第93話 少女は不足していたエキスをいただく。

 ガチャ……。

 ドアの重い金属音が響き、真っ暗な室内は私たちを迎え入れてくれた。

 と、言っても、まさかこんな時間になるとは思ってもいなかったんだけどね。


「ようやく帰ってきたね」

「……そうですね」


 優一さんも少し疲れが出ているような感じだ。

 かくいう私もまったく疲れていないなんて言うと、それは嘘になる。

 私と優一さんは何とか優一さんの実家から帰ってくることができた。

 別にご実家が嫌だったわけではない。

 夜になって優一さんのお父様が帰ってこられて、私が挨拶をすると、優一さんのお父様が逆に顔を真っ赤にしてしまって、千鶴さんがお怒りモードになったり、性格が変わり果てた美優ちゃんにお父様が「ヤンチャが清楚(?)になった!」と喜んでいたり、と楽しい家族で優一さんが育ったということが分かった。

 その後、デザートで洋菓子屋さんに予約してあったケーキが振舞われた。

 ビターチョコが使われたチョコレートケーキ。

 一口いただく、口の中に、甘さと同時に苦さが広がってきた。

 そのケーキが千鶴さんが優一さんのお父様にプロポーズされたときに手渡されたものだそう。

 プロポーズでケーキって驚くかもしれないけれど、お父様も恋愛は苦手で、どう告白すればいいのか分からなかったという。その時に、優一さんのお父様がケーキを一緒に食べて話をしようと考えていたらしい。


 ———この甘さの中に苦さがあるように、一緒に過ごすということはどこかで、苦さも経験するかもしれません。

   でも、ボクと一緒にその苦さを乗り越えて、甘さのある生活を一緒にしてみませんか。


 優一さんのお父様のプロポーズの言葉だ。

 思い出話をケラケラと笑いながらする千鶴さんに対して、顔を真っ赤にするお父様。

 何だか、お父様が可愛く見えた。

 まさか、私たちのために急遽用意してくれたなんて嬉しかった。

 そして、帰宅しようとするときに、まさかの麻友から見捨てられるという大事件。

 優一さんの機転の利いた行動で、高速バスのチケットを購入し、事なきを得たのである。

 高速バスの途中では、優一さんの肩を借りるようにして寝させてもらえたのは幸せだった。

 だって、ここ数日、一緒に抱きしめあうことすらなかったのだから。


「ちぃちゃんも疲れちゃったよね? 今すぐお風呂を沸かすね!」

「あ、待ってください……」


 私は廊下を入ったところで、優一さんを呼び止める。

 優一さんはこちらを振り返り、「どうしたの?」という表情をしている。

 もう! 何でこう、疎いんでしょう!

 私はモジモジしながら、優一さんの後ろからそっと抱きしめる。


「少しだけこうしてちゃダメですか?」


 私は恥ずかしくて、顔を優一さんの背中にうずめるようにして、見せないようにした。

 優一さんがどんな表情をしているのか分からない。

 でも、私はこれだけでも幸せ。

 もしも、ここで引き離されちゃうなら、それはそれで仕方ない………。

 そんな割り切りすら持ち始めていた。


「ごめんね……」


 そっと、私の腕はほどかれる。

 何だか、胸がズキンと痛んだ……。

 悲しくて、切なくて、もどかしさでいっぱいで、私は俯きながら、思わず涙を流しそうになってしまう。

 私が優一さんを守るって約束したのに……。どうして、私ってこんなに気持ちが弱くなっちゃったのかしら……。

 嫌になっちゃうな……………。

 そのときにふわっとした温かさを感じた。

 優一さんは振り返り、私をそっと抱きしめてくれたのだ。


「……え? え………」

「ボクもずっとこうしたかったんだ……」

「ゆ、優くん?」

「向こうでは母さんや妹の視線が常にあったから、なかなかできなかったんだよね。でも、我が家だったら別にいいだろ? だから、我慢してきたんだよ。別にちぃちゃんだけが苦しんでいたんじゃないんだよ」

「優く~~~~~ん」

「そ、それに高速バスを使ったから、たばこの臭いとかついちゃってるからさ」

「別に気にしないよ! 私は優くんが好きなんだから……」

「ボクもだよ」


 私は彼の胸に顔をうずめるように抱きしめた。

 嬉しさで瞳からいっぱい涙があふれ出てきた。

 ううっ……。何だか恥ずかしいよぉ……。


「さあ、お風呂を沸かしてる間に、一息つけるために、温かいココアでも飲む?」

「こんなに暑いのにですか?」

「でも、ちぃちゃんは少し気持ちを落ち着かせた方がいいかもしれないからね」

「何ですか? そのすべてはお見通しっていう感じの表情……。何だか、腹が立ちますね」

「そんなことで怒らないでよ? これでもちぃちゃんのことを考えていってるんだから」

「んふふ……分かってますよ」


 私はそう微笑むと、再び彼の胸の中に顔をうずめた。

 私の大好きな匂いとそして、この温かさ—————。


「ようやく少し、回復できたように思います」

「そっか……良かった」

「では、一緒にお風呂に入りましょうか? 私も優くんの背中を流して差し上げたいと思っていたので……」

「えっ!? じょ、冗談だよね?」

「いいえ、まだ肌の直接的接触ができていません! 久々のことなので、ぜひ!!」

「え、いや、ぜひって……」

「大丈夫です。エッチなことではありませんからぁ♡」

「言い方がすでにエッチなんですよ!!」


 もちろん、このあとしっかりと肌の触れ合いはしたし、私自身も気持ちよくさせてもらえた。

 あー、やっぱり優一さんのことが大好きだなぁ……。

 優一さんに変な虫を寄り付かせないように、これからも気を付けていかなくっちゃ!

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