第58話 少女はキュン死させられそうになる。

 腕を引っ張って、部屋着姿……というよりかはどちらかというと寝間着姿の優一さんを椅子にかけさせる。

 目の前に置かれた香ばしくトーストされた食パンの香りが鼻孔をくすぐらせる。

 さっきまで眠そうだった優一さんの顔に生気が宿る。


「わぁ……。すごくいい香りだね!」

「そうでしょ? 実は、パンも昨日の間に焼いてみたのでした!」

「ええっ!? これ自作? でも、食パンって結構大変じゃなかったの?」

「まあ、大変といえば大変ですけれど、実際焼くのはホームベーカリーがしてくれることですから……」


 私はそんな立派なことはしていないと頬をポリポリと掻く。

 しかし、優一さんのテンションは先ほどのベッドの時のとそれとはまったく異なり、少し興奮気味でもあった。


「すごい! 家で作った食パンが食べられるなんて! でも、ホームベーカリーはどうしたの?」

「ホームベーカリーは、お母様から先日送られてきたんです」

「へぇ、お母さん、優しいね」

「まあ、両親とも過保護なんですけどね……」


 私は少し照れくさくなってしまう。

 先日、お父様がどれだけ面倒くさいかを優一さんは分かってくれたはずだ。

 お母様は基本的には私のやりたいこと最優先でさせてくれるので、こうやって高校も行けるようになったし、優一さんとの同棲に関しても、あっさりと認めてくれたりもした。もちろん、渋るお父様への説得もお母様がしてくれたくらいだ。

 そんなお母様は私のことをすごく考えて行動してくれている。


「あ、でも、千尋さんのお母様って、あの……アレの入った小物入れを用意してくれた人……だよね?」

「ゆ、優一さん!? そ、それは忘れてもいいんですよ!」

「あ、ゴメン……。つい、思い出しちゃった。あの時はインパクトが強すぎて……」

「あははは……まあ、そうですね。そうです。アレを用意したのが私のお母様です」

「そうなんだ。仲がいいんだね」

「そうですね。今でもLINEもしていますから。さ、お話はこれくらいにして、さっそく食べませんか? あったかい間に食べたほうが美味しいですし」

「うん! そうだね!」


 私はドリップし終えたコーヒーをふたつのマグカップに注ぐ。


「うん! コーヒーもすごくいい香りだよ! いつもインスタントだから、嬉しいなぁ……」


 優一さんは満面の笑みを浮かべながら、注がれたブラックコーヒーをすする。

 優一さんの好みのコーヒーは深煎りだけれど、酸味は少な目のものが良い、ということまで私は知っている。

 も、もちろん、こういった情報は付き合う前に、優一さんのことを色々と調べる過程で手に入れたものだ。

 優一さんはトーストにササッとマーガリンを塗って、口に運ぶ。


「うん! 表面はサクッとしているのに、パンそのものはモチッとしていてすごく美味しい!」

「本当ですか? そんなに褒めてもらえるとやりがいがあって、嬉しいです」

「いやいや、本当に美味しいよ。そうだ! 今度、祖父に頼んで果物を送ってもらおう! ジャムが作りたくなってきちゃったよ!」

「お祖父じい様は果樹園でもされてるんですか?」

「うん。長野の方で祖母と一緒に観光農園をね。季節によって色々な果物を栽培しているみたいで、年中賑わっているんだって」

「まあ、それは凄いですね!」

「最近は起業して、そこで採れた果物を全国に配送もしているらしいけれど……儲けすぎなんだよね」

「さすが、優一さんのお祖父様ですね。頭が切れる方なんですね」

「あはは……。女と金好きな元気な爺さんだよ」

「あ~、何だかわかるかもしれません……」


 私は優一さんの顔を品定めするように見つめる。その視線に気づいた優一さんは、


「えっ!? ちょっと? どういうこと? ぼ、ボクは……」

「天然タラシってところは、似てるかもしれませんね」

「いやいや、朝から冗談がキツイよ……千尋さん」

「ま、さすがに私という正妻がいる以上、あとは麻友くらいしか認めたくないですから」


 私は冗談交じりにプリプリと怒りながら、食パンをサクサクと口に頬張る。

 すると、クスリと優一さんが笑う。


「どうしたんですか?」

「いや、そうやってちょっと嫉妬気味に食べてるのが可愛くてさ……」

「———————!?」


 だ、だから、どうして、そういう私が恥ずかしがることをサラッと言うんですか!? この人は……。

 私は思わずキュン♡ と胸が高鳴ってしまう。

 今にでもキスしたい! 舌を絡めたい! そして、抱きしめたい!

 ああ……でも、今は朝です。それにこの後は麻友との用事も控えているので自嘲しなくてはいけなかったのです……。


「優一さんは本当に私のショック死させる気ですか?」

「ええっ!? またしても……?」

「そこで気づいていないのが本当に怖いです」

「うーん。ボクって、話さない方がいいのかな……?」


 え? あ、違うの………。


「あ、あの……私はこういうの好きなので、言ってもらって全然いいんです……」


 私は小声でボソッと呟く。


「あ、いいんだ! 良かった!」

「で、でも! 別の女の子には言ってほしくないっていうか……」

「大丈夫だよ! こういう言葉は大好きな千尋さんにしか言わないように気を付けているからね」

「それなんですッ!」


 危うく本当に私はキュン死というラブコメの定番死を迎えてしまうところでしたよ……。

 まさか、手作り食パンだけでこんなに喜んでもらえるとは思えなかった。

 本当は「彼氏をダメにするふわとろオムレツ」で私をメロメロにする計画だったのに………。

 え? オムレツは失敗だったかって?

 むしろその逆。大成功だったの。大絶賛されすぎて、こんなオムレツは毎日でも食べたい! なんて言われて、それってプロポーズの時に使う言葉じゃない!? て、私も驚かされちゃって、逆に私までメロメロにさせられちゃった。

 キスしたいと思っていたら、頬についたケチャップを優一さんがぺろって舐めとってくれるたし……。

 もう! やっぱり、この人は、私をキュン死させる気満々なんじゃないかしら!

 どこまで好きになったら、いいのかしら………。

 これも、隷従化の影響のひとつだったりするのかしら………?

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