第9話 性愛譚(両性愛者の性について)

「インポなのかな」

「今は EDっていうのよ、トキオくん」

 看護師の瀬川が言うなら、そちらの呼び方のほうが、正しいんだろう。しかし、病名がどうあれ、「勃たない」という現象は、一緒だ。「もう、しないんなら、シャワー浴びて、パンツはいてきなよ。アタシたちは、もう少し、する」

 瀬川にベットから追い出され、沖田はまず、おっかなびっくり下を見ながら、トイレに向かった。杉田は潔癖症なのか、セックスの最中に沖田が小便をしにいくと、とても不機嫌になる。他方、瀬川は、スカートからブラジャーから、部屋中に脱ぎ散らかす癖がある。でも、部屋をうろついて、間違って衣服を踏んづけてしまうと、たいそう怒るのだ。単にデートだけしていたときには、分からなかった性格だ。性の快楽ももちろん楽しいけれど、こういう「人としての」瀬川・杉田を垣間見ることができるのは、なんだか面白い。そして沖田は、セックス後、汗でじめじめしたシーツの上で寝るのが嫌いだ。そもそも、女の子2人は、これから2、3時間励むのだろう。沖田は店舗の……写真館応接室のソファにシーツを二重にかけて、寝ることにした。


 紆余曲折あって、沖田が瀬川・杉田とベットを共にするようになって、一カ月半。杉田は壁の薄いワンルームマンション住まいだし、シングルベットしかないところで、3人も寝るのは難しい。瀬川は実家がこの石巻市内にあるというのに、病院の寮住まいである。一度「なんでわざわざ」と問うと、瀬川は「お金たまるよー」とニヤッと笑った。ナースでも幹部クラスは、入院患者用のまかないをタダで食べられるという特権があるらしい。他にも幾つか優遇措置はあるらしいけれど、その分、病院からの拘束は厳しい。非番の日でもちょくちょくスマホに連絡があり、全裸になったまま、そして全裸の沖田や杉田を待たせたまま、長電話することが、一度ならずあった。女の子2人に比べ、沖田の写真館には、そして寝室にはスペースの余裕があった。半同棲、なんていうと大袈裟だけれど、瀬川は写真館にすぐに慣れ、許可も得ないまま、沖田の歯ブラシを使い、沖田のトランクスをはいた。ベッド脇のワイドチェストの引き出し2つが、瀬川杉田それぞれの小物入れになった日、瀬川にベッドの買換えを言い渡された。沖田本人が気がつかない間に、楽天のネットショップでダブルベッドが注文されていた。

 さて。

 EDの話である。

 女の子一人を相手にするだけでも大変なのに、女盛りにさしかかった女性2人である。沖田は当初、ハッスルした。「ハッスルだなんて、オッサンくさい死語で頑張るのは、やめてよ」と瀬川にからかわれはしたけれど、それでも沖田はハッスルした。精力旺盛な10代のころなら、一晩に何回射精しても平気だろうけれど、中年のとば口に差し掛かった沖田にとって、一晩最低二発のノルマは、カラダに効く。

 ベッドイン後、初めて「二発目」が打てなかった二週間前、沖田はいたわられるどころか、2人に叱られてしまった。曰く「絶世の美女美少女2人を相手にして、勃たないとは失礼極まる。アタシたちって、そんなに魅力ないの?」と。

「……そんなことはないよ。現に、今までは、ちゃんと『男の役割』をこなしてきたじゃん」と反論すれば「そんなら、一カ月目にして、アタシたちのカラダに飽きたのね。ヨヨヨヨ……」とウソ泣きされる始末。

 そもそも瀬川杉田は、同性交際していたバイカップルだったのだから、沖田抜きで2人で楽しむこともできる。「モニターいらず、生のAV」とアホなことを抜かしながら、瀬川は沖田を挑発するように、杉田に抱きついたものだけれど、それでもイチモツはフニャフニャしたまんまだったのである。

 一晩だけでなく、こんな状況が二週間も続き、ようやく女の子たちも深刻に沖田のインポを……いやEDを心配してくれるようになった。真っ先に疑われたのは、前述の通り、体力が尽きたのでは……という理由である。瀬川に指導され、沖田は朝のジョギングを始めることになった。早寝早起き、三食昼寝、そして夕食の後にはマムシドリンク。煩悩を百パーセントためるためと称して、エロ本エロビデオのたぐいは、杉田に没収されてしまう。

「シノ、あんたは中学生の母親かよ」

「少なくとも高校教師よ、トキオくん。エロ本を取りあげるのは、保護者だけでないって、知ってた?」

 とにかくまあ、こんな感じで、ありとあらゆることを試したけれど、色々とチャレンジすればするほど、沖田のEDはひどくなっていくばかり。「この手の治療は時間がかかるわ。気長にやりましょ」と瀬川は慰めてくれた。杉田はネットを駆使して、様々な……怪しげなのも含めて……精力剤を買い集めてくれた。

「こっちがオットセイの睾丸配合。そっちはスッポンの生血入り。そしてこれが沖縄ハブ酒、サソリ酒のスコルピオ、最後にハーカイ酒」

 トカゲそのものが泳ぐように中で揺れ動く酒瓶を見て、瀬川がため息をつく。

「ふー。ネットは広大だわ」

 どこかで聞いたことのあるミームだけれど、なんか、使い方が間違ってるような気がする。

 ともあれ。

「シノ。可愛いだけじゃなくって、こんなに親身になって心配してくれる恋人を持って、嬉しい。感激だ」と

 沖田が涙を流すと、杉田の代わりに、瀬川がドライに返事を返した。

「トキオくんが勃たなくなったら、困るのはアタシたちだし。バイブも悪かないけど、こう、なんていうか、趣がない」

「タエコって、相変わらず、身も蓋もないなあ」


 親身になって心配してくれていた2人には悪いけれど、沖田には2人に打ち明けられない、打ち明けずらい秘密があった。EDはEDだけれど、沖田の場合は、特殊なEDだということだ。

 ゲイセックス……男性同性愛のビデオを鑑賞する分には、普通に勃起して、普通に射精できてしまうのである。これはセックスが無理で、手淫しかできない、ということでもなかった。その証拠に、異性愛者向けの普通のエロビデオでは、チンポがピクリとも反応しないのである。ちなみに、女性同性愛のビデオでも、やはりチンポは反応しない。

 沖田は自分自身に問うた。

 自分は、本当は、真正ゲイなのか?


 実際にゲイグループの誰かに頼んでセックスできれば、少なくとも解明の糸口になるだろう。けれど、女の子たちとセックスできないというのに、他の男どもと寝るのは、手ひどい裏切りであり、浮気だろう。

 一度、利府の事務局で偶然居合わせた片桐氏に、沖田は相談を持ちかけた。

 このゲイグループ統轄は、職場のカルチャーセンターで、この秋発表する予定の新作ケーキ「秋の彩り・古色三食」なるフルーツタルトの試食用を持ってきていた。試食は名和氏だけの予定が、居合わせた沖田が急遽、ご相伴に預かることになる。知っての通り、サクサク食感のタルト生地の上に、フルーツてんこ盛りというのがフルーツタルトの売りだけれど、片岸氏は、このフルーツを地元名産からチョイスすることにした。隣県山形は日本国中に名を轟かせているフルーツ王国で、ここから、葡萄に桃、柿にイチヂクというポピュラーな取り合わせである。名和氏は「デリシャス」と感嘆した。沖田も「うん。うまい」と舌鼓を打った。男2人がこんなにも喜んだのに、片桐氏の顔は冴えない。実は、事務局で試食する前に、ゲイグループ有志にも吟味してもらったところ、やっぱり好評だった。意気揚々とカルチャーセンターの受付嬢や他の女性講師に試食してもらったところ、逆に「イマイチ」「平凡」「町のケーキ屋さんとの差別化ができてない」とさんざんこき下ろされてしまったのだ。

「どうしよう、沖田くん。もう来週の教室のぶんから、新作レシピを伝授しますって宣伝してしまったのに」

「はあ。なんか、深刻ですね」

「そうさ。深刻だよ、沖田くん」

「男だけにウケるケーキじゃ、ダメなんですか」

「ウチのケーキ教室、九割五分まで、生徒は奥様方だ」

「じゃあ、ダンナさんや息子さんにウケますよ、というのを売り文句にする」

「うーん。本人たちがウマイと言わないものを、家族に勧めろというのは、無理があるなあ」

 名和氏は、柿の代わりに林檎はどうだとか、タルトの生地を薄くして、そのぶんホイップクリーム増し増しで、とか、アドバイスしていた。

 沖田は自分の問題で頭がいっぱいで、意見らしい意見が出せない。

 片桐氏は、ケーキと一緒に飲むお茶を、ダージリンから中国茶の茉莉花茶に変えることに決めた。

「あ。もしかして、沖田くん、何か用事で来てたのかい」

「ええ、まあ。片桐さんが、食のことで頭がいっぱいなように、自分、性のことで、頭がいっぱいで」

「私でよければ、聞くよ」

 沖田は、話した。

 話しているうちにも、片桐氏の視線はフルーツタルトから離れなかったから、上の空とまではいかなくとも、沖田がケーキに寄せたのと同じくらいの関心しかないのが、見てとれた。

「どうです?」

「あ。ちゃんと、聞いてなかった」

「もう一度、最初から話します?」

「いいよ。最終的なアドバイスは、どっちにしろ、同じだ」

 ゲイグループ統轄の返事は、ニベもないものだった。

「沖田くん。正直、君の言おうとしていること、分からないんだ。というか、分かりたくもない。僕らは、もともと女性のカラダなんてみても、反応しない」

 そうだった。

 男女双方のカラダに性的興奮を覚えるという前提条件があっての「EDかもしれない」なので、ふつうに考えれば、相談相手としてふさわしいのは、同じバイセクシャルの、しかも男性が適任である。花束の会バイセクシャルグループには、あまり熱心でない会員が数人いるだけで、しかも、沖田が勃起不全の相談を持ちかけるほど親しい人はいない。

 沖田は「ありがとうごさいます」と頭を下げた。

 片桐氏も、黙って、深々と返礼してきた。


 選択肢は限られている。

 天敵ながら、この手の経験豊富……少なくとも道理をわきまえていそうな男というと、沖田は江川しか思い浮かばなかった。いつものようにネットで連絡を取ると、アニメのホームページのほうがよほど忙しいのか、それとも沖田の相談を下らないと判断したのか、4回ほどチャットを返しただけで、あとはなしのつぶてだった。

 曰く「そもそもインポになったことはないから、しらん」。


 商売上のつき合いのあった、花屋のご隠居が、いいことを言って慰めてくれた。

「もし、アンタが真正ゲイってなら、単に生き方を変えればいいだけの話だろう。お嬢ちゃん方には気の毒だけれど、誠意ってもんがあるなら、円満に分かれる工作をしたほうがいいぞ」

 葬儀場で写真の設置も終り、帰ろうとする際、専務が……社長の息子さんが広島旅行をしてきて「紅葉まんじゅう」があるから休んでいけ、とバックヤードに呼ばれたときの話だ。娘婿に商売を任せて早10年、沖田はご隠居と顔を合せるのも久々だった。「老人は容姿が変わらないもんですな」と素朴の感想を述べると「それを言うならツルッパゲも同じだ」と即座に諧謔まじりの返事。

 花束の会やLGBT関連の人脈以外で、沖田がバイセクシャルであることを見抜いた初めての人だ。そしてまた、沖田の3人交際を知っても、ハーレムや妾持ちでないと見抜いた最初の人でも、ある。

「ご隠居が自分の立場だったら、誰に相談しますか」

「そうさな。知合いの花屋の隠居かな」

「医学的アドバイスというか治療っていうか、心理的な原因究明と対策をしてくれそうな人ですよ」

「わしゃ、コンピューターのことはよく知らんけど、インターネットには、そういう相談に乗りますっていう医者も、いるんじゃないのかね」

「パソコンの画面越しにでなく、実際に……チンポに問題がないか、診てくれる人ですよ。それに、こう言ったらアレですけど、性の相談については、LGBTであることを自ら公にしている医者じゃないと、信用できません」

「花束の会から、ツテをたどれないのかね? 有力県議がバックについとるんだろ」

「もう、相談しました。彼女、票に繋がらない問題ごと解決は、あんまり熱心じゃないみたいで」

「なんじゃ、アテにならん」

「そうです」

 ご隠居は、なんだ遠い目になって、言った。

「葬儀屋をやってると、商売柄、色々な人間の最後に立ち会うことになる。世間一般の人や遺族の人たちが、故人は平凡な人生を送ってきて……なんて言っても、実は、その人なりの個性的な生き方をしてきた、なんてケースはザラにある。かつての商売仲間で、今、現役の沖田くん相手に教訓めいたことを言うのは気が引けるが、死が様々であるように、性も様々なんだろう」

