上京 状況
リゲルはカート付きの旅行鞄なんか持っていない。修学旅行のときに使った大きなスポーツバッグに着替えと歯磨きセットとシャンプーセットを入れて、自転車で一時間かけて駅に向かい、そこから更に一時間かけて新幹線の通る駅に辿り着いたのだった。
よって、彼が到着した頃にはすっかりと夜になっていた。
「さて。どこに泊まろう」
インターネットカフェによると、都会では最低限の準備さえしていれば、そのままインターネットカフェで泊まれるらしい。
そう思いながらどこにインターネットカフェがあるか探さないといけないと、駅の周りを見ていたところで。
【スターダストフェスティバル反対! 非道な行事を許すな!】
【スターダストフェスティバルメンバー募集中! 助けて!】
【スターダストフェスティバル観客用ホテルはここ☆】
そこもかしこも、スターダストフェスティバル一色だった。
「そういえば、今週中にはじまるのに、どこで参加者集めてるのか知らないや。どこかで聞けばいいのかな」
いくらなんでも暢気過ぎるリゲルだが、そもそも参加したくてわざわざ荷物まとめて上京してきたのだから、やる気があるだけまだマシなのか。
そう思って荷物を持ってうろついていたら。
「おい、こんなところでなにやってる? まさか脱走者か?」
ピリリとした声が響く。リゲルは怪訝に思っていたが、肩を叩かれた。
「お前だ、お前。どこの事務所所属だ? 既に祭典ははじまってるんだ。エントリーしたなら」
「えっ? スターダストフェスティバルのエントリーって、できるの? やり方知らなくって、このまま来ちゃったから!」
リゲルは嬉々として振り返ったら、ものすごい顔面偏差値の少年が、少し驚いたように目を瞬かせてこちらを見ていた。
前に地元のショッピングモールで見た生のアイドルたちもオーラが違ったが、こちらはそれの群を抜いているように思えた。
ふわふわしたリゲルの髪と違い、癖のないつるりとした黒髪に、涼しげな目元。唇も鼻も綺麗な筋を描いていて、美術の時間に写生した像を思わせた。
「お前……参加者じゃないのか? まさか、どこの事務所にも所属してなくって?」
「本当! 今日上京してきたからさ! でもまさか上京してきて早々に参加者に会えるなんて思ってもみなかったよ! ねえ、どうやったらスターダストフェスティバルに参加できるの? どこでエントリーすればいいのかな? あ、なんか参加者募集っていうチラシをあっちこっちで見るんだけど、君のいる事務所もなのかな?」
リゲルは矢継ぎ早に質問攻めにするが、この黒髪の少年はますますばつの悪い顔になって、腰も引けてきていた。
「……すまん。間違えた。上京してきたばかりで、参加者ではなかったんだな。よかった……」
「ええ? 参加者じゃないってなにが? オレ、これに参加するために上京してきたのに! ネットを見たけど、参加方法だけはよくわからなかったんだよ」
「悪いことは言わん」
リゲルのぺらぺらとしゃべる口を、アヒルのくちばしを掴む要領で、グニニと少年は掴みかかる。
「大人しくなにも知らず、なにも聞かずに帰れ。スターダストフェスティバルは……世間一般が紹介しているような、そんな生やさしい行事じゃない」
「えー? なにそれ。事務所に所属してないと、参加すらしちゃいけないの? なら、事務所を紹介してよ」
「やめろ!」
途端にビシャンと大声を上げられる。思わずリゲルも退く。
「……すまん。このことはあんまり公には言えないんだ。ただ、本当に悪いことは言わん。参加なんて危ないことは考えず、大人しく帰れ」
「そう言われてもさ。オレ、ここに来るのに半日かかったんだよ? 今から泊まるところ探そうと思ってるんだけど、ネットカフェとか知らない?」
「……そう言われても、今はスターダストフェスティバルの観客たちによって、ホテルというホテルはひと月前には全て完売しているし、この時間じゃ既にネットカフェも満席で空いてないと思うぞ?」
「えっ!? そうなの!?」
