第11話 偽物譚(両性愛者たちが、本物のLGBTとは何か内省する話)

 名和氏自身は、利府出身で、本人曰く、若いころはルンペンをやっていたとのこと。ご両親は町役場勤め。名和青年は、このご両親に似て、もともとは地味かつ堅実な人柄だったそう。それが何を間違ったか、高校の頃からグレ、しばらくはフリーター生活をしていた、とのこと。実家に「寄生」しながら仙台市内の職場を点々とし、最後はNHKの集金人をやっていたらしい。30過ぎても定職につかない息子のことを心配し、役場からのツテをたどって、名和氏両親は幡野代議士に行きついた。名和氏は、どんなに説得されてもノラリクラリと言い訳して、せっかく紹介してもらったお堅い仕事もフイにした、という。そんなヤング名和氏を見ていた幡野代議士の解決案は、明快だった。

「しっかりと尻を叩いてくれる嫁をもらえばいい」

 かくして、幡野代議士がセッティングしてくれた見合いに、名和氏は「連行」された。

 相手は10歳も年上のバツイチ女性で、すでに3人の子持ちだった。「しっかりしている」ことは折紙付きという女性で、前夫さんも、あまりのカカア天下ぶりにイヤ気がさして、出ていったのだという。

 今ここで、仮に彼女の名前を「嫁子」さんとしておこう。

 嫁子さんのお父上は、この松島町の旧家で、コメ作りをしている傍ら、県農協のお偉いさんをしている有力者だった。出戻り娘を出戻ったまんまにしておいては……正確には、婿を追い出したまんまにしておいては、田舎では体裁が悪いということで、それなりに「かっこうのつく」婿を探していた、とのこと。ヤング名和氏の場合、定職につかずにノラリクラリしているところの一抹の不安はあったものの、何より両親は町役場勤めで、顔くらいは見知っている間柄だったし、県議が紹介してくれたという安心感もある。県議側にしても、農協有力者に恩を売り、どんな結婚相談所でも持て余しそうな2人をくっつけられれば、ラッキーだという思惑があったのだろう。名和青年は、当然乗り気ではなかったけれど、嫁子さんのほうが彼を気に入り、周囲が……町役場のご両親や農協の舅さん、そして県議が、陰に陽に外堀を埋めていったお陰で、1年半の交際ののち、祝言を挙げたそうな。義父の紹介で、婿入り当初は農協勤めをしていた名和氏だけれど、やがて、職場でも家庭でも、義実家の言いなりになる生活に、イヤ気がさしてきたらしい。名和氏は幡野代議士に泣きつき、幡野代議士は自分の第三秘書という立場をあてがった。舅さんは、婿さんが農協という安定的かつ実入りのいい職場を放棄し、さらに自分の部下という立場から離れることに難色を示した。これを翻意させたのは、ひとえに「将来は代議士間違いなし」という、県議の太鼓判があったからに、他ならない。

「……酒の席で、あんまり突っ込んで聞くことじゃないんでしょうけど、いきなり立候補って言われたりすると、やっぱり聞きたくなっちゃいますよ」

「言いたいことは分かりますよ、沖田さん」

「来月の町議選って……松島のほうでってことですよね、名和さん」

「そうですよ」

 名和氏が花束の会事務局に就任したのは、義実家の影響から逃れるための努力の一環だった。松島町内のみならず、近隣のありとあらゆる商工団体に顔のきく舅さんが、唯一知らなかったのが、このLGBT団体だったのである。事務局を利府に、と決めたのも、実は名和氏自身だったそうな。これも実は将来を見据えて……利府町のほうで立候補するつもりだったからという。

「……松島は観光地で有名なんで、ものすごく都市化しているイメージがありますけど、その実、そうじゃない。観光地じゃない松島は純然たる農漁村で、大崎平野に至るコメ作地帯です。そう、ウチの舅さんもその一人ですが。当然高齢化率も高い。昨今の調査では、高齢化率宮城県で6番目。こういう町で選挙を闘うためには、どうすべきか知ってますか? 主義主張はあまり必要じゃない。というか、LGBTなんていう、あまりに新しい過ぎる、とんがった政治団体は好まれない。とことん地縁血縁に頼った、どぶ板選挙が最高なんですよ」

「名和さん。その口ぶりだと、今までやってきたことが、無駄になったと?」

「……そうまでは言いませんが……マンパワーが必要になったときは、大いに役立ってくれるでしょうし。ポスター張りとか。でもですねえ」

 利府のほうは、松島とは対照的に進歩的な考え方をする住人が多いらしい。

 単に仙台のベッドタウンというだけでなく、富谷市と並んで高級住宅地と位置づけられているからだ。都会人タイプのインテリが少なからずいる町なのである。LGBT団体の事務局をやっていた、という名和氏の経歴が、ちゃんとセールスポイントになる、数少ない町なのである。そもそも花束の会をはじめてとして、LGBTの人も、少なからず在住している。

「自分的には、義実家に全く頼らなくとも、選挙を闘えるはずだったのに……」

 名和氏が将来、代議士になるだろうと言うのは、彼が第三秘書になってから再三言われて来たことで、小学校中学校の同窓生同級生たちが、応援してくれると言っていた。両親を通して、役場職員だの実家のご近所さんだの、投票を確約してくれるシンパの人たちも、少なからずいたのに……。

