第8話 地方譚(両性愛者にとっても、伝統的地域社会は住みにくいという話)
花束の会、県北支部開設の日。
残念ながら建物の主、中岡大輔は参加しなかった。
鍵を預かってきた事務局・名和氏によると、警察の取り調べはだいたい終え、今は裁判所に呼び出されているとのこと。ゲイグループから片桐が派遣した腕っこき弁護士がついたことでもあるし、「初犯でもあるし執行猶予はつきます」との見通しだという。
一年以上人が住んでいなかった家の中は、なんだかホコリっぽくて、掃除機こそかけなかったけれど、みんなで手分けして窓という窓を全開にした。
「上下ともジャージ着て来て、よかった」と杉田。
「そうね。次くるときは、雑巾、必須よね」と瀬川。
この日は、名和氏と沖田の他、杉田瀬川といういつもの面子、そしてトランスの原弥生、ビアンから天野いすゞという女性が参加である。ちなみに人員の人選は幡野代議士の根回しだとのこと。
「……花束の会の面々、みんなでお世話になるんだから、バイだけに任せず、LGBT各グループから、最低一名以上参加させること。ただし、支部を提供したゲイは、それだけで負担大なので、大掃除には立ち会わないで、よろしい」という通達だそうだ。
ビアンの天野いすゞさんは、沖田たちのバイの3人のみならず、原弥生も初対面だという。天野さんは、名和氏運転の車に、原弥生と同乗してきたそうだけれど、饒舌な名和氏のおしゃべりに相槌を打つだけで、ほとんどしゃべらなかったそうだ。
彼女の本業は大学受験予備校の寮母さんである。「いえ。正確には派遣です」。中背中肉、けれど頬はやつれ、目の下にくっきりとクマが出、髪はパサパサという、どこから見ても疲れた感じのタイプである。ちなみに森下さんは、名和氏不在の間、利府事務所の留守を預かっているという。お昼には、名和氏がご近所のウドン屋さんから出前をとってくれたのだけれど、沖田が裏庭掃除担当の天野さんを呼びにいくと、彼女はボットン式の外便所の土壁根本にウンコ座りをして、煙草をふかしていた。「伸びないうちに、どうぞ」と沖田は一声かけただけだれど、サボっているところを見られて気まずかったのか、彼女は食事の間、一言もしゃべらなかった。
天野さんと唯一面識のある名和氏に、庭でツレションした際「彼女、たいそうお疲れですね」と聞いてみる。
「ああ。天野さん、県北だけでなく、県南支部にも通ってますから」
「オーバーワークじゃないですか、それ」
「でも、ご本人たっての希望ですから。交通費の他に、ささやかながら謝礼を出すんですけど、どうやらそれが目当てで」
「天野さん、お金に困っている人なんですか?」
「さあ。日曜祝日が潰れる日には、それように報酬が欲しいとまで言ってますから。裕福でないのは、確かですね。でも、ウチは基本ボランティアで運営されているわけで、気持ちは分からないでもないですけど、薄謝で我慢して下さい、と」
「はあ」
「同じビアングループ内の評判をそれとなく聞きもしたんですけど、森下さん曰く、彼女、守銭奴、らしいです。でも、造船会社社長のご令嬢の目から見れば、たいていの人は貧乏でケチ臭く見えるんでしょうし」
中岡家は、典型的な宮城県北の農家であって、600坪もの屋敷内の半分は畑、さらに、昔は牛を飼っていたという大きな藁ぶきの掘立小屋がある。今はコンバインだのトラクターだのの、農機具置場になっている。母屋そのものは立派な瓦屋根の平屋で、ぐるりと家屋を取巻く縁側の中には、襖で隔てられた和室がいくつもあって、広くはあるけれど、がらんどうのような印象だ。
名和氏が県北事務所開設にと持参したのは、ノートパソコンが一基だけだった。
それで大丈夫なんです? と杉田が心配すると「モノよりヒトが大事ですから」と名和氏は涼し顔で胸を張った。
「じゃあ車の中にいっぱいのダンボール箱、なんですか?」
「海苔」
奥松島産、地元名産の高級海苔だ、という。津波のさらに前の話になるけれど、天皇陛下への献上品にもなったことがある逸品だとのこと。
「山や里のひとたちへのお土産っていえば、やはり海産物が一番かな、と」
軽くて高価で万人受けし「運搬も保存もラク」という条件にぴったりあうのは、これしかない、と名和氏は太鼓判を押した。
「ご近所に配ります」
「でも、ご近所って言ったって、何軒あるんです?」
周囲は一面田んぼであって、一番近い隣家まで、農道を縫うように近道しても、五十メートルはあるだろう。
「今夜から、盆踊りの準備委員会があるそうです。寄合小屋っていう、神社の社務所みたいなところに、氏子さんたち一同集まって、酒を飲むらしい。海苔を持っていって、挨拶に行きます」
「根回しバッチリですね、名和さん」
「ええ。ちなみに、打ち上げでは豪勢な料理が出るそうですけど、準備の間の酒肴はスルメとピーナツだけだそうです。ご近所でビーフジャーキーだのチーズ鱈だの、仕入ていきましょう」
「ちなみに……その人たち、中岡さんが一家離散した経緯、知ってるんですよね」
「もちろん。たぶん、我々より詳しいでしょう」
針のむしろに飛び込むつもりで、と沖田は気を引き締めた。
世話役という、髪から眉から真っ白のお爺さんが、沖田たちに仕事を割り振ってくれた。女性陣は(なぜか原弥生も)主に立て看板のペンキの塗り直し、そして子ども会の法被の繕いである。沖田と名和氏は広場中央に設える櫓の補強を頼まれた。釘と金槌を持って、沖田は命ぜられるまま大工仕事をした。名和氏は、体型が体型だけに、すぐに息が上がり、世話役さんから「大将、日陰で休んでろ」と待機命令が出たのだった。
手伝う前、名和氏が代表で挨拶し、自分たちがLGBT組織の人間であることを、世話役以外の人たちにも語ったのだけれど、作業中、沖田たちに嫌悪感露わな人はいなかったし、女性陣をからかったりしたひとも、いなかった。差別意識に毒されてない素敵なひとたち、と原弥生は感激していたけれど、アウティングされてしまった中岡大輔が、一家離散した顛末を考えると、素直に喜べないでいる沖田だった。
酒盛りの時間になって、この「奇妙さ」の理由が分かった。
仕事が終わったというのに、神社の法被を羽織ったままの若い衆たち……といっても、40代50代くらいのお父さん世代の人たちが、沖田に床の間を背にして座らせ、ぐるりとまわりを囲んだのである。
「何事ですか?」
沖田が聞くと、口々に返事が返ってきた。
「何事じゃないよ、艶福家」
「夜の生活、女2人相手にどうやってるのか、教えてくれ」
「ウチは嫁に不倫が見つかって、修羅場の真っ最中さ。浮気相手と別れずに、嫁をなだめるには、どーたらいいんだ」
これは一体?
