第7話 恋愛譚(両性愛者たちの恋愛と女権主義者の誤解について)

 ロマンスの意味は、ノンケとLGBTとでは、違うのか。

 沖田が瀬川・杉田両名と最初のデートをしたとき、話題の中心になったのが、この恋愛方法論について、だった。

 結論から言えば、「カミングアウトできていれば、そしてそれを周囲の人間が受け入れていれば、ノンケと同じ」である。「よく考えれば、ノンケの人も理解できることだけれど、よく考えなくとも、LGBTの人なら、理解できることだ」とも、瀬川はつけ加えた。「少なくとも、私たちの恋愛は、ロマンチックじゃない」。

 杉田は、大好きなオモチャを壊してしまった子どもみたいな、泣くのを我慢している顔になって、瀬川の結論を受け入れたものだ。


 さて。

 盗撮犯を捕まえるため、A浜海水浴場でオトリになった、あの日。

 沖田は、瀬川・杉田に「告白」された。

 そう、条件つき、カギカッコ付の「告白」だ。

 沖田は一日おいて、よく考えて……というか、「告白」してきた女子二人によく考える時間を与えたあと、返事した。

「セックスフレンドとかじゃなく、ちゃんとした男女交際なら受ける」と。

 スターバックスは、この手の話をするのに、恰好なコーヒーショップかもしれない。そう、友達以上恋愛未満、一歩手前の話をするとき、だ。最近できたばかりの、北上運河沿いのスターバックスは、地場の喫茶店にはないアメリカンな雰囲気が好きで、沖田はよく利用している。注文の際の、呪文のような……いや、呪文そのもののメニューも、もう自在に言える。スターバックス初心者を連れてきて、目を白黒させている相方をしりめに、颯爽と注文すると、優越感を感じるのだ。舌をかまずにスラスラ言えるまでに、蛇田イオン内の店舗で一年半も「練習」してきたことは、内緒である。

 杉田が学校を終えてからということで、この日、時間は既に夕方七時を回っていた。

 各々夕食を食べてきたとかで、今回は三人ともティーやコーヒー、単品の注文だ。

 瀬川は、話を脱線させるのが大好きで、ダラダラ時間を潰すのも厭わない。杉田は真逆で、単刀直入、ムダ話を嫌う。

 沖田の申し出に、瀬川は、いつものように反応した。

「アタシたちがつきあうなら、男女交際じゃなく、男女女交際よね」。

「タエちゃん、まぜっかえさないで」

 杉田は真剣そのもので、「どーして、こう、LGBTの恋愛って、ロマンスないんだろ」とため息をついた。

 瀬川は頓着しないで、反論した。

「あら、ロマンチックじゃない。少なくとも、このスタバ、いい雰囲気」

「そういうことじゃなくって、私たちとトキオくんの交際のことよ、タエちゃん」

「出会いが、ゲイセックス見学だったってこと?」

「そうじゃなくて……いや、そうなんだけど……とにかく、恋愛が手順を踏んでないの、タエちゃんは気になったこと、ないの?」

「うーん。シーちゃんと、アタシの出会いって、確かに劇的じゃなかったけど、それなりにロマンチックだったって思うんだけどな」

「それは……まあ、そうかも」

「じゃあ、ロマンチックじゃないって、なんのことを言いたいわけ」

「それは……交際が始まる前に、すでに、セックスの話とかが、出ちゃうところかな」

 それはLGBTの宿命といえば、宿命と言えるかもしれない。

 つまり、恋愛関係に入る前に、相手の性自認がどうで、性的対象がどんなのか、いちいち確認が必要だということだ。

 場合によっては、たとえばパートナーを誘うゲイなら、さらに前の段階、まず相手がゲイかどうか確認しなければならない。相手も同性愛者と分かってから、さらに、タチかウケかリバか、それともバニラだけの人なのか、フケ専かデブ専か……などと、こと細かに性的嗜好のすり合わせをしなければならない。