「選挙活動の第一歩は、利府の町中をぐるりとまわって、お詫び行脚かなあ」

 利府で出馬しないとなれば、出ないなりに義理を通しにいかねばならない。

「義実家の影響を逃れるために、県議の秘書になって立候補するつもりだったのに。いつの間にか、結局、全面的に義実家頼みになるなんて、いったい自分は何をしているんでしょう」

「人生、そういうもんですよ、名和さん」


 この、松島磯崎事務所開きから、3日後のこと。

 名和氏の選挙に伴う、花束の会の臨時人事が、幡野代議士から発表された。

「選挙期間中の事務局運営は、バイグループで。選挙の直接の助っ人は、ビアンとゲイグループで。トランスは、引っ越しに伴う実務の続き」

 写真館に送られてきたメールを見て、杉田と瀬川が露骨に喜んだ。

「もう、雑巾がけとか、消毒とか、しなくて済むのね」

 名和氏の代わりに運営と聞いて、一番警戒をしたのが、マサキである。

「バイグループって言ったって、普段から顔を見せない面子の人たちが、手伝ってくれるわけじゃないですよね。実質、姉さんたちがやることになるんじゃ」

「そうかもね」

「なら、せめて石巻でやってくれれば、いいのに」

 4人で話をしているところに、早速臨時事務局の仕事が、舞い込む。

 トランスグループの原弥生から、メールでの問い合わせである。

「引っ越しに伴って、テーブルだの椅子だのを、買い換えたいです。利府事務所で使っていたのは、随分と年季が入ったものだし、魚屋さんの居抜きを利用する関係上、この特殊な建物の部屋の形に合せて、少し小ぶりな椅子なんかが、必要です」

 そういえば、会計そのものはビアングループが引受ていたのだけれど、この手の許可は事務局で、すべてやっていたのだろうか?

「予算とか貯金とか、どうなっているのか、ビアングループと連絡調整のうえ、返事するよ、原くん」

 そして沖田は、続けてビアンの森下さんに連絡をとった。

 彼女は彼女たちで、もう既に、忙しいらしい。

「実は、会計の実務、天野さんに全面的に任せていたのよ、沖田くん。だから、私たちも、彼女の引責辞任が決まってから、ようやく勉強しはじめたところなのよ」

 幡野代議士の言いつけで、ビアングループは直接名和氏の手伝いを仰せつかっていることでもある。決起集会と称したミニ集会を既に一度ずつ、手樽と愛宕で開催したそうで、ビアンの面々は、受付嬢だのお茶くみだの、伝統的に「女の仕事」とされる雑務を押しつけられているという。森下さんは沖田の相談を話半分に聞き流し、自分たちの不満……選挙が始まる前から、ボイコットしたいという意向を、ダラダラと語った。

「それは、ビアンとしての不満じゃなく、森下さんの女性権利運動家としての不満じゃ?」

「どっちでもいーでしょ。とにかく、イヤなもんは、イヤなの」

 これが利府での立候補なら、義実家頼みの選挙でなく、花束の会のLGBTらしさを全面的に押し出すべく、トランスグループの誰かとかゲイの誰かとか、お茶くみをしていたのかもしれない。

「例の、お嫁さんの実家からの援助は?」

「お金の話までは、知らないわ。名和さんのほかにも、農協がらみで立候補者がいるみたいで……というか、10年前まで農協職員をしていた現役町議さんがいるみたいで、その現役議員さんと、どういうふうに農協票を案配するか、話し合っている、とか聞いた」

「ゲイグループの人たちは、どうしてます?」

「町の自営業者さんたちのところを、回ってくるようにって、駆り出されているって話。観光地にあるホテルとかは、舅さん。観光地でない農村部は、親戚一同。どちらでもない商店街……煙草屋さんに畳屋さん、石屋さんやタイヤ屋さんなんかを、口説いてまわれって言われているみたいね」

「たかだか人口一万三千の町の選挙で、浮動票なんてもの、あるんですかね」

「さあ。知らないわ」

 投げやりながら……渋々ながら、選挙活動にいそしむ花束の会の面々に、冷や水を浴びせるような暴露があった。

 曰く。

 名和氏は、LGBTの人じゃない。


 LGBTの人が、自分の性癖を暴露することを、アウティングというけれど、この名和氏の場合は、何と呼べばいいんだろう? そもそもノンケの人がノンケであるという事実を周知させられるということを、「暴露」と呼ぶのは、おかしい気もする。


 名和氏の、この名和氏なりの「秘密」を漏らしたのは、嫁子さんだった。

 選挙公示があれば、選対事務所にする予定だという義実家別宅で、花束の会の面々は、嫁子さんから直々の労りを受けていた。

 別宅と言っても、普通の民家ではない。

 間口二間もある広い玄関に、二十畳敷きの大広間がついている、変則的間取りだ。宴会場か結婚式場か、とゲイの助っ人さんが尋ねると、田植え時や稲刈り時といった繁忙期用だという。「昔は、大量のアルバイトさんを頼んで、人海戦術で農作業をしたから」。今では、自分たちでイチイチ全部差配する代わりに、「小作」会社を頼んでしまうことも多いという。