「そうですね」

「ラブホテル勤めをしたり、家庭裁判所に勤務したりすれば、その、性について、極々稀なケースにぶち当たることもあるだろう。でも、沖田くん場合、その例外中の例外って可能性もあるわけだな」

「どういうことです?」

「かつて、アンタに花束の会の内容を教えてもらったとき、両性愛にも色々あると、アンタは言った。単に、男と女と、両方とセックスできる人間の呼び名だけれど、同時に、男と女、同時にセックスしなければ満足できないタイプもいるんだって。そして沖田くん、アンタはその、同時セックスタイプだ、ともな」

「そう、言いましたね」

「今、アンタは女の子2人とつきあっているわけで、男、女、1人ずつとつきあっているわけじゃない。不本意な……という言い方はおかしいが、要するに、夜の相手が、アンタ本来の性の在り方じゃないから、勃起しなくなったって可能性はないか?」

「あっ。なるほど」

「話は最後まで聞け。もちろん、今言ったように、アンタが本来の性のパターンでないセックスをしているから、勃たなくなったっていう可能性はある。でも、他の可能性もある。アンタは両性愛者でもホモ寄りの男で、女とばっかり寝ていると、ダメになるタイプかもしれない。で、男の成分が足りないって言ったって、その、男の何が足りないのか、分析したことは、あるのか」

「分析……ご隠居らしからぬ、難しい言葉を使いますね」

「なに。やることはそんなに難しくない。アンタはセックスの最中、自分のイチモツ以外の手ごろな長さの棒がないと勃起しないタイプかもしれない。あるいは、自分以外の男の匂いが必要なタイプなのかもしれない。何が本当の当たりになるかは分からんけど、棒きれだの匂いだのは、すぐに実験できることじゃろ」

「そうですね」

「そういう……行為うんぬんが原因なら、回復はすぐに速いだろうがな。心の問題なら、厄介だぞ。何か心理的なひっかかりがあって、スイッチが入らんとなれば、時間がかかるかもしれん」

「はあ」

「それから、LGBT医者でなきゃ、治せんかもしれんというのは、偏見だぞ。産婦人科医で、男で名医だっつーのも、中にはいるだろう? 自分で子どもを産めなくとも、出産のトータルケアはできる。沖田くんのは、普通の人がホモとかに抱くのとは逆の意味での、偏見だな」

「自分の症状を説明しにくい……しても分かってもらえる自信がなかったから、というのがあるかもれしません」

「そうか。説明うんぬんで気づいたが、もう一つ、注意があるな。医者だけが、アンタのイチモツを理解できるわけじゃないってことだ。昔のボーイフレンド、昔のガールフレンド、その他諸々……アンタのイチモツをいぢくってきた男や女がいるんじゃろ? 毎日のように、さんざん、勃起したり射精したりしぼんだりするのを見てきたヤカラなら、そこらの医者より、いい診断が下せるかもしれん。今のイチモツはこうだが、過去には思い当たるフシがある、とかなんとか、な」

「なるほど」

 ご隠居はもっと話続けたかったようだけれど、花屋の現社長……義理の息子さんが迎えにきた。ご隠居が座っていたパイプ椅子に、ほどなくして葬儀屋の専務さんがやってきた。寝具屋で修業して異色の転職をしてきたという三十代で、沖田たち出入り業者にも、気さくに話す。彼は自分の買ってきた紅葉饅頭をヒョイとつまむと、窓から駐車場のご隠居たちを眺めていた。

「饅頭はナンボ食べてもいいけど、控室で大声で、チンポの話は、よしてくれ」と、沖田に視線を合せないまま苦言するのだった。


 フットワークの軽さが、沖田の信条であり、売りでもある。

 沖田は瀬川に、ご隠居のアドバイスを話してみた。瀬川は沖田以上に仕事が速い女で、早速、何か手を打ってみるかと、打てば響くような反応をしてくれた。

 瀬川・杉田は、女性同性愛に励んでいた女性バイセクシャルカップルなわけだけれど、バイブだのディルドーだの、「小道具」のたぐいは、そんなに持っているわけではない、そうな。「そうねえ。正直に白状すると、アタシは色々ベッドの下に隠してるけど、シーちゃんは、全然持ってない」。

「シノ、あんまりセックス、好きじゃないのかな」

 夜のお誘いは、大抵2人セットで、誘ったり拒否されたりするので、個々の反応はいまだ分からない沖田だった。

「ふっふっふ。トキオくん、なに、意外そうな顔をしてるのよ。ビアン的なセックスをする女性カップルが、ディルドーだのをいっぱいコレクションしてるっていうのは、偏見もいいところよ」

 アマゾンでポチるけど、どれがいい? と瀬川は促す。もちろん、自分たちで使う用でなく、沖田の尻にツッコム用のディルドーだ。沖田は、色・形とも標準より少し大きめのを、選んでみる。

「ふーん。参考まで聞きたいけど、どーいう理由?」

 なんとなく自分自身のに似ているから、と沖田は答えた。

「見栄っ張りねえ、トキオくん」


 杉田は、高校が中間試験の時期に入り、問題作りや採点で数日忙しいというので、実際にその「大人のオモチャ」を試したのは、一週間も後のことになった。杉田とは別に、瀬川が腰に装着するハーネスを買っており、「トキオくんの好きな体位を再現しよう」とノリノリである。杉田のリクエストで、夕食は蕎麦の出前で済まし、「少しでもブーストをかますため」という瀬川の提案で、赤マムシドリンクを各々一本ずつ空けてから、三人でベッドに向かう。

 男性に尻を掘られながら、女性と交わる……ヘンタイだ。

「あらためて、トキオくんって、特殊性癖の人よねえ」

 最初の男役は、くじ引きで杉田が引き受けることになる。ハーネス装着には瀬川の手をか借りた。男根のついた自分の姿を姿見で見て、杉田は不機嫌になった。

「なんか、カッコ悪い」

 杉田の不機嫌に合せて、沖田はさらに「セックス用」の衣装を買い足すはめになるけれど、それは、ここではない後の話。

 続きを話そう。

 仰向けになった沖田に、瀬川がまたがろうとするのを、沖田はまず、止めた。

「体位的に、よくない?」

「いんや。順番的に、よくない」

 最初に尻の穴を掘ってもらい、そのまま、女性と結合するというパターンでないと、うまくいかないのだ。沖田の知っているポリガミーバイで、昔々このプレイで尻を掘ってくれた人は、この手の順番なんか関係ないと言っていた。

 尻の穴が小さいから、誰かに挿入すると肛門括約筋が引き締まって入らなくなる。拡張しろ。

 そんなことを、なんでも言われたような気がする。

 果たして、杉田が沖田の腰をむんずと掴んで尻に挿入すると、本当に久々に沖田は勃起した。前立腺を直接刺激した、いわば機械的な勃起だ。性的興奮はしているけれど、なんか違うと沖田は一抹の不安にかられる。そして、この不安は的中する。杉田に掘られながら瀬川に挿入したときには、きちんと射精までできた。けれど、逆のパターン、瀬川に掘られながらのときは、半立ちにしかならなかったのである。杉田に挿入を試みるも、フニャフニャ以上の硬度にはならなかった。

「ねえ、トキオくん。このナゾ仕様、なによ」

「自分でも分からないよ、タエコ」

「分かった。実は、シーちゃん、男だから、だったとか」

「どーして、そーなるの」

 杉田にはどことなく男らしさを感じて、瀬川にどことなく女らしさを感じたのでは……と瀬川は仮説を立てる。

 沖田は、即、首を横に振った。

 杉田は、自らの色気を削るような優等生っぽさを漂わせているのは確かだけれど、誰がどう見ても……いや、沖田がどんなに厳しめに採点しても、フェミニンな女性であると思う。男らしさ、女らしさという二分法が通用しない何かが、理由なんだ……というところまでは、たどりつく。けれど、じゃあ、その何かとは具体的になんだろう、という段になると、行き詰る。

「自分たちがバイセクシャルだってことに、こだわり過ぎて、推論が進まないのかも」

 沖田がうーんと腕組みすれば、瀬川も首をかしげる。

「ポリガミー交際うんぬん、というのが理由なのかしら」

 杉田が不機嫌をこじらせて、ベッドの上で仁王立ちになった。

「そんなの、どっとでもいいでしょ」

「シーちゃん」

「シノ」

「前回もだけれど、今回も、私だけトキオくんに満足させてもらってないっ。タエちゃんだけ、ズルいっ」


 休憩中、杉田も瀬川も、沖田のシャツを上に羽織りたがった。

 男冥利に尽きるでしょ、と瀬川は沖田にウインクして勝手に押入れを探った。けれど、出てくるは渋い色の作務衣ばかり。「色気ない」げんなりした様子を隠そうともせず、枕を抱いて、ベッドにコロンと横になる。杉田のほうは、わざわざクリーニングのタグがついているワイシャツを持ち出し、着こむ。「葬儀用だと思うと、こっちも色気ないわよね」と彼女のほうも、ちょっぴり落胆した感じだった。

 沖田は尻にベッタリついたワセリンを拭きとってから、ベッド下に座った。杉田が、首っ玉を引っ張って優しく押し倒すと、膝枕をしてくれた。

「さ。話して」

 そもそも、沖田はなんでポリガミーバイだなんていう、特殊性癖になったのか?

「子どものころ……ていうか、初めて精通して色気づいたころから、そんなんだったの?」

「違うよ」

 少なくとも高校生のころまでは、バイセクシャルだなんて自覚もなかった。

 童貞の頃には、女性の尻が大好きな……今でももちろん、熱烈に好きだが……ムッツリスケベな小僧に過ぎなかった。

「じゃあ。大学生になってから、男も好きになった?」

「まさか、童貞を捨ててから、すぐに女に飽きたとか、じゃないわよね」

 口々に質問をぶつけてくる2人を、沖田はなだめる。

「うーん。脱・童貞のときに、同時に尻穴のロストバージンをしてから、かな。自分が女の子のお尻だけじゃなく、男の尻も好きだってことに、気づいたのは」

「ちょっと待って。トキオくん。それ、どーいう意味?」

 質問してきた杉田だけでなく、瀬川も目を輝かせている。

 沖田は深呼吸して、秘密を打ち明けた。

「つまり……初体験のときから、女・男・男っていう連結セックスをしたんだ。自分が真ん中で、男に掘られながら、女の子に挿入するっていうパターン」

 杉田が、念入りに確認する。

「それって、トキオくんがこだわってる、ポリガミーってヤツよね」

「そうだね」

「原因、それで決まりじゃない」

 内容を詳しく聞かせろ、と今度は瀬川からリクエストがあった。

「シラフのまんまじゃ、しゃべりにくいなあ」

 沖田が照れ隠しに頭をかくと、瀬川は冷蔵庫に飛んでいき、人数分の缶チューハイを調達してきた。

「トキオくん。お酒、持ってきたよ。さっ、はやく、はやく」

 せかす瀬川に、杉田が待ったをかける。

「タエちゃん、ちょっと待って。話し始める前に、一つだけ、確認しておきたいことがあるのよ」

「なに? シーちゃん」

「トキオくん。そのとき……まだ、フサフサだったの?」


 髪は、ちゃんとフサフサだった。

 京都にて大学生活を始め、最初の三か月が過ぎたころ。沖田はサークルの先輩に呼ばれ、奴隷仲間を紹介された。

「ちょっと、トキオくん。その、奴隷仲間って、なに?」

「タエちゃん。黙って、トキオくんの話を、聞こうよ」

「当時、自分は写真サークルにいたんだ。将来、家を継ぐ……この写真館を継ぐための勉強になるかな、と思って。まあ、趣味と実益を兼ねて、写真サークルに入会したんだよ。一回生から四回生まで、各学年4、5人くらいのこじんまりした会でね。インカレサークルだったから、学外にスタジオを借りて、部室がわりに使っていた。スタジオには現役部員だけじゃなく、OBOGもちょくちょく顔を出してて、自分、そのOGの1人に、一目ぼれしたんだ」

 瀬川は、黙って話を聞くのが、苦手らしい。

「トキオくん。年上好きだったの」

「いや、そういうんじゃないんだけどね。なんか、ヒップの形が魅力的な女性だったから」

「フツー、そういうときは、顔が好きで、とか、正確に惚れて、とか、言うもんじゃないの? ムッツリスケベ」

「ははははは」

「笑ってないで、続き、続き」

「……高木未生さんっていう名前。そう、シノをもっと優等生っぽくした感じの女性だったな。自分が1回生のときには、既に大学院生で、博士課程にいたから、10歳くらい年上のお姉さん、かな。彼女はその写真サークルで、特殊なポジションにいた。撮影する側でなく、撮影される側だった」

 杉田が聞く。

「モデルさんって、こと」

「うん。しかも、ヌードモデル」

 胸は薄かったけれど、実に実にじつーに魅力的なお尻の持ち主で、たたでさえ尻フェチの沖田が、彼女のトリコになるのに、時間はかからなかった。

「ねえ、トキオくん。年増の尻の話で脱線しないで、一直線に連結セックスのところまで、いってよ」

「でも、インポの原因を探るためなら、時折は寄り道もしていかなきゃ。各駅停車だって、ちゃんと終点にはたどりつくって」

「トキオくん。インポじゃなくって、EDだってば」

 話の腰が折れたところで、杉田も一言、質問してくる。

「私と、その高木さんっていうお姉さんと、どっちが魅力的?」


 沖田はほどなくして、高木さんに告白した。

 高木さんの返事は、「条件付保留」というもので、「対面で好きと言われるのは、大変光栄ではあるけれど、どうせなら、文字で、そうラブレターという形で、もう一度告白して欲しい」と、奇妙なリクエストをされてしまう。

 恋は盲目といいう。

 沖田は彼女に命ぜられるまま、一週間もかけて恋心を便箋5枚に綴った。にこやかに手紙を受取った高木さんは、4日後、自分だけのプライベートスタジオ、なるマンションの一室に沖田を招待してくれた。招待の際に、パンツの指定があった。

 黒一色のピチピチのブリーフ、それも新品のをはいてこい。

 こういうお達しをもらえれば、沖田が、エロい期待いっぱいで指定場所にいそいそ出かけたところで、誰が責められよう?