世話役のお爺さん相手に、オチョコを傾けていた名和氏が、両目をつぶっているような下手なウインクを送ってくる。どうやら、これが事務局の事前根回しの内容らしい。三陸道で登米石巻間が30分圏内になったこともあり、日曜祝日には蛇田のイオン界隈に買物に来る人も少なくない。沖田が石巻在住で、共通の話題もたっぷりあり、一夫多妻主義者だからこそローカルな雰囲気に似合う「保守主義者」とみて、彼らは親し気に話しかけてきた、ということなのだろう。
コップを空にするまでもなく、次々にビールを注ぎ足される。
名和氏や女性陣が遠巻きにされているのとは対照的に、沖田は人気者だった。都会から来たヨソ者というより、近場の田舎者扱いだった。
なるほど、これを見込んで幡野代議士は自分を指名してきたんだろう。
台所近辺にいるおばちゃんたちに、一番溶け込んでいたの瀬川である。酒盛りならぬジュース盛り……子どもが何人かいて、バタバタと走り回ったり、お菓子を手づかみしたりしていた……で、アルコールなんぞ入っていないはずなのに、テンション高く、嫁姑の悪口で盛り上がっていた。
花束の会からの参加者でモテていたのは、バイグループばかりでない。登米にもアニメ・マンガのファンが少なからずいるらしく、「男の娘」キャラ原弥生のもとにも、熱心なシンパが隣席している。もっとも、レクチャー希望ノウハウ伝授を求める沖田の聴衆と違って、こちらはストレートにナンパっぽい。
宴もたけなわになって、ようやく肝心な話をする切っ掛けが、訪れた。
氏子副総代で町議だと名乗る老人が、県議に出るときにはぜひ応援してくれと、アルコール臭い赤ら顔で、顔を近づけてきたのである。沖田は、「自分は既に、県議の幡野代議士のお手伝いをしている身だ」とやんわり断る。
副総代は素直に驚いた。
なんでまた、アンタみたいな人が革新政党の応援を……と「折伏」しようとするのだった。
親しくなったところで、中岡の評判を聞いてみる。
彼が真正ゲイだというのは、みんな知っていた。
けれど……。
クマみたいな髭面のお父さんが、誰ともなしに、言う。
「やましいところのあるヤツは、みんな仙台に出ていってしまうさ」
一同、うんうん頷いたり、腕組みして否定しないところをみると、これが共通の感想らしい。名指しでそれらしい、と噂された男たちは、例外なく家業を継がず、家にいないというのである。
東北の他県は分からないけれど、いくら農村の田舎だからと言って、キリスト教世界みたいに同性愛嫌悪のあるわけじゃない。近場に百万都市があるのだから、LGBTフォビアうんぬんという前に、町からいなくなってしまう。
これが、宮城の田舎でLGBT受容のリアル、というところなのだろう。
色々と総合してみると、ホモが毛嫌いされているというより、息子を作らず、家を継がないというのが、ゲイが嫌われる主な原因らしかった。
正直気色悪いとか、拒否感とかはないのか、と改めて沖田は聞いた。心の中では毛嫌いしているヤツがいるかもしれないけれど、そこは大人の対応だ、と氏子の面々は言った。敬して遠ざけるという言葉がある通り、本当に毛嫌いしているなら、非難するよりあえて近づかないようにする、とも。
「そんなに中岡のことを聞きたいなら、元婚約者っていうひとに、会ってみるか?」
「お知り合いなんですか」
「近くの無農薬野菜農場で働いてるよ。ていうか、今は副代表、とかになってるじゃなかったかな。正式名称は登米有機栽培支援ナンチャラ……ていう長い名前で、誰も舌を噛まずに全部言えないから、単にカボチャ娘って呼んでるよ」
「カボチャ娘ですか」
「そういうブランドで全国展開しているからね。で、彼女のこともカボチャさん、とか呼んでたと思う」
「本名は……」「宮坂千春」
その日は皆で支部に泊まり、翌朝、仕事があるから……と帰った杉田瀬川を除いたメンバーで、その「カボチャファーム」を見学に行く。夏季は収穫出荷の時期で、特に早朝は目の回るくらいの忙しさ……と聞いて、見学自体はお昼近くになってから、とあいなった。
宮坂さんは、小学生くらいの背丈の、小柄な女性で、腰の近くまで伸びた髪が印象的な女性だった。作業中は麦わら帽子をかぶり長袖シャツを着こんで働くと言っていたけれど、こんがりと日焼けしていて、首に巻いたタオルが良く似合う。
いかにも農業女子、という感じの女性だった。
なんだか瀬川と感じが似ているな、と沖田は好感を持った。
突然の珍客に宮坂さんは戸惑っていたけれど、名和氏が「花束の会」と名乗ると彼女の顔はこわばり、沖田がバイセクシャル統轄と自己紹介すると、完全な無表情になった。
中岡大輔に関する事の顛末を聞きたかった沖田だが、宮坂さんは慇懃無礼な応対に終始し、とてもそんなことを聞き出せる雰囲気じゃない。
「それで、なんの御用でしょうか」
逆に質問されて、名和氏のほうがシドロモドロになる始末だった。原弥生が助け船を出す。
「今度、県北支部開設をすることになったので、報告にと思いまして」
「……私には関係のないことです」
挨拶の場には、宮坂さん以外にも、カボチャファームの渉外係さんという人がいたので、名和氏は仕方なく、そちらの彼女に海苔をどっさりと差し出し、LGBT関連の事件事故があったら、よろず相談引き受けます、と説明した。
沖田は、宮坂さんの予想以上の塩対応に、天井を仰いで「江川のバカタレ」とつぶやいていた。
宮坂さんの眼光が鋭く輝く。
「あなた。江川センセイとお知り合いなんですか」
「アイツが花束の会に入る何年も前から、腐れ縁です。同じ石巻の人間で、同じバイセクシャルで、アイツが花束の会バイセク統轄を辞めてから、自分がその地位を受け継いだ、と言えば、おおよそ分かるでしょう」
「ふうん。中岡さんのほうは?」
「一度だけ、面識、ありますね」
緊張感に耐え得なくなったのか、それとも単なるマヌケなのか、天野さんが横から口を出す。
「結婚失敗を機に、江川さんと絶交したと聞きましたが」
「絶交? そんなわけ、ないじゃないですか」
「でも、中岡さんをかばって、江川さんと喧嘩別れしたんでしょう」
バン、と宮坂さんはテーブルに勢いよく両手をつくと、静かに言った。
「帰ってください」
「え。でも」
「帰ってください。私、初対面のひとに、プライバシーの一番大事なところを、ズケズケと探られて平静でいるほど、人間ができてないですから」
お茶請け代わりに出てきた、カボチャの煮っころがしからは、いい匂いが漂っていたが、結局一口も賞味することなく、沖田たちは農場を後にするハメになった。
県北支部の活動内容のメインは、もちろん現地会員の相談に乗ったり便宜を図ったり、そして新規会員の募集などである。けれど、お祭りの手伝いで知合った人たちの反応からして、新メンバー獲得は難しいかもしれない。
名和氏が幡野代議士に、そんな報告を入れた矢先、LGBTが直面する最初の「洗礼」があった。
一日半という現地滞在予定の日程もだいたい消化し、では引き上げようか……という矢先。腰のたいそう曲がったお婆さんが、県北支部を尋ねてきた。軽トラで、お婆さんを連れてきた、人の良さそうなジャージ姿の中年男性は、このお婆さんの息子さんだそうで、えらい剣幕のはお婆さんをなだめようと、必死になっていた。
名和氏が玄関口で挨拶をしようとしたところ、お婆さんは断りもなく仏壇のある茶の間にヅカヅカと上がってきて、「茶も出んのか」とわめいた。それから、興奮冷めやらぬ早口でウーウーうなり始めたけれど、訛りがキツイ上に、口から泡を飛ばしながらなので、よく聞き取れない。もちろん沖田には、何が言いたいのか分かっていたけれど、息子さんのほうが気を利かせてか、翻訳してくれた。
「はやく出ていけ、と言っています」
要領を得ないお婆さんの話を、なんとかまとめると、こうである。
お婆さんは中岡家の本家当主の奥方で、当主が脳溢血で半身不随になってからは、事実上、一族の代表として「イロイロと目配り」してきたそうな。それがこのたび、「分家の分家」の不肖の息子、中岡大輔くんが「面目丸つぶれ」「末代までの恥さらし」な理由によって、婚約解消の運びとなってしまい、「舌を噛み切りそう」になるくらい、悔しい思いをしたという。それというのも、大都市の悪いところだけ凝集したような「花束の会」なるヘンタイ集団にたぶらかされたからで、「キツネの郎党かムジナの眷属か」は知らないけれど、一家離散の空き家に居ついたと聞いて、「成敗しに来た」そうだ。
沖田は声なき声で、名和氏に耳打ちした。
「どーすんですか、これ」
名和氏はハンカチでしきりに額の汗を拭いながら、言った。
「その。息子さんとか言う人に、期待しましょう」
マザコンというわけでもなさそうだけれど、農村のしきたりというか縛りのせいなのか、ジャージ男の「母さん、落ち着いてくれ」という言葉は、逆にご母堂の怒りを燃えたたせているような感じだった。
「チョンガーが。一人前の顔して意見すな。そういうのは、嫁、もらってから言え。まったく、甥っコは嫁に逃げられるし、お前はそもそもオナゴに相手にされんし、大輔にいたってはホモか。汚らわしっ」
甥ッコが嫁に逃げられたのは、どうやらこのお婆さんが姑の代わりに嫁イビリしたから、らしい。息子さんは、可哀そうな甥の代わりに「それは母さんのせいだ」と反論した。お婆さんの言い分も明快で、「フィリピン人の嫁なんて嫁じゃない」。それは人種差別だ……ひととして言ってはいけないことがあるだろう……そもそも、隣近所、親戚一同見まわししても、中国とかベトナムとか、海外から嫁をもらっている家は少なくない……。