 収穫したコメを現金に換えて、最終的に振込で済ますところもあるそうだけれど、名和氏義実家では、コメ現物で受取っているという。

「コメくらいは、自分の田んぼでとれたものを食べたいでしょうが」

 今まで名和氏を事務屋さんとしてしか見て来なかった花束の会の面々にとって、名和氏が妻帯していることも初耳だったし、過去の農協勤めの話も新鮮味があったそうな。奥さんは事前情報通り、10歳年上の出戻りだったけれど、さらに名和氏との間に3人の子どもをもうけ、子沢山であることも、教えてもらった。

 昼食は、その自慢のコメで炊いたオニギリで、真昼間でみんな車で来ているというのに、酒も出た。そして、逆に奥さんが根掘り葉掘り花束の会のことを質問してきたところで、名和氏がLGBTの人でない、という事実が判明したというわけだ。

 奥さんは、ここのところ正直で、「最初、旦那がホモの会の世話役を引き受けるって聞いたとき、気持ち悪くて仕方なかった」と言う。「旦那にまでホモがうつったら、どーする?」と心配もしたし、「このことで子どもたちがイジメにあったら」「近所の村八分にあったら」「父親の、農協での出世が止まったら」……と気が気でなかったそうな。その父親のほうは、ホモの寄合所帯と聞いても、どんな団体かピンと来なかったようで、それより婿の紹介をしてくれた県議の勧める職場である、ということだけで無条件に信用してしまったようだ、という。

 LGBT団体の手を借りしておいて、「ホモの団体、気持ち悪い」もあったもんじゃない……とみんな、鼻白んだそうだけれど、奥さんの話には、ちゃんと続きがあった。

 曰く、農協職員をしていた時分より、名和氏がイキイキと働きだしたこと。県議秘書という立場のせいか、幡野代議士以外の偉い人……他の県議や町議さんたちも面識ができたこと。何より、LGBTの人たちが、性癖以外は、ごく普通の人たちであると分かったこと。

 いい勉強になったし、世界が広がった……と晴れ晴れした顔で、嫁子さんは話を〆た。

 みんな、車で来ていたから、アルコールは遠慮していたのだけれど、1人だけ仲間のに便乗してきた人がいて、手酌でチビチビ飲みながら、何気なく質問したそうな。

「名和さんは、バイの人なんですか?」

 LGBTのうち、普段から普通の恰好をして妻帯しているわけだから、これは当たり前の類推だろう。嫁子さんは、鼻で笑って言った。

「まさか。そんなわけ、ないでしょ」

 花束の会の規約には、会員はLGBTであるべし……という一文がある。けれど、その世話役まで、そうである必要はない?

「沖田さんたちと、仲が良かったからつい……」

「ウチの旦那に、そういう趣味はないって、何度も言ってますでしょーが」

 ……と、こういう会話があったという。

 つまり、名和氏はLGBTの人じゃない。

 ちょうど昼食の時間が終わるタイミングだったから、この名和氏の「アウティング」に、これ以上のツッコミを入れる人はいなかった。午後三時に助っ人部隊が解散になり、三々五々帰途につく途中で、名和氏の「隠ぺい」に対する不満が爆発した。まっすぐ帰ろうする沖田は、森下さん、片桐氏、そして原弥生といった幹部連中に誘われた。観光地のほうに松島……海岸部観光地で変わり種アイスクリームを食べていくことになったのである。

 名和氏の件を、最も怒っていたのは、ビアングループの森下さんである。

「これはひどい裏切りだ」とグチグチ愚痴が止まらない。

 花束の会の面々は、LGBTの議員が誕生するかもしれない……とワクワクしながら、選挙活動のお手伝いをしていたわけで、それが単なるシンパのノンケ男性では、がっかりするというわけだ。ゲイの片桐氏は、大人の対応……というか、名和氏をかばう側に回った。「今までも専従の事務局として、さんざん世話になってきたのだから、LGBTの人でないしても、応援するのは当然だ」と譲らない。

 森下さんは、即座に反論した。

 名和氏は専属として唯一給料が支払われていたのだから、一生懸命世話をするのは当然だろう、と。それに、今まで名和氏がLGBTの人でないという事実を隠してきたのは、悔しくないのか、と。

 2人の意見はどこまでいっても平行線のままで、とばっちりは沖田に来た。

 あなたは、どちらの味方なのか、と。

 沖田は、話し合いの真っ最中にいながら、全く別のことを考えていた。

「LGBTの偽装結婚がバレたとき、ノンケの人たちが悔しい思いをしたって言ってましたけれど、こういう感情なんですかねえ」

 バイグループでは、少なくとも沖田がバイ統轄になってからは、偽装結婚のお世話になった人はいない。ゆえに、これは単なる何気ない感想なのだけれど、ビアンとゲイの統轄の森下さん・片桐氏には心当たりが大いにあるわけで、考えこんでしまった。