「これって、最初っから、コレコレのセックスをしたいって言ってるのと、同じでしょうが」

「ノンケの異性愛者だって、同じことをしているでしょう。誰彼を好きになって告白してっていうのは、最終的にセックスが目的なんだから」

「ノンケの人たちの場合は、直接的に露骨に言わなくとも通じるでしょ、トキオくん」

「じゃあ、杉田さんのいうロマンスとロマンチックっていう言葉の中身は、以心伝心で、セックスしたいっていう意図が伝わるっていうこと、ですか?」

「うーん。そうやって、ちゃんと言葉で説明されると、ちょっと違うような気もするけど、そうなのかなあ」

 自分でも、言いたいことの中身がよく分からない、と杉田は認めた。

「アタシは、別に、ロマンチックじゃなくとも、構わないけどな。実際、トキオくんのチンチンが欲しいだけだし」

「タエちゃん、露骨だなあ」

 杉田も、沖田と同じ感想らしい。

「タエちゃん、サバサバしすぎ。てか、そういうことばかり言ってると、まわりの人に、エッチな人だと思われちゃうよ」

「そう? でも、私は学校の先生じゃないから。同僚には、この手のこと、ハッキリいう人、多いけどね」

 そう言えば、瀬川は看護師で、実際に人間の身体をケアするという仕事がら、一般の人よりも、抵抗が少ないのかもしれない……。

「トキオくん。そういうのは偏見よ。アタシはアタシなんだから」

「ゴメン、タエちゃん」

 杉田の言いたいことを的確に表現はできないけれど、どーしてそんなふうになったのか……あるいは、そんなふうなままなのか、沖田は説明できる。江川俊介が盟友だったころ、さんざん話し合ったことだ。

「ノンケは、異性愛者の人たちは、社会人としてすごす場と、恋愛交際の場が、一緒の空間にある。シームレスに繋がっている。でも、LGBTの場合、分離してるのが普通なんだよね」

 そう、異性愛者なら、会社や学校で、仕事したり勉強したりする場で、そのまんま恋愛できる。このある意味当たり前のことが、LGBTでは当たり前じゃない。社会人や学生として過ごすのと違った空間で……スマフォのアプリやゲイバー等で、あらためて恋愛や交際をしなければならない、ということなのだ。

「だから、杉田さんの求めるロマンチック……セックス情報が先行しないLGBT交際を実現するなら、この二つの場、社会人生活としての場と、恋愛交際の場を繋げるようにしなくちゃいけないんだよね」

 この二つの架け橋となるのが、実はLGBTのカミングアウトなのだけれど、LGBT以外の人には、理解されないことが多い。

「ノンケ異性愛者の人たちの中には、なんでわざわざカミングアウトするんだろって、疑問に思う人たちも、少なからずいる。実際に、面と向かって、そういう事を聞かれたこともある。彼ら曰く、自分からLGBTと告白するのは、弱点……スティグマをさらしているのと一緒で、理由が分からない、という。単なる自己満足なのか、それとも、そういうことをしても目立ちたいカマッテちゃんなのか、はたまたマゾなのか……場の空気を読めよ、と言われたこともある。LGBTの人が、余計な告白をしなければ、波風が立たなかったのに、一人が余計なカミングアウトをしたお陰で、皆が気をつかう、と。それから、LGBT嫌いな人が、あからさまに不機嫌になって、和気あいあいな雰囲気が台無しになったなんて、イヤミを言われたことも」

 沖田は一息ついて、続ける。

「……でも、もちろん、カミングアウトはデメリットばかりじゃない。LGBTの人が存在すると分かれば、周囲で……職場や学校で、LGBTに対する差別や偏見を語る人は、少なくなっていくだろう。女に興味がないのに、数合わせで合コンに参加して……なんて、言われるゲイもいなくなる。何より、社会人としての場と恋愛の場が繋がる。あらかじめゲイとカミングアウトしておけば、わざわざゲイバーやアプリを利用しなくとも、杉田さんの言う『自然な感じ』で、アプローチしてくる人も出てくるはずだ」

 瀬川は、ズズズーと音を立てて、自分のラテを全部飲み干した。

「トキオくん、すんごい早口」

「はははは。思わず、力が入っちゃって」

 杉田が、ハンカチで口元をぬぐいながら、言う。

「そう言えば、江川さんも職場でカミングアウトしている人なんでしたっけ」

「アイツの場合は、最初から職場で浮いてる人だったから。カミングアウトしようがしまいが、前後で変化なしっていう、稀有なパターンだったとか」

「ふーん。なんか、いい職場ですね。カミングアウトしても、同僚に同じく接してもらえるなんて」

 そういえば、普通の職場なら、江川のようにはいかないか。

「あら。でもトキオくん。ナースステーションでも、案外と普通に受け入れられると思う。シーちゃんの言う通り、あまりロマンチックじゃないけど、その裏返しで、現実的な人、多い職場だから。高校の職員室では、どーかな、シーちゃん」

 杉田は瀬川に答えず、顔を曇らせたのだった。


 最初の三人デートに、沖田は松島観光地廻りを選んだ。

 東北屈指の観光地だけあって、見学見物する所は多々あり、おいしい食事処もあり、買物土産も充実している。何より連日の利府事務所通い、葬式の世話や寺詣でで、すっかり通いなれているのが大きい。

 デートしているという事実を、生徒に知られたくないという杉田のリクエストにも、ピッタリである。二回目は仙台繁華街で七夕見物、三回目は七が浜町で海水浴かな……と、念入りにプランを練った沖田だった。


 瀬川・杉田両人の浴衣姿をじっくり堪能した二回目のデートのあと、横やりというか、クレームが入った。

 敵は、またしても、森下である。

 森下は、かつて、杉田の恋人だった。

 2人が別れてから、それなりの時間が経っているはずだけど、感情がくすぶっているのか? と沖田はいぶかる。森下に、彼女の地元・多賀城に呼び出された際の口実が、杉田の件だったからだ。