 件のマンションの一室には、沖田が着用していったのと同じ、黒一色のブリーフ男が2人もいた。なぜか、2人はそのブリーフしか着けていなかった。いや、他に、首筋にだけ、ささやかな装飾があった。1人は赤い蝶ネクタイをつけ、もう一人は犬用の首輪をつけている。高木さん自身は、マタニティドレスのようなぶかぶかの青いワンピース姿である。

 高木さんは、戸惑う沖田に、2人を紹介してくれた。

 蝶ネクタイをしているほうは、高木さんの婚約者で、山本さん。犬の首輪をつけているほうは、「ポチ」さんである。「ポチ」さんは、高木さんと同じく写真サークルのOBで、沖田同様、高木さんの懸想して、ラブレターを送った男である、という。

 そうそう、あなたからのも、傑作だったわよ。

 高木さんは、艶やかな声で、歌うようにして、沖田のラブレターを朗々と読み上げた。

 蝶ネクタイの山本さんが、険しい顔で沖田に言う。

「君。人の婚約者に不倫を持ちかけるなんて、いい読経だな」

 沖田は、フィアンセの存在を知らなかったと、必死で言い訳した。高木さんにも「婚約者うんぬんって話は、してませんよね」と確認を求めた。

「あれれ。言ってなかったっけ」

 高木さんはにこやかに、沖田と山本さんを交互に眺めた。

 目だけは、笑っていなかった。

 というか、今まで見たことのないような、残忍な目だった。

 はめられた。

 美人局だ。

「すいません。たった今、自分、失恋しました。もう二度と高木さんにちょっかいを出したりはしません。許して下さい、さようなら」

 早口で言って立ち去ろうとする沖田を、高木さんが止める。いや、高木さんに命令された「ポチ」さんが、沖田のズボンにしがみついて、話そうとしない。

「指定した黒パンツ、はいてきたの? どんなのか、見せてよ」

 沖田は必死で全力で拒否したけれど、「ポチ」さんが既に沖田のベルトを外しにかかっていた。三分くらいの攻防戦ののち、沖田は諦めて、新品の黒パンツを高木さんに披露した。

「どうせなら、上も脱ぎなさいよ、沖田くん。あなただけパンツいっちょうじゃないのは、無粋よ」

 沖田には、もう、拒否権がなくなっていたのかもしれない。ズボンに続いて、上に着けていたパーカーも「ポチ」さんが脱がし、パンツいっちょうの裸になったところを見届けて、山本氏が沖田に犬の首輪を装着した。

「ふふん。いい恰好になったわね」

 高木さんは、いつの間にかブカブカのワンピースを脱いでいた。

 網タイツに黒エナメルのレオタード、そして同じく黒いピンヒール。手には鞭を持って、典型的なサド女王様の恰好だ。なぜか沖田にはそれがとても自然で当たり前で、自分が待ち望んでいたことのように思われた。

 山本氏の罵倒・詰問は、なおも続く。

「君に浮気するつもりが全くないっていうのなら、その新品の黒パンツは、なんだね?」

「いや。そのう……」

「ボサっと突っ立ってないで、土下座したまえ。君は今、重大な裁判の被告人なんだぞ」

「すみません」

「君は、ウチの未生に、僕という婚約者があることを知りながら、全裸にして、舐めまわすように全身を見た」

「そりゃ、まあ。高木さんは、写真スタジオでヌードモデルをしていたわけですから。そもそも、彼女が自分で脱いだってことですよ? しかも、自分だけでなく、写真サークルの他の男どもも、見てるでしょうし」

「黙れ。盗撮魔」

「盗撮、してません。本人の承諾の元、堂々と撮りましたって」

「ふふん。浮気しようとしていたことは、認めるんだな、沖田くん」

「なんでそうなるんですか。だから、最初から、高木さんに婚約者がいることを、知らなかったって言ってるでしょうが」

「ラブレターもあれば、黒パンツもある。物的証拠はじゅうぶん過ぎるくらいだ。沖田くん、君が認めん限り、このマンションから一歩も外に出さないよ。何日でも何週間でも、本音をぶちまけるまで、訊問してやる」

「それって、脅迫で監禁ですよ」

 土下座している沖田を、「ポチ」さんが助け起こし、貴重なアドバイスをしてくれる。

「この人たち、グルなんですよ」

 そんなのは、言われなくとも、分かる。

「強情でサド気質で、沖田さんを奴隷にするまで、ネチネチ責めるのをやめないと思います。というか、そういう、絶対服従してくれる下僕を探すために、彼女、あえてヌードモデルをしているっていうか」

「露出趣味があるんだとばかり、思ってました」

「いや。まあ。多分に、その気もあるんでしょうけど」

 やることが、徹底しているということか。

「沖田さん。それに、奴隷生活……奴隷プレイも悪くないですよ。いや、悪くないどころか至高の快楽ですよ。僕、新しい仲間が出来て、嬉しいなあ」

「ポチさん、あなた、高木さんの奴隷なんですか」

「正確には、高木さんだけじゃなくて、山本さんも、ご主人様です。それから、最近奴隷から犬に昇格したんですよ」

「それって、昇格って言うんですか」

「昇格じゃないですか。奴隷は人間扱いされますけど、犬は畜生ですよ。これから、どんなふうに責められるかと思うと、背筋がゾクゾクして」

「はあ」

「ポチっていう名前をいただいたのも、実は、つい最近の話で、イマイチ呼び方に慣れなくってねえ」

「はあ」

「ポチ」さんは、親身になってしゃべりながら、沖田の両腕を後ろ手にして縛りあげた。ロープの使い方がいかにも慣れた感じで、SMが好きで好きで仕方がない、という感じがヒシヒシと伝わってくる。

「ちょっと。ポチさん」

 いきなり沖田の首に力がかかる。そう、犬の首輪を、山本氏がリードで引っ張り上げたのだ。

「おい。女たらしども。打合せは済んだのか?」

 沖田が答えるまでもなく、「ポチ」さんが代わりに返事をした。

「はい。彼は全面的に完全に非を認める、と言ってます。未生女王様の美しさに目がくらんで、足元にひざまずきたい衝動を抑えることが、できなかった、と」

 沖田は抗議の声を上げた。

「ちょっと。そんなこと、一言も言ってない。それはポチさんの願望でしょう」

 沖田の抗議を無視して、山本氏は言った。

「よろしい。じゃあ、我が未来の妻を誘惑した罰として、慰謝料一千万円を、君に要求する」

 沖田は叫んだ。

「茶番だー」

 山本氏は、またしても沖田の抗議を無視した。

「ふむ。金がないとな。無い袖は振れない、というなら仕方がない。それではカラダで支払ってもらうことにしよう」

 山本氏は、沖田の首のリードを引っ張ると、顔面前10センチのところに立って、黒パンツをスルスルと下げた。リードに加えて「ポチ」さんが沖田の頭を掴んで、ガッチリと固定するので、逃げようがなかった。

「よし。射精するまで、しゃぶり抜け」

 沖田は、山本氏でなく「ポチ」さんに言った。

「アンタもグルか」

「何を今更ですよ、沖田くん」

「こら。私語厳禁。未生女王様によく見てもらえるように、もうちっと、首の角度を工夫しろ」

 山本氏の後は、未生女王様が命ずるまま、「ポチ」さんが沖田の口を利用した。「ポチ」さんは、沖田をフローリングに押し倒し、顔面の上にまたがって、太ももでガッチリと沖田の首をはさんだ。

 こちらも、逃げようがなかった。

 さんざん沖田をいたぶったのだから、未生女王様は、さぞご満悦と思い気や、そんなこともなかった。

 女王様は「ポチ」さんに命じて、沖田の黒パンツを膝まで下ろさせた。沖田のチンポはビンビンになっていた。彼女は足の裏で、ぐいぐい踏んずけていたと思うと、ため息をついた。

「沖田君。あんた、バイセクシャルね」と。


 沖田がいったん話を止めると、瀬川が「ぷはあ」と息を吐き出し、言った。

「トキオくん。えらい女に見込まれたのねえ」

「まあね。その後も、レアものの女子ばかりに、縁があるよ」

「それって、アタシたちのこと?」

 杉田のほうは、話の要点をキチンと把握していたようである。

「その。未生女王様が、トキオくんのこと、真正マゾじゃなく、バイセクシャルって見抜いたのは、何がポイントだったのかしら」

「さあ。でも、その後、SM抜きでも、男女関係なくセックスできるようになったから、見立ては当たってたんだろうね」

「初体験は、やっぱり、その女王様と?」

「違うよ。ポチさんの彼女さんと」

「ポチ」さんは、女王様たちには内緒で、二つ年下の女の子とつきあうようになっていた。

 妹さんの同級生で、口数の少ない理容師さんだ。叔母さんのやっている理容師店の唯一の店員にして、当時はまだ見習い扱いだった。比較的年齢の高い客層の店で、お婆ちゃんやオバチャンたちに、彼女はたいそう可愛がってもらっていたという。

「ポチ」さんに交際中の彼女がいると分かったときの、未生女王様の怒りは、すさまじかった。

「もう、いじめてあげない」

 こういうセリフが殺し文句になるくらいだから、「ポチ」さんは筋金入りのマゾだったのだろうと思う。女王様が「ポチ」さんを許す条件は、当然、彼女さんも女王様の奴隷に……いや、「犬」になることだった。

「オボコ娘なら、なおさらキツイ通過儀礼を」という山本氏の提案で、沖田を含む3Pが企画された。日付は、まさに「ポチ」さんの誕生日。プレゼントに彼女さんが「バージンを捧げる」というので、それを横取りしよう……と未生女王様が言い出したのである。未生女王様・山本両氏は、「ポチ」さんの大学の先輩にして、卒業指導や就職の世話をしてくれた大恩人、という触れ込みだった。誕生パーティーの一次会……いや、彼女さんを陥れるプレイルームは、例のマンションで、となった。京料理割烹から、山本氏が豪勢なオードブルを何皿も注文してくれ、それが先輩方からのプレゼントと聞いて、彼女さんは喜んでご相伴した。ほどよくアルコールが入ったところで、未生女王様が言葉巧みに彼女さんを恫喝し、「ポチ」さんの奴隷生活のすべてをバラし、そして服を脱がせた。彼女さんは、女王様の甘い説得に一時間も耐えたけれど、「言う事を聞かないと、2人を別れさせる」と脅され、屈した。3連結の瞬間、「ポチ」さんは涙を流して喜んでいた。目の前で、どこの馬の骨とも知らない沖田に、最愛の人の処女を奪われたのだから、悔し涙もあったかもしれない。沖田が直接「ポチ」さんに感想を聞くことはなかったけれど、未生女王様は、キッパリと、そんな憐憫を否定した。

「ポチは、嬉しくて嬉しくて泣いたの。それだけなの」と。

 女王様自身は、沖田たちのプレイをビデオカメラで撮影しながら、ゲラゲラと下品に笑い転げていた。沖田は、「ポチ」さんの腰のリズムに合せて彼女さんを責めながら、思った。