 沖田は、もう一人の参加者、原弥生に発言を促す。

「僕も、あんまり協力したく、ないですね」

 森下さんが、名和氏その人に対して不信感を抱いていたのとは違い、原弥生は、嫁子さんを気にしていた。

 沖田は、ちょっと聞いてみる。

「嫁子さん。お昼時に、自分から後悔していたでしょう。確かに最初は無知で、LGBTを毛嫌いしてたって。でも、その後、実際に花束の会会員とつきあってみて、極々普通の人たちだと、分かったって」

「違いますよ、沖田さん。あの奥さん……嫁子さん、懺悔はしても、後悔はしない人ですよ」

「そうかなあ」

「子どもたちの態度を見ていれば、分かります」

 トランスグループは、選挙の直接手伝いを命じられていたわけではない。けれど、名和氏の遠縁の会員がいて、彼……彼女は例外だった。みんなが活動で出払っている間、頼まれて留守番兼子守をしていた、とのこと。

 6人の子どもは、一番上が中学二年生で、部活動で帰りが遅くなると言っていたので、残り5人の面倒をみた。彼……彼女がLGBTの人であることは予め告げていたはずなのだけれど、前もって、子どもたちへの「根回し」はなかったようなのだ。子どもたちは「大人の事情」に忖度することなく、「うわあ。オカマじゃん。キシょーい」「近づいたら、防犯ブザーを鳴らすかんね」「ママ、助けてえ」……等々、言いたい放題だったという。唯一差別的な言動をしなかった2歳半の末っ子が、彼の膝の上に乗ろうとして近づいてきてくれたのだけれど、小4のお姉ちゃんがさっさと抱き上げて、これ見よがしに舌打ち一つして、部屋を出ていった。

「嫁子さん、子どもたちだけになったときには、多分、色々と本音を言い聞かせているんでしょう。ホモは気持ち悪いとか、オカマは醜い、とか、2人っきりになっちゃダメ、とか」

 森下さんが、原弥生の言葉を引き取って、言う。

「じゃあ、私たちは、LGBT差別主義者の旦那さんのために、働いているってこと?」

 片桐氏が、再び森下さんをたしなめる。

「そんな言い方はないだろう、森下くん」

 沖田は2つ目のソフトクリームを頼む。一本目は抹茶だったので、今度はイチゴのヤツだ。

「なんか、結論出ませんね」

 原弥生がすかさず、言う。

「これ、何か結論を出すための会合たったんですか? 僕、単なるグチの言い合いだと思ってた」

 まあ、確かに愚痴の言い合いではある。

 森下さんは、選挙活動から降りたがっていたし、片桐氏は、名和氏への義理立てにこだわり続けた。

 沖田としては、こんなヒマつぶしはさっさと切り上げて、石巻に帰りたかった。このところ、プライベートな時間のほとんどを、花束の会の仕事に食いつぶされている。単純に、家でゴロゴロする時間が欲しいのだ。けれど、せっかく各グループ統轄が一堂に会している。話合いを長引かせるのは本意でないけれど、沖田としては、一つ、確認しておきたいことがあった。

「選挙後の名和氏の処遇です。勝つにしても、負けるにしても」

 原弥生がキョトンとして言う。

「勝ったら、議員さんでしょう。当然、花束の会事務局は辞任するんじゃ」

「どこの町議でも一緒でしょうけど、ここ松島町の町議のお給料も、そんな高いもんじゃありません」

 年金をもらってない名和氏が、何か副業をするというのは、自然な話であって、ある程度自分の都合で仕事のできる花束の会事務局を続ける、というのはありそうな話なのだ。

「落選した場合も同じですけど、もうLGBTの人じゃないって分かった名和さんを、みなさん、これまで通りすんなり受け入れてくれるかなって、問題もあります」

 もし、名和氏が辞任するとなると、現有会員から後任候補を選ぶことになる。

 沖田なら、ビアンの高等遊民、森下さんを推す。今回の事務局留守番も、ビアングループに頼めばよかったのに、わざわざ沖田たちバイを指名してきたのは、名和氏の居場所をキープしておくための、幡野代議士の深謀遠慮に思えて、ならないのだ。

「結局、私たち、幡野センセイの手のひらで踊らされているけってわけね」

 片桐氏は、森下さんを慰める。

「ボヤいたって、始まらんよ。幡野センセイが、花束の会を利用するなら、逆に、こちらも幡野センセイを利用してやる、くらいの気持ちでいけばいいだけだ」

「名和さんみたいなこと、言うのね」

 名和氏の後任を、花束の会から選出しようと、幡野代議士が、新たな秘書を送り込んでこようと、県議の権力の傘の下にいる、という状況は変わらないということだ。

「また、この結論ですか。もう、飽きた」

 沖田の一言で、ようやく、この「愚痴会合」は解散することになった。

 花束の会が存在する限り、未来永劫続きそうな政治論議だけれど、いざ、町議選が始まってみると、変化が生じた。

 政治的独立……こんな言い方をするのはヘンだけれど、要するに、幡野代議士からの独り立ちのチャンスだ。


 元県議の細井氏は、宮城郡を地盤にする保守党の重鎮で、自他ともに認める幡野代議士のライバルである。細井元県議にも、子飼いの町議が何人かいて、当然、この松島町でも選挙戦を繰り広げていた。目の上のタンコブ、幡野代議士の秘書ということで、名和氏も彼の目の敵にされていたのは、言うまでもない。