「うっさい。チョンガーが」「見合いのたびに母さんが難癖つけたから、誰も釣書を持ってきてくれなくなったんだろ」……。
2人は、沖田たちを前にして、喧嘩腰にしばらく言い合っていた。やがて、疲れたのか飽きたのか、来たとき同様、いきなり立ち去った。
茫然とお婆さんたちを見送り、沖田たちは、改めて帰り支度をした。
「でも、いったい何しに来たんでしょうね、あの本家のお婆さん」
隣の間で、仙台箪笥に背を預け、煙草をふかしていた天野さんが、言った。
「そりゃ、宣戦布告でしょ」
ここに居られないようにしてやる……という捨て台詞は、捨て台詞以上の何ものでもないと思っていた沖田は、次週、痛い目を見ることになる。
村八分。
火事と葬式を除いて「おつきあい」を断つ、という農村部究極のパワハラは、ムラの人間にこそ通用するイヤガラセと思っていたのに、どっこい、沖田たちにもちゃんと効いた。
名和氏の計画に従って、二周目はLGBTと噂される人物の生家……たいてい本人は仙台や東京に行ってしまっている……に事情を聞きにいくことになっていた。何か困りごとがあれば、ここで解決。実績を積み重ねて、花束の会の有用性アピールだというのが、名和氏の目論見である。
ところが、その仲介役をやってくれるはずの世話役……行政自治区の区長さんたちが、軒並み困った笑顔で、紹介を断り始めたのである。名和氏には二の矢があった。そう、夏祭りの手伝いをした神社氏子さんたちだけれど、こちらも言を左右にして、一緒にお茶を飲もうとさえしてくれない。いぶかる沖田に、一番の若手だという茶髪ピアスのお兄さんが、こっそり内緒話をしてくれた。
例の中岡本家の大奥様の圧力だ、というのである。
本家分家関係にある家は、葬式の時に世話になるので、お婆さんの言い分に逆らえない。……というか、なんとなく反論しにくい。親戚関係にないお宅も、希代の名物婆さんが、ムラのしきたりだとか言って、あーでもない、こーでもないとわめきたてると、従わざるを得ないのだ、という。
「いやさ。あんな婆さんのクレームなんて、ほっぽっててもいいんだと思うんだけどさ、言う事を聞くまでネチネチネチネチ、しつこく絡んでくるから、根負けしちゃうんだよね」
そういう茶髪ピアスくんはどーなの? と聞いてみる。
「お婆ちゃんに、時たま、パチンコ代借りることがあって……それにそもそも、ホモとかの知合い、いないしさ」
幡野代議士経由で、どこの誰さんの家の息子さんが、LGBTの人間だとか、名和氏はおおよその見当はつけていた。そして、その各々のお家で、跡取り問題や、嫁姑戦争の原因になっているようだ、という情報を持っていた。けれど、先方から相談を持ちかけてくるのをじっくり待っているのは……要するに「相談されて解決した」という形での実績をあげたいからだ。花束の会の運営のための必要悪だ、と分かっていても、悩みを抱えているひとたちをほっぽいては、何のための支部開設だと、沖田は思う。
フランツ・カフカが『城』を書く時も、今の沖田たちみたいな不条理を体験したのだろうか……と、ヘンに文学的な感傷に浸る。三周目には、再び杉田・瀬川が同行を願い出た。婆さんの実物に接していなかったせいか、瀬川は妙にプラグマティックな反応だった。
「相手が無視してくれるっていうなら、こっちも無視。嫌がらせには警察に通報。それでいいじゃないの。村八分だのしきたりだの、ローカルルールなんて、クソくらえよ」
「タエちゃん、下品」
「ふん。ウンチ、食べなさいっ」
前述の通り、LGBTの出た家は、既に分かっている。中岡大輔氏だけでなく、実際に登米出身の「花束の会」会員が、いたりする。悩み相談の「押し売り」なんてスマートじゃないけれど、一つでも二つでも実績がなければ、アッピールのしようがない。
というわけで、村八分している人たちは、こちらから「無視」。
独自のツテで、「相談」の「押し売り」をしよう、ということになった。
一軒目は寺池の郵便局員、後藤さんの実家訪問である。
トランスグループの新人さんで、小学校の時分からカワイイ恰好が好きだったという筋金入りの女装子。中学では典型的なイジメにあい、高校は、ヒキコモリで出席日数が足りず中退した、とのこと。後藤さんの家は、農家でもなければ自営業でもなく、跡取り問題みたいなモメごともない。ご両親と祖母、そして2人の姉がご自宅で健在で、ホテルマンとして仙台で働き始めた末っ子が、また、いじめに会ってないかと、心配しているのだった。トランスグループという立場上、原弥生がメインになって、後藤さん家への訪問となった。先方はまず、原弥生が女でなく男であるという事実に驚き、自分たちの末っ子が「花束の会」の会員になっているということに驚き、そして「職場でも、この趣味のサークルでも仲間を得て、もうイジメにあうことはないだろう」という、横からの沖田の説明に驚いた。勤務先のホテル幹部に「花束の会」会員がいて、それなりに便宜も図ってもらっているし、そもそも後藤君は職場で女装していない……と名和氏が補足すると、お婆ちゃんは文字通り涙を流して、喜んだ。
瀬川が、ちょっと質問いいですか? とちょこんと左手を上げる。
「息子さんが、女の子の恰好をしていること自体に、抵抗はないんですか?」
母親というひとが、しみじみ語る。
「抵抗、ありまくりでしたよ。それはもう、泣いたりわめいたり、怒ったり、服そのものを燃やすまでして、やめさせるために、ありとあらゆることを、してきました」
そう、中学校でイジメにあい、高校中退した時分から、原因は女装とハッキリ分かっていたのだから。
「ずいぶんと勉強もしました。カウンセリングっていうんですか、そういう人も頼んだりしましたよ」
寡黙なお父さんが、重い口を開く。
やめさせるためでなく、周囲の人間に受け入れてもらえるための相談を受ければ、よかったんだな、あんたたちにみたいな団体に。
「ご理解いただけて、恐縮です」と名和氏が頭を下げる。
「それで?」と瀬川が促す。母親が続きを話す。
「それで……けれど、ウチの娘たちが、どうも甘やかすタイプで」
沖田が思わず、そちらに視線を送ると、目を合わせようとしない。どうやら、弟を女装させて、楽しんでもいた様子。
「高校を中退して、三か月くらい、ブラブラしてたんですけど、ある日、お父さんと大げんかしましてね。仙台に飛び出していきました。ウチのお父さん、意固地だけれど、気の弱いタイプでしてね。息子は死んだものと思えって当初は意地をはってたけれど、そのうちに、興信所を頼んで探させもしました……」
この後、お母さんの昔話というか、武勇伝というか、長話が続く。
「探偵さんが住所を突き止めたのと同じころに、ようやく、上のお姉ちゃんが連絡先くらいは分かるよって言ってくれて」
女装が得意の弟さんではあるけれど「女を売る」ようなことはなく、牛丼屋の定員さんとしてまっとうに働いているという報告が、興信所からも上がってきた。お姉さんは、両親が興信所を頼んだことを彼に連絡、彼からは「修業中」だから、少しほうっておいてくれ、との返事が来たとのこと。
「……筆不精っていうんですか、お父さんと派手な喧嘩をして飛び出したせいもあるんでしょうけど、その後とんと音沙汰なしで、どーしてるのかなって思ってた、矢先だったんです」
後藤くんについては、当然一番の情報通である原弥生が、新しいニュースを提供した。
「彼、恋人ができそうですよ」
お姉ちゃんが、間髪入れず、反応する。
「え。男? 女?」
「女の人です。愛嬌があって、よくしゃべる女性でね。デパートの化粧品売り場で働いていて、お客さんとして行った後藤くんと、付けマツゲの話で盛り上がったとか。化粧について女性なみの……いや、女性以上の知識を持っているのが好感度アップで、女装趣味も認めてもらったとか。もう既に3度もデートしていて、現在、友達以上恋人未満の関係だって、教えてもらいました」
最近は珍しくないとは言っても、やはり東北地方で、この手の理解ある女性を探すのは、難しいと原弥生は続けた。
「男だけでなく、女性の中にも、激しい拒否反応する人、いますからね」
お姉ちゃんたちが片付く前に、孫の顔が見れるかもねえ……と、お母さんは随分と気の早い一人合点をし、目を細めた。お姉さんたちは、「私にだって、彼氏の1人や2人、いるもん」と慌てて反論したけれど、「彼氏、1人ならともかく、2人も3人もいたら、ダメでしょ」と瀬川にツッコミを入れられていた……。
こうして、和気あいあいのうちに、「花束の会」県北支部、最初の訪問相談は終わった。首尾は上々のうえ、後藤さんからは、他のLGBTの家を紹介してもらうことになる。次は佐沼の木次さんで、こちらはどうやらバイセクとのこと。嫁さんに隠れて男と浮気、離婚こそしなかったけれど、以来、ギクシャクした結婚生活を送っているとか。「同じような悩みを持つ仲間として、先方のお母さんとは随分と話しあったものだ」としみじみ昔話する後藤お母さんを再び慰め、沖田たちは県北支部に戻った。
名和氏によると、木次さんも「花束の会」会員で、浮気内容も把握済らしい。浮気相手の男性が、女性を敵視する「女嫌い」ゲイ。彼の影響で、木次さんが「女との性行為なら浮気だけれど、男との場合はそうじゃない」と開き直ったのが、ギクシャクの原因……というか、元凶らしい。