 マゾの極致というのは、こういうことなのか、と。

 その彼女さんの視線はどこか虚ろで、天井の紙魚の数をブツブツと数える声だけが、沖田の耳に残った。


「トキオくん、サイッテイ」

「自分も奴隷の1人だったんだよ、シノ。女王様の命令だった」

 瀬川が、沖田のほっぺをつねる杉田の代わりに、質問する。

「で? ポチさんと彼女さん、別れたの?」

「いや。紆余曲折あったけれど、最終的には、ちゃんと結婚したよ」

「ええっ」

「驚くことでも、ないでしょ」

「驚くことでもない、かあ……沖田くんも、マゾの才能、あるよね」

「そうかな」

「で? 未生女王様のほうは、どうなったの?」

 就職を機に仙台に戻ってきたところで、女王様たちの関係は、切れた。

 尻にチンポを挿入される快楽が忘れられなくて、しばらくはゲイ・コミュニティに出入りしていた。挿入されるだけでなく、挿入するのも好きと気づき、それから、男の尻でなく女の尻でもイケると気づいた。最終的に、沖田はバイセクシャル……それも、複数人交際を好む、ポリガミーバイと自覚するに至ったのである。

「ロングストーリーねえ」

「はははは。ご清聴ありがとうございました」

「トキオくんの性遍歴から、EDの原因を探るのは、ちょっと難しそうかなあ」

「自分もそう思うよ、タエコ」


 けれど、この打ち明け話が、全く参考にならなかったわけじゃない。

「試しに、女王様、やってみようか」

 提案したのは瀬川だけれど、もちろん提案者本人が、女王様に扮したわけじゃない。

「だって、その、未生女王様って、シーちゃんに似てたんでしょ」


 インターネット通販というのは、何と便利なサービスか、と沖田は思う。

 打ち明け話の3日後には、瀬川が再び「アマゾンでポチった」という女王様扮装セットを持参して、写真館に来た。

「アタシとシーちゃんの分、2セットあるんだけれど、メインはもちろん、シーちゃんのほうよね」

 打ち明け話で聞いた通りのデザインを探したんだけれど、なかなかドンピシャなのがなくって……と瀬川は嘆いてみせたけれど、杉田が着ると、かつての未生女王様以上に、SMの女王様っぽく見える。沖田が感激して褒めると、「全然嬉しくない」という返事。

「眼鏡はつけたままで、いや、今以上に顔がキツく見えるように、細めのフォックス型フレームのを」と沖田がリクエストすると、「どこまでマニアックなのよ、トキオくん」と今度は女性2人して、呆れた。

 沖田には、犬の首輪、手足の枷、そして貞操帯である。

「昔話を聞いている限り、鞭とか蝋燭とかは、全く登場しなかったから、用意はしたけれど、部屋の装飾にね」

 鞭の代わりに、ピンヒールで色々と責めることにする、と杉田は宣言した。

 最初はイヤイヤだったのに、実際プレイを始めると、杉田が一番夢中になった。

「シーちゃん、適正ありすぎ」

 沖田もビンビンに勃起した。この1カ月半の勃起不全がウソのように、元気いっぱいになった。

「トキオくんも、ノリすぎ」

 小道具・衣装を用意したのは瀬川だけれど、沖田・杉田があまりにもイキイキと「女王様と奴隷」をやるので、今度は瀬川が取り残させたような恰好になってしまう。背が低い瀬川には、そもそも見栄えのしないコスチュームでは、ある。2回目から、瀬川はバニーガールの衣装やメイドドレスで参加するようになった。

「SMなら、こんなに激しく反応するのか……トキオくん、実は、バイセクシャルじゃなく、単なる真正マゾの異性愛者なんじゃないの?」


 とりあえずEDは解消したわけだけれど、以前相談にのってもらった片桐氏が、遅ればせながら、カウンセラー兼性感マッサージ師を手配してくれることになった。カウンセラーなんていうから、結構年配の男性を想像していたのに、相手はまだ20代、バスケットボール選手だったという背の高い若者である。仙台苦竹の雑居ビル4階に、彼の「メンズエステ」はあり、予約を入れてもらって、沖田は来店した。初対面だと思っていたのは沖田のほうだけで、相手は沖田のことを良く知っていた。マッサージはお客さんが全裸になって施術を受けるのが普通なのだけれど、ゲイ向けをうたっているだけあって、このメンズエステでは、サービスする側も全裸になるのだと言う。

「沖田さんなら、特別サービスもしますよ」

「片桐さんに言われたの? 気を遣わなくっても、いいよ」

「もっと個人的な動機です」

 6年前、塩釜緑地公園で、沖田とペッティングをした事があるのだ、と彼はニッコリ笑った。「今さら、ためらう理由、ないでしょう」と、このゲイ・エステシャンは重ねて沖田を誘惑する。

「今は、ステディのガールフレンドがいるんだよ」

「ガールフレンド? 沖田さん、ゲイですよね」

「あ。片桐さんから、聞いてない? 実は、バイセクシャル」

 そして、片桐氏が沖田に、エステを紹介してくれた理由を告げる。

 男性の裸には立派に勃起するのに、女性に対してはEDになってしまう、と。

「そうだったんですか。片桐さんは、本人に聞けって、詳しく説明してくれませんでした」

「相談を受けるのに、全然情報を出さないのは、フェアじゃないから、もう一つ、言っておくよ」

 沖田は、例の「SM療法」で、一応勃起不全は回復したことも、告げる。

「もっと早くに来ていれば、良かったんだけど。ごめんなさい」

「いいですよ。……お話を伺う限り、沖田さん、自分がLGBTの人間じゃなく、SMが好きなだけのノンケなのかもしれないって、心配になってるんですね」

「うーん。心配とは、ちょっと違うんだろうけど。そうだね、考え込んでしまうんだ」

「今、ここで、SM抜きで僕とハッテンすれば、LGBTの人間かどうか、確かめられるじゃないですか」

「だから、交際中の女の子たちへの、裏切りになっちゃうって」

「さきっちょだけなら、浮気にはなりませんよ。沖田さん、そう、ペッティングのあと、さきっちょだけ」

 こういう場合、たいていは「さきっちょだけ」では済まないものだ。

 けれど、エステシャンが呪文のように「さきっちょだけ、さきっちょだけ」としつこく唱えるので、沖田は根負けした。「本当にさきっちょだけだよ」とスペシャルマッサージを許す。

 シックスナインまでして、お互い射精したあと、沖田はガバっと起き上がって、ベットの端に座った。

 よし。

 さきっちょも入れずに、済んだ。

 エステシャンは恨めし気に沖田のチンポを眺めていたけれど、ようやく「診断」を口にした。

「立派にLGBTの人間だと思います。というか、沖田さん、やっぱり真正ゲイなんじゃ」

「どうして、そう思う? 女の子と、ちゃんと性交もしてるのに、真正ゲイ?」

「昭和初期や大正の頃は、そういう先輩方がいたっていうのを、聞いたことがあります。男は、結婚して一家を構えて一人前と見なされた時代の話です。ゲイっていう生き方が許されなかった時代です。三島由紀夫の『仮面の告白』とか『禁色』とか、読んだこと、ありませんか? このへんの心理……真正ゲイなのに、女性と同衾しなければならなかった苦悩が、見事に描かれています。相手をマキザッポウと思いなさい、なんていうアドバイス、当時の結婚を強いられた真正ゲイじゃなきゃ、出てこないセリフだ」

「ふーむ」

「沖田さんの僕への愛撫の仕方が、やっぱり真正ゲイ特有のものだなあって、思います。特に、お尻の穴を10分以上にわたって丹念に舐めまわすなんて、ゲイ特有の……いや、ゲイでも相当ディープな人の特徴じゃないかな、と」

「そうかなあ。一応、自分、尻フェチなんだけど。男と言わず女と言わず、尻が好きな人なら……」

「いませんよ、いくら尻好きだって、そういうことする人は。僕もハッテンバで何人か、バイセクシャルと公言する人に会いましたけど、女の子を相手するように、胸を撫でまわす人はいても、尻の穴に、こんなにマニアックにこだわったバイは、いなかったです」

 そして、昭和初期のゲイカルチャーのいちいちを紹介して、エステシャンは自分の論理を補強するのだった。

「結論。君の見立てだと、自分は、真正ゲイだ、と。昭和の古いタイプのゲイだから、我慢して女とも寝ることはできるけど、本質的に真正なんだ、と」

「間違いありません」


 この日以来、沖田は仕事が手につかなかった。

 いや、写真選定だろうがトリミングだろうが、いったん仕事に取り掛かれば、今までのように集中して、パソコンに向かいはする。けれど、その合間のボーっとしている時間が、極端に長くなっていった。

 沖田の変異に気づいたのは、まず葬儀屋の専務さんだった。最初の仕事の遅れには「ちょっと、たるんでないか」と苦言を呈するだけだったけれど、チョンボが度重なるにつれ「どこか体調悪いのか」と心配してくれるようになった。

 続いて花屋さん、お寺の住職さんたちときて、それから花束の会の名和氏である。

 皮肉なことに、一番そばにいるはずの瀬川と杉田が、最後の最後に沖田の「ぼんやり」に気づくことになった。

 アイマスクをして、椅子に座ったまま眠る沖田を、杉田が心配する。

「また、インポに戻ったとか?」

「違うよ、シノ。アイデンディ・クライシスなんだ」

 ついでに言えば、インポじゃなくって、EDって呼ぶべき。

「トキオくん。そんなムリして横文字なんか使わないで。何がどーしちゃったのか、ちゃんと具体的に説明してよ」

 自分がゲイだかノンケだかバイセクシャルだか、分からなくなった……と沖田は悩みを打ち明けたのだった。


「写真館でしゃべり出すと、とてつもなく下品な文脈でしゃべりそうになるから」と沖田が断りを入れたせいで、「お悩み相談室」は北上運河沿いのスターバックスに場所を移す。

 結論から言うと、「ゲイだろうがノンケだろうがバイだろうが、トキオくんはトキオくんでしょ。やりたいようにセックスして、やりたいように交際したら、いいじゃない」という瀬川の言い分が、一番説得力があるようだった。沖田は、瀬川の割り切った言い方が全てだと頭では理解していたけれど、得たいの知れない居心地の悪さで考え込んでしまうのは、避けられそうもない。

「トキオくんが、オフの時間に何をしていようが勝手だけれど、仕事に支障が出るのは、絶対マズいわよね」

 仕事のいったんでも代行できる助手がいれば……でなければ、せめて家事をやってくれるアシスタントがいれば。

 杉田が、クラフトキャラメルラテを堪能しながら、言う。

「タエちゃん。いっそのこと、写真館に同棲しちゃおうか」

 ノリがいいことでは杉田をしのぐ瀬川が、このときばかりは慎重派になった。

「ダメよ、シーちゃん。あなた、生徒さんに見つかっちゃったら、どーするの。日ごろから自分で言ってたでしょ。大スキャンダルよ」

 そもそも、パソコン得意じゃないでしょ、と瀬川はダメ押しもした。

「それより、いい考えがある」

 瀬川は、別の同居者候補を上げた。

「現在フリーターで、いつからでもヘルプに入れる。家事、なかなか得意。写真加工……少なくとも動画編集はしたことあるはずだから、技術的には、大丈夫のはず。何よりも、アタシの言うことには絶対服従してくれるのが、いい」

「なーに。タエコ女王様の奴隷? 家事得意って、まさか女じゃないでしょうね」

「ウチの弟よ。マサキ」

「やっぱり、タエコ女王様の奴隷じゃない」


 友人のところを点々としていたマサキは、住み込み先がついたアルバイトと聞いて、喜び勇んで布団を持ってきた。写真館の二階には、建物を買ったときから使用していない部屋が二部屋、それとは別に、物置代わりの屋根裏部屋がある。マサキは、天窓がつき、天井が斜めに傾いている屋根裏部屋を面白がって、ここに住む、と言い出した。部屋への入口は、収納式梯子しかなく、布団以外の荷物を運び入れるのには、苦労した。

 沖田は、荷ほどきしているマサキに聞いた。

「石巻市内の病院勤めなのに寮生活しているタエコといい、君ら兄妹っていったい……ご両親は、心配しないのかい?」

「うーん。ウチの両親、毒親なんスよ」

 引っ越しの翌日から、早速マサキはカメラとパソコンをいじった。

 タエコの言う以上に、マサキはパソコンができた。つまり、沖田の仕事を手伝う事が、できた。四苦八苦してソフトの使い方を覚えてきた沖田は、手放しで褒めたが、彼に言わせると「生まれたときから、身近にパソコンがある世代なんスから、これくらいできて、当然」らしい。

「冷え冷えするカルピスに、グラブジャムンでもあれば、さらに二〇〇パーセント増しで、仕事をするっス」

「その……クラブ、ジャムって、何?」

「グラブジャムンっす。インドの、世界一甘いっていう触れ込みの、激甘スイーツっす」

「……カルピスは、水に薄めず、原液のままで、だっけ」

「分かってるじゃないスか、沖田さん」

「虫歯に、なるなよ」

 もちろん、黒スーツを着用し、黒ネクタイで営業してくる仕事を、マサキには任せられない。けれど、この若者の「内助の功」で、どうやら仕事を繕うことには、成功した。

 当たり前ではあるけれど、もっとプライベートなほう、沖田の悩み自体……自分が何者か分からない……は、解決しないままだった。

「真正ゲイか、それとも筋金入りのマゾなのか」

 双方の属性持ちで、しかも沖田に的確なコメントをくれそうな、人間。

 心当たりはあるにはあるけれど、連絡をとれば、杉田が不機嫌になるかもしれない。沖田が再三考え込んでいると、マサキがパソコン操作の手は休めないまま、無邪気に、問うてきた。