 細井元県議が、名和氏攻撃ついでに、花束の会への誹謗中傷をするのは、ある意味当然だったかもしれない。彼の運動員が、ゲイグループの立ち回り先……畳屋さんやタイヤ屋さんにも押しかけてきて、「ホモ」「見境なく男を襲う」「子どももホモになる」等々、ステレオタイプな悪口を言って回っていた。

 ゲイグループは、前述の通り、浮動票を稼ぐための「ドサまわり」をしていたものだから、目の前で悪口されることも、あった。そしてLGBTに対する誹謗中傷のはずなのに、なぜかゲイを狙い撃ちするような悪口ばかり、聞かされている、という。

 花束の会を始めて以来、この手の嫌がらせは今さらで、LGBTの人間なら一度は経験するところだから、今さらではある。

 しかし、だ。

「味方から、後ろから撃たれる」。

 一緒に選挙運動している名和氏義実家の面々が……主に嫁子さんや舅さんが、花束の会会員について、あることないこと、しゃべっていたのである。

 悪意は決してないとは、思うのだ。

 日本人の習性……というか東北人の社交辞令みたいなものなのだろう。身内をけなすというか、下に見るというか、謙遜の一種で、花束の会会員の悪口を言う。自分の子どもを紹介するときに「未熟者で」と言ったり、自分の親をケナして「ボケが始まってるんだ」とか言う……そう、そんな感じなのだ。しかし、LGBT以外の人間をクサすときには、そのキャラクター全般をイジるのに、当事者が性的少数者となると、そこんところばかりアゲつらうのは、なぜだろう……。

 嫁子さんたちにしてみれば、この悪口も「親愛の情」であって、「身内扱い」してあげてるんだから、逆に感謝しなさい、というところらしい。


 悪口を真に受けた畳屋さんやタイヤ屋さんが、嫁子さんの親戚たちに、この嫌悪感をフィードバックしてくる。「男と見れば見境なく粉をかけてくるような野郎たちなんだから、早めに切ったほうがいいよ」と。

 敵から悪口され嫌がらせされる分には、せせら笑って無視するだけの会員たちも、この味方からのイジメには我慢ならなくなっていた。

 選挙公示の前々日、片桐氏が深刻な表情で、磯崎事務所に来た。挨拶もそこそこに、持参してきた半ダースものボイスレコーダーを見せてくれる。ゲイグループが……いや、花束の会の面々が、どれだけ悪口されるか、その証拠を盗聴してきたものだという。沖田は言われるまま、一つを手にとって、再生ボタンを押した。

 選挙運動後、近くの温泉に連れ立っていったときの、記録。

 録音されているのに気づかないまま、名和氏義実家の運動員たちが、会員の下半身を評していた。風呂だろうがトイレだろうが、慣れ慣れしく距離を縮めてくる、図々しさ。肛門性交で不格好に変形した尻。そして、会員同士では自慢気に話しているけれど、その実、たいしたことのない大きさのイチモツ……。

「沖田くん、我々ゲイグループは、選挙応援、辞めるよ」

 テープを聞く限り、イチイチ気に障ることばかりだけれど、たぶん最後のイチモツ評が、決定打になったんだろう。

「……でも、片桐さん。森下さんに猛反発されながら、名和さんへの義理立てに、あんなにこだわっていたのに」

「ゲイグループの総意だ。確かに、名和さん自身は、こんな陰湿な悪口を言うひとじゃ、ないだろう。けれど、これから町の代表として、人の上に立とうとする人なんだ。部下へのシツケだって、キチンとして当然だと思わないか? ノンケの人たちから見て、いくら気持ち悪いからと言って、言っていいことと、悪いことがあるだろ」

「……幡野センセイに苦情を入れて、センセイから叱ってもらうっていう手は?」

「その手は、もう喰わないよ。うまいこと言って丸め込まれるのは、もうゴメンだ」

 これを機に、幡野代議士とも手を切ろうじゃないか……とまで、片桐氏は言う。

「随分と、話が飛躍したようですが」

「いや。選挙の手伝いをやめることと、表裏一体だよ、沖田くん」

「そうでしょうか」

「名和さんも、もう既にLGBTの人間じゃないとバレたし、彼自身、義実家の人たちが会員に対して不義理な陰口を叩いていることは、承知のはずだ。それでも我々を頼ろうとするのが、甘いんだよ。いくら選挙大事の名和さんでも、これだけの録音を聞いたら、我々の決断を認めざるを得ないとも、思うね」

「今一度、確認しますよ。県議と手を切るのは、ゲイグループの総意ですか? それとも、花束の会の総意として、やりたいってことですか?」

「もちろん、花束の会の総意に、決まっているだろう。ゲイグループが鉄の結束で中心になって、県議罷免を目指す……と言いたいところだけれど、実は、グループの中に獅子身中の虫がいてね……」

「端切れ悪いですよ、片桐さん」

「中岡くんが……中岡大輔くんが、暗躍している」

 彼は片桐氏の方針に反対で「罷免推進派」メンバーを切り崩しにかかっているという。

「中岡さんって、確か、盗撮の件で刑務所とかにいったんでは」

「それが、違うんだ。こんなことなら、アイツのために、腕っこきの弁護士なんて紹介してやるんじゃなかったよ……本人曰く、花束の会に奉仕するためなら、刑務所からだろうが地獄からだろうが、這い出してくる、とうそぶいていたよ」