「奥さんの前で、木次さんをしっかりとっちめてやれば、留飲は下がるだろうし、木次さん本人も反省してますっていう態度を奥さんに示せる」
名和氏の説によると、木次さんは「ツンデレ」男で、奥さんには土下座してでも謝りたいけれど、妙なプライドが邪魔をしてツンケンしてしまうタイプ、なのだそうだ。私の絵図に乗れば解決したも同然という名和氏に、沖田は「はあ」と気の抜けた返事をするしかなかった。
「あとは、その解決実績の地道な宣伝」と杉田。
しかし、ことがトントンと運んでいったのは、ここまでだった。
「後藤さん家の跡取り息子はオカマで、公衆便所で男のイチモツを舐めるのが趣味のヘンタイ」
「男子中学生に手を出そうとして、警察にしょっ引かれた」
「息子がヘンタイなり果てたのは、オヤジさんにもそういう気があったから。で、親子そろって、いかがわしいパーティーに出たりしている」……。
根も葉もない噂が、花束の会県北支部にも流れてきた。
一堂、会議室……という名の茶の間で麦茶をすすりながら、怪気炎を上げた。
「無視だけならともかく、こんな侮辱、立派な刑法犯です。センセイに言って、訴えてやります」
名和氏が鼻息荒く言ったけれど、センセイ頼みは、なんかちょっと情けない……と瀬川がからかう。
「証人はみんな、バアちゃんの味方でしょうに。サッカーでいうアウェイですよ、名和さん」と沖田も現実的なアドバイスをした。
噂に一番憤慨していてたのは原弥生で、「後藤くんはゲイでもバイでもない。そもそも、トランス・イコール・同性愛者という思い込みが、間違っている」と、なぜか沖田や名和氏に意見するのだった。
もちろん、沖田たちは、そんなこと百も承知で、内内でいくら大声を出しても、流言飛語が途切れることはない。
「やっぱり、例のお婆ちゃんが黒幕よね」
天野さんは当てずっぽうで言ったのだろうけど、支部では皆が皆、十中八九当たっている当てずっぽうだな、と思った。
後藤家のお姉さんが「連絡先、分からなかったから」と直接支部を訪ねてきて、窮状を訴えた。曰く、噂を半ば信じた彼氏が、「弟さんの話は初耳。本当のことを隠していた」と詰問メールを毎晩よこすようになり、別れ話も出始めた、という。当初は「かわいい弟をけなす男なんて、こちらから願い下げ」と強がっていた後藤お姉さんも、「たとえオレを振っても、登米中に悪い噂は流れてるんだ。新しい彼氏が、そう、ホイホイできると思わないほうがいいぜ」と脅されて、考え込んでしまったらしい。
沖田は言った。
「人の噂も七十五日」
お姉さんは反論した。
「とても七十五日なんて、待てません」
沖田は再び言った。
「こんな荒唐無稽な噂、真面目に信じている人がいるのが、不思議でなりません」
お姉さんは再反論した。
「LGBTの人たちには荒唐無稽に聞こえるかもしれないけど、一般人からしたら、じゅうぶん、リアリティを感じられますって」
瀬川が、例によってノーテンキな解決方法を提案する。
「弟さんの首に縄をつけて、仙台から引っ張ってくる。登米市内、市中引き回しの刑にして、同性愛趣味はないよ、と訴えてもらう」
杉田が呆れて、瀬川のほほをニュイーンとつねる。
「痛い、痛いって、シーちゃん」
「その。市中引き回しの刑って何よ、タエちゃん」そして、相方よりはるかにマシなアイデアを出した。「友達以上恋人未満の女性がいるんでしょ。だったら、その人に頼んで、登米市内でデートしてもらったら、どーかしら。女の子のパートナーがいると分かれば、同性愛にまつわる噂も、パッタリ止むはず」
沖田はナイスアイデアだと思ったけれど、原弥生が難色を示した。
「彼、もう登米には戻りたくないって言ってたし。イジメの記憶が甦るからって。そもそも、登米にデートに来て、また、イジメが復活したり、村八分になったら……」
沖田は、後藤お姉さんに確認した。
「後藤さんのところは、農家じゃなくって、郵便局員なんですよね。村八分なんていう、前時代的な嫌がらせ、平気ですよね」
お姉さんの反応は、微妙だった。
「地域住人である限り、なんからの影響はありますって」
また、お姉さんは、弟さんの恋の行方についても、心配した。
「こんな、実家のイザコザに巻き込まれて、せっかくうまく行きかけてる恋愛がポシャッちゃったら、お姉さん、泣くかも」
業を煮やした天野が、言う。
「そのイザコザの原因を作ったのが、その後藤くんでしょーがっ」
名和氏が珍しく、静かに反論した。
「違います。後藤くんは悪くない。元凶は、例の中岡本家のお婆ちゃんです。天野さんの考え方だと、LGBTの誰もが原罪を背負ってることになります」
鳩首会議で、中岡本家のお婆ちゃんをとっちめる方法を探るものの、アイデアらしいアイデアは出ない。
後藤お姉さんが聞く。
「今までだって、花束の会に敵対してきた人は、いるんでしょう。どーやってきたんですか?」
自力救済できない無力を認めるのは恥ずかしいけれど、幡野代議士の政治力に頼ってきた。そして、県議の神通力が通用するのは、利府とその周辺の市町だけなのだ。
そのうちに、後藤お姉さんの帰りが遅いのを心配して、後藤お婆ちゃんが、散歩がてら迎えにきた。やたら重そうな、昔風の自転車をギコギコこぎながらの、訪問である。庭で採れたトマトをザルいっぱいに入れての、差し入れがあった。スーパーで売っているのに比して、皮がやたらと厚いトマトだったけれど、果肉はジューシーで甘くて、麦茶によく似合う。
この後藤お婆ちゃんが、中岡本家のお婆ちゃん対策を、教えてくれることになった。
同じ年寄り同士、中岡本家のお婆ちゃんのことは、よく知っているらしい。小学校に上がる時分から、中岡本家のお婆ちゃんは、ワガママし放題の生意気な子どもで、棺桶に足をツッコむ年齢になってからも、いっこうに自分本位なところは直ってないそう。
中岡本家のご当主……寝たきりになっている、中岡本家お婆ちゃんの旦那さんには、学生時代から交際してきた「いい人」がいたそう。けれど、中岡本家のお婆ちゃん(娘時代は目つきが多少キツイけど美人だったそう)が横車を押して……中岡本家ご当主は、分家から嫁をもらうべし、という当時既に空理空論になっていた仕来りを持ち出して……、生木を裂くように、ご当主と恋人を別れさせ、自分が本家嫁の座におさまったそうな。
自分の結婚だけでなく、他人の縁談にも遠慮なくクチバシをはさんでくる人で、寺池だろうが佐沼だろうが、中岡本家お婆ちゃんを恨んでいる人は、相当の数になるはず、という。けれど、昭和の頃ならなんとか押し通せたワガママも、平成令和と時代が下がるにつれ、通用しなくなってくる。今の若者は、年寄りが意見すれば、プイと仙台に出てしまうので、都会なみに、余計なお節介をする年配者は、いなくなったよ、という話だった。
自分の言うことをきかない若僧どもに「今の若いものは」と憤慨していた中岡本家お婆ちゃんの、フラストレーションの行先が、どうやら「花束の会」になっているらしい。
「なんだか、脱線してない?」
瀬川が黙々とトマトを平げながら、ポツンと言う。
そうだった。
中岡本家お婆ちゃんの弱点を教えてもらうはず、だった。
夕焼けというより、どんより曇ったように暗くなっていく空を見上げる。縁側からは、結構涼しい風が入ってくる。セミの鳴き声でなく、鈴虫だのコウロギだの、秋の訪れを感じさせる音色が、聞こえる。
「石巻と違って、こっちには、ちゃんと、虫、いるのね」
杉田が縁側に裸足の足を出して、振り向いた。
「続きは?」
中岡本家のお婆ちゃんは、誰の話も聞かない人だけれど、1人だけ頭の上がらない人物がいる。市内の曹洞宗の寺、護国山観音寺の尼僧住職さんがその人で、もういつお迎えが来てもおかしくない年だから、信心深くなったのだろう、という話。
すると、後藤お姉さんのほうが、含み笑いをした。
「それ。私が聞いた話と、少し違う。確かね……誰を蹴落としても、自分だけは極楽浄土に行こうっていうさもしい料簡で、寺詣でを欠かさないんだって、聞いた」
さもありなん、と沖田もつられて笑った。
「で? その人は、徳の高い尼僧さん? それとも、中岡本家のお婆さんに意気投合しそうな、生臭イジワル坊主?」
後藤お婆ちゃんは、なんだか言いよどんだ。
ズケズケものを言いそうな後藤お姉さんも、少し声を低めて言った。
「それが、そのう。百合趣味の人じゃないかって、噂のある人です」
寺には、彼岸花が咲き乱れていた。
墓石や山門、本堂の屋根瓦に庭園の玉砂利と、黒ずくめの境内に、真っ赤に先狂う花のコントラストが、不気味ではあるけれど、美しい。
ちょうど、見ごろです。いいところに来なすった。
そういって、住職さんは、先頭に立って、境内やお寺本堂、観音堂等を案内してくれた。
名和氏が手土産の海苔を差し出し、簡単に来訪理由を語ると、「そういうことなら……」と本堂ではなく、社務所のほうに案内してくれる。
相手が百合趣味の噂のある人ということで、今回は、ビアングループから来た天野さんが中央に設えられた座布団に座った。住職さんは、各人に熱いお茶をふるまったあと、正面の天野さんを見据えて、言った。
「レズなんてやってても、なんにもいいこと、ないよ」
「……どうして、私がビアンだって、分かったんです?」
「かつて、自分もそうだったからよ」
