第38話 少女は少年に見つめてほしい。
「さあ、優一さん、せっかくのロイヤルスイートなんですから、まずは景色を堪能しましょうよ」
彼女は重い空気を払うように、ボクの手を取り、ベランダに向かって走る。
ベランダといっても、普通のマンションのようなせまい洗濯物しか干せないような広さではなく、そこで普通にパーティーでも開けそうな広さのあるベランダを走り、一番の眺望を楽しめる場所から海を望む。
照りつける陽光が、肌を刺すように降り注ぐ。
そして、目の前には真っ青な海が何も邪魔するものなく広がっている。
砂浜はホテル所有のプライベートビーチになっているのか、それほど人が多くなく、まばらに散らばっているように見える。
さすが、お金持ち御用達の一流リゾート施設の一角にある「アヴァン・クリスティン・ホテル」の最上階だ……。
「本当、いい景色ですね!」
千尋さんはニコリとボクのほうに微笑んでくれる。
これだけでも、ボクの気持ちは落ち着きそうだ。
敢えて、彼女のお父様のことは聞かない方がいいのだろう。とはいえ、結婚するとなると、やっぱり挨拶は必要なのだろうか……。その時、果たして認めてくれるのだろうか……。
ボクには様々な不安がよぎる。
「どうしたんですか? そんなときに不安な表情をするものじゃないですよ」
「え!? ボク、そんな表情してましたか?」
「ええ。せっかく、目の前にあなたの彼女である超絶美少女がいるんですから、私の顔を見てほしいですよ」
ぷぅっ! と頬を膨らませて、怒っている表情を見せつけてくる。
いや、怒ってるのかもしれない……けれども、それが可愛い……。
自分の中でも彼女に対する行為が、だんだんと確かなものになっているのはわかっている。
わかっているのに、どうして返事ができないのか、だって?
別にボクがヘタレだから、というわけではない。
むしろ、こう見えて、ボクは決断したことに関してはきちんと誠意をもって対応するタイプの人間だ。そんなところでいい加減なものを出したりなどしない。
では、なぜ、返事をしてあげれないのか……。それは自身の問題なんだ。
ボクは彼女にとって本当に価値のある人間なのだろうか……。
別にボクが彼女の勇者である必要はないと思う。でも、一緒に暮らしていくときに、なんでもかんでも彼女に助けてもらうようでは、ボクはいけないと思う。
時によっては、ボクが彼女の支えでありたい。
でも、今、ボクは付き合い始めてから、そのようなことは一切できた試しがなかった。
だからこそ、自分の中での答えが見いだせないままの状態になっていたのだ。
もちろん、彼女と相談すれば、その問題は彼女の一言が解決してくれるかもしれない……。なんてのは、甘い考えかもしれないが、こうやって一緒に住んでいて彼女を見ていると何だかそんなことをしてくれそうな気持がしてならない。
でも、それじゃあ、彼女の支えでありたいという自分とは相反する行動であることをボクは分かっている。
「すみません。ボク、色々と考えすぎちゃっていたみたいで」
「それはいけません。今回の旅行では、私のことを見ていてくださいね?」
「え? 普段から見てますよ」
「うっ……。そ、それは分かっていますけど、普段とは違う私ってのも見てほしいんです!」
千尋さんはそういうと、プイッとそっぽ向いてしまう。
恥ずかしがっているのだろうか……。少し耳が赤くなっているので伝わってくる。
「でも、本当に綺麗な景色ですね」
ボクは遠くの景色を見る。
手前からだんだんと濃紺に変わっていく海の色。
その色は空の青と同じで、綺麗であった。
そっと耳に奏でる潮騒は夏の到来をボクらに訴えてくれているような気がする。
「こんなところに恋人と二人きりなんてどうですか?」
「もちろん、最高だよ!」
「えへへ。実は私も最高に嬉しいです!」
そういって、彼女はボクをぎゅっと抱きしめてくる。
攻撃的な双丘が再び、ボクの性欲に向けて攻撃してくる。
いや、彼女はそんなつもりではないのだろうけれど、ボクはその感触に驚いてしまう。
「こんな景色のいいところで、二人きりとか嬉しいです」
「ボクもです」
彼女はサッとポケットからスマートフォンを取り出すと、インナーカメラを起動する。
枠内にボクら二人を収めるようにして、
「そうだ。記念に写真でも撮りましょうか! ここ、インスタ映えしそうですし!」
インスタ映えの前に、こんな場所、普通の人じゃあ、泊まれないからその時点ですごい場所で撮っていることは間違いないのだが……。
彼女は画面のアイコンを押し、撮影を始める。
あれ? これって写真じゃなくて動画?
「…………あの?」
ボクがそれを指摘しようとした瞬間。
チュゥゥゥッ♡
彼女はボクの方に顔を向けて、そのままボクの唇を奪う。
ボクは驚きつつ、彼女の子を見つめる。
彼女は少し頬を朱に染めながら、唇を重ねたまま数秒、離そうとしない。
そして、自分の中ではすごく長かったキスが終わり、彼女が名残惜しそうに唇を離すと、
「好きです。優一さん」
彼女の瞳はボクの心を鷲掴みしてくるような甘えたものだった。
「ボクもです」
ボクは思わず応えていた。
無意識に返事をしていた。でも、それが本心だと思う。
「きゃっ! 嬉しいです! 優一さんからもお返事いただけるなんて」
彼女は嬉しそうにアイコンを押して、動画を保存する。
そのままスマートフォンをポケットに入れる。
ボクは逆にそんな無防備な彼女を抱きしめる。
「ゆ、優一さん!?」
「ち、千尋さん、ボクは今回の旅行でひとつの答えを見つけようと思っています。だから、お返事は必ず明日、しますね」
「は、はい…………」
ボクの決意の表明に彼女はただ頷くしかなかった。
そんな彼女の体温が少し、上がっているようにボクは感じた。
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