第138話 誘拐犯は変態でイケメンな……。

 ぴちゃ………

 何だか酷く生温かいものを感じる。

 ぴちゃぴちゃ………

 その音が耳元で聞こえ、ひどく違和感とともに嫌悪感を覚える。

 うっすらと瞳を開けると、そこは——————、


「ベッドルーム?」


 私は周囲を見渡そうとして、その音の出している主が目に飛び込んでくる。

 振り返ると、そこには私の寝顔をマジマジと見つめていたのであろうか、一馬が目と鼻の先にいる。


「えっと……」

「可愛いね顔だったね」


 バキッ!!!


 私は有無を言わさずにグーパンをイケメンの顔にぶち込む。

 あー、しまった……。つい、気持ち悪くてぶん殴ってしまった……。


「なかなかの可愛い顔をしているのに、暴力的なんだね、君は」

「まあ、好きでもない男性が耳元でぴちゃぴちゃと音を立てて、寝顔を観察されるような悪趣味はないので……」

「普通はこれだけで女の子はみんな下半身を濡らすというのにかい?」


 いや、どんなド淫乱女だよ! そんな女がいたら逆に怖ぇ~よ!

 間違いなく、「誘惑」か「魅了」で堕とされてる女じゃないかしら……。

 かくいう私もさっきはやばかった……。


「あれ? もしかして、さっきはやばかったって思ってない?」

「はぁ? 思うわけないでしょ?」

「でも、間違いなく君には『誘惑』がかかっていたんだよ……」

「はいはい。そうかもしれないけれど、今は別に何ともないですよ?」

「そりゃそうさ……。俺が術式を変えたからね!」

「術式を変えた?」

「あれ? 始祖の吸血鬼様の娘ともあろう君が、この程度の術式が読めないなんてことないよね?」

「ふんっ! バカにしないで……」

「バカにしてるかどうかは、自分で確認してごらん?」


 明らかに胡散臭い麻友の兄を横目に、注意を怠らないようにしつつ、術式を読み始める。

 言われた通り、先ほどまでの術式とは異なるらしい。


「こ、これは——————」


 読み終えると同時に、どっと体に何か悪い気の流れが入り込んでくるような錯覚を覚える。

 いや、錯覚ではない。

 この男が私の背中を触れている!?

 あれだけ注意していたというのに、まんまとこいつの罠にかかったというの?

 私は背中から私の体内に流し込まれる『闇』を感じずにはいられなかった。


「まさか……これって……」

「あれ? 気づいちゃった? 俺の得意分野なんだよね~」

「得意分野? インキュバスの?」

「そうそう。簡単に言うと、媚薬のような効能のある魔力……」


 イケメンの顔が歪み、明らかにこれから手籠めにしようとしている男の顔に変わる。

 マズイ……まずい……マズ過ぎる!!

 だんだんと頭がぼーっとし始める。

 さすが、淫夢魔の家系だ。と、納得している場合ではないのだが、あまり余裕をもってあれやこれやを考える余裕がない。


「君がイケないんだよ? 君が悪い子だから……」

「私が悪い子?」


 私は一馬の視界に入らない部分で、魔力の帯びた指でツボを刺激する。

 激痛が走るとともに、ぼんやりとした意識が若干ではあるものの、正常に戻る。

 てか、これを繰り返して使うと、私の体がボロボロになるんだけど……。


「君さぁ……どうしてあんなのと付き合ったの?」

「あんなの……とは?」

「ほら、確か……竹崎くんだっけ?」

「ああ、優くんのこと?」


 バシッ!!!


 私の頬は、一馬が振り払うようにして放った手のひらで思いきりぶたれた。

 予測していなかったため、そのままベッドに倒れこむ。


「人間なんかに恋しちゃいましたって?」

「………………」


 私は恐ろしくて、頬を抑えたまま動けなくなる。

 目の前にいる一馬は先ほどまでとは様子が異なり、眼球は青黒く染まり、私のすべてを見透かすような白い瞳だけが、こちらを向いている。


「そもそも、私がどんな恋をしようと勝手でしょ?」

「まあ、穏健派はそうでもいいかもしれないけれどな……」

「はぁ……。やっぱりその派閥の話?」

「一応は派閥のことを知っているようだな」

「ええ、まあ、一応ね。そもそも私にとってはどうでも良い話ですもの」

「そうかもな……。だが、俺たち過激派にとっては、重要なことになるんだ」

「つまり、私がその過激派に何か絡んでるってこと?」

「ああ、物凄く大事な存在としてな……」

「私にとっては、そもそも過激派に加担する気は一切ないわ」

「だろうな。だから、こうやって強引に連れ出したってわけだ。あの人の指示で……」

「ふーん。あの人、ねぇ……。黒幕がいるんだ」

「そもそも過激派って言ってる段階で察して欲しいところだがな……。穏健派の吸血鬼の姫君さんよ」

「その言い方はやめて。そもそも私は姫君でも何でもないわ。穏健派であることには違いないかもしれないけれど、それは、人間との眷属契約の中で、限りある資源として、滅ぼさないという意味での話よ。あなたたちのように人間を食い潰して、この国のシステムを崩壊させようなんて考えは一切ないもの」

「それは結構な話だ。とはいえ、折角攫ってきたんだ。過激派としては有効利用させてもらうぜ」

「へぇ~。有効活用ってどういうことをするのよ。ここで私を犯せば、間違いなく全面戦争開始になるわよ?」

「……………………」


 呆けた表情で私の方を見る一馬。

 おい……。ちょっと待て……。


「あんた、まさか、本当に私の貞操を?」

「いや、非処女だから別にそれはどうでもいい」

「なんかムカつくんだけど……」

「お前との婚約を発表する流れが今、できつつあるところだ……」

「へ?」


 私は一馬の言葉に、絶句してしまう。

 と、同時に一瞬で顔から血の気が引くのが自身でも分かった。


「婚約発表ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?!?!?」


 私は一馬から飛びのき、部屋の壁にジリジリと引きながら、そう叫ばずにはいられなかった。

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