第131話 突然の喪失。

「それにしても麻友ちゃん、災難だったね」

「どうしてアンタは何もされずに、あたしだけこんなことになるのよ……」


 麻友は何がどうしたのか分からないが、お尻のあたりをさすっている。

 ち、千尋さん? さっきのこけしで麻友がどうなったのかな……。

 気にはなるが、敢えて怖くなったので聞かないでおこう。


「自業自得でしょ? 私と優くんとの情事を見せびらかすつもりなんてないの」

「とはいえ、あの声じゃぁ……ねぇ……?」

「まあ、清楚可憐もぶっ飛ぶくらいのあのイキ声出されたら、どんなプレイしてるか気になってしまいます……」


 麻友と美優は納得がいかないらしい……。

 そんなことを指摘された千尋さんは、頬を赤らめながら、コホンとひとつ咳ばらいをして、


「今はそれよりも、優くんが夢で逢った大人の私のことです」

「お兄ちゃん? その大人な千尋さんは、優くんを亡くしていたような感じだったんですか?」

「うーん。亡くしたという感じではないかな……。たぶん、生きていると思う。でも、何だか訳アリって感じかな」

「そうですか……」


 美優は心配そうにボクの方を見つめてくる。


「それと、もうひとつ気になるのが、大人の千尋がいたのは未来じゃないんだよね?」


 麻友が思い出すような素振りをしつつ、そう聞いてきた。


「ああ、間違いない。このままの未来ではなく、違う時間軸で物事が進んでいるらしい。たぶん、大人の千尋さんは未来を変えてほしいんだと思う」

「でも、こっちの時間軸が変わっても………」

「たぶん、大人の千尋さんの時間軸が変わることはないと思う。あの世界はすでにその時間軸まで進んでしまっているのだから」

「じゃあ、なんで…………」


 麻友が一瞬言葉を失ってしまう。

 ボクはそっと千尋さんの肩に手を置き、


「きっと大人の千尋さんが、これから来るべき未来を進む僕たちに少しでも自分たちが味わった苦痛を取り除くためじゃないかな……」

「お兄ちゃん、そんなの全然、利にならないじゃない」

「でも、そういう優しいところもちぃちゃんだからね」

「ゆ、優くん……」


 ボクの言葉に千尋さんは嬉しそうに優しく微笑む。


「どうしてもこういう世界になっちゃうんですね」

「まあ、仕方ないよ……相思相愛だからね」

「はぁ……。それにしても気になりますね」

「ん? 何がだ?」


 美優がポツリとつぶやいた言葉にボクが反応する。


「そもそもお兄ちゃんはどうして千尋お姉さまのもとからいなくなってしまうのでしょうか」


 そう。ボクも確かにそれに関しては気になった。

 とはいえ、そのことを話してくれようとした瞬間のノイズからのシャットオフ。

 どうしようもなかった。


「千尋お姉さまは何か心当たりはありますの?」

「今のところはないかな……。正直、それを理解するための証拠が何もないもの……。それに大人な私が言ったのが『あの女』という言葉だけなんだから、知っている人かもしれないけれど……」