「はあ」

 名和氏の退職・幡野県議罷免に関して、手続き等が会則に明記してあるわけでは、ないらしい。

「単に事務員を辞めさせるのとは、わけが違う。クーデターだ」

「で。わざわざ磯崎事務所に出張ってきたのは、何かあってのことなんでしょう?」

「各グループごとに、総意をとって欲しいんだ。ゲイグループは、さっき言ったように、中岡くんぐらいだ、反対しているのは。彼の説得でグラついている数人も含め、場合によっては退会……いや、退グループしてもらう、という方向で、ケイはまとまっている」

「ひと悶着起きそうな、やり方ですね……」

「ウチのグループ内の話だ。バイには迷惑、かけないよ。ビアンの森下くんに声をかけたら、それでいいんじゃない? というあっさりした返事だった。まあ、彼女、最初から選挙運動は辞めたがってたクチだからねえ」

 トランスの原弥生が、一番時間がかかりそうだという。

「幡野代議士の支持者、というより、名和さんのシンパが少なからずいるようだよ。あそこは原くんが一番若くて、他は年配ぞろいだ。長いしがらみもあるし、変化を嫌ってるんだ」

 一両日中、選挙公示までには、バイメンバーそれぞれの意向を確かめておく、と沖田は片桐氏に約束させられた。いちいち連絡をとるまでもなく、沖田には、バイメンバーの返事が分かっていた。

「どっちでもいいよ」

 優柔不断、気の抜けた返事ばかりだった。


 選挙戦が始まって、2日目。

 沖田は、事務局代理という立場だったから、LGBT各グループの代表として、幡野代議士に面談に言った。松島磯崎の事務所ではなく、利府の高級住宅地、しらかし台の自宅のほうに向かう。代議士の旦那さんは歯医者さんだそうで、「今はそんなに儲からない商売」という謙遜とは裏腹に、ディズニーランドのお城のような豪奢な、3階建ての家だった。

 応接室には秘書だかメイドさんだか用の控室がついていて、わざわざこんな部屋を設けているという事実に、圧倒される思いだった。

 幡野代議士は、いつも通り、忙しそうだった。

 どこまでも西欧風な邸宅なのに、お茶として出されたのはホウジ茶と盛岡の濡れ煎餅である。後援会副会長の好物なのよ、と言いながら、幡野代議士は、自らも煎餅をかじった。

 沖田のと面会後は、当然松島町に戻って精力的に応援演説をこなすとかで、この日もカッチリしたスーツ姿である。

 出されたお茶を飲み干すまでもなく、沖田は用件を切り出した。

 そう、花束の会顧問を辞任して欲しい、という勧告だ。

 代議士は、既に森下さんから内々に聞いていたと言い、首を縦に振った。

「どうしたの? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」

「叱られたり、説教されたりすると思ってましたから。少し拍子抜けで」

「私のほうは、だいぶ前から予想していたことだから、今さらっていう気分かな。沖田くん、歴代のグループ統轄で、あなたほど政治嫌いな人は、いなかったよ。政治の有用性はイヤというほど知ってるくせして、政治嫌いナンバーワンね」

 ちなみに、政治嫌いナンバーツーは、やはりバイ統轄だった江川だ、と代議士は続ける。

「で? どうするの。今後は誰か違う人の傘下に入るの? 細井さん? それとも、仙台鉄道研究会の星山くんあたりに頼んで、政治家でなく法律家の庇護をもらうとか?」

「政治結社、政治団体ではなく、元の親睦会に戻すつもりですよ」

「そんなにうまくいくかしらね。百人近くの大所帯、誰もが黙って放っておくとは思えないけど」

「……誰か、政治的にちょっかいを出されるなら、少なくとも、今度は本物のLGBTの人であって欲しい。ただ、それだけですね」

「名和くんには、挨拶した?」

「選挙戦たけなわで多忙でしょうし……と、ゲイグループの中岡大輔さんに止められました。それに、センセイに言えば、名和さんにも伝わるんでしょう?」

「そうね」

「自分としては、逆に名和さんからの釈明を聞きたいところでしたけど。ノンケであることを隠していた……偽物のLGBT会員として過ごしてきたのは、どんな気分だったのかって」

「ふーん。……偽物のLGBT、ねえ」

 そろそろ「辻立ち」……応援演説の時間なので、と年配女性秘書が知らせにきた。沖田は、円満に離職してもらえて良かった、とおいとました。

 幡野代議士が意味深に反復した、なぞかけのような言葉の意味……偽物のLGBTの意味を、やがて沖田は知ることになる。


 遺影写真依頼の仕事が立続けに入り、沖田が桃生・河南・矢本と精力的に遺族面談をこなしてきた日の夜。DTPのこまごました作業はマサキにまかせ、沖田は大街道のスーパー銭湯で汗を流してきた。写真館に戻ると、台所にも応接室にもマサキはおらず、「残業中」かなとパソコンの前に戻る、珍しく杉田が1人だけで、遊びに来ていた。