 教科書にも載るような史跡のあるこの市は、東京近辺から来る人たちにとっては、「歴史の町」かもしれない。けど、現実に在住在勤している人たちから見れば、学生街であり、工場街である、と沖田は思う。学生街というのは、東北学院大学工学部キャンバスの存在が大きく、駅前のみならず、街のあちこちに学生さん向けのお店が立ち並ぶ。工場街というのは、仙台工業港から連綿と続く海岸工場地域があるからだ。貞山運河沿いの県道23号線を通れば、意外に小ぎれいな工場群や、せわしないトラックの往来が実感できるだろう。

 森下に呼び出されたのは、多賀城イオン内にあるサイゼリアで、塩釜近辺の、オシャレなレストランの狭い駐車場に悩まされていた沖田には、朗報だった。実際行ってみて、電話だけではダメだ……と森下が強硬だった理由が分かった。彼女には連れがいたのだ。明らかに沖田が苦手とするタイプで、実際に糾弾する気マンマンだった。

 ドリンクバーを頼んで早々、自己紹介があった。髪を短く刈り上げ、ボディビルダーのような、道路工事のオッチャンのような体格のほうが、風間さん。ヒゲこそ生えていないけれど、ずいぶんと男性ホルモンが強いような顔つきだ。もう一人はブルドックみたいな顔をしたお婆さんだ。たいそう金まわりがよいらしく、指には金色の指輪を3つもつけ、同じく金色のネックレスに金色のイヤリング、そして手には、なにやらワニ革っぽい高そうなハンドバックを持っていた。スーツはともかく、化粧品に金が回っていないのか、口元にはクッキリとほうれい線が出ている。

「岸本です。あなたが、女たらしの沖田さん?」

 なんだか、敵意むき出しだ。

 森下の紹介で、2人が男女差別を糾弾する「勉強会」のメンバーと分かる。

 そう、森下のご同類だ。

「多賀城児童健全育成・母の会」。

 もともとは、母子にDVする暴力夫を糾弾するための、サークルだったという。風間の娘、岸本の孫と幼稚園の同じ組だったお子さんが、父親の虐待にあっていたという。風間さんたちの奮闘で、最終的に被害者母子は救われたそうな。DV夫と母親は離婚することになったけれど、弁護士に入れ知恵されて、大変だったと岸本は話す。財産分与も慰謝料もスズメの涙、相手は刑務所に入ることもなく、反省の欠片もなくて……とブルドックお婆ちゃんは、ハンカチで目元をおさえた。

 沖田は「はあ」と相槌を打ちながら、聞くしかなかった。

 一体、彼女たちの話は、どこに着陸するのだろう。

「この長い裁判を支援してるうちにね、男尊女卑が諸悪の根源だって気づいたのよ、私たち。そう、今の社会環境そのものを変えていかないと、第二第三の、可哀そうな幼稚園児が出てくるの。この子たちを救うためには、息の長い社会運動、息の長い勉強会、それから、世の男性たちに対する啓蒙運動が必要なの。これができるのは、唯一、子を思う母親のパワーだけでね……」

 沖田は、彼女たちに見えないように、あくびした。

「ちょっとお。沖田さん、ちゃんと聞いてるの」

「あ。聞いてますよ、聞いてます」

「今、うたたねしてなかったかしら?」

 とんでもない、と沖田は顔の前で右手をブンブン左右に振った。

「それで、自分が呼ばれた理由、なんでしょう」

「あなたも糾弾するために決まってるでしょ、沖田さん」

「はあ?」

 先だっての仙台七夕のおり、沖田が瀬川・杉田と連れ立って、三越から一番町四丁目商店街をウインドウショッピングしているところを見かけた、と森下はいう。

「勾当台公園に抜ける道に入ったとき、挨拶くらいはしておいたほうがいいかなって追いかけたら、あなたたち、木陰に隠れてキスしてるじゃない。ひょっとして、紫乃、瀬川さんと別れちゃったのかなって思ってたら、瀬川さんまで沖田さんとキスし出して……なんなの一体、アレなんだったのーって、私、パニックになっちゃったわ」

 目撃者は、森下さんだけでは、ないらしい。

「私も見ました」と風間さん。「私の娘も、見ちまってね。もう、小学校四年生のマセガキだから、アンタたちのしていることの意味、理解してね。ケタクソ悪い」

 風間さんと岸本さんが、沖田を追求したいのは、どーやら三人の交際が、一夫多妻的、男尊女卑的だ、ということらしい。

「いや、違いますよ誤解ですよ、風間さん」

「どー誤解だって言うのよ」

「今のところ、自分は女子二人のオマケみたいなものなんです。そう、つきあっているのは、バイ女性二人。2人が同性カップルになっていて、それに自分がプラスワンとして加わってるというか……」