「まあ、それならば仕方がないですよね……」

「とにかく、何かが変わるためには、まだ要素が不足しているって感じかしら……。だから、まずは普段通り生活をしましょう」

「そうね。千尋の言うとおりだわ」

「分かりました。では、あたしも普段通りにしますね」

「じゃあ、ボクもそうするね。でもみんな、警戒だけは怠らないようにね」

「「「もちろんです!!!」」」


 安心感のあるみんなの笑顔を見て、ボクも何か胸のどこかにあったモヤモヤが取り除かれたような気がした。

 しかし、その認識が誤りであったことをその日のうちにボクは……いや、その場にいるみんなが肌身で感じることになるとは思わなかった……。




 夕暮れの日差しが差し込むリビングルーム。

 だが、部屋の明かりは付けられてはいなかった。

 リビングのローテーブルに伏すようにして、私は泣いていた。


「優……くん…………」

「ち、千尋お姉さま……」

「千尋……」


 美優ちゃんと麻友が声をかけてくれるが、私は今、頭の中がぐちゃぐちゃにされた状態で、反応することができない。

 優くんは今、私のもとにはいない。

 そう。彼は連れていかれた。

 一瞬だった。手際の良さからみて、人間のなせるものではないことは瞬時に推察できた。

 一緒に翌週の食料の買い出しに一緒に行ったときのことだった。

 買い物を終えて、帰り際に優くんが「お手洗いに行って来る」と言って、私はお手洗い近くのベンチに座って待っていた。

 それこそ、今日の夕飯の準備を想像しながら。

 刹那。

 お手洗いから人が感じることのない大きな魔力を感じる。

 体の奥底からゾワリとした寒気が走り、思わず私はお手洗いに足を向けていた。

 意を決してドアを開けると、そこにはすでに半身が空間に取り込まれつつある彼がいた。


「優くん!?」

「ち、ちぃちゃん!」


 私は手を伸ばそうとした。

 が、バヂッ! という音を立てて、プラズマのような何かに私の手ははじかれた。

 魔力への干渉を試みようとするが、相手の方が力が上で、干渉をするどころか、自身の精神を汚染するかの如く、入り込もうとしてきた。

 私は即座に身を引く。


「誰なの?」

【あらぁ……? もう気づくなんて、早いわねぇ……】


 脳内に響くように声が聞こえる。

 念話。一般的にはテレパシーなんて言われるものに近いかもしれない。


「その声は……」

【んふふ♡ 気づかれちゃったら仕方ないよねぇ】

「お母様!」


 そう。そこに姿を現したのは、まごうことなき私の母親だった。

 だが、何かがおかしい。違和感を覚える。

 お母様からドス黒い、何か気配を感じる。


【千尋? この子、私が貰っていっちゃうわね】

「ダメよ! 優くんは、私の婚約者なんだから!」

【だからよ……。あなたの婚約者だからこそ、奪い取るの。取り返したかったら、甘い生活ばかりしているのではなくて、強くなりなさい? 早くしないと、彼の精気がすっからかんになっちゃうわよ?】

「そんなことさせない!」

【言うだけじゃなくて、本気で強くなりなさい? 彼の精気なしでね……。じゃあねぇ~ん♡】


 そう言うと、私の目の前から優一さんの姿は消えた。

 力なくトボトボと帰宅した私の姿に麻友や美優ちゃんが何も気づかないわけはなかった。

 そして、今に至る。

 取り込まれる瞬間の苦しむような表情が脳裏に焼き付いて離れない。

 私はおもむろに顔を上げ、


「私、強くなりたい……。優一さんを取り戻して、優一さんを守れる力が欲しい……」

「で、でも、千尋……。あのお母さんが相手なんだろう?」

「そうよ。でも、お母様と会った時に違和感があったの。今までのお母様とは違う何かが……。魔力の残りかすを保管してきたから、麻友、分析してくれない?」

「ああ、いいよ。任せときなさい。で、アンタはどうするの?」

「学業はおろそかにしないよ。でも、それと同時に強くならなきゃ……。だから、強い人に特訓してもらわないとね」

「まさか……アンタ……」

「もちろん、お父様にしっかりとね!」

「筋トレだけは止めなさいよ? ムキムキのアンタなんか見たら、学園中がひいちゃうわよ」

「失礼ね! 健康的な筋肉を付けて、魔力量をアップさせるのよ」

「千尋お姉さま! あたしにもできることを何でも言ってくださいね」

「美優ちゃんはとにかく、ジュニアを守ってあげて。あなたも私の眷属になってるんだから、普通の人間よりは十分に強くなってるはずだから……」

「分かりました! しっかりと大人の千尋お姉さまにお渡しできるようにしておきます!」


 美優ちゃんは最高の笑顔で私にそう答えてくれる。

 本当によかった。

 私の周りに彼女たちがいて……。

 大人の私はどうだったんだろう……。優一さんの話では落ち込んだままのようだけれど……。

 とにかく、まだやるべきことはたくさんあるのだから……。

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