どうやら、噂は本当だったようだ。
「今は、違うんですか」
「仏の道に入った身ですから。色欲について語りこそすれ、破戒はいたしません」
頭を丸めているせいで、年齢不詳に見えるけれど、中岡本家のお婆ちゃんが頼りにするくらいなら、相応の年なのだろうか。
若いころに、さんざんヤンチャなことをやらかし、後悔し、反省し、否定する。
お年寄りにありがちなパターンだ……と沖田は平静に観察していたけれど、天野は、頭ごなしにそんなことを言われて、唇を尖らせていた。
「ご住職さんは、ビアンだったことを後悔している人なんですね。数いるLGBTの中には、そーいう人もいるかも、だけれど、誰もが、自分のことを不幸と思って年をとるわけじゃないです」
「そういうことを言えるのは、強者の特権よ、お嬢さん」
杉田が、天野さんの援護に出る。
「具体的に、どーゆーところを後悔しているんでしょう? 男性パートナーがいないせいで、世の男どもに蔑まされたり、セクハラにあったところ? 子どもを作らなかったこと? それともまさか、同性愛したことで地獄に落ちるから、なんていう迷信じみた理由ですか?」
「極楽だって地獄だって、仏の御心のままに、ちゃんとありますよ。というか、僧職の者に向かって、迷信だなんて、言っちゃいけません」
苦笑しながらだったので、住職が心底怒っているわけではないのは、分かる。
「結局、貧乏から抜け出せなかったからよ」
天野さんが、ハッと目を見開き、それから目を伏せた。
杉田が詳細も聞かず、反駁する。
「貧乏だって、それが不幸とは限りません。ビアンじゃなくとも、貧乏なひとはいっぱいいるし、なんでビアンと貧乏を結びつけるんです? 住職さんが、たまたま、お金儲けが下手だっただけでは? それに、例外もいっぱいいます。現に、ウチ、花束の会には、森下さんっていうザイバツの娘さんがいるし。たいていのビアンさんは、ノンケと変わらない普通の生活をしてますよ」
住職さんは、涼しい顔でお茶をすするばかり。そして、沈黙の時間が長引くにつれ、天野さんの表情は固くなっていく。
名和氏が助け船を出した。
「そもそも、私たち、中岡本家のお婆ちゃんのことで、相談に伺ったんですが」
住職さんは、もちろん、忘れちゃいなかった。
「中岡本家のお婆ちゃんは、特別にホモやレズを毛嫌いしている人では、ありません。そう、自分以外の人間は、みんな大嫌いな人なの。そして、単にワガママなだけの、お年寄り」
「それは、知ってます」
「それから、もう一つ。あなたたちは、私に、お婆ちゃんをどうにかして欲しくて来たのだろうけど、あの人は、私の言うことも、聞きません」
「そうなんですか」
「寂しいから、かまって欲しいだけなんですよ。お年寄りは、みんな、そう。で、まともに相手をするのが、ヒマを持て余している私だけっていうだけ」
「でも、後藤さん家のお姉さんが……」
「お婆ちゃんと呼ばれる年になれば、誰しも若い人のコミュニケーションの仕方が分からなくなるものです。あえて、叱られたり、イヤがらせされたりするのも、功徳のうちです」
杉田が、気色ばんだ。
「だから、そんな悠長なこと、言ってられないんですってば。実害が出初めてるんです。百歩譲って、イヤガラセは我慢できても、LGBT差別を助長するような噂を流されて黙っていては、花束の会の存続意義に関わります……その、住職さんの言う通り、中岡本家のお婆ちゃんが、単なるヘンクツなイジワルばあさんで、差別の意図がなかったとしても」
天野さんが、意を決したように、杉田の言葉をフォローした。
「住職さん。あなた、元レズビアンだって自分でも認めているのに、かつての仲間を手助けしようとは思わないんですか」
杉田と天野さんの追求に、瀬川も追い打ちをかける。
「かまってちゃんだから、いい年した年寄りだから、許してあげてよ……ていうのは、甘ったれもいいところ」
名和氏も、畳みかけるようにお願いした。
「影響があろうとなかろうと、ご住職が、中岡本家のお婆ちゃんとじっくり話をする唯一の人なんでしょう。どうか、一言二言、説教をお願いできませんか。情けは人のためならず、ですよ」
住職さんは、思うところがあったのか、その後、ちゃんと中岡本家のお婆ちゃんを呼び出して、花束の会にちょっかいを出さないようにと、口説いてくれた。
けれど、藪蛇だった。
次の日から、観音寺の尼僧さんが、レズだという噂が、ドキツイ尾鰭背びれ付きで、檀家さんや護寺会中に広まった。護寺会では、臨時の査問委員会という名前の、ご住職つるし上げの会を開催した。彼女が淡々と過去を懺悔すると、「こんな生臭坊主……いや、生臭アマに枕経を唱えられた日には、誰も無事に三途の川を渡れまい」「今でも、年端もいかないオボコ娘をたぶらかしている」「出家したのは、一緒に心中しようとして死なせてしまった、かつてのレズ相手の霊を供養するため」という根も葉もないキメツケによって、「辞任勧告」されてしまったという。
もちろん、このつるし上げに反対する良識派もいるにはいたけれど、住職さんは、次の査問開催前に、荷物をまとめて、どこぞに失踪してしまったという。
後味の悪い話である。
というか、彼女が元ビアンであるとバレたのは、たぶん「花束の会」県北支部の面々のせいであり、こんなにも激しい非難の対象になったのも、はやり「花束の会」に敵対する誰か……あのクソババアめ、と珍しく原弥生が感情を高ぶらせ悪口した……のせいだろう。
沖田たちが、県北支部四周目の訪問のときには、ご住職さん「ファン」だった檀家さんたちにも、恨みの目を向けられてしまった。
まさに、四面楚歌である。
「また、会議?」という瀬川のため息に賛同する沖田だったが、「また、会議です」と力強く宣言する名和氏に、反対する理由が、出てこない。
「お茶菓子に、今回はイモ羊羹を用意しました」
「は?」
「オブザーバーのためですよ。中岡本家お婆ちゃんの息子さん、酒が呑めない、生粋の甘党だそうだから」
イモ羊羹につられてか、中岡本家の息子さんの他に、後藤お姉さんも今回の会議には参加する。
「お母さんについて、詳しく御聞かせ下さい」
名和氏が水を向けたけれど、息子さんは憮然として面持ちで、「皆さんが知っての通りのクソババアですよ」とプリプリ怒っていた。やはり、母親の悪口を語るのは、はばかれるのかなと思い気や、家を出る時に、おばあちゃんと一悶着起こしてきたという。息子さんに嫁がいないせいで、本家の家事を見てくれる人、ということで、本家の従姉妹の息子さんの嫁さんという人が、週三で家政婦に来てくれている。けれど、この家政婦さんの作る味噌汁の味付けが濃いうえに、仏間や本家当主寝室の掃除が雑で……と泣かんばかりにグチをこぼされたという。
「色々と心労が重なっている?」
「同情してもらおうと、泣くふりをしているだけっていうか、本気だとしたら、まず自分が可哀そうで可哀そうで仕方がないっていうか……とにかく、そういう手合いなんですよ。ウチのオフクロは」
その上、その家政婦さんに支払うアルバイト代がもったいない、と当の家政婦さんがいる真ん前で、いけシャーシャーとしゃべるのだそうだ。彼女は当主の従姉妹の子どもなのだから、いわば分家で身内であり、身内なら家事をタダでやるのが当たり前だろう……という理屈である。
「今でさえ、本家断っての頼みだから、と拝み倒して渋々でてきてもらっているのに、賃金不払いなんてなった日には、目も当てられない」
息子さんが理を説くと、なら、お前がはやく嫁を貰えばいいと、痛いところをついてくる。朝晩は家事、昼は農作業と、夜明けから深夜まで、しっかり稼いでくれる相手でもくれば、中岡一族は安泰だろう……とお婆ちゃんは、耳にタコができるほど聞かされた説教をかました。
「ま。要するに、顎で使える奴隷が欲しいんですよ」
原弥生が、呆れたようにおどけて、頭を下げた。
「素敵なお話、ありがとうございました」
杉田・瀬川が顔を見合わせる。
「結局、新情報は何も出てこないねえ」
「でも」息子さんが、ここで声を大にする。「ウチのバアさんは、確かにヘンクツだけれど、皆さんをヘンタイ呼ばわりして、ドロドロの悪口を流したりは、しないと思うんですけど」
「根拠は?」
「多少とも良心が残ってるとかじゃなく、そういう作り話をするには、脳みそが足りない、と、思う」
「脳みそって」
「そもそも、噂を流すには、流す相手が必要だ。でも、足がないんですよ。外出する時には基本、オレが軽トラに乗せて連れて歩く。五年前までは、自転車に乗って、1人で外出する時もあったけれど、今はもう、そういうこともない」
テレビで、骨折した老人が、そのまま寝たきりになって……という特集番組を見てから、ひどく用心深くなったという。息子さんが1人で出歩くように促すと、「私を寝たきりババアにするつもりか」と怒り狂うのだそうだ。
「で。横でバアさんが悪口するのを、オレもずいぶんと聞いては、きた。けれど、今回の件で、花束の会さんへの、ドキヅイ悪口は言ってないですよ」
「そうなんですか」
「以心伝心で、村八分にしろ、なんていうことは、確かに、来訪したお客さん全員に言ってます。あんなヘンタイども口を聞くな、とか、ね。だから、皆さんが無視されたり相手にされなくなった原因は、間違いなく、ウチのバアさんだ」
原弥生が、疑問を口にする。