「オレ、そのLGBTっていうのは、よく分からないッスけど……自分がヤっつけてきた修羅場からすると、そーゆーときは、行くっキャ、ないッスよ。やらないで後悔するより、やって後悔したほうが、生産的っス。とにかく、いいにせよ、悪いにせよ、その、ナンチャラさんに相談すりゃ、状況は変わっていくわけッショ?」

 マサキに背中を押されて、沖田は久々に東京に連絡をとった。

 そう、真正ゲイにして真正サディスト、ハンドルネーム、ペンギンに、だ。


「ほう。あのときの優等生ちゃんと、沖田、今、つきあってんのか」

 正確に言えば、瀬川を含めて……同棲交際中のバイカップルと、なんだが。

「男の成分が足りないんだな? そうだな?」


 旅行代理店の店長というのは、平日より日曜のほうが忙しいらしい。

 久々にチャットルームで長々と近況報告した翌々日。「愚痴を垂れるなら、直接のほうがいいだろ。オレ、日曜は忙しいんだ」という一方的な通告とともに、ペンギンが朝一番の新幹線で仙台に来ることになった。「駅まで迎えに来いよ。社会人としての最低限のマナーだぞ」。改めて釘を刺されなくとも、そうすると答えた、沖田だった。

「自分も、フットワークが軽い人間って言われますけど、ペンギンの軽さには脱帽します」

「そんな大袈裟なことでもない。仙台まで、新幹線で一時間チョイの距離なんだしな。友達を連れていくから、接待、よろしくな」

 ペンギンの友達ということで、一応確認すると、やはり全員真正ゲイだと言う。

 よろしくと言われても、仙台市内にゲイバーやそれに類するお店は一ダースあまりしかなく、しかも石巻在住の沖田は、そんなに詳しくもない。新宿二丁目で「AZT」に連れていってくれたときのペンギンのように、自分も、颯爽とカッコイイところを見せたいところではあるが。

「何を言ってんだ。そんな店なんか、どーでもいいよ。それより、ハッテンバになってる公衆便所、教えてくれよ」

 LGBT向けのラブホテルやサウナではなく、公衆便所にこだわるのが、いかにもペンギンらしい。三か月ほど前の悪夢が、沖田の頭の中をよぎったけれど、友達を連れてくるというのなら、そんなにヒドイことにもなるまい……しかし、沖田の読みは、外れた。

 ペンギンも身長一八〇の立派な体躯だけれど、彼が連れてきた5人の友達は、それ以上の大男ばかりだった。新幹線のホームで待っていると、半ダースの男たちはぞろぞろ降りてきて、沖田と次々に握手した。

 この全員が全員、ペンギンの学生時代の部活仲間……ラガーメンだという。相変わらずスーツをダンディに着こなしているペンギンと違って、お仲間さんたちの服装はまちまちだった。ジーンズにジージャンというカジュアルな恰好の人もいれば、自動車整備工みたいなツナギ服姿の人もいる。皆に共通しているのは、立派な胸板やボリュームある臀部を強調するような、ピチピチの恰好をしているということだろうか。

 ペンギンが鳥の名前をハンドルネームにしているように、5人のうち4人までが、鳥にちなんだ名前を名乗る。

 ジーンズにジージャンの男が、トキ。重量挙げ選手のような筋肉隆々、横たちのいい男がスワン。スーツ姿のヤクザっぽい男がオウムで、アフリカ系アメリカ人とのハーフだという2メートル近い大男が、ドードーだ。

 ツナギ服の男は、「オレのことは、単にアベさんと呼んでくれ。アベ高和だ」とウインクする。もちろん沖田は彼の偽名の意味を知っていた。ゲイ雑誌『薔薇族』にかつて掲載されていたゲイマンガに出てくる登場人物の名前で、青いツナギの似合ういい男、である。

 阿部さんは、ウケを狙って、この名前を名乗ったのかもしれないけど、沖田は少し複雑な気分になった。

「どうした?」

 阿部さん自身に質問され、沖田は身長に言葉を選ぶ。

「実は、ウチの地元、石巻で一番多い苗字が、そのアベなんですよ」

 地域性の問題だろう。たぶん、東京あたりでなら稀な性であるアベ、という名乗りは、とんがったキャラクターにつけるにはお似合いなのだう。けど、どこもかしこも阿部さんの石巻では、なんだか、違和感ありありなのだ。

「わははは。町中の男っていう男が、ハードゲイの親戚か」

「笑いごとじゃないぜ、阿部さん」

 スワンがたしなめてくれたけど、そのたしなめる言葉自体が、なんだか、ヘンだ。

「町中の男がすべてゲイだったら、女の子はどーすんだよ」

 ヤクザ顔のオウムが一番常識的らしく、沖田に真面目な質問をしてきた。

「君のことは、なんと呼んだらいい?」

 ここで沖田の本名を知っているのは、ペンギンだけだ。後腐れのないように、ハンドルネーム……いや、ハッテンバネーム、とでも言うべきか……を名乗ってくれよ、と言う。

 「なにか、鳥に関する名前がいいな」

 すかさず、ペンギンが答える。

「それなら。コイツのハンドルネームは、最初から決まってる。コウモリだ」

 沖田が夏に東京に遊びに行ったとき、ペンギンは新幹線ホームのトイレで致すことに、こだわった。あの時の願望は、かなわなかったけれど、今回、部分的には、その願いが実現してしまう。「上野駅に比べりゃ、やりにくくて仕方ない」と阿部さんはボヤいたけれど、トイレにお仲間を連れていくのはお手の物らしく、沖田は「拒否権ないからな」と、ペンギンに袖を引っ張られた。

「ズボンとパンツを脱いだら、ひざまずけ。やり方は、覚えているだろ」

 沖田の他に、2人ずつトイレ個室に立てこもる。2人のうち、1人は撮影係だ。

「フェラチオだ。6本も相手にするのは、初めてか?」

 もちろん、初めてだった。

 皆が皆、立派な体格にお似合いの立派なイチモツの持ち主だった。

 特に、アフリカ系アメリカ人ハーフのドードーは、規格外の大きさだった。大きすぎて、3分の1も飲み込めない。

「場所を換えて……もっと小汚い場末の便所に行ったら、順番に尻の穴に突っ込んでやるからな。どーだ、楽しみだろ」

 ペンギンは、ご満悦だったけれど、沖田はヤバいと本能的に理解していた。ドードーのを肛門に突っ込まれたら、括約筋が切れ、ポッカリと穴が開いてしまう……すさまじい快楽に支配されてしまうだろう。沖田の肛門は、理性ともども、破壊されてしまう。

 次の公衆便所に移動する前に、助けが必要だった。

 前のとき、東京での時は?

 杉田が居合わせて……いや、たまたま名刺をもらっていたお陰で、助けてもらえた。

 では、今回はどうだ?

 成り行きとは言え、そして口でフェラだけとは言え、これを杉田は浮気と見なすだろう。

 女性が、男子トイレに入ってきて、他の男たちを止めるのも大変そうだ。そもそも、平日は丸1日学校で仕事がある。沖田の事情を知っていて、電話一本でかけつけてくれる男に、沖田は1人だけ心当たりがある。

 そう、マサキだ。

 音声電話では、すぐにバレそうになるので、急いでメールを送る。返信の手ごたえがないのが、もどかしい。石巻から仙台まで、車だろうが仙石線だろうが、一時間のタイムラグがある。幸いにして、新幹線の駅で一発ずつ抜いたあと、6人は休憩を兼ねた観光タイムに入った。「利休」で牛タンを食べ、青葉城を散策し、ペデストリアンデッキで記念写真。沖田は、落ち着いてハッテンできる場所として、ビジネスイン都や仙台スピードを推薦した。でも、「ダメだ。トイレでするんだ」とペンギンは譲らない。沖田は仕方なく、JR福田町駅の近くの公園に、みんなを案内するはめになった。この公園は草野球に恰好の球場が付設、小学生や中学生が練習したり試合したりしている休日は、結構な人だかりがある。平日の午後、イカツイ男たちがぞろぞろ歩くような場所ではない。でも、公園脇道路には保冷コンテナ付の中型トラックが違法駐車していて、その運転手っぽく見えなくもないか、と沖田は自分に言い訳した。

 マサキは、スマホを頼りに、なんとか公園まで駆けつけてくれたけど、一足遅かった。

 ペンギンの指示で、新幹線の駅では一番最後の順番だったドードーが、今回一番槍をつけることになったからだ。他の「鳥」たちは、口々に、「コイツの後だと、締りがなくなる。スカスカの穴に突っ込んで何が面白い」と文句を言った。けれどペンギンは「それがいいんじゃないか」と譲らない。最初の一発目で、沖田は腰が抜けるほど、疲れた。カラダの皮膚全部が敏感になった気がした。4本目か5本目かで、沖田はとうとうトコロテンをした。

 そして最後にペンギンの順番になったところで、マサキが登場したというわけだ。

 イカつい男が半ダースもいるのだから、誰でも事情を察することは、できる。

 沖田が掘られている間、ふつうに小便しに来たふつうの男たちは、ペンギンやドードーに一睨みされると尿意が止まるらしく、そそくさと逃げていった。それでなくとも、アンモニアとザーメンと、男性用香水の匂いがトイレには充満していたのだ。

 だからこそ、立ち止って、しげしげと観察する……沖田の様子を見に来たマサキは、異様だったに違いない。

「アンタ、地元のゲイの人?」

 オウムがマサキに声をかける。

 仲間意識があるのか、なんだか親し気な様子である。

「……オレ、その人の、恋人ッス」

 マサキがなぜ、嘘をついたのかは、分からない。

 その人の恋人の弟……という名乗りでは、沖田の解放を主張する権利がないと思ったのかもしれない。ゲイにはゲイ特有の嗅覚みたいなものがある。相手が同性好きかどうか、瞬時に見抜く能力だ。マサキが見破られなかったのは、かつて劇団サークルに所属していて、鍛えられた演技力の賜物かもしれない。はたまた、沖田と同居して、同性好き特有の仕事や雰囲気が、身についていたせいかもしれない。ペンギンは首をひねっていたけれど、トキが素早く矛盾点をつく。

「……コウモリは、バイセクシャル交際をしていて、相手はバイの女性カップルだって、言ってなかったか? アンタ、ひょっとして、女なのか?」

 マサキは確かに背は低いし、童顔ではあるけれど、女の子だと言い張るのは、さすがに無理がある。マサキは虚勢を張った。

「それはたぶん、アンタの聞き間違いだと思うよ。実際は、バイセクの男女カップル」

 だから、沖田さんを返してもらおうか。

 ペンギンが、ニヤリと笑う。

「ほう」

 オウムがすかさず、問う。

「ハッテンバで、一期一会する相手に、わざわざ本名を告げる……いや、恋人の本名をバラすようなマネをするのは、いただけない。アンタ、本当は、こういう場に出入りしたことがない、ノンケじゃないの?」

 言葉に詰まるマサキに、ペンギンが追い打ちをかける。

「そもそも、恋人だって言うのに、下の名前で呼ばないんだな」

 トキも、口を出した。

「アンタは、単にオレたちの邪魔をにしきた部外者なんだ。そうだろ?」

「違う」

「違うっていうなら、ここで証拠を見せてくれよな」

 そうだな……せっかくだから、キス……ディープキスでも、してみせてくれ。

「なんだって、そんなことを」

「ハッテンして見せろっていうのは、あまりにも下品だからさ

 ペンギンが言うと、なんとも説得力がない。

 いくら何でも、マサキが思いっきりためらっているのが、沖田にも分かった。迎えに来てくれとは頼んだけれど、ここまでしてもらう義理もない。

「やってもいいんだけど……それなら、沖田さんに、口をすすぐように、言ってくれよな」

「なんだ、バカに潔癖症だな」

「キスしたとき、アンタらの精子の味が口の中に広がるのが、イヤだから」

「なんだとう」

 いきり立つオウムを、ペンギンたち一行が止める。

「まあまあ」

 うがいが口実なのは、沖田にも分かった。

 逃げ出すチャンスを伺うための、時間稼ぎか。

 それとも、キスする決心を固めるための、時間稼ぎか。

 男同士のキスが、異性愛者男性にとって、どれ位おぞましい行為か、沖田だって熟知している。漢を見せてくれたマサキのためにも、今度は沖田が、次善策を提案する番だ。

 かつて大学体育会所属していたセミプロ級ラガーメン相手に、「鬼ごっこ」で逃げ切るなんて、不可能だ。

「……いくら口をすすいでも、6本ぶんの精子なんだから、いっときで全部洗い流せるわけ、ないだろ。どーしても、匂いは鼻につくと思うな」

 この沖田の言い分には、ペンギンも納得した。

「それより、この彼氏は、純粋なタチにして、結構なサディストなんだ。タチはタチらしく、一方的に、自分がこの彼氏に責められるところを見せたら、納得するか?」

「具体的にどーするんだよ、コウモリ」

 沖田は深呼吸して、ペンギンに言った。

「今日、7本目のチンポをしゃぶるよ」

 沖田がマサキのズボンのベルトをカチャカチャ外している時、声なき声が振ってくる。

「沖田さん。男に舐められたところで、オレ、ピクリともしませんよ」

「まあ、まかしとけ」

 沖田は丹念にマサキの尻の穴を舐めた。先ほどの宣言はどこにいったやら、マサキは立派に勃起した。そして、勃起したこと自体に、すごく驚いていた。尻穴への初めての刺激の余韻が残っていたのか、ものの5分しないうちに、マサキは沖田の口の中に、出した。