「というより、本当になにも知らないでここまで来たんだな!? 東京じゃ、大型イベントの前後は宿という宿は早めに埋まるから、それよりひと月以上前から予約して確保しているのが一般的だ。なにも考えずに弾丸旅行なんて、考えないほうが」
「えー……じゃあ、駅で朝になるまでベンチ借りてるー……」
リゲルはとぼとぼと元来た道を帰ろうとするのに、少年は心底深い溜息をついた。
どうも、リゲルにいきなり高圧的に声をかけてきた割には、面倒見がいいタイプの人間らしい。
「事務所の所長に話を付ける」
「ええっ!? 参加させてくれるの!?」
「勘違いするな! 事務所の一室で泊まらせられないか交渉するだけだ! お前をひとりで駅に放置して、誘拐事件なんて起こったら後味が悪い」
「ええ? オレ男だよ? 労働力にはなるかもだけど、親だっていないし、誘拐しても旨味なんてないよ?」
「さらりとそういうこと言ってくれるなよ……しかも親がいないって余計にまずい。お前は本当になにも知らないから、そういうことを言ってられるんだ」
そう言って、スタスタと歩きはじめた。
口うるさいタイプで、クラスの学級委員を思い出させた。しかし、学級委員と同じく根は善良のようだ。
「そういや、君。名前は? オレは
「……
「そっかー。よろしくー」
そのままシリウスの案内で、事務所へと向かっていった。
リゲルの町は、夜になったら真っ暗だ。民家だってそこそこ距離を置いてポツンポツンと立っているのだから、どれだけ灯りが漏れても暗くなるのだが。
東京は夜になっても賑やかで、ビルも車の灯りを受けてきらめいている。なかなか完全な暗闇には落ちないらしい。
****
駅からしばらく歩いた先。
何度も何度も角を回って、どのビルがどのビルかわからずリゲルが目を回したところで。
「ついたぞ」
そう言われて大きなビルの前に立ち、思わずリゲルは「ひゃっ!」と声を上げた。
「事務所って、こんなに大きいの!?」
「勘違いするな。自社ビルを持っているのは大手事務所だ。うちはそんな金はない」
「で、でも……」
「ほら」
そう言って指を差した先。
【21F:望月サービス】
【20F:土井健康クリニック】
「テナントを一フロア間借りしているんだ。うちはオリオンプロダクション、通称オリプロ。一番安い2Fだよ。ほら行くぞ」
「え、うん!」
シリウスは慣れた手つきで裏口をカードキーで開錠し、リゲルを連れて階段を通っていく。
「エレベーター使わないの?」
「あれは高層フロアしか通ってないんだ。うちみたいな階段昇ってすぐのところは通過されるんだよ。ほらここ」
ビルの見た目はそこまで汚くもないが、2Fに到着すると、そこそこ人の気配もあり、なんとなくきちゃない雰囲気がする。
シリウスは勝手知ったる顔で「所長、所長。話がある!」と声をかけはじめた。
「あらシリウスくん。スタフェスの偵察に行くなんて息巻いてたけど……収穫はあったのかしら?」
「迷子を拾った。宿が取れなかったボンクラだ。泊めてやれないか?」
「うちは託児所じゃないんだけどなあ」
そう苦笑した声を漏らして顔を出してきたのは、肩までの髪を丁寧に切り揃えた、黒いスーツの女性であった。そしてその女性は、リゲルを見た瞬間、目をパチリと瞬かせた。
「君……本当に参加者ではなくて?」
「ええ? うん。今日上京してきました! 源リゲルです!」
「まあ……」
所長と呼ばれた女性は、リゲルとシリウスを交互に見比べた。
シリウスは溜息をついた。
「……俺が拾ってきた理由をわかってくれたか?」
「……そうね。外に泊まってちゃ危険だわ。ここのフロア内なら、一室どこを使ってもいいから泊まって頂戴」
「ありがとうございます!」
女性がいそいそと「寝具の予備どこにあったかしら」と立ち去る中、リゲルは首を捻った。
「都会って、野宿の心配をそこまでするところだったの?」
「違う……いや、なんでもない」
シリウスは腕を組んでどことなくイライラしていたが、それの理由がなんなのか、リゲルにはちっともわからなかった。
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