使うなら、やっぱり魔獣素材だろうか。いかにも魔力を増幅させそうな響きだ。これまで使ったことも聞いたこともないが、たとえば、クラーケンの墨のように体液をインクや顔料、染料の代わりに用いるとか、鉱石の代わりに魔石を砕くとかはアリかもしれない。魔石を金槌で粗く砕いたあと、薬研やげんで粉末にして、乳鉢で油と混ぜれば、それなりに使えそうだ。討伐した魔獣の心臓から得られる魔石は、宝石と並んで高価だ。砕くのに勇気が要る代物だが、レオナルドにたんまりと資金をもらえたら試してみたい。


 魔獣の体液のほうが俺には入手しやすそうだった。クラーケンの墨は食うヤツもいるらしい。飲食店に卸される前の段階で手に入れるなら、冒険者ギルドに声をかけてみるのがいい。粘液なんかも案外使える可能性がある。あとは、血液だな。飲み薬に使われるものがあると聞いたことがあるから、ひと瓶買ってくるのもいい。

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