第4話

「羊皮紙は、いまでも儀礼や法律書、契約書に使われています。けれど、一般的ではありません。高価で希少だからです。いまでは書物といえば、木材を原料にした紙で作るものです。そのほうが安価で軽いためです。しかし、現在よく使われている紙は、二百年前まではボロ切れを素材にしていたため、大量生産に向きませんでした。羊皮紙ほどではないにしろ、数の少ないものだったんですよ」


 いったんことばを切り、俺はレオナルドに微笑みかける。


「ところで、魔法陣フィグラの資料が書かれた年代を具体的にご存知で?」


 直接指摘したわけではない。だから、料理人には俺の意図は伝わらなかった。だが、レオナルドにははっきりとわかったようだ。青い目を大きく見開く。活路を見出したらしかった。


「古文書が書かれた当時は、一回きりの魔法のために魔法陣を紙に描くことが、非効率で不経済だったかもしれないのですね? 」

「お見込みのとおりです。おそらく、地面にも棒切れにもこだわらなくていいです。当時も蠟板ろうばんや木札などを用いていた可能性だってあります。人間はだれしも、面倒くさがる生き物なんですから」


 魔法陣が紙に描けるかもしれないということは、携帯できるようになるかもしれないということだ。あらかじめ描いて、大量に備えて置けるのであれば、レオナルドはその他大勢に引けを取らずに活躍できるだろう。侯爵まっしぐら! 俺の未来も明るい。紙も顔も恩も売れる。言うことなしだ。


「試してみる価値は、ありますね」

「さっそくどうぞ。ちょうど、紙もインクもここにあります」


 少し惚け気味のレオナルドに、持ってきていた試し書き用の一式を示す。インクにペン先を浸して手渡すと、文机がわりに木製の紙挟みを捧げ持つ。レオナルドはすっと流麗な動きでいくつかの図形を描く。書き上がった魔法陣に、懐から取り出した杖をあて、つぶやく。


「リィングァ・イグニス」


 図形から生まれた火は紙挟みを舐めるように広がる。しかし、鼻先に感じた熱に驚いている間に、火は消えうせていた。あとには燃え尽きた紙の灰だけが残り、それもそよかぜに飛ばされる。レオナルドはびっくり顔で、灰の行方を目で追った。


「成功、ですね」


 あ、そうなんだ。

 正直なところ、あっけない気がするし、さっきの光の球のほうが威力がありそうだったが、彼が言うなら、これが成功なのだろう。そう考えていると、レオナルドは杖をしまいながら、下くちびるを噛む仕草をした。


「何か、気がかりがありますか?」

「ああ、いえ。成功は成功ですが、生じた火があまりに小さく、維持もできなかったので、どうしたものかと。巨大な魔法陣でも描いておけばいいのでしょうかね?」


 さすがにそこは専門外だが、認識が間違っていないようで納得する。レオナルドの言うような巨大な魔法陣を描くなら、大判の紙が要るだろう。大判は小さく裁断されたものより高価なので、大量に捌けるならば、ここで売りつけておきたい。


「では、製紙工房に大きめの紙を発注しておきます。仕上がり次第、また伺いますので、試してみましょう」

「そのときは、本家にいらしてください。僕は今日はたまたま従兄弟に呼ばれてこちらにいますが、ふだんはあちらにいるので」


 レオナルドを呼んだ従兄弟とやらは、客を裏庭にほったらかして何をしているのだろうか。いや、単に格上の人間を呼びつけて悦に入るような輩かもしれないなと、これまでの経験で考え、俺は笑顔で頭を軽く垂れる。こちらが上客だ。この件で文句を言われても気にするものか。


「わかりました。では、後日のお約束の証に一筆もらえませんか。俺は平民ですから、門前払いされてはかないません」


 あくまで身分差のある友人のような態度をつらぬくと、レオナルドは初めて楽しそうに笑った。


「そんなものがなくても歓迎しますよ、アルバ。門衛にはよくいい聞かせておきます」




 もったいぶって現れた執事との商談を短めに切り上げ、俺は古巣の製紙工房へと足を向けた。ジャンにミラの件を報告しがてら、紙を発注するのだ。


 アネッタ工房は、下町の工房街に位置している。開け放たれた入口から中を覗くと、ジャンは漉き桁をふるっているところだった。邪魔はできないなと、他に手の空いた者を探す。工房長に見つかる前に注文を済ませていきたい。ちょうど、近くを通った新入りに声をかけ、裁断なしの全版で二十枚と言付ける。ミラの話はまた今度でいいか。青果店の親父さんにだけ伝えておこう。


 店に帰り着くと、一張羅から着替え、荷物を整理する。レオナルドに試し書きをさせたため、紙が一枚減っている。帳簿に書きつけようとして思い立って、もう一枚追加で使用したことにする。


「たしか、こう描いて、こう、だったか?」


 初めて目にした魔法陣は簡素で単純な意匠だった。なんとなく、再現してみたくて記憶を頼りに線を引く。涙型に似た炎を描き、ぐるりと円で囲む。線が閉じたとたんのことだ。目の前が真っ赤になり、ブワッと熱が肌を焼いた。


「ぎゃあ!」


 慌てて身を引いたせいで椅子から転げ落ちる。鼻をつく髪の毛の焦げた臭いで何が起きたのか悟り、ふりかえる。机のうえが燃えていた。


「ウソだろ!」


 立ち上がり、帳簿をとっさに床に払い除け、脱いだ上着を火に叩きつける。何度か繰り返して小火ぼやを消し止めると、すうっと膝の力が抜けた。あたりは白くけぶっている。換気をしなければと思ったが、動けなかった。


「……ウソだろ?」


 上着を握りしめて、座り込み、膝を抱える。顔を伏せる。継ぎたくもないものが自分の身のうちに巣食っていることを、こんなかたちで知ることになるとは思わなかった。俺は平民だ。平民のはずだ。だが、いまのは明らかに魔法だった。俺の描いた魔法陣は、レオナルドとは違い、バケッタ呪文フォーミュラもなしに作動してしまった。俺は魔力持ちということだ。そんでもってたぶん、いまの、レオナルドのヤツよりも大きな炎が出た。


「うわー、なんだよそれ、クソめんどくせぇーッ!」

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