 瀬川だけが来るときは、たいがいテレビゲームか酒盛り。杉田1人が来る時には、DVDでホラー映画鑑賞だ。この日も新作でも楽しんでいるかと思い気や、2人とも、なにやら真剣な表情である。

「どうした、2人とも」

 マサキが振りむきざまに、言う。

「トキオ兄ちゃん。宮城県に、花束の会って名乗っているLGBTグループ、一つしかないっスよね」

 自分が知っている限り、その通りだ、と沖田は答えた。

「パチモノが、出てきたみたいッス」

 それは、利府を拠点とする「本家・花束の会」と名乗るLGBT組織だった。ホームページのデザインは、どことなく沖田たちの「ホンモノ」に似ている。けれど、構成人数だの活動内容だのが、若干違っている。この「ニセモノ」の花束の会ホームページにはリンクが貼ってあって、その中の一つは、幡野代議士のホームページだった。

 杉田が言う。

「ねえ、トキオくん。よくよく見ると、このニセモノの住所、前の事務所の住所よ。これって、更新前のホームページが、バグったか何かして、出てきたヤツじゃないの」

 マサキがそれ対して、反論する。

「でも、シノ姉ちゃん。それそも、これ、会の名前、花束の会じゃなくって、本家・花束の会って換えてあるのは、どーなのさ」

 このドッペルゲンガー・ホームページを発見したのは、どうやら沖田たちだけらしい。片桐氏も原弥生も、沖田が確認の電話を入れて、ようやく気づいた始末だ。森下さんに至っては、結局電話がつながらなかった。

「磯崎事務所のパソコンが、ハッキングされたつて感じ?」

 原弥生が、自信なさげに推測する。

「根拠の薄い説」とマサキは否定したけれど、これ以上に思い当たるフシもない。沖田は、幡野「相談役」解雇以来、一度も松島に行っていなかった。久々に花束の会雑務から解放されて、本業にいそしんでいるところなのだ。

「原君。事務所の様子は、どうなのかな」

「実は、僕も、しばらく行ってません」

 原弥生のバツ悪げな釈明を遮って、沖田は急遽、事務所集合を約束した。


 実際にハッキングだったら、パソコンに疎い沖田では対処しようがない。なので、会員でも何でもないけれど、沖田はマサキを松島まで連れていくことにした。

 パソコンマニアのサガなのか、道々マサキはセキュリティソフトだのコンピューターウイルスだのについてレクチャーしてくれたけど、沖田にはその十分の一も理解できなかった。

 事務所の玄関には、見慣れない光景があった。

 結構大き目なはずの郵便受けに、これでもか……とばかりに、手紙が突っ込んであったのである。

 昨今、紙媒体での連絡をよこすのは、銀行・電気電話等、公共料金引き落としのお知らせくらい、他はダイレクトメールのたぐいだけ、と思っていた。けれど、案に相違して、手紙の大半は花束の会会員からのものだった。

 退会届だ。

 ゲイグループは、そのメンバーの大半が。

 トランスは三分の二が。

 そして、ビアングループは全員が辞める、というのである。

 遅れて事務所にやってきた原弥生も、目を白黒させながら、退会届の整理を手伝ってくれた。幸いなことに、片桐氏の退会届はない。けれど、森下女史のは、しっかりとあった。

 森下さんへは、前回も、いくら電話しても全然つながらなかった。ダメ元で、沖田はスマホを手に取った。なぜか、今度は一発でつながったのである。

「沖田くん。アンタの言いたいことは、分かる」

「こちらが一言も言ってないのに、ずいぶんなご挨拶ですね、森下さん」

「いいこと、教えてあげる。退会したメンバー全員で再結集して、第二の花束の会を作ったのよ」

「……第二の、じゃなく、本家・花束の会、でしょう」

「あら。そうだったわね。沖田くん、あなたたちと違って、本家のほうは、幡野センセイのご指導が、どうしても必要だって考える人間の集まりなのよ」

「名和さんの手伝いをするのを、あんなに露骨にイヤがっていた森下さんが、ね。そもそもビアン全員を寝返らせたのは、さすがです」

 沖田は皮肉のつもりで言ったのだけれど、森下さんの声は、誇らしげに震えた。

「反抗グループ……天野さん一派は、イラストレーター事件のときに、みんな辞めたから。ゲイグループはもちろん、中岡君が中心になって、片桐さんにクーデターね。私たちが、幡野センセイを絶対と考えるのとは違って、中岡君の場合は、花束の会そのものに忠誠を誓っているていうのが、少し違うけど。もともと、片桐さんを排除して、ゲイグループ統轄に上り詰めてやろうっていう野望は、あったみたい。まあ、今回のことで、踏ん切りがついたんでしょ」

「今回のこと……選挙のこと、ですか?」

「違うわよ。有力県議を顧問から外すっていう、アンタたちの愚行よ。LGBTの権利権益を守るには、有力政治家がバックについてるのが、一番。それをみすみす自分からフイにする。愚行、でしょ?」