 せっかくだから、沖田が恋人くんに尻穴を掘られているところも見たい……と阿部さんが言い出した。

 けれど、ここまでだった。

 トイレ入口で見張りをしていたオウムが、慌てて、個室まで戻ってくる。

「警察、来たよ」

 ペンギンが見に行くと、本当に、制服姿の2人組が、公衆便所に向かって歩いてくる。

「逃げるぞ」

 脱兎のごとく、トイレから退散するタイミングで、沖田はペンギンたちを振り切った。気がつくと、沖田はマサキの手をひいて、七北田川の河川敷に座り込んでいた。腰に手を当てた瀬川が、沖田たちを見つけ、河川敷に滑り降りてきた。

「タエコ」

 マサキが言う。

「沖田さん。オレが、姉ちゃんにも手助けを頼んだんです。相手、ガタイのいい兄ちゃんたちだし、男好きの男だし、オレの手に負えないって」

 瀬川は精いっぱいの怖い顔を崩さなかった。

「アタシが通報したのよ。感謝しなさいね」


 その後、写真館で、沖田はみっちりと説教されることになる。

 杉田が怒り狂い、瀬川がそれをなだめ、沖田が土下座した。

 男たちが代わる代わる見張っていたから、沖田に逃げる余地はなかったと、マサキがかばってくれた。

「まあ。不可抗力ということに、しておきましょう」

 杉田が最終的に許したのは、沖田のインポ……EDが結果的に治ったからである。

「あれ、治療効果があったのかしら? それとも単に、オトコ成分が補充できたせい?」

 瀬川は色々と詮索してきたけれど、沖田は笑ってごまかした。


 東京に戻ったペンギンから「いいガールフレンド、持ったじゃん」というメールが来た。どうやら、警察を呼んだのが瀬川だと、気づいていたらしい。沖田は今回の騒動のことで、当然抗議した。

「おかげで、こっぴどくフラれるところだったですよ」

「そのときは、東京に来い。オレが……いや、オレたちが、代わりのステディになってやる」

「マジメな話ですよ」

「そうだよ、マジメな話だ。マジメに、あのレベルの荒療治じゃなきゃ、お前はインポのまんまだったろうよ」

 瀬川が被害届を出すかもしれない……という脅しも、ペンギンには「カエルのツラにションベン」である。

「好きにしろ。警察に事情聴取されて、困るのはお前のほうだろ?」

 ペンギンからは、結局、謝罪の言葉は一切なかった。オレは真正サディストの真正ゲイで、そもそもインポの件で相談を持ちかけてきたのは、沖田のほうだ、という返事。

「当然の『施し』『治療』をして、なんで、謝罪しなきゃ、ならない?」

 しかし、傲慢いっぽうの言葉を垂れ流していただけでなく、ペンギンは有益なアドバイスもくれた。

「お前さんが、自分のことを自分で決められないうちは、同じことが何度でも、何十度でも起こる。心のスキを狙い放題、狙われる。誰かに、お前はバイセクシャルだと言ってもらえなければ、バイだと自覚できない情けなさを、噛み締めろ」

 沖田は「もう自分探しはやめる」と返事した。

「それでいいよ。沖田がまた、独り身になるまでは、連絡しないことにする。お前も、もうメールをよこすな。優等生ちゃんに、よろしくな」


 禁断の果実というのは、一度でもかじってしまうと、その事実が頭から離れなくなるらしい。いや、だからこそ、禁断の果実なのだ、と沖田は思う。

 風呂上り、マサキが全裸でウロウロする時間が増えた。冷蔵庫からカルピスを取り出してきて「一杯やりながら」事務室や応接室でテレビを見るのである。最初のうちは、瀬川家の習慣なのかな、と思った。夜風が冷たい季節になってきてからも、やはり全裸でウロウロをやめないので、そのうち、彼特有の体質なのかな、と思った。度外れた甘党の相棒に、別の特異体質があってもおかしくない、と沖田は思い込んでいたのだ。だから、マサキが露骨にセックスアピールをしてきたときには、驚いた。

 たまには一緒に酒でもどうです……と例によって風呂上り、全裸のまんまマサキは台所に立った。いや、簡単なツマミを作るから、とエプロンだけして、立った。

 そう、裸エプロンだ。

 応接室には立派なソファもあり、テレビもある。けれど冷蔵庫や調理場がなく、酒と肴はイチイチ台所にとりにいく仕様である。台所で……ダイニングで酒を飲みましょう、というマサキの提案は、自然だった。

 けれど、そろそろ湯冷めしますと言って、長袖シャツだけを着こんだ時は、不自然だった。下半身は相変わらずの裸エプロン状態だったからだ。

「マサキくん。ひょっとして、自分のこと、誘ってる?」

「沖田さん。ようやく気づいてくれたんですね」

 マサキは照れながら「心境の変化」というヤツを語ってくれた。

「女の子のフェラチオより、オトコのフェラのほうが気持ちいいっていうのは、知識では知ってたけど、あれほどとは思わなかったッス」

 女性は興奮すると口の中が冷たくなる……等、マサキはどうでもいい無駄知識を披露する。

「分かった、分かった。あの日のことは、自分にとって悪夢だったんだ。あんまり、思い出させないでくれ」

「沖田さん。期待で、オレ、ビンビンになっちまってるッス」

「マサキくん。君、異性愛者男性のくせして、男性に舐められるの、抵抗ないの?」

「ぶっちゃけ、気持ち良ければ、なんでいいっていうタイプみたいっす。自分でも、ちと驚いてるっていうか……まあ、沖田さんのを舐めろって言われたり、キスしたするのは、ムリっぽい感じかな」

 酒のツマミにするには、生臭すぎるソーセージだよな……と沖田がボヤくと、マサキは返事をせず、いそいそとテーブルをまたいで、沖田側のソファに来た。

「せっかくだから、脚立の上で、ポーズをとってくれ」

 大きな天板付のを二つ平行に並べ、マサキに、その上で、ウンチングスタイルでしゃがむように、言う。プロ用を謳う脚立は、支柱も太く、安定感があった。

「太ももを頭ではさんでくれ、マサキくん。挟んだら、両手で後頭部と首筋を掴んで……そう、逃げ道を断ったところで、ガンガン腰を振ってくれ。イラマチオというヤツだよ」

「沖田さん。トコトン、マゾ気質っスね」

「このポーズだと、同時に君の尻穴を開発できるじゃないか」

 この日を境に、沖田とマサキは夜ごとSMごっこをするようになる。もっとも、沖田だけでなく、どうやらマサキもマゾっ気があるらしく、一週間もしないうちに、沖田のペニスを口に含むようになっていた。台所でやれば、妙な残り香が充満するから……と場所も替えることになった。沖田が寝室ではなくトイレを選ぶと、「実に沖田さんらしいッス」とマサキは呆れ、納得した。二週間後、マサキが沖田の尻の中で初射精した日、情熱的なキスも交わした。

 こうして、同居人相手に結構、精を浪費しているはずなのに、沖田は本来の恋人……杉田・瀬川とも順調にベッドインした。というか、マサキと関係を持つようになってから、絶好調になったと言っていい。

 これは、やっぱり、浮気というヤツなんだろうな、と沖田はぼんやり考えた。

 けれど、どこかで「男子成分」を補給しないと、杉田・瀬川と性行為を継続できないのも、ハッキリした。そう、沖田はやはり、自分で自覚している通りのポリガミーバイだということだ。女性とだけ性行為を続けることが、自分にとって、いかに「不自然」で、今後も瀬川・杉田と交際を続けるためには、「浮気」に目をつむっておいてもらねば、ならない。その、いわば「セックスフレンド」が、実の弟と知ったとき、瀬川・杉田がどんな反応をしてくるか……沖田は連日、悩んだ。

 マサキと2人でトイレに立てこもるとき、姉の話は一切、出ない。

 彼が男性同性愛行為をどう思っているか、じっくりと心の内を聞いたこともない。そしてもちろん、こんなことを相談できる相手も、全くいない。

「自分のことは、自分で決めろ」

 酒の肴代わりに、脚立の上で四つん這いなったマサキの尻穴を責めているとき、フイに沖田はペンギンの言葉を思い出した。瀬川・杉田と破局はしたくない。だとしたら、選択肢は一つしかない。

 マサキとの仲を、公認してもらうこと。

 4人でバイセク交際をする際、性行為の組合せ……パターンを網羅しないでも、それは男女交際と呼べるモノなのだろうか?


 沖田が、今日告白しようか、明日打ち明けようか……と悩んでいることも含め、すべて瀬川に筒抜けだったと知った日のこと。

めでたく(?)マサキも含めた4人のつき合いが、始まることになった。

「オレが、姉ちゃんに逆らうこと、できるわけないでしょう」

 マサキの言い訳は、よく考えれば、当たり前過ぎるくらい、当たり前のことだった。

 写真館の応接室には「このほうが、キッチリと叱っている気になれるから」と宣う女王様姿の杉田と、「SMプレイ用のスーツ、コスチュームのたぐいは、全部洗濯中で、今、あいにくと着るものがない」とセーラー服姿の瀬川が、待ち構えていた。

「はい、土下座」

 沖田は、犬の首輪と貞操帯だけ装着、という奴隷スタイル。マサキも、姉に買ってもらった、沖田とお揃いの首輪に、裸エプロンである。沖田はひどく叱られるのを覚悟していたけれど、瀬川はあっさり言った。

「これからは、マサキを入れて、4人でつき合いましょ、トキオくん」

「あれ。タエコ、怒ってないの?」

「叱ったり、ぶったりしたら、トキオくん、逆に喜んじゃうでしょうが。このドⅯ」

 杉田も、ピンヒールの先で、沖田の頬を突っつきながら、言う。

「これで、トキオくん好みの連結セックスが、できるようになるわね。男・男・女ってヤツ」

 ちなみに、マサキの相手をするのは、沖田だけになりそうだ、と杉田は続ける。

「どういうこと、シノ?」

「どうやら私が、ビアンよりのバイだってこと」


 マサキの件が瀬川に筒抜けだったのは、周知の通りである。

 マサキが裸エプロンで沖田に迫っていた時点、つまり、かなり早い段階から、女子2人は、マサキを交際の中に入れるかどうか、検討していたらしいのだ。ペンギンのような、ゴーマンな男なら、即お断りだけれど、タエちゃんの弟ならOK……と杉田はとりあえず嫌悪感のないことを、瀬川にも伝えていた、という。

 でも、もし、交際の輪の中に入ってきたら、これを近親相姦っていうのかしら……と別な方面の心配も、していた。たとえば、4人でベッドインするとして、直接皮膚接触がなかったとしても、裸を見たり見られたりしたら、それは一種のインセストと言えるかどうか、という問題だ。女子2人は、あーだこーだ、だいぶ時間をかけて話し合った結果、あからさまな性行為でなければ、近親相姦扱いしないでおこう、と取り決めた。万人に……どんな姉弟にも通ずるルールというわけでは、ない。

「自分のことは、自分で決める」。

 そう、4人の交際中に、瀬川とマサキの間だけで通用させる、ルールである。

 でも、こういう宣言があると、マサキが「男女」関係を結ぶべき相手は、杉田だけになってしまう。瀬川は、当然、念入りに、杉田の気持ちを確かめることにした。恋愛感情が湧いてくれれば、それに越したことはないけれど、そんな感情抜きでも、アタシの弟とエッチな関係になれるの? と。

