第129話 もう一人の彼女。

「優一さん! 優一さん!」


 ボクはその見知った声に起こされる。

 瞳を開くと、そこには千尋さん……にしては若干、大人びている人物が目の前にいることに気づく。

 そこでボクははたと気づいた。

 そうか。ここは夢の世界なのだ———と。

 では、目の前にいるのは千尋さんの大人になった時の姿。

 今と同じように黒髪のロングストレートが美しく、紅の瞳は今と同様に美しい。

 そして、今よりも少しお胸の方が大きくなったように感じるのは、着ている服の所為なのだろうか。


「き、君は……?」

「あら? 自分の奥様に対して失礼な言い草ですね」

「いや、ちぃちゃんだとは思ったけど、未来の……いや別の時間軸で生きているボクのお嫁さんってことかな?」

「あら? そこまでお分かりなんですね。どうしてそう思われたんですか?」


 千尋さんは「まあ!」と驚いた素振りを見せて、ボクに近づいてくる。

 ふわりといつものような甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「どうして……か。だって、ボクのこと、って呼んでるよね?」

「あら? そうですね。そういえば、優一さんからは私のことを————」

「ちぃちゃんって呼んでるよ?」

「なるほど。それは盲点でしたね。できれば、優一さんから話しかけてもらえるようにすれば、もう少し吃驚させることができたかもしれませんね」

「それは何だか意地悪だね」

「そうですか? 信頼しているからこそできることですよ?」

「そっか。のボクも仲良くやってる?」

「はい。大好きですよ! そちらのほうはどうですか?」

「うーん……」

「え……上手くいってないとか?」

「いや、上手くいきすぎてるかな……」

「じゃあ、いいじゃないですか……。何か他に問題でもあるんですか?」

「えっと……お恥ずかしながら……」

「はい!」

「お互いの性欲に関してやや問題が……」

「あ。」


 大人な千尋さんは何かを察したようにジト目でボクの股間を見張る。

 い、いや、ちょっと待って! 何だか、ボクの股間だけが問題みたいに思われてない?


「まあ、私の旦那様も夜はすっごく素敵ですけど……」


 いや、そこで思い出したかのようにほんのりと頬を赤らめるのを止めてくれない!?

 どっちにしても自分なんだからさ!


「も、もしかして、あなたも凄いんですか……?」


 思わずゴクリという喉の音を鳴らしながら、不躾な質問をぶつけてくる大人な千尋さん。


「す、すごいかわかりませんけれど……」

「いや、きっと凄いのでしょうね。何せ、その愛のおかげで時空を捻じ曲げられてしまったのですから……」


 そうだ!

 時空を捻じ曲げたことによって、彼女の息子がこちらの世界に飛び込んできてしまったのだ。


「それにしても、あまり焦っていないんですね……」

「まあ、そりゃ、私たちのような穏健派ではなく、改革派が行っている行動ですから、容易に私たちが標的になったこともうなずけますので……」

「何だか、怖い話だね」

「まあ、そうかもしれませんね。とはいえ、私たちの子どもがこちらに飛んだということは、優一さんが棲んでいる世界にも革命派がいるのでしょうね」

「確か、ちぃちゃんは反対派と呼んでいたかな?」

「反対派ですか……。まだ大人しい呼び名ですね」

「そっちの時間軸では、戦争にでもなっているの?」

「まあ、当たらずとも遠からず、と言ったところでしょうか。あなたたちの時間軸で言う、賛成派と反対派が、さらに力を付けて、人間を巻き込んで戦っていますよ」

「それって何だかやばい世界だよね?」

「まあ、もともとはそういう対立をしあっていたものなので、優一さんたちが今見ている世界から言うと、相当やばい世界なのかもしれませんね」

「それをそのトーンで話されると怖いものがあるね」

「それはごめんなさい。そんなつもりはなかったんですけどね」

「いやいや、でも、ちぃちゃんの世界がどうなっているのか、ということは分かった」


 でも、ひとつ違うという面で言うと、時間軸がずれているということだ。

 だから、ボクらの世界はそっくりそのまま彼女の棲んでいる世界と同じになるかというと、そういうわけではない。

 むしろ、ここからの行動次第で違う未来もありえるということだ。

 だから、穏健派と革命派が存在しないということもあり得ると考えると、少しほっとしてしまう。


「とにかく、君の赤ちゃんを返さないといけないね」

「そうですねぇ。まあ、今はあなたのお嫁さんの千尋が面倒を見てくれているようですけれど。でも、本当に母乳ってこういう環境の変化でも出るようになるのね……。私も驚いちゃった」


 いや、まあ、これに関しては、ボクの方も驚いてしまった。

 まさか、高校生の千尋さんからあんなにもたっぷりと母乳が溢れ出てくるとは……。


「とはいえ、時空の変化が生まれないと上手く引き渡してもらえることもできないんでねぇ……」

「も、もう一度、エッチをするとか?」

「うわ。それは何だか安直だし、生々しいんだけれど……」


 思いっきりジト目で大人な千尋さんはボクを睨んできた。


「それにさっきまでもしてたでしょ?」

「あ。」


 どうやら見られていたらしい。何とも恥ずかしい。


「じ、自分の淫れる姿って、見るとすっごく恥ずかしいものね……」


 千尋さんは顔を真っ赤にしつつ、恥ずかしそうにボクに目を合わせずにそう言った。

 まあ、完全にメス堕ちした自分の若かりし日の姿なんて想像もできないだろうからね。


「と、とにかく……あなたたちにまた会いに行くことになると思うの。その時に時空がゆがむはず。きっとあの人が、あなたを狙いに行くはずだから……」

「あの人?」

「今はまだ知らない方がいいと思う。だから言わない。でも、あなたは自分のことをしっかりと守って欲しいの」

「う、うん……」

「でないと、そっちの時間軸の千尋もきっと悲しむと思うから……」


 ふっと彼女の表情に元気がないように感じる。

 どうやら、ボクに関することで何かあったようだ。


「もしかして、別の時間軸ではボクの身に何かあったんですか?」

「え? まあ、少しばかりね。まさか、あの女に—————」


 そう言ってる途中で、通信が切れるような感じで千尋さんの姿がジャミングが入り混じり、そのまま彼女の姿は消えた。

 と、同時にボクは再び暗闇に閉ざされこととなった。

 一体、ボクの身に何が起こったというのだろうか……。

 ボクは不安にならないわけがなかった。軸がずれているとはいえ、将来起こりえる一つの出来事を示唆しているのだから。

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