「ふーん。ハーレムになっていることは、否定しないのね」

 仲間からの心強い応援を得てか、森下さんが延々と説教し始めた。

 せっかくドリンクバーで淹れてきたアイスコーヒーもすっかりぬるくなり、森下さん以下「母の会」の2人にも疲れが見え始めたころ、沖田はようやく反論の……言い訳の番が回ってきた。

「それで、自分にどーしろって言うんです、森下さん?」

「今すぐ、やめなさい」

「別れろって、いうことですか」

 森下の代わり、岸本か言う。

「そうよ」

「正確に言えば、自分ら、まだ、交際ってところまでは、いってないんですけどね」

 単なるデートをしただけ。

「キスまでして、ずいぶんと苦しい言い訳ね」

「はあ」

 森下さんがまなじりを決して言う。

「いいわ。あなた自身に反省の色が見られないなら、幡野センセイに言いつけてやるから。センセイは、虐げられている女性、LGBTの人たち、それから各種障害者の方々たち……とにかく、世の弱者の人たちの味方なの。沖田さん、あなたみたいな男尊女卑の男なんて、一番嫌われるタイプなのよ、分かってる? 瀬川さん、杉田さんをだまくらかしてハーレムを築こうっていうのなら、花束の会からの除名追放処分も視野に入れて、叱ってもらいますからね」

「はあ」

 やめさせてくれるというのなら、逆に好都合ではある。そもそも沖田たちが花束の会に入会したのは、森下のストーカー行為から杉田を守るためだった。森下の執着が治まった今、もうすでに、このLGBTの会に在籍し続ける理由なんてない。けれど、ほとぼりが冷めるまでいたほうがいい、という事務局名和氏のアドバイスに従って、やめてないだけだ。

 円満に退会できないのは、ちと不満が残るが、このまま惰性でズルズル居続けるのよりは、いいか。

「あら。沖田さん。あなた、もう、おいそれとやめられる立場じゃないでしょ。登米の県北支部はどーするのよ」

「それは……」

「あなたに見放されたって分かったら、中岡くん、ヤケになって、何をしでかすか分からないわよ。正義感のカタマリなんだから、今度は盗撮だけじゃ、すまないかもね。たたでさえ、バイグループには恨みつらみがあるのに、ようやく和解しようと思ったら、アッサリ梯子を外された……県北支部設立と里帰りの話がオジャンになったって、逆恨みするかも」

 多いに可能性がある、話だ。

「私自身も、ビアングループの立場で活動するわ。そう、具体的には紫乃を悪魔の手から救うっていう、救出プロジェクトよ。彼女の目を覚まさせるために、母の会でやっている勉強会、セミナー、そして政治集会その他その他に参加するように、勧誘しまくるからね」

 なんと、森下ストーカー、復活か。

「そろそろ夕食用食材を買って帰る時間だから。今日はこのへんにしておいてあげる。岸本さんが、今日のために、いっぱいパンフレットとか資料のコピーとか、持ち帰り用のを用意してますから、石巻に戻ってから勉強して下さい。そうそう、幡野センセイにも、アポイントをとりましたから。じっくり叱られてくるのね」


 森下にアレコレ言われたせいで、沖田は「2.5回目」のデートを計画せざるを得なかった。なんのことはない、仙台七夕見物と、七ヶ浜町海水浴との間に、打合せの時間を入れたのである。「せっかくだから、花火をしようか」という瀬川の提案で、沖田は軽トラを懇意にしている葬儀場に預け、駐車場を一台分開けた。DIYストア・ホーマックで買った1500円パッケージの花火を3束、ちと多いかなと思ったけど、実際に火をつけはじめると、近所の小学生が見物に来る。チビッ子たちにも、花火のおすそ分けをすると、たちまちのうちにパッケージはなくなった。

 終わってから、子どもたちのおじいちゃんから、化粧箱入りのコーヒーゼリーとういろうのセットをもらう。「花火のお礼に。お中元でもらったのだけれど、ウチじゃ誰もコーヒーゼリーを食べないから」というので、ありがたくいただいた。


 写真館は、相変わらずクーラーがついていない。

 業に煮やした瀬川が、弟のマサキくんに頼んで、ネットでダイキン製の強力かつ安価なのを買わせた。設置は来週だけれど、この日は幸い涼しかった。沖田は窓を全開にして、蚊取り線香を焚いたけれど、周囲一帯がアスファルトとコンクリートで固められた今、やぶ蚊が入ってくることも、あまりない。