「自分では外出しなくとも、誰かが来るとか、あるでしょう。今、話に出たようなお客さんとか、茶飲み友達とか」
「ウチのバアさんに、友達とか、いませんよ」
モウロクして何を話すか分かったもんじゃないので、中岡親族や地域長老たちが公的訪問するときには、必ず息子さんが立ち会うのだそうだ。
「はあ」
女性陣は、だいたい息子さんの話を信じたけれど、沖田と名和氏は納得がいかない感じだった。なんだかんだ言って、身内なんだから、かばっているのでは? と疑ったわけだ。
息子さんのほうは、当然ながら、疑われて憤慨した。
「んなわけ、ないでしょう。だったら、24時間の監視をつけてもらっても、結構ですよ」
「24時間の監視って……」
「さっき言った、家政婦さんの件を利用しようと思って」
イヤイヤやってる家政婦さんに、中岡本家のお婆さんのほとぼりが冷めるまで、休んでもらい、その代わりに花束の会の誰かが、家政婦兼監視役としてアルバイトに来る……というアイデアである。
「でも、私たち、自分の仕事があるし。ここへは週末来るだけだし」と瀬川。
「そもそも、面が割れてるでしょう、このメンバー」と杉田。
土曜日曜平日関係なくヒマな「花束の会」幹部女性ということで、みんなの頭の中には、森下さんが浮かんだようだ。けれど、名和氏が真っ先に反対した。
「中岡本家のお婆ちゃんもすごいワガママだけれど、ウチの森下さんだって、違うベクトルで困ったキャラの人でしょう」
確かに、家政婦どころでない、のかもしれない。
今まで黙って話し合いを見守ってきた後藤お姉さんが、ここで、満を持して、口を出した。
「あのう……ウチの妹、今、家事手伝いで、アルバイトも何もやってないです」
「それだっ」
後藤さんの妹さん本人がいないところで、話はトントン拍子にまとまり、本人の承諾のないまま、中岡息子さんは母親に電話をかけた。
そんなにいうなら、雇ってやってもいい。
お婆さんが完全に上から目線で許可したお陰で、このスパイの件は本決まりになった。
そして、沖田たちが県北支部に来て五周目。
カレンダーは一枚めくられけれど、暦に実際の季節が追いついていない残暑の初秋の日。
たったの七日くらいでは、何も進展がないだろうと思い気や、沖田たちの懸念の大半に、決着がついてしまっていた。
まず、失踪中の尼僧さんが見つかった。
気仙沼の場末のスナックで、ヘルプのホステスさんとして働いていたのを、夏祭り準備の手伝いで知合ったオッサンが、沖田に注進してくれたのである。尼僧さんはショートボブのカツラをつけて、背中の大きく開いた白いブラウスを着けていたそうだけれど、寺で墨衣を着けていた時分と違って、たいそう「いい女」に見えたそうな。
「尼僧さんを口説いて、二股をかける方法」を伝授してくれ……と、そのオッサンは沖田に直に連絡してきた。運悪く天野さんが居合わせ、「彼女は真正のレズビアンで、言い寄ってきたシツコイ男のイチモツを出刃包丁でスッパリ切り落とし、刑務所に入る代わりに仏門に入ったのだ」とウソ八百を並べたてた。オッサンの背筋が凍るのが電話口にも伝わってきて、当のスナックの名前と連絡先を教えはしたけれど、今回は諦めると言って電話は切れた。そして、何を思ったのか、仙台から車で二時間三陸道を飛ばして、天野さんは毎夜のように、そのスナックに通い詰めたのである。
中岡本家お婆ちゃんの冤罪……こう言っていいのかは分からないけど、とにかく悪意ぷんぷんのデマを流しているという疑いは、後藤妹さんの尽力のお陰で、あっさりと晴れた。
後藤妹さんは、家政婦一日目して「もう、辞めたい」と音を上げてしまったそうだけど、お姉さんが因果を含めて無理やり通わせた。どうやら、中岡本家からの賃金の他に、お姉さんからの多少の心付けも出ていたようす(もちろん、花束の会でも、薄謝ながら、包むものを包んだ)。
諭吉さん入りの茶封筒を渡す際、花束の会幹部として、沖田も少し話を聞いた。
後藤妹さんによると、たしかに中岡本家のお婆ちゃんを「プライベートな用事で」訪ねてくる人は皆無で、しかも外出しないという。話し相手と言えば、仏壇のご先祖様と息子さんばかりで、寝たきりのご亭主は、枕元に言っても目をつむったままで、ウンともスンとも言わないという。
「中岡本家のお婆ちゃん、外出中の様子は、私が探偵しましたよ」
名和氏は、村八分を決め込む夏祭り準備委員会の人たち根気よく顔合わせに行き、確かにドギツイ噂の源泉が、バアチャンでないことを、確認してきたという。
「そこまで分かったなら、私、もう、家政婦辞めていいですよね」。
後藤妹さんによると、家政婦稼業が辛いだけでなく、どうも、お婆ちゃんが、後藤妹さんを息子さんの嫁候補扱いして、困っているという。コキ使われているほうが気が楽なのに、何やら行儀作法を教えようとしたり、中岡分家親戚の面々を屋敷に呼びつけて、色々紹介しようとしているのだ、という。そもそも、妹さんをスパイとして仕立て上げた息子さんのほうも、母親に焚きつけられてか、偽家政婦であることを忘れて、婚約者扱いし始めたのが憂鬱だ、と言う。
女性に「女装が似合う」という言い方はヘンではあるけれど、要するに後藤妹さんは、姉や弟さん同様、女の子らしさ全開の容姿をしていて、なおかつテキパキ働くところが、母子に気に入られたのかもしれない。中学高校を通してストーカー被害にあったことはないけれど、コケシ人形みたいで可愛いとは、何度となく褒められたことがある、とのこと。
「やれやれ。そういう露骨な勘違いは、やっばりあのお婆ちゃんの息子さんだねえ」
名和氏の嘆息に、沖田も真剣な表情でうなづいたけれど、実は、頭の中では全く違う事を考えていた。
デートだ。
せっかく登米まで来たんだし、リフレッシュで頭を切り替えるのも大事よ……という瀬川の「悪魔のささやき」に乗せられ、沖田は女の子2人と、県北支部の行き帰りでデートしてきていたのである。
一周目はラムサール条約登録地の長沼伊豆沼、二周目には石ノ森章太郎の記念館、三周目は変化をつけて歌津の田束山、四周目は寺池の登米明治村……。
日差しがほどよく強くて、インスタ映えする写真がたくさん撮れたと、瀬川は手放しで喜んでいた。あんまりはしゃぐと不謹慎よ、とたしなめていた杉田も、二時間もすると県北支部風評被害をすっかり忘れて、土産物を買いあさったリしていたから、まあ、同罪である。
この一カ月あまり、問題解決の糸口にもたどりつけていないのは、真剣味に欠ける態度にも、原因があったのかもしれない。
シャーロックホームズは皆無で、ワトソン君ばかりがウジャウジャいる探偵小説は、スラップステックな面白さがあるかもしれないけれど、いつまでたっても結末にたどりつけないのは、いただけない。
名和氏から事情のいちいちを聞いていた幡野代議士が、満を持して、本命の探偵を送り込んできた。
中岡大輔、本人。
県北支部の責任者になるべき男だ。
来なくていいのに……という沖田たちの心の声が聞こえていたわけじゃないのだろうけど、彼は沖田一行とは別に、半日遅れて支部に到着した。
ちょうど、庭先を竹ホウキで掃いていた原弥生が真っ先に気づき、「何しに来たんです」と声をかける。
「ここは我が家だ。自分の家に帰ってくるのに、理由がいるのか?」
中岡大輔は、代議士御大の指名で、「花束の会」の敵を屠りに来たのだ、と宣言した。
名和氏は事前に知らされていたようで、中岡大輔を会議室……床の間のある大広間に通すと、県北支部全員を招集した。
「謎解きの時間だ」
頭をひねるような推理なんて全くいらず、単に根気よく調査すれば判明する事実なのだと思うけれど、彼は名探偵よろしく、もったいをつけた。
「犯人は……ズバリ、宮坂千春。僕の、元婚約者だ」
名和氏以外の、全員が驚く。
いや、もう一人、平静な人がいた。
天野いすゞさんだ。
「動機は……第二、第三の宮坂千春が出ないように、という親心からだ」
「というと?」
「真正ゲイなのに、それを隠して婚約しようとした男に対する、恨みだ」
はー。
大きくため息をついて、原弥生が言う。
「要するに、あなたが元凶ってことですね、次期、県北支部長?」
「うむ。県北支部長。いい響きだ」
「いや。あの、皮肉で言ったんですけど」
しかも、この事実が判明したのは、宮坂さんご本人の自白……いや、懺悔である。還俗する前の観音寺住職に、自分の所業がいたたまれなくなったのか、相談に行っていた。宮坂さんの恨みの先は、結婚詐欺まがいをした男性会員ではあるし、自分は僧職を離れたことでもあるし、第一これは犯人が自白した犯行なんだから……と、住職さんはコトの顛末を天野さんに話した。そして天野さんが名和氏に話し、名和氏が幡野代議士に報告し、幡野代議士が中岡大輔に話して、今日に至る、というわけである。
瀬川が沖田に耳打ちする。
「幡野センセイのところまで話が行ったのは、致し方ないと思うけど、この人にまで行ったのは、マズかったんじゃ……」
宗教家たるもの、信者の懺悔を他人に漏らすのはマズいとは、沖田も思う。しかし、住職さんは住職を辞めた人だし、漏らした相手は被害者団体の1人であるし、何より「犯罪を犯した犯人の自白」である。住職さんには、警察にタレこむという選択肢があった。というか、黙ったままなら、犯行の片棒を担いだ……とは言わなくとも、良心にチクチクするところがあったのだろう。天野さんにだけ漏らしたのは、なにより、穏便に済まそうという配慮だったのでは?
