第140話 異空間

セシリア視点


呪文の詠唱は無事に終了した。

あとはその手でクリスタルに触れるだけ、それでこの世界からアトム神様は自分諸共消えてしまう。


今更になって、自分のこの選択が正しいのかどうか分からなくなり恐怖した。

もし間違っていれば私は異空間い閉じ込められ、アトム神様もこの世界から永遠に消えてしまう。

もちろん大司教の事も止められずに、この世界は崩壊するだろう。

今よりももっと最悪の状況だ。

冷や汗が流れ、手がブルブルと震えた。


色んな事が走馬灯の様に頭の中を流れる。

こんなピンチの中でも、頭の中で一番鮮明に浮かんでくるのはタクトとの思い出だ。


あいつが孤児院に始めてきた日、大聖堂に初めて忍び込んできた日、一緒に修行した日、くだらない事で喧嘩した日、次の日には全て忘れて遊びまわったその日。

全てが私の宝物だと改めて感じた。


いつの間にか私の中から恐怖は消え去っていた。

もう手の震えはない。


「……悔しいけどタクト、あなたがいないと私まだダメダメだ。でもあなたがいれば……何だってできる気がする!」


私はそう独言、禁術を発動させるため、クリスタルに触れた。


その瞬間だ。

私の視界は一瞬で真っ暗になる。


術が無事発動したのだと理解した。


真っ暗になったと言うよりは、視界そのものが奪われたような感覚だ。

……これが、異空間。


視界だけではない。


音も消えた。


匂いも消えた。


(ああ、本当に私、異空間に飛ばされたんだ)


だって声まで出せなくなっている。


こんな世界があるなんて……。


思考のみが体の中を渦巻く。


うまく呼吸ができない。

まるで水の中にいるかのような苦しさだ。

さらには手も足も動かせなくて、苦しいと足掻くこともできない。


どうやら身体のありとあらゆる感覚がなくなってしまったようだ。

私はこの世界では無力だった。


私を襲った悲劇は、体の感覚がなくなっただけにとどまらない。


全ての感覚を奪われ、鋭敏になった私の心に、この世のありとあらゆる不快な感情が刺すように流れ込んできた。


思わず体の中の物を全て吐き出してしまいたくなるような不快な嗚咽を感じるのに、当の体は身動ぎ一つできずにただただ不快を受け入れるばかりだった。


いっそ気絶して意識を失ってしまえばと思ったのだが、不思議なことに意識は必要以上に覚醒し、休むことを許してくれない。


(こんなの……まるで地獄……)


こんな所に一生封じ込められるなんて恐ろしい魔法だ。


きっと私と一緒にアトム神様もこの世界にいるはず。

本当に大丈夫なの?アトム神様……どうかご無事で……。


………


……



セシリアの言うとおり、アトム神の閉じ込められたクリスタルは一緒にこの異空間に飛ばされていた。

相変わらずクリスタルの中のアトム神は身じろぎ一つせず変化はない、そう思われたが。


その瞼が微かに動いた。

そうかと思えばすぐ次に体がぴくりと動き、アトム神は「うーん」と狭いクリスタルの中でめいいっぱい体を伸ばしてみた。


「ああ、あの不浄なモノとのリンクがやっと切れたか。これで動けるな。数十年ぶりか」


異世界の特性を無視し、アトム神は自由に動き回る。

さすがは神と言ったところだろう。


そして忌々しそうに自分を閉じ込めているクリスタルを見つめ、それに手を触れる。


「こんな不浄なものの中に、わらわを閉じ込めおって。絶対に許さんぞ」


そうアトム神が言うと、特段力を入れた気配もないのに、強靭なクリスタルは「パーン」と音をたて、粉々に崩れ去った。


アトム神様は同じく異世界にいるセシリアの方を見る。


「全て理解した。今わらわが動けるのはそちのおかげじゃな。褒美を使わそう。何でも言ってみよ」


しかし異次元の中にいるセシリアには苦痛が流れ続けるだけであり、アトム神の言葉も聞き取ることはできないし、無論話すこともできない。


「……ああ、そうか。ここでは人は話すこともできんのか……なら」


アトム神が身体から眩い光を放つ。


「戻るかのう、あの世界に。わらわを閉じ込めたあやつにも、たっぷりとお礼をせねばなるまいし」


そう言うとアトム神から放たれる光はセシリアを覆ったかと思うと、一瞬で消え失せてしまった。


もう異世界にアトム神もセシリアもその姿は残っていなかった。


………


……



想像を絶する不快な感情の中に、急に暖かな光が飛び込んで来た感覚がした。


私はその光の中に包み込まれた途端、苦痛から解放され、ほっとして気を失ってしまった。


どれくらいの時間が経ったのか分からない。

しかし私はひんやりとした感触に意識を取り戻す。


「う、うう」


……あれ?

最初に思ったのは、「声が出ている!」

という感覚だった。


そして背中にはゴツゴツとした石の感触……。


私はガバリと体を起こした。


「ここは……大聖堂の……実験室……あれは……夢?」


いや、そんなはずはない。

禁術は成功したはずだ。

それに異世界で感じたあの地獄のような苦しみが、夢で片付けられるはずはない。


私はいつの間にか、クリスタルのあったはずのあの部屋で倒れていたのだ。

クリスタルのあった場所に目をやると、そこにはもう何もない。


「や、やったんだ……私……」


これでおそらく大司教のスキルが失われる!

あとは母さんとタクトに加勢してやつを倒すだけだ!


私は残りの気力を振り絞って立ち上がった。


その瞬間……


ガグン


と大きく地面が揺れた。

かと思うと床が90度に角度を変え、部屋の中の物がガタガタと崩れ落ちた。


「な、なんで?」


突然のできごとに、パニックになったが、すぐに理由が分かった。


「……そ、そうだ!大司教のスキルが消えたから、『浮遊』のスキルも解除されたんだ!この大聖堂は……間も無く地上に落ちる!」


私が思った通り、大聖堂がゆっくりと落下していくのを感じた。


「こんな大きな物が落ちたら、この辺り一体はとんでもないことになる!速く止めなきゃ!!」


私は体に高速移動の呪文をかけ、慌てて母さんとタクトのいる所に向かい、駆け出した。

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