「で、トキオくん。どーするのよ。森下さん一党の圧力に負けて私たちと別れたいとか」

「まさか」

 こんなことで恋愛ができなくなるなら、自分たちだけでなく、バイグループの他の「カップル」たちにも悪影響だ。

「恋愛を何だと思ってるのかしら」

 それ、もう六回も聞いてるよ、タエちゃん。

「……そうですね」

「森下さんだけでなく、アンタもよ、トキオくん」

「え」

「高々デート2回目でキスする人も、ないでしょう。普通は、ほら、3回目で告白して、3か月目でキスして、とか相場があるでしょうが」

「相場ねえ……恋愛過程抜きで、チンチンが欲しいとか言ってた人のセリフじゃないなあ、と思うんですが」

「いいじゃない。わざわざ七夕見物に出かけたり、海水浴に行ったりするなら、シーちゃんの言う、ロマンチックな雰囲気を楽しみたくなるモノなのよ」

 台所に麦茶を取りに行っていた杉田が、呆れて言う。

「ふー。タエちゃんが話に加わると、どうしてこう、話が脱線するのかしらねえ」

 それはいつものことだから、今さら取りあげても、仕方ない。

 沖田は新聞折込広告の裏を利用して、メモを取る。毎度入ってくるのは中古車販売のアベカツ、ドラッグストアのツルハ、そしてイオンやイトーヨーカドー等スーパーのだけれど、悲しいかな、どれも裏表にビッシリと印刷してあってメモスペースがない。およそ半年ぶりに目にした、知人の墓石屋さんのが唯一片面印刷だった。他のチラシが写真入りカラーなのに、ワープロ文字だけ、活版印刷のような白黒で安っぽい印字を見ると、少し悲しくなる。

「ええっと。問題点を整理します。1つ目。自分らは今、バイグループ特有の複数交際を、森下さんに否定されようとしている。自分たちのために、そしてバイグループの仲間のために、こういう交際形態もアリなんだ、と認めさせなくては、ならない。2つ目。1つ目とも関連するけれど、森下さんの同志の人たちに対する、説得」

 沖田は、杉田の差し出してくれたコーヒーゼリーにスプーンをつける。じゅうぶん冷えている感じでもないのに、ゼリーは美味かった。タダでもらってしまったけど……いや、花火の見返りにか……ずいぶんと高価なものだったのかな、と思う。杉田が席につかず、応接間の壁によりかかって麦茶をすすりながら、沖田の言葉を引き取る。

「3つ目。幡野センセイの反応。LGBTの論理とか、女権主義者の主張どーのこーのでなく、彼女は自分の行動原理に従って動くから。先が読めないのよね。ウチ……バイグループと、森下さんと、どっちの味方になるかしら」

 票だけにこだわるなら、支持者の多いほうに味方するだろう。言い方は悪いが、勝ち馬に乗る、という選択だ。

「正義もヘッタクレも、ないんだよね」

「あら、トキオくん。幡野センセ、多数決こそ、現代民主主義では正義だって、言うかもしれないわよ」

「うーん。いかにも、高校の先生っぽい、意見。そう思わん、タエちゃん」

「同感」

「茶化さないで」

 今、アレコレ思い悩んでもムダ、という杉田の一言で、沖田は次の検討課題に移る。

「4つ目。中岡さんの反応。ウチのグループが、森下さんからクレームを受けたから辞めます、県北支部は手伝えませんって伝えたら、どんな反応をするかな? 森下さんが言った通り、バイグループに陰湿な嫌がらせをしてくる? それとも、そもそもの元凶、森下さんと全面戦争かな?」

 これも、グタグタ話し合っているだけでは分からない……と判断保留になる。

「5つ目。他のLGTグループが、どっちの味方につくか。森下さんは、ビアングループを代表してバイに抗議する、みたいなコトを言ってたけれど、ビアンだって一枚岩じゃなんいんでしょう。恋愛至上主義者で、複数交際にも理解を示してくれる人、いそうな感じするけど」

「いたとして、その恋愛至上主義者のビアンが、私たちの味方になってくれるかどうか、分からない。それは、全く別の問題だから」

 こういう、口頭で論理をたどっていくやり方を、瀬川は不得手にしているらしく、あくびをして沖田たちを見守っている。

「もー。どうしてこう、アッチでも分からない、コッチでも分からない、になっちゃうのかな」

 そもそも、「母の会」とやらがでしゃばって来なければ、問題とされなかった問題だろう、と沖田は思う。

「ステレオタイプで、カリカチュアされたような女権主義者のオバサンたちだったけれど、別段彼女たちをクサする気はないんだ。あの人たちがでしゃばったお陰で、確実に救われる子どもたちも、いるんだろうし」

「あ。DV夫の話」

「うん。正直、暴力を振るわれている奥さんのほうには、あんまり同情はしない。自分で選んだ男なんだろうし。男を見る目がなかったぶん、苦労しているんだろうし。でも、子どもは親を選べないから」

