第10話 聖女の定義

「では足をこちらにどうぞ」


 受付で一悶着あったけど、結局ノア様は施術を受けていってくれることになった。


 おずおずと足を私の膝の上に出すノア様。さっきから沈黙したまま。


 元々、話すタイプでは無いと思うので、こちらが通常運転だろう。


 私が聖女じゃないとわかって、がっかりさせちゃったかな?あんなに瞳を輝かせていたのに。


 もしかしたら次は来てくれないかもしれない。


 そんなことを思うと、胸が痛んだ。


 何で?何で胸が痛むの?


 ああ、お得意様を一人失うからか!


 自問自答して納得した私は、ノア様の足を拭き上げ、ベッドへと促す。


 ノア様は最初の時と違って、抵抗なくベッドにうつ伏せになってくれた。


 これは、セラピストとしては信頼されてる、のかな?


 だったら、嬉しい。聖女じゃなくても、私に身体を預けてくれるのだから。


 ノア様に大きなタオルをふわりとかけ、施術を始めるために、身体を順に触っていく。


 ん……?


「ノア様? 背中がバリバリなんですが……」


 前回よりも固くなった背中に驚き、ノア様に声をかけると、彼からたどたどしく返事が返ってくる。


「その……慣れない書類仕事に追われて、剣の時間も取っていたら……」

「睡眠時間が削られたと?」

「!!」


 私に言い当てられたノア様の身体がぴくりと動いた。


 さっきはノア様の両膝付く問題で慌てたけど、私は彼の目の下の隈を見逃しはしなかった。


「その、眠りが浅くなってしまって……」


 言い当てられ、観念したノア様は素直に話してくれた。


「そうですか。自律神経の乱れでしょうね」

「自律神経?」

「はい。交感神経と副交感神経、これらが上手く切り替えられないと、眠りが浅くなります。」

「……そうなのか……」


 ノア様の身体をグイグイ押しながら、説明すると、彼は私の話を素直に受け止めてくれていた。


 ずっとデスクワークをしているせいか、背中から腰にかけても、凝りが固まっていた。


 グイグイとノア様の身体をほぐしていく。


「……か」

「ノア様?」


 ぼそりとノア様が何かを言ったので聞き返す。


「ミリア様が、そんな小さな身体で大きな俺の身体にピンポイントで力を入れているのは本当に聖女の力では無いのか?」


 どうやら、完全に納得した訳ではなかったらしい。私が聖女である可能性を疑っているノア様。


「自分の体重を使って力を入れているので、負荷はかからないんですよ? 魔法ではないですね」

「そんな小さな身体で……ミリア様はすごいな」


 こんな小さなことに驚いてくれるノア様が何だか可愛くて、くすりと笑ってしまう。


 固くなったノア様の背面を丁寧に揉みほぐし、仕上げに連続チョップでトトトトト、と叩いていく。


「はい、ではゆっくりと仰向けになってください」


 タオルをそっと持ち上げ、ノア様に促す。


「……最後の、気持ち良いな……」


 仰向けになりながら、ノア様が目を細めてそんなことを言うものだから、私は増々キュンとしてしまう。


「これ、気持ち良いですよね。一応、施術のまどろんだ最後に覚醒を促す役割があります。ご自分でも出来ますよ?」

「そうなのか?」

「はい。自分でやるときは、手をグーにすると良いですね」


 私はノア様に手をグーにして見せる。


「こうやって、気になる所を叩いてあげると気持ち良いです」


 グーにした両手で、左右の太腿を交互にリズムよく叩いて見せると、ノア様は真剣に見入っていた。


「書類仕事で疲れたらやってみよう」

「ぜひ」


 嬉しそうに話すノア様に、私まで嬉しくなってしまう。


「でも、自分が届かない場所も多いですから、こちらに来てほぐしていただくのが良いですね」


 ノア様の顔にふわりと小さなタオルをかけながら言うと、彼は頷いた。


「ふふ、商売上手だな」


 わ、笑った!!