「それは……」

「沖田くんは、二言目には親睦って言うけれど、会員になって決して安くない会費を払っている人全員が、そんな、和気あいあいするために、入会しているわけじゃ、ないでしょ。気の合った仲間同士で遊びたいなら、わざわざLGBT全属性が集まっているような会に入会する必要、ないじゃない。実際にも、親睦する時には、各グループごと、さらにグループ内の仲のいい人たちで、行動するのが普通でしょうが……」

「正式名称は、互助会なんですから、そういう側面もあるのは、承知してます」

「いーえ。沖田くん。アンタは承知してないわ。承知してたら、幡野センセイに辞めてもらう、なんていう発想には、なんないもの」

「自分は、単に、偽物のLGBTが会に所属しているのが、気に入らなかった。森下さんと違って、ノンケの手を借りなくとも、自分たちのことは、自分たちで何とかできる……と考えているって、ことです」

「なによ。ニセモノ、ニセモノって。やたら、それ連呼するけど、沖田くん、アンタのほうがニセモノじゃない」

「自分は、ノンケじゃない。本物のバイセクシャルだ」

「本物のLGBT? そう、でも、沖田くんは本物のLGBT互助会会員じゃないわね」

「何が言いたいんです、森下さん」

「アンタは、他のLGBTを助けない人よ、沖田くん」

「自分以外にも、そういう政治めいたことを嫌っていて、無関心な人はいると思いますよ」

「それ、互助会幹部が一番言っちゃいけないセリフでしょ」

「でも……」

「バイの人って、どーしてこうなのかしら。困っているLGBTを助けないだけでなく、場合によっては迫害したり」

「それは……一方的な決めつけだ」

「紫乃に、東京のゲイバーの話、聞いたわよ。沖田くんが、サディストにいたぶられた件だけでなく、そのバーの由来についても、ね。エイズ騒ぎで、ゲイバーが危機の時に、ノンケの差別主義者に加担したり、逆にぶり返しの時には、LGBT闘士みたいな顔をして、他人の手柄をちゃっかりいただいてみたり」

「自分、そんなことをしたことは、ない」

「常日頃は、幡野センセイや名和さんの世話になっていながら、恩を返す段になると、グズグズ言うのは、恩知らずのコウモリってことに、ならないの?」

「今さらですけど、名和さんが利府で立候補して、LGBTシンパであることを全面的に押し出して選挙戦を戦うっていうのなら、今みたいな状況にはなってないと思います」

「そういう言い方が偽善者だっていうのよ。ニセモノ」


 本家・花束の会が本格活動した日……前のように偽装結婚の斡旋を始めた日に、沖田たち「無印」花束の会は、無期限休業を決めた。会員のほとんどが「本家」のほうに流れ、残ったメンバーも、バイセクシャルグループを中心に「幽霊会員」がほとんどで、松島磯崎の事務所を維持する資金もなかったからだ。

 磯崎事務所を引き払うための片付け掃除は、結局、沖田と原弥生、2人だけですることになった。杉田・瀬川両名は、断固として手伝いを拒否した。

 片桐氏は、失意のうちに「無印」花束の会も辞めた。

 ゲイグループ離反組は、中岡大輔の他、2、3人くらいだろうとタカをくくっていたのに、実際はほとんどが「本家」のほうに移籍してしまったからだ。「こんなにも、自分に人望がないとは、思ってなかった」。

 今後はLGBT関連の活動の一切から手を引くと宣言し、有言実行した。

「無印」離籍の噂を聞いて、「本家」花束の会が執拗に勧誘に来たらしいけれど、片桐氏は丁重にお断りしたそうな。

 原弥生は、トランスグループ統轄を、長老女装者・田所さんに譲り、グループを抜けるという。もともと花束の会の4グループのうちでも最小で、ゆえに仲の良かった集まりである。建前通りの親睦会として、早速鳴子温泉旅行に行ったそうだけど、どうやら原弥生だけが「浮いていた」らしい。トランスグループのメンバーは皆、比較的高齢で、「ノリについていけなくなる」ことが、今まであったという。特に高齢の女装メンバーたちが「終活」……老人ホームだのお墓だのの話をすると、気が滅入るのだ、と肩を落とした。

 事務所片付けが一段落した日、沖田は原弥生に言われた。

「ボク、バイに混ぜてもらって、いいですか」

「原君、女装ゲイじゃ、なかったの?」

 単なる親睦グループなのだから、性的嗜好が違ったら、グループに入れてあげない……なんて、意地悪をするつもりはない。けれど、1人だけノンケ、あるいは1人だけゲイというのも、つきあいづらいと思うのだ。

 原弥生は「どちらでもイケる」と肯定した。ついでに言えば、女性ホルモンと豊胸も始めたので、身体のほうも両性具有だ、などという。

 沖田は、そんな原をたしなめた。

「男のカラダが好きで、女のカラダも好きだとしても、シーメールが好きとは、限らないよ」

 原弥生は、なんだか複雑な表情になった。

「目からウロコです。バイセクシャルも、奥が深くて、色々と分化してるんですね」

「ちなみに、自分は、シーメールもイケる」

「さすが沖田さん、ホンモノですね」

「単に間口が広いだけだよ。ホンモノで思い出したけど……原君、自分がホンモノなら、ニセモノって、なんなんだと思う?」

 原弥生は、答えられなかった。

「質問した人間の言うことじゃないけど、自分も、分からないんだ」

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