 杉田が、ため息とともに、言う。

「話、まだ脱線しているよ、トキオくん」

 そう、とにかく対策を練る必要がある。

「あ。めんどくさ」

「単に、複数恋愛を守りたい、他の誰を差し置いても、タエちゃんだけは勝ちたいっていうなら、解決法、なくはない」

 瀬川が早速食いついた。

「なに。トキオくん」

「森下さんの、言いなりになる」

「……それ、負けてるじゃん。解決法でも、なんでもないじゃん」

「森下さんが、自分たちにカラんできているのは、杉田さんが当事者になってるから、ていうのも理由の1つだと思う。だったら、いったん、この恋愛はストップして、たとえばタエちゃんが他の誰か男女を誘って、男女女恋愛をすればいい。たぶん、森下さんは深追いしてこないんじゃないかな。つまり、自分と杉田さんは、森下さんに屈して負け、かもしれないけど、3人恋愛を貫いたタエちゃんだけは、勝ち」

「トーキーオくんっ。アタシは、この組合せで恋愛したいのつ。そもそもアタシとシーちゃん、最初からつきあってるんだから、それじゃ、アタシたちの完敗じゃないの。もしそれで、他のバイ恋愛を守れるとしても、アタシは絶対イヤ」

「……アイデアの1つとして、言ってみただけだよ」

 この手の解決法を探すのに、考えうる選択肢を全部網羅するというのは、とても重要である。

「アタシ、反対されると、逆に燃え上がるほうだから。ビアングループがグループとして、バイグループの恋愛にケチをつけるっていうなら、断固として、3人交際しちゃうもんね。というわけで、トキオくーん、好きよー、愛してるー」

「こりゃまた、ずいぶんとお手軽かつ、中身のない愛の告白だこと。で、杉田さんのほうは?」

「当事者の3人がいいって言ってるのに、他人の恋愛に首をツッコむのは、やはりヘンだと思う。人の恋路を邪魔するヤツは、ウマに蹴られて死んじまえって、ね。あ。それから。トキオくんのさっきの推測、当たってるところあるかなって、思う」

「さっきの推測?」

「つまり、有香が……森下さんが、男尊女卑だから私たちの恋愛に反対するっていうのは、口実で、本音は私とヨリを戻したいってだけかもしれない、ていう推測。母の会の人たちは、有香にまんまとのせられた人たちで、花束の会の活動内容とかは、実は、詳しくは知らない人たち」

「よくは知らないか……そういや、そういうこと、言ってたかな」

「だから、私もタエちゃんと同意見。思いっきり、有香のクレームに反発する。逆に、3人で堂々と見せつける。しつこくやっても折れないって分かったら、さすがに諦めるんじゃないかな」

 沖田は咳払いをして、言った。

「2人が、こんなに気が強いとは、知らなかったよ」

「全然強くないって。当たり前の主張じゃん」

 それでどうするの? と女性陣二人は、口をそろえて沖田の決断を求める。

「どういうふうに舵をとるかは、まだ決めかねてる」

「トキオくん、優柔不断」

「直接対決の前に、まず、外堀を埋めていきたい。……幡野センセイが味方って分かれば、センセイに説得してもらう、一択なんだけどね」

 なんせ自他ともに認める……森下も認める「花束の会」最高権威である。

「幡野センセイが躊躇するなら、ゲイの片桐さんや、トランスの原弥生くんを味方につけて、かな。あの二人は……てか、ゲイグループやトランスグループって、複数恋愛を、どういうふうに見るかな」

 肉体関係だけで言えば、ハッテンバで複数セックスみたいなのがありうるけれど、男女交際……いや、男男交際になると一対一で、浮気の有無は、ノンケと変わらないというカップルが多いような気がする。

「不確実な要素が多すぎるよ、まったく」

「で……最初の戻っちゃうけど、最初の一手、どーするの、トキオくん?」

「幡野センセイに叱られてくる」


 森下がアポイントをとってくれた日時に従って、利府の事務所に出かける。幸いと休日だったので、杉田も瀬川も呼ばれていないのに、沖田についてきた。幡野代議士のみならず、名和氏もこの日はフォーマルな……スーツ着用である。もっとも、クールビズとかで、ネクタイはしていない。お盆前後は線香上げと称して、後援会幹部のお宅訪問、仏壇に手を合せてくるのだ、という返事である。一日のノルマが20軒、他にも様々な会合があるという。

