第6話 騎士様の施術

 いつも通り、桶に魔法で水を張り、適温まで温めてくれると、おじいちゃんたちはノア様にちらりと視線をやりながらも、下がっていった。


「履物の裾を膝まで上げて、こちらに足をどうぞ」


 ノア様の足元に桶を移動させながら、私は説明をする。


 お湯が張られたこの桶は中々重い。サロン開業当時は、後ろで用意して持って来ようと思案していたのが、『重いから!』とおじいちゃんたちがお客様のすぐ近くまで来て用意してくれることになった。


結構な重労働なので、ありがたい。片付ける時も、パーテーションの外に出せば、魔法でお湯を消し去り、桶を清潔に乾燥までしてくれる。


「大司教様とあろう方が、何故……」


 ノア様は私を見ながら、その無表情な顔で言いかけて、口を閉じた。


 うんうん、高位神官のおじいちゃんたちの力をこんなことに使うなんて、贅沢だよね。わかってる!


 またまた心の中で返事をしながらも、私はカモミールの香油を手に取り、桶の中に一滴落とした。


 ふわりと優しい香りが広がると、ノア様の口元が一瞬、綻んだ、気がした。


 促されるまま足を桶に付けるノア様。それを見届けると、私は説明を続けた。


「カーディシアス様からは、頭痛の悩みとお聞きしました」

「ああ……ずっと現場だったのに、団長になってから書類仕事が増えて」


 ノア様は表情を変えずに淡々と話してくれた。


 デスクワークのお疲れか。文官様たちと似たようなお悩みなら、私でも解消してあげられるのかも。


 騎士様たちは魔物との戦いで傷付いて帰って来られる方が多く、そんな騎士様たちを癒やすのは母の仕事だ。だから、騎士様と関わることなんて一生無いと思っていた。


 騎士様でもそんな悩みがあるのなら、私にも出来ることがあるのかも。


「今日は、身体の揉みほぐしにプラスして、ヘッドマッサージのプランでご提案しておりましたが……」

「……任せます」


 予めおじさまから聞いていた話を元に、施術時間を取っていた。プランを話すと、ノア様は一言呟いて、黙ってしまった。


 ……本当に寡黙な人なんだな。


 文官のおじさまたちの中にはそういう方もいるけど、若い『男の人』は初めてで、少し緊張もする。


「では足をこちらにどうぞ」


 時間になったので、自分の膝にタオルを広げ、桶から足を出すようにノア様に促す。


「……よろしいのでしょうか?」

「は?」


 躊躇いがちにこちらを見るノア様に首を傾げると、とても言いにくそうに続ける。


「あなたは、高貴なお方ではないのですか?」


 とても偉い立場のおじいちゃんたちを使っているので、この反応は初めてではない。


「違います。私の仕事ですので、どうか、言うとおりにしてください」


 躊躇うノア様にきっぱりと否定すると、彼はおずおずと足を私の膝の上のタオルに置いた。


 無表情ながらも遠慮がちな彼に、少し可愛いと思ってしまう。


 私は濡れたノア様の足を綺麗に拭き取り、サロン用の、革で出来た『スリッパ』というものに足をやる。


 もちろんこの『スリッパ』も、母監修、父懇意の商会製だ。


 もう片方の足を拭き取ると、私は桶をパーテーションの外まで運ぶ。


「では、こちらにうつ伏せでお願いします」


 すぐ横の施術用ベッドにノア様を促すと、彼は恐る恐る、ベッドに横たわった。


 大きなタオルをふわりとノア様の身体にかける。


 背の高い彼もすっぽりと収まる大判のタオルは、フワフワで軽い。


「では始めますね」


 彼の背中に手を置いて合図をすると、びくりと身体が揺れた。


「楽にしてくださいね」


 知らない女が背後を取っているなんて、騎士様にとったら落ち着かないだろう。


「あ、ちょっと待ってくださいね」


 そう思った私は、思いつきで小皿に先程のカモミールの香油を垂らして、ベッドの穴が空いている下に置いた。


「これは、さっきの……」

「はい、カモミールの香油です。リラックスしていただきたくて」

「そうか」


 騎士様はそれだけ言うと、また黙ってしまった。私もそれに合わせて、黙々と施術を始めた。


 初めてなので、取り敢えず全体的に身体を押していく。最初は肩。


 うわあ、流石剣を毎日振るっているだけあって、柔らかい……!でも、書類仕事をされていると言われていただけあって、コリがあるわね。


 私は肩の凝りをゴリゴリと流す。そして、背中、肩甲骨、腰、足、と順番にほぐしていく。


 ノア様は流石騎士様で。しなやかな筋肉だった。硬すぎず、柔らかすぎない、良い筋肉。


 それでもお疲れは溜まっているので、凝りを見つけ出してピンポイントに流していくのはやり甲斐がある。


全体を流した後、首に移る。


 うわ、首が固まってる……!


 首を触ると、ノア様が最近書類仕事に追われて疲れを溜めているのがわかった。


 グイグイと首を解し、頭と交わる目に効くツボをグイ、と押すと、ノア様から声が漏れ出た。


「う……」


 小さいけども、少し色気のある声で。


「痛かったですか?!」


 慌ててノア様の方に顔をやれば、彼は身体を動かすことなく答えた。


「いや、何でもない」

「力の加減は出来ますし、痛い所はお疲れの所なので、言ってくださいね! 施術に大切なことなので」

「……わかった。今の場所、かなり効いた」


 先程までの警戒さは無く、ノア様は私の言葉に素直に答えてくれた。


 私の施術が認められたってことかな?


「目がかなりお疲れのようですね。ヘッドマッサージ入れておいて良かったです」

「そうか」


 警戒を緩めてくれたノア様に嬉しくて、私はつい笑みを溢してしまう。


 感情が読めなくて少し怖いと思っていたけど、この人はただ口数が少ないだけなんだ。


 噂とは少し違ったノア様を知って、私は何だか嬉しくなった。

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