で。
天野さんから名和氏、名和氏から幡野代議士というのは、組織系統上、当然の情報の流れだから、まあ、理解はできる。
けれど、さらに中岡大輔にまで、となると……。
「被害者と加害者、逆転してるのよね」
そう。誹謗中傷に関しては、宮坂千春が加害者、花束の会が被害者だけれど、結婚詐欺……まがいの時には、間違いなく宮坂千春が被害者、中岡大輔が加害者という構図だったわけで。
「ストーカーとか、特に男女関係の話だと、プライバシー保全がやかましくなってるはずなのに、この情報秘匿の緩さは、なんなんでしょうね」
沖田が、そんなふうに名和氏に耳打ちすると、彼はしょんぼりして言った。
「幡野センセイの悪いクセでして。コンピューター音痴でIT音痴、ついでに情報戦音痴、とでもいうべきなのかな。前にも、一度、こんなことがありまして。ある建設会社の孫請け業者さんから告発がありまして、とある病院を解体したときに、特殊処理すべき医療系廃棄物の一部を、一般のゴミに混ぜて処分した、だったとか。幡野センセイ、親会社じゃなく、子会社が悪さをしていると思ったんでしょうね。あんたの孫会社からコレコレの告発が来たから、子会社の監督指導、ちゃんとするようにって、その告発状を見せたらしいんです」
でも、実は、違法をしていたのは、当の親会社そのものだった。かの会社幹部連中は、指摘された違法な事実を「なかったことにする」……手を尽くして闇に葬ると、「調査の結果、何もありませんでした」と口を拭ったという話だ。
「で。せっかく告発した孫請け事業者さんは、親会社の圧力に屈して、潰れてしまったとか」
「うわあ」
「経済法律国際問題から、バス停の設置位置の問題まで、ありとあらゆることに精通しているっていうスーパーマン……いや、スーパーウーマン政治家なんて、いませんよ。でもまあ、弱点を自覚しているっていうなら、我々に相談するなりなんなりして欲しいっていうのが、本音ですかね」
男2人が、こうしてボスの四方山話に興じている間も「名探偵」の独壇場は続く。犯行ルートの解明を一通り終えると、中岡大輔は女性陣(原弥生含む)に踏み絵を迫っていた。つまり、そもそもの原因……中岡大輔の結婚詐欺まがいには目をつむり、宮坂千春を全力で告発するから、証拠集めから証言まで、手伝えというのである。場合によっては、証拠をでっち上げる必要があるだろう……と論理が飛ぶ段になると、さすがの女性陣も一斉に反発した。
瀬川が口火を切る。
「アンタの私利私欲と、悪さの隠ぺいに、なんで私たちが加担しなきゃなんないの」
一番カッカしていたのは、そもそもの情報提供者、天野さんかもしれない。
「住職さんは、こんなことのために秘密を漏らしてくれたわけじゃない」と名……「迷」探偵を睨みつけた。中岡大輔のほうも、一歩も譲らない。彼は確信犯であり、盗撮が見つかって開き直った時のように、ゆるぎない信念を述べた。
「僕は、花束の会ならびにLGBTのためには、ありとあらゆる手段をとる。絶対の忠誠心を誓う。たがら、花束の会メンバーも、同じような絶対の忠誠を示さねばならない。何があっても、こちらに非があろうとも、会を守るためには、会員の味方でなくてはならない」
杉田が良心的に反論する。
「会則には、会員個人の悪行を手助けすべし、なんていう項目、なかったと思うけど」
「明文化されていないルールもあるよ、杉田さん。そもそも、僕のことは、幡野センセイのゆるぎない指示があることを忘れてはいけない。汚れ仕事を厭わず、法を曲げることも厭わず、狂信的に熱狂的に会に奉仕する人間がいなきゃ、LGBTの会なんて成り立っていかない」
「法を曲げるって……」
「じゃあ、杉田さん。同性婚の事実婚をしているビアンやゲイカップルに、本来の法に従わず脱法まがいのことをしているって非難してくるノンケがいたとして、君は反抗するのを諦めるのかい? また、沖田くんが、たとえばサウジアラビアやスーダンを旅行して、ゲイセックスをしているところを逮捕され、死刑が求刑されたとしても、抗議の声を上げないのかい?」
「それは……」
瀬川が、横からまぜっかえす。
「ふん。アタシなら、そのまんま死刑にしてもらっても、いいけど。かの国でゲイセックスしてたってことは、要するに、トキオくんが浮気しちゃったってことでしょ。浮気者は、死刑、死刑」
女性陣だけを相手にしていたはずの中岡大輔は、瀬川の言い方をわざとらしく、面白がってみせた。
「どうだい、沖田くん。アンタは江川の天敵だと聞いたよ。宮坂千春の顛末を知っているなら、江川は僕の敵でもあることも、承知しているだろう。共通の敵を持つ者として、当然協力してくれるよね」
沖田は首を横に振った。
「敵の敵は、すなわち味方じゃない。中岡さんと自分に江川っていう共通の敵がいるのと同様、自分と江川にとっての共通の敵っていうのも、存在するんだ。ヤツはにっくき相手ではあるけれど、時と場合と敵の種類によっては、共闘する間柄でもある」
「な。なんだってー」
「LGBT擁護のためには、味方の不品行には目をつむるっていう花束の会の方針……というか、幡野センセイのポリシーに、そもそも自分は反対なんだ」
「でも、君、今、現に花束の会の主要幹部の1人じゃないか」
「そうだ。花束の会の幹部だからこそ、こういう態度をとるんだ。盲目的な信奉者が、過度の身びいきをすれば、そりゃ組織的には盛り上がることもあろうさ。でも最終的には組織を腐らせていく。だから自分は、中岡さん、アンタの味方にはならない」
「じゃあ。何か。沖田くん、アンタは宮坂千春をどこまでもかばって、LGBTに対する誹謗中傷を野放しにするつもりなのか」
そういうのは問題のすり替えよ……と叫ぶ杉田を、まあまあと抑え、沖田は続ける。
「彼女にも、それ相当のペナルティが必要だとは思う。しかし、ウチの杉田さんが言う通り、そのことと、中岡さんの度を超えた告発は、別問題だ」
「……具体的に、どうするつもりなの、トキオくん」
瀬川に促され、沖田は説明する。
「なに。事実を、ありのまま、全部、噂として流すだけ」
そもそもの元凶は結婚詐欺まがいをした中岡大輔にあること。
宮坂千春が噂を流したのは、もちろん恨みつらみもあるけれど、次の被害者が出ないようにという、配慮のためであること。
「勝利条件、三つ。
一つ目。
花束の会に関する……LGBTに関する噂が、全部キレイさっぱり否定されること。副産物として、観音寺住職さんが、元のお寺に戻れないかな、とも思う。そして、村八分の解除。
二つ目。
宮坂千春が心から反省し……同時に、花束の会のほうでも彼女の誹謗中傷を許す。副産物。宮坂千春と花束の会の交流復活。彼女の先生にあたる、江川とのつき合いも、元に戻してやるべきかな。それから。宮坂さんと仲良くなったら、この間食べそこねたカボチャの煮っころがしも、賞味したいところ。
三つ目。
中岡大輔さん。あなたの悪行が、幡野センセイに嫌われる、ということ」
「なんだよ、それ」
「花束の会への忠誠心オンリーで、他人の迷惑をかえりみない確信犯を優遇していけば、こんなトラブルがおきますよ……というのを、今度こそ、幡野センセイに分からせるってことです。ゲイ統轄の片桐さんがどんな反応をするかは、知らないけれど、いずれ票に跳ね返ってくると脅せば、センセイもあなたを見限るでしょう」
「ふん。そんなことになったら、県北支部として、この家を貸すのもナシだな」
「ゲイグループの面々は、残念に思うでしょう。けれど、バイや、その他のグループは、その、取消のほうがいい、と言うでしょう。存在感ありすぎなんですよ、ゲイグループは。ただでさえ人数が多くて発言権が強いのに、支部建物を貸すことによって、さらに発言力が強化される。自分らバイグループのように、常に風下に立たされている面々したら、賃貸料0円なんていう親切も、恩着せがましく感じるし、余計肩身が狭くなるって、ものでした」
名和氏が、まじまじと沖田を見つめた。
「沖田さん。そんなこと、考えてたんですか」
「何を今更。内輪もめは、今、始まったばかりじゃないでしょう」
もちろん、沖田たちバイグループだけじゃなく、原弥生や天野さんも、中岡大輔を糾弾する側に回った。ゲイグループの誰も来ていない時に限って、バイは偉そうにするんだな……と中岡さんは憎まれ口を叩いた。瀬川は、県北支部開き初日の掃除の大変さを言い立てて、「タダで貸したとか偉そうなことは、言えないんじゃない? この広さの建物、メンテナンスするのに、1人や2人頼んだところで、できないわよ」と逆にやり込めた。
「ちっくしょう、覚えてろ」
中岡さんは、顔を真っ赤にして支部を飛び出していった。
「ここ県北支部、中岡さんの家でしょう。どこに行くつもりかしら」
原弥生の、のんびりした言い方が、なんだかヘンだ。
沖田は、強気で返事した。
「なーに。憎まれっ子、世にはばかるっていうし、彼には彼なりの処世術があるでしょう」
名和氏は、スマホ片手に、ペコペコ空に向かってお辞儀をしていたから、おおかた幡野代議士に報告を入れていたのだろう。
関係者ではあるけれど、唯一、この騒動のカヤの外に置かれた人物がいる。
そう、江川だ。
もし彼に連絡をするなら、沖田しかいないだろう……と名和氏に言われ、沖田は連絡をした。県北支部にはワイファイを含めネット環境がなく、電話での報告である。江川は一言も発せず、沖田のほうも一方的に語りたいことだけを、語った。
「最後に、宮坂千春さんに、メッセージとか、伝えること、あるか?」
江川はちょっとの間考えこんでいたけれど「石巻にも農場はある。来るなら紹介する」とだけ言って、電話は切れた。
真正ゲイがバレて一家離散したことであるし、捨て台詞を残して飛び出していった中岡さんにできることとなれば、尻尾を巻いて仙台に逃げ帰ることだけ……という瀬川の予想は、外れた。
中岡大輔には、狂信的なLGBT擁護者以外の顔もあった。
そう、盗撮魔だ。
ターゲットは沖田たちじゃない。
中岡さんは、自分で立てた当初の目的に従って、敵対者を葬るために、その特殊スキルを使った。