「自分なら、死んでも政治家なんてゴメンですね」と沖田は漏らす。

「あら。安心しなさい。あなたの性格じゃ、どのみちムリだから」と代議士からは辛辣な返事が返ってきた。

 挨拶もそこそこに、幡野代議士は、沖田たちを制した。

「ハーレム恋愛、禁止っ」

 沖田が反発する前に、杉田が抗議する。

「幡野センセイ、バイセクシャルの恋愛、否定するんですか」

「あら。否定なんかしてないわよ。私は、ハーレム禁止って、言っただけよ」

 名和氏が補足する。

 つまり、幡野代議士が問題にしているのは、男一人、女性複数でする交際である、と。「つまり?」

 沖田が首をひねると、名和氏が続ける。

 女性一人に男性複数のような逆ハーレムならOK。男女双方複数の場合も、クレームがつかない限り、容認しよう、と。

 幡野代議士が、第三秘書の言葉をひきとって、言う。

「どう? 沖田くん。バイセクシャル全部を否定してるわけじゃ、ないでしょ」

「はあ」

「森下さんが、私の支持団体に、情報を流しちゃって……」

 幡野代議士は、政治的にはリベラル派で、進歩的左派的なファンが多いのだそうだ。「母の会」のような、男尊女卑を嫌うグループももちろん少なからずいて、沖田たちの問題が持ち上がってから、幡野代議士の動向を見守っていると言う。

「さっそく、強硬に抗議してきたグループも、いるけどね。仙台地下鉄研究会、とか」

「鉄道マニアの人たちが、男尊女卑を問題にするんですか?」

「仙台市地下鉄に、女性専用車両を導入しようという会なのよ」

「仙台市地下鉄は、仙台市内を走る地下鉄でしょう。幡野センセイの地盤は、ここ利府なんだし、関係ないんでは?」

「それが、最終目標は、仙石線への女性専用車両導入らしいわ。仙台選出の女性県議なら、他にも何人かいるけれど、この仙石線沿線で、しかも複数回当選の有力女性議員って、私だけだから」

 杉田が再び口を挟む。

「その、研究会の人たちに、直接話させてくれませんか? 私たちのはハーレムじゃないって、説明したいです」

「中身はどうあれ、形式的には一夫多妻でしょう」

 沖田は、挫けず、説明する。

「自分と、杉田・瀬川両名が同時に交際をし始めた、とか、自分と女性の片方が交際しているところに、もう一人が加わってきた、とかいうなら、一夫多妻的な交際って感じになるかもしれません。でも、最初にバイ女性の同性愛交際があったわけです。女性同士の強固なカップルを前提としたお付き合いに、一人、男が加わるっていう形式を、ハーレムっていうのは、ちと、ヘンだと……」

「つまり、沖田くんは、女の子同士に性的関係があれば、それは、一夫多妻じゃないって、言いたいのね」

「うーん。それが全てじゃないでしょうけど。そもそも、森下さんたちが問題にしているのは、交際に参加している人たちのパワーゲーム、なんでしょう? 自分らの交際、自分が一番威張って、主導権を握ってるわけじゃないですよ。たとえば、3人で食事をするときに、いつでも自分がお店を決めるか、というと、そんなわけはない。たいていはタエちゃん……瀬川さんが何々を食べたいと言い出して、ラーメン屋に行こうとか、焼肉屋に行こうとか、決まる。力関係で言えば、瀬川さんが一番上で、残り二人はそれに従うっていうパターンであって、一般的な意味でいう……フェミニストや女性学者のいう、一夫多妻とは違います。それに、お金は原則、ワリカンだし」

「沖田くん。中身はどうあれ、形式が大事だって言ったでしょう。そういう主張が分からなくもないけど、バイセクシャル以外の人に言ったって、分かりっこないわよ」

「そんな、殺生な」

「あなたとしては、話せば分かると思ってるのかもしれないけど、確信犯的に、いわば、本当は、沖田くんの言いたいことを理解してはいるけど、わざと分かってないふりをして、利を得ようとする人もいるわけ。たとえば、男嫌いの女権運動家。母の会は、まだ、良心的で話が分かるほうよ。そもそも、彼女たちは、結婚して子どもをつくってる人たちなんだから、心の奥底から男を憎んでいるわけじゃない。関係を変えたい、ただそれだけ。私が今、問題にしているのは、そうね、森下さんをもっと極端にしたような、筋がね入りの男嫌いね。男を攻撃できるネタになるなら、あえて理解できないふりをする。誤解したまんまにする。そういう確信犯の人たち。沖田くんが、この男嫌いの人たちを説得しようとしたら、いわば、説明抜きで、相手を納得させる必要があるわけよ」

「はあ」

「もう一つは、ここ宮城郡を地盤にしている政治家の嫌がらせ。細井さんっていう、ここらの保守派をまとめている、元県議がいるの。まあ、ぶっちゃけ、私のライバルって言っていいかな。細井さんと、そのシンパは、県議選で、私の票を一票でも削るためなら、なんだってやる。沖田くんたちの交際をネタに、支持団体を1つでも、私の後援会から切り離せれば、万々歳。つまり、沖田くんが、いかに中身は違うって主張しても、彼らにとっては誤解したまんまのほうが都合がいいんだから、理解できないふりをして、ウソ八百を、この近辺の政治団体に吹聴してまわるって、わけ」

