第3話
「商人のアルバと申します。こちらのお屋敷に紙やインクをお納めしております」
「ああ、そんなに頭を下げないでください。僕がこんなところで
魔法陣? 気になる単語が出たが、食いつくこともできずにうずくまっていると、厨房のドアが開いた。先程、物を頼んだ料理人は俺たちを見て、呆気に取られたようだった。
「いかがなさいました、レオナルドぼっちゃま?」
「ああ、マリオ。また失敗したんです。僕には、
苦笑いする男──レオナルドに、料理人は気安く慰めを口にする。
「ですからね、ぼっちゃま。料理人だって、はじめっから、ナイフや鍋が言うことを聞いてくれるわけじゃないんです。練習あるのみ、ですよ」
執事や侍従侍女まで気位の高い子爵家の子息にしては、使用人と打ち解けたようすだ。よその家のご子息? いったいどなただろうか。地面に膝と手をついたままで、会話に聞き耳を立てていると、料理人がこちらをむいた。
「おい、アルバ。お前、他の貴族の屋敷にも出入りしてるだろ? 何か見聞きしたことがないのか、魔法のコツとかよ」
「あ、あるわけないだろう! 俺はしがない文具屋だ。その前だって、ただの紙職人だぞ!」
小声でまくしたてたが、いかんせん距離が近すぎた。すべて聞こえたらしいレオナルドは、拝むように手を組んで、俺を見おろす。
「文具屋ということは、筆記具の専門家ですよね? 地面に魔法陣を描くのによい道具を何か思いつきませんか? 木の棒は持ちにくいし、魔法用の
地面にものを描く道具ぅ? 思わず眉が寄る。俺の表情におどおどするレオナルドをみて、料理人は何を思ったか、俺の二の腕を持って立たせると、彼から少し引き離した。そうして、耳打ちする。
「いいか、アルバ。あのかたはファボローゾの『本家』のぼっちゃんだ。次期侯爵さま、従属爵位をお持ちだから、現在でも伯爵さまだぞ! 恩を売るなら、いま! 仲良くなっておくのも、いまの気弱なうちだ!」
「……よし来た。一肌脱いでやる」
一瞬で覚悟が決まった。俺はレオナルドを振り返ると、任せておけとばかりに胸を叩いた。営業用の笑顔で歩み寄る。料理人のように、一見丁寧だが、少しばかり砕けた口調を心がける。相手をこちらの調子に巻き込んで、『自分たちは親しい』と思い込ませるのだ。
「お役に立てればいいんですが、なにぶん平民なもんで、魔法には明るくありません。魔法陣を地面に描きたいというのはわかりましたが、それがどういう仕組みで何のためなのか教えてもらえます?」
「あ……、ええと……」
うつむいて口籠ったレオナルドのようすに、料理人が代わりに説明しようとする。それをてのひらで断って、レオナルドは腹の前で指をぐっと固く組んだ。
「貴族は基本的に魔力持ちです。魔力のない子は生まれてすぐ平民の家に養子に出したり、使用人が育てて屋敷の下働きにしたりするのが一般的です。僕はこのとおり魔力持ちに生まれつきましたが、魔力を使うことが不得意なのです」
このとおりと言われても、なんのことやらわからない。だが、このくだりはあまり重要ではなさそうだと、俺はレオナルドの青い瞳を見つめながら、わかったふりをする。近くで観察してみれば、蜂蜜色の髪はよく手入れされていて、ツヤツヤだ。伸ばせば、カツラ用にいい値段になりそうな髪だと考えつつ、雑念を振り払う。
「魔力は放っておいても、からだから自然と排出されますが、意識的に体外に出力するためには、魔法という体系化された学問を学ぶ必要があります。学院で魔法を学ぶうちに、それぞれに適した出力方法を見つけていくものです。フラクシヌスの
本家の落ちこぼれ。洗濯女の噂話が脳裏に蘇る。レオナルドは、腹のあたりで握ったこぶしをにらみ、悔しそうにする。恵まれたお貴族さまが、劣等感でもお持ちで? んなもん、道端の馬の糞より始末が悪い。恵まれた人間が一定の努力をしても出来ないのなら、努力の方向が間違っているのだ。
俺は呆れを顔に出さぬよう、静かに確かめる。
「それで、レオナルドさまが杖と呪文に足すのが
「はい。杖と呪文で魔力出力できないなど、前代未聞だと言われました。教授陣が古文書から見つけてきたのが魔法陣です。数百年前には魔法陣を描くのが当たり前だったらしく、その方法では時間がかかり過ぎるからと、研究を重ねた結果として、魔法陣の内容をことばで表したのが呪文だそうです」
「で、魔法陣は地面に描かないといけなくて、棒っきれの代わりの筆記具を考案してほしいと」
状況は理解した。だが、気になることはたくさんある。
「地面に描く魔法陣の寸法って、決まりがあるんですか?」
「いいえ。図案が作動すればいいので、特には」
「小さく描いてみたことは?」
使用する範囲が狭ければ、障害も減るだろうと、安易に考えたが、レオナルドはすでにそれを試していたらしい。
「小さすぎると、図案が潰れてしまうんです」
「先の細い棒なら、書きやすいんじゃありませんか、ぼっちゃま」
口を挟んだ料理人に、俺はすかさず言い返す。
「細い棒は力が入れにくいし、長くすれば折れる可能性が出る。かと言って、金属製にすると、重量が出て、持ち運びに支障が出る。第一、他の貴族が立っているなか、短く細い棒でひとりで地面にかがみこんで描くのは、物笑いの種にしかならない」
顎に手を当て、思案に沈む。長い木の棒を用いて、ペンのように先だけ細い金属製にするのは悪くないかもしれない。見た目は槍だな。軸が金属の場合も、なかを空洞にして、根元に収納するように折りたためれば、多少は軽くなり嵩張らないはずだ。
筆記具に改善の余地は大いにあった。金と時間に物を言わせれば、いくらでも試して改良を重ねていけるだろう。あとは、描く場所だ。地面の小石や草の根は、どんなに範囲を限定したところで、邪魔になる。これをあらかじめ除去する方法を──と、ここまで考えて、はた、と、立ち止まる。
「つかぬことを伺いますが、レオナルドさま?」
「はい、なんでしょう?」
「地面に魔法陣を描く道具は、指定されていないんですよね?」
「ええ、そうですね」
「もしかして、描く場所も指定がないのでは?」
レオナルドは、えっ? と、驚いたような顔になった。懐から帳面を取り出して、俺たちに見せぬように背を向けて確認しはじめる。その背中に、不躾だとは知りつつ、声をかけ続ける。
「海上や岩場では、土はありません。砂地だってあります。船の甲板や岩や砂に描いてもよいのであれば、土にこだわる必要はありません。地面にこだわる必要すらないのかもしれません」
「でも! 古文書には……」
「その古文書、ひょっとして羊皮紙じゃありませんでした?」
ペラペラと帳面をめくる音が止まる。レオナルドが振り返る。彼の青い目を見据えて、俺はニヤッと笑う。
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