 杉田はしばし考え込んでいたけれど、きっぱり返事したそうな。

「私、女の子のタエちゃんとだけでなく、男の子のタエちゃんとセックスしたら、どんな感じかなーって想像したことが、あるのよ」

 性転換、なんていうヘビーな方法抜きでも、お手軽にこの妄想を楽しめたり試したりする方法って言っていいかも……姉と似た弟を相手にするのは。

 瀬川は、感激で杉田を半日抱きしめていた、そうな。

 こうして、杉田はマサキを認める宣言、したのだった。


 ここまで説明すると、杉田は、土下座の沖田に「ヘソ天」を命じた。

 そう、降伏した犬のポーズである。仰向けになり、両脚を上げ、腹を見せる「負け犬」のポーズだ。ピンヒールで沖田の股間をグイグイしながら、杉田は瀬川との会話を続ける。

「ねえ、タエちゃん。トキオくんたちも、そういう感じの『もしも』、楽しんだのかしら」

「さー。どーかなー。アタシたちのスキンヘッドくん、そんな繊細なタイプじゃないでしょ」

 恋愛感情抜きの即物的な「カラダだけの関係」だけで、交際の可否を決定するのは、無粋で野蛮な感じだ。けれど、LGBTにはつきもののすり合わせである……とは、確か前にも説明したことが、あったかもしれない。

 ともあれ。

 回顧談の続き。

 瀬川は、その後、病院寮の私室に、マサキを呼び出したそうな。

 今後、沖田の目を盗んで、時々杉田とデートし、気持ちが通い合うかどうか、やってみなさい……という命令だ。映画、ショッピング、観光地巡りという無難なデートを何度かこなしたあと、マサキは瀬川に報告をした。「男と女」と意識して会話すると、どことなく、気まずくなる。けれど、彼女を「姉の1人」と考えて接すると、非常に居心地がよく、しゃべりやすい。だから、今後は、杉田のことを「シノ姉ちゃん」と呼ぶことにする、と。


 杉田からの報告は、もっと核心をついていた。

「マサキくんを弟と思うと、確かに抵抗なく触ったり抱きしめたりできるけれど、1人の男の子と意識してしまうと、カラダが拒否反応を起こす」と。

 過保護でブラコンな姉なら、弟にスキンシップしたりキスしたりはするけれど、性交まてはしないだろう……というのが、杉田の結論だった。

「私、ビアンよりのバイセクシャルなのよね、やっぱり」

 この「やっぱり」というのは、最近の杉田の交際歴を見るに、最初が森下さんであり、その次が瀬川で、要するにね女性パートナーが続いてきた理由のことを、言うのだろう。

 沖田はマサキのために、抗議した。

「マサキが真正ゲイってならともかく、それじゃ、可哀そうだよ。女の子と浮気したら、見て見ぬふりをするくらいの、お目こぼしは……」

「ダメ」

「シーノー」

「そもそも、マサキくんを引き入れたのは、トキオくんでしょうが。あなたが、そんなことを言う?」

 うっ、と沖田は言葉に詰まった。

 瀬川がしゃがんで、沖田の目を覗き込みながら、言う。

「トキオくんは、男なしじゃ、やっていけない。けど、マサキ以外の男だと、そもそもシーちゃんが拒否反応を起こすと思うよ。最初から、ペケ。4人目の交際相手として、認めないってね」

 最善次善策とまでは言わなくとも、三善四善策くらいにはなる、解決策かな……と瀬川は続けた。何も言わずに、土下座したままのマサキに、沖田は確かめる。

「それでいいのかい、マサキくん」

 マサキは弱弱しく微笑んだ。

「いいんです。オレ、いけるところまで、沖田さんたちとつきあってみたいっス」

 沖田は、思わず叫んでいた。

「マサキくんっ」

「沖田さん。これから、沖田さんのこと、トキオ兄ちゃんって呼んでも、いいッスか? そのほうが、スキンシップするにしても、抵抗が少なそうなんで」

「いいよ、いいよ」

 瀬川が、ニヤリと杉田と顔を見合わせた。

「じゃあ、話がついたところで、マサキ、あんたもヘソ天」


 沖田とマサキは、写真館で同居の仲だし、仕事も一緒。

 四人で、あるいは三人でプレイするだけの空間もある。四人の「性生活」が始まってから、自然、女子2人が写真館に通ってくるようになった。

 杉田のほうは、一種のサラリーマンなわけで、平日には夕方以降しか、「デート」できない。他方、瀬川のほうは激務ながら、ある程度は自分のスケジュールを自分で管理できる立場にある。

 沖田たち自身、葬儀場で通夜の手伝いにいく時には、夕方から夜中にかけて、家を空けることになる。瀬川との時間のすり合せは、なんとかかんとかなるけれど、杉田のスケジュールと合せるには、少しばかりの気合と調整能力……そして、数あるドタキャンにめをつむる度量が必要だ。

 1人だけ、ハブられたようで悲しい……という杉田を相手に、沖田たちは代わる代わる、食事を一緒にしたり長電話したり、努めた。たとえ半日でも、いや一時間だけでも、顔を合せたり声を聞いたりするのが大事、とは瀬川の言葉だ。


 その日は日曜日だった。

 沖田が杉田とランチを一緒にする、と約束した日のことだった。せっかくの休日、ゆっくり朝寝坊がしたいし、午後は高校時代の友人が埼玉から遊びに来る……と杉田が言うので、本当に昼飯だけ、一緒にしたのである。夜は酒が入ることになるし、少し軽めの昼食を……という杉田のリクエストに答え、沖田は石巻漁港前の小料理屋に杉田を案内した。カウンター七席だけのこじまんりした店で、本来、ランチ営業なんてやってない、飲み屋である。沖田の顔で、2人だけのためにランチを出してくれている、と教えると、杉田はたいそう喜んだ。場所が場所だけに、新鮮な魚介類がイケる店である。脂ののった戻り鰹か、サンマの初物を勧められ、杉田は鰹を選んだ。軽く炭火で炙って、甘味はスライスした玉葱だけでとる。生姜と茗荷を薬味に添えた冷奴を小鉢に、味噌汁はワカメにエノキを足したもの。出し汁がほどよく出て、ひとめぼれ新米が何杯でも食べられる。

 杉田の午後の来客は、三年連れ添った旦那さんと離婚しかかっているそう。

「相談に乗るのがしんどい」と杉田はため息をついた。

「そんなの、なるようにしか、ならないのにねえ」と沖田が相槌を打つと、「あなたは、まだ結婚してないのって、根掘り葉掘り聞かれるのが、しんどいっていう意味よ」という返事。

 帰り際、大街道の和菓子屋さんに寄り、マサキのために各種スイーツを買い揃える。県外からの客のために「萩の月」を買ったことは何度となくある沖田だったけれど、家でつまむために買って帰るのは、マサキが同居するようになってからだな、と、ふと思う。

 この日の午後は、瀬川が「完全にオフ」と言っていたので、昼間から酒盛りする可能性もあった。沖田は、台所で自分用の飲み物を漁ってから、ダブルベッドのある部屋に向かった。

 妙なうめき声がするので、そっとドアを開ける。

 少なくとも、酔っ払いのするような声じゃない。

「あ」

 全裸で汗だくの姉弟が、一心不乱にセックスしていた。


 見なかったことにしよう。

 沖田は台所に戻ると、わざと大きな音を立てて、酒盛りの準備を始めた。30分もすると、姉弟が来た。服こそきちんと整えてはいるけれど、両人とも上気した顔を隠せてはいない。やたらと親密な雰囲気とあいまって、何をしてきたかは、一目瞭然である。けれど2人は、バレてないと思っているのか、沖田の買ってきた「萩の月」や苺大福に目を輝かせ、酒席についた。

 瀬川が後輩ナースから借りてきたというゲームソフトを出してきたので、飲んではゲームし、ゲームしては飲む、という繰り返しで、その日は暮れた。セックス抜きで単に遊ぶだけ……というの別に珍しくない。珍しくはないけれど、いつになく親密な姉弟の掛け合いを見ていると、自分だけがハブられたような気分になる。杉田の疎外感がちょっぴり実感できた沖田だった。

 一度「犯行現場」を押さえてしまうと、姉弟の仲が気になって仕方がない。

 しかし……しかし、だ。

 マサキに尻を掘ってもらい、瀬川に挿入するとき、姉弟はペッティングこそしないけれど、全裸で同じベッドの上にいるわけで、「そういう気分になるな」と命ずるのが、本来ムリというものなのかもしれない。少なくとも、沖田がマサキの立場におかれたら、姉だろうがなんだろうが、性欲を我慢できる自信は、全くない。ましてや、マサキはノンケなのだ。浮気禁止、でも「交際中」の女子2人は、マサキの相手になれない。1人はビアンよりのバイセクシャルで男性苦手、もう1人は実姉だ。「気持ちよければ、なんでいい」という節操のないタイプとは言え、マサキだって、時には女性のカラダをどうしようもなく欲する瞬間があるだろう、と思うのだ。これはちょうど、沖田の真逆である。沖田が時折、男と交わらないと女性の相手ができないように、マサキだって、時折女子の肌に触れなければ、沖田との「不純同性交遊」がつらくなるときが、来るのだろう。

 近親相姦、というか、他の、標準とされる性基準からの逸脱に、基本的に沖田は寛容である。

 自分がマイナーなバイという性癖であり、さらにその少数派、ポリガミーバイだから、他に同情してしまう、というのも理由かもしれない。

 また、性的少数派への迫害が、最終的に寛容という形で決着してきた、という歴史を熟知しているせいかもしれない。欧米では、過去LGBTは治療すべき病気だった。現在では、病気扱いすることそのものが、差別して糾弾される世の中になっている……。

 姉弟で子どもを作る、となったら、また別問題ではあるのだろうけど。


 杉田は案の定、激怒した。

 姉弟だけでなく、ヘラヘラと笑って許している沖田にも、激怒した。

 バレてしまったのは、4人で仙台のライブハウスに行った夜のことである。マサキの友達の妹が地下アイドルをやっていて、金曜の夜に新曲のお披露目をする。タダでチケットをやるので、場を盛り上げにきてくれ……と頼まれたのだった。狭い会場の中で、何人がサクラだったかは知らないけれど、足の踏み場のないほど、混雑していた。ウーロン茶やオレンジジュースなど、アルコール抜きのフリードリンクが用意されているという話だったけれど、そもそもドリンクサーバーがどこにあるのかも、分からない。わざわざ店外に出て、自販機でジュースを買って飲む始末だ。会場では、最初の30分でトークショーとライブ、中間の休憩時間に物販、そしてメインイベントの新曲お披露目、最後に新曲がらみの物販、という、ある意味変則的な流れだった。中間休みの物販では、チェキという、アイドルとともにインスタントカメラで写真を撮るサービスもしていた。サブリーダーポジションにいた女の子は、イロモノ扱いというか、多分に露出気があるらしく、唯一、手ぶらチェキ……上半身裸で、両手に胸だけ隠したツーショット写真を撮ってくれる、という。もっとも、物販メニューには載っているけれど、これまで誰も注文したことのない、というネタ・チェキでもあった。本気で売る気がない証拠に、値段も写真1枚一万円と破格だった。けれど、なぜか瀬川がノリノリで頼み、三倍価格を出すからスペシャルサービスをしてくれ、などと注文をつけた。そして、「空気読めない女」と刺々しい視線を浴びながらも、お色気写真をゲットした。

 カメラを持ったスタッフは「僕、地下アイドル業界は長いですけど、ここ仙台で、本気で手ぶらチェキの依頼を受けたのは、お客さんが初めてです。しかもそれが女の子で、アイドル自身の手じゃなく、お客さんの手で、手ブラとは」と驚き、呆れていた。

 騒音で頭痛になりそうだから……と杉田は何度か店の外に出て、夜風に当たった。破格のチェキを何度も撮ったというので、以後、瀬川はビップ扱いされる。会場内全部を見渡せる特別ビップルームに案内され、マネージャーさんたちと歓談する特権も与えられた。そして、いよいよ新曲お披露目の段になると、数人いたスタッフ他関係者も、全員メインフロアに降りていく。

 自分たちだけになったから、魔が差した。

 そういうことかも、しれない。

 もう、いい加減、帰りたくなった杉田が、沖田たちを探し、ようやく特別ルームにたどり着いたとき。沖田たちは、半裸になって抱き合っていた。三人とも、パンツを膝まで下ろした……言い訳できない恰好で。沖田とディープキスする瀬川の腰を、マサキが後ろからしっかり掴んでいた。階下の新曲のリズムに合せて、弟は姉の尻をパンパン鳴らしていた……。

 怒った杉田は、ツカツカと足早に近づき、三人の頬をギューッとつねり上げた。マサキが真っ先に言い訳した。

 オレ、さっきまで、トキオ兄ちゃんに挿入してたんスよ。

 杉田が、地獄の極卒のような声を上げた。

「ふふん。それがどうしたって? 言い訳になってないわよ」

 そして、改めてマサキの頬をつねるのだった。


 写真館では、土下座するメンバーが1人増える。

 沖田、マサキに続いて、瀬川である。

 反省のしるし……と言って、瀬川は自ら志願して、犬の首輪を着けていた。けれど、「なんだかプレイっぽい」とマサキが言い出し、杉田の怒りに油を注いだ。

 土下座奴隷を代表して、沖田が聞いた。

「自分らが知りたいのは、ただ一つだけだよ、シノ。どうやったら許してもらえるか、それだけ」

「そう。私のほうは、知りたいこと、いっぱいあるわ」

 けれど、杉田はアレコレ質問する代わりに、恋人に裏切られて「可哀そうな私」について、漫談調に語り出す。話もたけなわになった時分、瀬川が感極まったのか、それとも足がしびれたのか、土下座を解いて杉田の下半身に抱きついた。