宮坂千春のスキャンダル写真……不倫相手とラブホテルに入るところを、盗撮したのである。
宮坂千春が不倫相手の奥さんに呼び出され、旦那さん……当の不倫相手と弁護士同席の場で、罵倒され、目の玉が飛び出るような高額な慰謝料を請求された、次の日。
早朝、ようやく夜が明けたころあいに、県北支部に宮坂さんは怒鳴りこんできた。
「さっき、カボチャファームをクビになったわ。これで私の居場所は、なくなった。どう、満足した?」
作務衣姿の沖田、高校ジャージ姿の杉田、そしてTシャツにパンツだけの瀬川……さすがに杉田が気をきかせて、自分の上着で彼女の腰回りを覆った……が、玄関に出る。
寝ぼけまなこの瀬川は、右手で目をこすり、左手で尻をボリボリかくだけで、どうやら誰が来たのか、どうして来たのかも、把握してない様子。
宮坂さんの剣幕はものすごく、キョロキョロあたりを見まわしているのを見ると、中岡大輔を探しているのかもしれない。
沖田は思った。
謝罪はできないけど、同情はできる。
「お気の毒さまです」
「あなたたちヘンタイのお陰で、人生を台無しにされた」
事実だから反論できないな、と沖田はとっさに思った。
しかし、瀬川が、起きかけの働かないアタマなのに、的確に言い返してくれた。
「アンタの不倫は、アタシらの責任じゃないでしょ」
「でも、盗撮した」
「火のないところに煙は立たない。スキャンダルになりそうなコトしてなきゃ、そもそも盗撮だって、功を奏しないよ」
「ああいえば、こーゆーのね」
「なんで、不倫なんかしたの? 結婚願望、あるんじゃないの? 妻子ある男の人と寝て、楽しかった? 後ろめたい恋のほうが、興奮するの?」
「うっさい」
「うっさくないよ……中岡さんなら、ここにはいないよ。ここは中岡さんの家ではあるけれど」
「ああ。盗撮魔には、もう制裁したから、いいの」
県北支部開設初日の挨拶の際、名和氏が、幡野代議士顧問のことを力説していたのを、宮坂さんはしっかりと覚えていた。
彼女は、不倫相手の奥さんが雇った弁護士を味方につけ、盗撮の事実を県議に知らせた。これが理由で、弁護士さんのクライアントはガッポリ慰謝料をふんだくったのだから、盗撮の事実はゆるぎない。今回のことと、浜茶屋組合の時のことと、確たる証拠がある犯罪だけでも2件である。余罪がどれだけあるか分かりませんよ……と当の弁護士さんがほのめかすと、県議は中岡大輔を「トカゲの尻尾切り」することに決めたらしい、という。
「検察はしっかりと起訴するって。執行猶予もつかないかもって」
そこまで言うと、宮坂千春は、かわいい顔には似合わないねスゴミのある笑顔になった。
「……復讐が完遂したなら、それでいいじゃないですか」
「よくないわ。差別だかなんだか分からないけど、そういう言い訳を用意して、自分たちのことを正当化するLGBT、私、大嫌い」
「自分も、大嫌いですよ」
「だって、あなた……」
「幡野センセイのことなんですが。宮坂さん、あなたが中岡さんを告発したとき、謝罪以外に、何か言ってましたか」
「ゲイグループの責任者の……片桐っていう人を、紹介されたわ」
県議の感情のこもってないお詫びと違って、片桐氏は誠心誠意、謝り倒したらしい。
彼は、さらに色々と話した。
真正ゲイのすべてが中岡大輔のような人間でないこと、そしてLGBTに対する迫害の歴史と、それにもめげずに一歩一歩権利を勝ち取ってきた自分たちの血と汗と涙の結晶として、「今」があること……。
「ノンケに色々なタイプがいるように、ゲイにも様々な男がいます、だって。当たり前のことを、当たり前でないようにしゃべるのが、うまいと思った」
「実は、バイセクシャルも同じなんですよ、宮坂さん。自分らの問題、そう、LGBTの問題に巻き込まれたあなたに、救いの手を差し伸べたいと思っているバイも、いますよ」
「ウソつき」
「ウソじゃありません」
沖田はスマホを取り出し、せんだっての電話内容の録音を、再生した。
「……江川センセイ」
「登米に居ずらいなら、石巻に来るのも一興でしょう。カボチャファームでなく、キュウリファームやナス・ファームになるかもしれないけれど。有機無農薬農業をしたいっていうあなたの情熱、石巻でも生かせる農場は、あると思いますね」
宮坂千春が去ったあと、ちゃんとYシャツを着てネクタイを締めた名和氏が、ノコノコと玄関に来た。着替えて戸口までは来たけれど、宮坂さんの剣幕が怖くて、出るに出れなかった、と頭をかくのだった。
その後、江川を介して、宮坂千春は沖田に質問をよこした。
「なんで、私の不倫がスキャンダルになって、あなたのトリオ交際は、なんとなく認められる形になっているかしら」と。
沖田の代わりに、瀬川がシンプルに返事した。
「3人の間に、愛があるからに決まってるじゃない」
その後の報告。
中岡本家の息子さんが、後藤妹さんに振られた。
2人が会話をかわしたのは、家政婦アルバイトをしていたわずか1週間の間だけで、しかも事務的なやりとりばかりだったというのに、なぜか後藤妹さんは自分に気がある……と息子さんは思いこんでしまったそうな。
中岡息子さんは、後藤妹さんを近所のコンビニという、なんともしまらない場所に呼び出して、しまらない告白をした。いや、告白というより、プロポーズと言ったほうが、いいかもしれない。一度もデートさえしたことのない相手に、結婚を申し込むなんて、どういう精神構造をしているのかしら……と、後藤お姉さんが、県北支部に相談に来た。妹さんが怯えて外出できない、というから深刻だった。立派なストーカーだから、警察に相談すべし、という杉田に対して、「彼は昔の人なのよ」と瀬川がニヤニヤ笑った。
「写真のやり取りだけで、現物に一度も会ったことのないまま、即入籍っていう時代の人だから、女中をやりに来たのを見て、舞い上がったのよ」
「タエちゃん、女中って……」
杉田がポカンと口を開ける。後藤お姉さんはプリプリ怒り、「昭和初期からのタイムトラベラーは、ウチの妹にふさわしくありませんっ」と断じた。その後、妹さんを引っ張り出すこともなく、お姉さん自ら「惣領の甚六」をとっちめに行ったそうな。
中岡息子さんのほうは「二十歳になり立ての女の子が、アラフォーの冴えないオッサンに惚れるわけがないでしょうが」と厳しい現実を突きつけられて落ち込み、「このマザコンが」という究極の罵倒によって、プロポーズを完全に諦めたという。
で。
その母親のほうは、息子以上にみじめな思いをしていた。
寝たきりで、ウンともスンとも言わなかった現当主に、離婚を言い渡されてしまったのである。脳みその血管が切れると同時に、「生ける屍」と化したかのように見えた中岡家当主だったけれど、どっこい、理性は病気前よりシャープになっていたようだ。中岡分家から来た例の家政婦さんを「くノ一」のように縦横に使い、本家の中だけでなく、分家親戚から夏まつり準備中の地域住人まで、「知らぬことはない」くらいの事情通になっていた。お婆ちゃんが本家ご当主の逆鱗に触れたのは、自覚のないまま、ほうぼう根回しして「花束の会」を村八分にしてしまったから、らしい。村八分は、影響大がゆえに、むやみやたらと使ってはいけない「禁じ手」である。一族の若い女性たちを、意地悪姑みたいにイビリ散らすのは許せても、登米にボランティア奉仕に来た団体に……しかもバックに県議がいる団体に……仕掛けたのは許せない、ということらしかった。
中岡本家のお婆さんは、家から出ていく期限を切られはしたけれど、引っ越しのやり方から、旦那さんに向かっての抗弁まで、何一つやり方が分からず、仏壇に向かって、ぶつぶつ話しかける毎日だという。
夏まつり準備委員会の人たちが、名和氏に村八分の件で詫びを入れに来た。
「花束の会」では、今後もまつりに参加させてくれ……オブザーバーというヨソ者扱いでなく、地域の一員として……という要求で、手を打った。
月が替わったのに「盆踊り」はヘンな感じだけれど、ここでの行事は旧暦を元にして組まれているそうで、沖田は今年5度目の瀬川・杉田の浴衣姿ちを堪能することになった。
屋台の軒先で、イチゴ味のかき氷を食べながら、沖田は2人の浴衣を褒めた。
「トキオくん、意外とボキャブラリー豊富ね」と杉田が珍しくからかうと、瀬川も「もう、このガラも見飽きたでしょ、来年は新しいのを買ってよね」とせがんだ。
「来年の今ごろまで、自分ら、ちゃんとつきあい、続いてるかな」
沖田がボヤくと、杉田は真剣な表情で、沖田の頬をつねった。
「冗談でも、そういうことを言うの、やめてちょうだい、トキオくん」
「ものすごく自然に、トキオくん呼び、出てきたじゃん」
瀬川が、櫓のまわりで踊っている後藤姉妹に手を振りながら、言う。
「トキオくんも、そろそろ、シーちゃんのこと、名前呼びしてあげなよ」
妙齢の女の子に向かって、「ちゃん」付けは、逆に距離が遠い感じがするから……と沖田は2人を「シノ」「タエコ」と呼び捨てることに、決めた。
そして。
県北支部に、初めて幡野代議士が来た日。
「では、ここで、正式な県北支部長を、ビアングループの、観音寺住職、妙恵尼さんにお願いすることにします」
名和氏の推薦に、当の住職さんは、ニコヤカに訂正した。
「もう住職ではないので、本名のほうで呼んでください……風間です」
登米に戻ってはきたものの、お寺にはすでに他の尼さんが赴任していた。宮坂千春が辞職して、てんてこまいだというカボチャファームに頼まれてアルバイトをしている彼女に、幡野代議士が、直々に申し入れたのだった。最初にもっていった高級海苔が効いたのか、農場のご厚意で、県北支部を農場の片隅に置かせてもらうことにもなった。
「備品って言っても、ノートパソコン一つだけ、ですもんね」
原弥生が思い出して、言う。
みんな、申し合わせたかのように、中岡大輔の名前を出さない。
彼が出所してくるまで、県北支部が盤石になるか、勝負だなと沖田は思う。
「みなさん。一件落着、ようやっと終わったなって感じになってますけど、違いますからね。ここからが、スタートなんです」
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