 ノア様が笑い声をあげて言うものだから、私の心臓が大きく跳ねる。


 ドキドキと煩い心臓を落ち着かせながら、私はノア様の頭に手をやる。


 うわ、寝不足だけあって、固い。


 こんな真面目なノア様のことだから、普段も色々考え込んでしまうんだろうな。


 ゆっくり、ゆっくりと頭を揉みほぐしていくと、ノア様の気配が消える。


 私の手の中で眠りに落ちてくれたノア様。


 何だかくすぐったくて嬉しい。


 お客様がくつろいでくれるのは嬉しい。だから、ノア様に限ったことではない。


 なのに、何でこんなにも温かい気持ちになるんだろう。最初、警戒心バリバリだったからかな?


 聖女じゃないとわかってからも、こうしてセラピストである私に身を委ねてくれるノア様に、私は心がポカポカしつつ、少しでも楽になるようにと、心を込めて施術した。


「お疲れ様でした」


 最後の仕上げをして、ゆっくりとタオルを取り外すと、ノア様はぼんやりとした顔でこちらを見上げた。


 この前は飛び上がって起きていたのに、こんな隙きを見せてくれるなんて。


「こんなにお疲れを溜める前に、早めに来てくださると良いのですが……」


 また来てくれるかわからないノア様に、期待を込めて声をかける。


「はい、ちゃんと時間を作って来ます」


 私の言葉にノア様がふわりと笑った。その表情が嬉しくて。赤くなった自分の顔を誤魔化すように私は続けた。


「あの、これ! サービスです! おじいちゃんたちには内緒ですよ」


 そう言ってノア様にハーブティーの茶葉が入った袋を差し出した。


「これは……?」

「よく眠れるハーブティーです。寝る少し前に飲んでください」

「ミリア様……」

「それも、やめてください。私のことはミリア、と」


 ハーブティーの袋をノア様に手渡すと、彼は困ったような笑顔でこちらを見た。


「しかし、聖女様ではないとは言え、貴方はそれなりの方だとお見受けしたのですが……」


 大司教と元神官長と仲良く働いているのだ。当然の疑問だろう。でも。


「私は、ただのセラピストです。どうか、ミリア、と呼んでください」

「……わかった、ミリア殿」


 私のキッパリとした言葉に、ノア様は観念して、眉を下げて笑うと、そう言った。


 砕けた言葉が、彼に近付けだようで嬉しい。


 彼を受付まで案内すると、おじいちゃんたちが出迎えた。


「次はどうするんじゃ?」

「そうですね……来週、同じ時間にお願いします」

「そうか」


 あれだけ騒いでいたおじいちゃんたちは、大人しくノア様の予約の手続きをしていく。


 何だかんだ、このサロンのために尽くしてくれているんだよね。


「では、来週、またお待ちしていますね」


 ノア様にお辞儀をして挨拶をすると、彼はじっと私を見つめたまま動かない。


「ノア様?」


 どうしたんだろう?と首をかしげると、彼は私の手を取って言った。


「ミリア殿、貴方は聖女ではないと言ったが、やはり、私にとっては聖女のように思う」

「え……」


 真剣な彼の瞳に見つめられ、私は動けずにいた。おじいちゃん二人が横で固まっている。


「怪我の治療だけが聖女の力では無いように思う。私は聖女様にお会いしたことがないが、ミリア殿にたとえ魔力が無かろうが、癒しを与えてくれる貴方は紛れもない聖女だ」

「あの……」

「ありがとう、私の聖女」


 ノア様は言い終わると、私の手の甲に唇を落とした。


「?!?!?!」

「また来週」


 赤くなり、口をパクパクさせる私を他所に、ノア様は甘く微笑むと、サロンを後にしてしまった。


「こら、ノアーー! ミリアちゃんに何するんじゃー!」

「でもあいつ、良いこと言いましたね?」


 横ではおじいちゃんたちが大騒ぎ。


 でも私はノア様の余韻で、顔に熱が集まるのが抑えられず、それどころではなかった。


 私が、ノア様にとって、聖女?


 心の中で何かが始まりそうな初めての感覚に、ただただ、私はドキドキするだけだった。

 

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教会の隠れ家サロン〜これは聖女の力じゃありません、リラクゼーションです!〜 海空里和 @kanadesora_eri

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