「ねえ。シーちゃん。別れるとか、言わないよね」

「うーん。どうしようかなあ」

「アタシ、男ども2人を切り捨てて、昔みたいに2人っきりのつき合いに戻ってもいいよ。ね、そうしようよ」

 しかし杉田は、ニベもなく、瀬川をつきはなつ。

「そもそも、実弟とエッチしてたのは、タエちゃんじゃない。マサキくんが姉に逆らえないってことを考えれば、近親相姦の元凶は、タエちゃん、あなたじゃないの」

「シーちゃん、そんなあ」

「でも、インセスト姉弟を切り捨てて、男女見境ナシの無節操ハゲとだけつきあうのも、気が進まないっていうか」

 沖田も思わず声を上げる。

「男女見境ナシの無節操ハゲって……てか、シノ、君だって、バイセクじゃん。男女見境ナシじゃん」

 黙って床に額を押し当てていたマサキが、いきなりガバッと顔を上げる。

「もー。黙って聞いてりゃ、言いたい放題、言って。そもそも、オレが姉ちゃんとセックスまでいったのは、シノ姉ちゃんが、ヤラせてくれないのが、原因でしょうが。オレ、基本的にノンケなのに、トキオ兄ちゃんとのゲイセックスだけしか、ダメだなんて。トコトン禁欲させられてりゃ、姉だろうが何だろうが、女子なら見境なく発情するようになっちゃいますよ。姉ちゃんは、こんなオレを見かねて、相手してくれてただけっス。だから元凶は、ムリに特定しようとするなら、ヤラせてくれないシノ姉ちゃんが、一番悪いッス」

 マサキに理詰めでなじられ、杉田は少し考えこんでいたが、やがて、反論した。

「そうね。そうやって、遡っていけば、一番悪いのはトキオくんってことに、なりそうね」

「え。なんで、シノ?」

「だって。トキオくんが、4人目の恋人候補に、マサキくんを選んでなきゃ、こんなインセスト騒ぎ、起きなかったはずでしょう。タエちゃんの実弟でない、ゲイやバイセクシャルを、代わりに引き入れれば良かっただけじゃない。LGBT互助会の大幹部サマなんだから、周囲には、候補になりそうな男が、いくらでもいる環境なのに。そもそも、私たちがバイセクシャルだって自覚しているのに、わざわざノンケのマサキくんを選んだ、その思考回路が、分からないわ」

 非難の矛先が自分に向かってきたので、沖田も他の三人を真似て、別のスケープゴートを名指しすることにした。

「シノ。タエコの実弟なら、悪くないって、言ってなかったっけ」

「言ってない」

「タエコ。君がマサキくんを誘惑してなきゃ」

「してないよ。我慢できなくなって襲ってきたのは、マサキのほう」

「マサキ。いっそのこと、君がバイセクシャルかゲイになってくれれば……」

「トキオくん。それは言っちゃいけないことよ。少なくとも、私たちはLGBT互助会の会員なんだから、なおさら、そんなことを言っちゃ、ダメ」

 逆の発想……ゲイは「病気」なんだから「治療」してノンケにする、という発想のもの、どれくらいの差別や迫害があったか、知らない沖田ではない。ゲイが「病気」でない、と医学的に認知されるためには、長い年月と闘争を要したし、それはすべてのLGBTにとって悪夢の時間だった。

「全面的に、全く悪うございました」

 沖田は再び頭を下げたけれど、謝っても問題は全く解決していないことも、指摘した。

「このまま、この4人で交際していく限り、マサキの女体への渇望は続くわけで、過去のいきさつはいきさつとして、何か解決方法を探さなきゃ。今後もマサキに我慢を強いるっていうわけには、いかないでしょう」

 杉田が、マサキ自身に解決策を聞く。

「うーん。分かんないなあ」

 頼りない返事だ。姉が弟の背中をドンと叩く。

「等身大のダッチワイフで代用するとか、色々とあるでしょう」

 杉田が、瀬川のアドバイスに声を上げる。

「ダッチワイフ? 人形だって、浮気は浮気よ」

「えー。シノ姉ちゃん、人形で浮気って、なんだよ」

 瀬川が横から、まぜっかえす。

「あれ。ジョークで言ったんだけど。マサキ、本気で人形でいいの?」

「よくないよ」

 沖田も、自身の意見を言ってみた。

「いっそのこと、5人目のメンバーを加えるっていうのは、どーかな? 今度は、ノンケよりのバイセクシャル女性」

「そんなことを言ってたら、キリがない」

 杉田の意見に、マサキも「本気で、5人目さんと恋愛できるとは、限らない」と同調した。

 疲れてくると、考えがまとまらなくなってくるものだ。

 杉田が、ふりだしに戻った自覚がないまま、堂々巡りを言う。

「そもそも、いくらノンケで女の人とセックスしたかったからって言って、やすやすと近親相姦できちゃうのが、信じらんない。ご両親とかにバレたら、どうするつもりだったの?」

 瀬川とマサキは顔を見合わせた。

「……どーにもならないと思うッス。前にも言ったと思うけど、ウチ、毒親なんスよ」

「タエちゃん」

「マサキの言う通りよ。たぶん、ヘラヘラ笑って、終り。避妊しろよーとか、最低限のクギを刺すことも、ないと思う」

「タエちゃん家って、ご両親、何をやっている人なの?」

「父は小さな会計事務所をやってる。税理士に社会保険労務士とか、何個か資格を持っててね。で……母は……現役のデリヘル嬢」

「えーっ」

 杉田だけでなく、沖田にももちろん、初耳の話だった。


「母は結婚前から、風俗嬢をやってた……というか、そもそも両親が知合ったのが、仙台の某ソープランド」

 身体の相性が良かったのか、心の相性が良かったのか、とにかく、2人は初対面から意気投合、客と嬢の関係から恋人になるのまで、時間はかからなかった。丸2年の交際ののち、結婚。母親にはヒモ……無職の旦那さんがいたので、双方の親戚家族からさんざん反対されたのち、籍を入れた。お陰で、今でも父方のほうは、ほとんど親戚つき合いがないと言う。

「父さんの係累はみんな、お堅い職業についてたから」

「そっちは分かったけど。お母さんのほうの親戚が、再婚を反対したのは、なぜだろう」

「タカる相手がいなくなるからよ、トキオくん。離婚した元旦那さんだけでなく、他の家族の人も、少なからず母にお小遣いをせびっていた、とか」

 杉田がため息をつく。

「クズねえ」

 マサキも、ため息ついて、返事する。

「オレも、そう思うっス」

「それにしても、人妻ソープランド嬢を、略奪愛か。昼メロにでもありそうな、ドロドロのシナリオだねえ」

「ちょっと、トキオくん。タエちゃんたちが、可哀そうでしょう」

「あ。失敬」

「アタシたちは全然気にしてないから。平気よ、シーちゃん」

 瀬川母は、結婚式前日まで客をとっていたそうで、しかも、それが花婿になる人の指示だというから、呆れる。石巻に移り住んでからは、仙台まで通うのが億劫だという安易な理由で、風俗嬢を辞めたそうな。子ども2人を産んだのち、スナックの雇われママ等、いくつか水商売を経験したけれど、どれも長続きしなかった。石巻に店舗型風俗店はないし、子どもを産んで体型も崩れていたので、ソープ嬢復帰は断念、代わりにデリヘルの世界に入ったということらしい。

「それも、もしかしたら、お父さんの指示?」

「そう」

 父親が底なしのスケベだとしてたら、母親のほうは、お花畑女だった。

 アラフィフになった今でも、フリルふりふりのピンクのドレスなんかを平気で着て、かわい子ぶっている中学生みたいな甘ったるいしゃべり方をする。ティーンファッションには詳しいけれど、家事は全くできず、育児は完全に放棄していた。お陰で瀬川は、小4の時には、いっぱしの主婦なみの料理レパートリーを誇っていたという。

「お父さんは、仕事が忙しくて、家に帰って来ない人だったからね」

 小学校のときには、若い恰好の似合う母親に親近感があった。中学校の時には、年甲斐もなく若作りする母親の存在が恥ずかしかった。高校の時には、母親の風俗嬢の前歴を知って、軽蔑していたという。高校最後の年には、両親と会話することもほとんどなくなり、寮付きの看護学校に、相談もナシに進学した。弟が……マサキがいじめられていないか心配で、連絡は絶やさなかったけれど、と言う。

「母が現役デリヘル嬢ってことは、皆が知っていた。皆っていうのは、親戚一同に隣近所の住人、それから父の仕事仲間、顧客の人たち。そうそう、もちろんPTAの人たちに、マサキの同級生まで」

 姉はさんざん心配したけれど、結局、弟はイジメのターゲットにはならなかった。良識ある親御さんたちが少なからずいたせいもあるし、PTA会員の一部は、瀬川母のお得意さんでもあったからだ。

「周囲に母の仕事がバレていたのは、父自身が言いふらしていたから」

 どこの誰から見ても、瀬川父は「悪い父親」だったけれど、姉弟は、そんな父親を嫌ってはいない、という。

「少なくとも、自分たちの前では、飄々とした自由人で、子どもが何をしようが、全く干渉しない人だったから」

 瀬川父は、自分自身の子ども時代を全くの地獄だった、と形容していた。

 小学校の時点で、既に学習塾を2つも掛け持ちさせられ、友人を家に連れてくると叱られた。お年玉を貯めてファミコンを買った時は、1週間もしないうちに、金槌で粉々に壊された。視聴を許可されたテレビ番組はNHKだけ、民放はニュースと天気予報に限って可。中学校進学の時分、友達に、一緒にサッカーをやろうと誘われたけれど、無理やり剣道部に変更させられた。半世紀前に卒業したOBとかいう偏屈老人が、毎日指導に来ていた。外面はいいけれど、部員にはキツくあたる内弁慶で、門人を半殺しにして警察のお世話になったことがある、という暴力コーチだった。理由らしい理由がないまま竹刀で打ち据えられ、痣だらけになって家に帰っても、家族に心配さえしてもらえなかった。逆に、コーチの逆鱗に触れることをしてきたのだろう、とこっぴどく叱られさえした。

 瀬川父の嫁選びは、そんな厳格一辺倒だった家族に対しての「遅れてきた反抗期」だったのだろう……と瀬川は言う。親戚一同が最も嫌うような男女交際だからこそ、瀬川父は一心不乱に邁進していったのだ。

「それだけじゃなく、父さん、やっぱ、筋金入りのスケベだったんだと思うよ」とマサキ。

 家という「カセ」がなくなってから、金が続く限り買春しまくったという武勇伝があると言う。

 ともあれ。

「家の人っていう縛りが、アタシたち姉弟には全くないのよ、シーちゃん」

 杉田は、瀬川の目をまっすぐに見据えて、言った。

「それは不幸なことよね、タエちゃん」

「アタシたちが不幸だとして、シーちゃんは幸福なの?」

 杉田の子ども時代は、どちらかと言えば、瀬川父の境遇に近かった。

 両親とも教師で、自分も将来教師になるべく育てられた。瀬川父が強要されたような理不尽はなかったけれど、カゴの鳥であったことには、変わりない。

「私は……私も、不幸だったのかな」

 幸せなら、春日部を後にして、石巻くんだりまで来て、同性の恋人を作ったりはしていないんじゃない?

 なんだか自虐的な瀬川の物言いに、杉田は遠い目になった。


 写真館での、この3人土下座の後、杉田はツキモノが堕ちたように、姉弟の接近を黙認するようになった。姉弟のほうは、ベッドの上でないデートに、杉田を頻繁に誘うようになった。

 マサキは多趣味な男子で、観光地巡りやウィンドウショッピングといった沖田たちの定番デートに、サッカー観戦やキャンプといった変化球をつけ加えて、女性陣を喜ばせた。

 沖田も負けじとデートのレパートリーを増やそうとしたけれど、手持ちのフダがそんなにあるわけではない。まだ4人で行ってない場所として、例の東北大学構内の施設見学……博物館やレストラン巡りがあった。久々に連れ立っていくと、森下女史が友人たち数人と見学しているのに、出くわした。森下さんは、マサキの存在を目ざとく見つけると、杉田に事情を聞いた。交際相手が1人増えたと知った女史は、沖田に得心顔で言ったものだ。

「最初から、こーすれば、誰もあなたを男尊女卑って非難しなかったのに。遅ればせながら、褒めてあげるわ。ダブルデート、おめでとう」

「いや、違いますよ。ダブルじゃなくって、カルテットです」

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