「幡野センセイ。センセイの政治的駆け引きに、こっちを巻き込まないでください」

「私が巻き込んでるわけじゃないわよ。それを言うなら、沖田くんたちが、勝手に巻き込まれただけ。花束の会の動静に応じて、たまたま、運悪く、やり玉に上がった」

 沖田は、息を大きく吸い込んで、言った。

「幡野センセイに、守るべき票があるように、自分にも守るべき仲間がいます。バイグループの仲間です。自分たちが今、ここで折れてしまえば、グループの他メンバーが自由に恋愛できなくなってしまうかもしれない。だから、妥協はできません」

「そう。仕方ないわね。じゃあ、交渉決裂ね」

 幡野代議士に視線で合図されて、名和氏が電話し出した。

 ほどなく、沖田のスマフォに、次々とメールがき始めた。

「沖田くん、携帯、見ていいわよ」

 幡野代議士に促されるまま、沖田はチェックする。森下から、怒涛の着信だ。

 いわく、「母の会」以外にも、沖田の釈明を聞きたい団体がいるから、日時を調整するように、という「命令」である。

「釈明って……つるしあげる気、マンマンじゃないですか」

「母の会」「仙台地下鉄研究会」の他、「杜の都・フェミニストのつどい」「宮城・女性学連絡協議会」「ストップ・家父長制・東北支部」などなど、画面をスクロールすると、目がチカチカしてくるくらい、各種団体が、沖田を血祭にあげたがっているようなのだ。

 幡野代議士は、肩をすくめた。

「森下さんが、ヤイノヤイノ言うのを、私が今まで抑えていたのよ。私が、沖田くんを説得してあげるから、大ゴトにしないでちょうだいねって」

「……単に、三人でデートしていただけなのに」

「花束の会・バイグループ統轄っていう肩書には、それだけの重みがあるっていうことよ。全部に応じてたら、いくら時間があっても足りないわね」

「全部、無視して、出席しないとしたら?」

「欠席裁判。沖田くん、あなたは……いえ、あなたたちは、森下さんクラスの、超・しつこいストーカー団体に、追い回されることになるでしょうよ。家も職場もデートの最中も、四六時中監視されて、陰湿なイヤがらせをされることになる。杉田さん、あなたなら、どーいうことか、身に染みて分かってるわね? もちろん、ウチの後援会が、沖田くんのために縮小して、票が減るようなことになれば、私も、そのストーカー側の味方をするから、そこんとこ、ヨロシク」

「うわ。すごくイヤなヨロシクだ」


 つるし上げに合うなら、どんな団体でも、似たり寄ったりだろう。

 せっかくだから、モノ珍しいほうが、のちの話のタネになるかな……と、沖田は例の「仙台地下鉄研究会」の招待に応じてみた。

 女性車両の導入を、というスローガンの通り、本来は電車内での痴漢撲滅を目指す団体らしい。総勢ちょうど10名、大学生が半分、高校生が2人、そして大学出たての女子が2人。結成されてから、まだ3年という若い団体という。武士の情けだよ、と幡野代議士が、沖田を送り出す際に、交渉のコツを伝授してくれた。高校生2人は、姉が研究会のメンバーだったから、誘われて、ついてきただけ。学生OB2人も、在学中は自警団のマネごとをしたりして熱心だったけれど、社会人になってからは、そんなヒマがなくなっている。学生5人のうちの、中心メンバー2人に納得してもらえれば、いいはず、と言う。

「2たす5たす2で、9。一人、足りなくないですか」

「先月、カナダに里帰りしたって、聞いてるけど」

「……インターナショナルな、組織なんですね」

「温泉医学の勉強に来た、留学生なんですって。バスの中で、酔っ払いのおじいさんにお尻を鷲掴みにされて、思いっきり、そのヒヒ爺をひっぱたいたところから、研究会は始まったって話」

 楽観的な幡野代議士のアドバイスとは逆に、森下さんからの事前紹介は、ブラフ込みのキツイものだった。

「ヒヒ爺だけじゃなく、絶倫ハゲも、妙な動きをすれば容赦なくぶっ叩くから、そこんとこ、ヨロシク、ですってよ」


 待合せ場所は、なんと東北大学構内の学生食堂。

 片平キャンパスにおっかなびっくり足を踏み入れると、迷子になるのを心配してか、北門を入ってすぐのところで、副会長とかいう女性が沖田たちを待っていた。河野さんという、農学部の学生さんだと言う。ユニクロで買ったようなシンプルなパーカーに、デニムのスカート。思いっきり、カジュアルで、思いっきり普段着っぽい。もちろん、化粧もしていない。探すまでもなく、すぐに分かりました……と彼女はなんだか自慢気に言うけれど、スキンヘッドの優男を見落とすとしたら、相当のうっかりさんだと沖田は思う。レストランは北門目の前だそうで、沖田は、学外の人間が入ってもいいか、もう一度確認した。

 そんなことより、はやく名物のビールを飲みたい、と瀬川が言う。

 そう、この日は追求が多少とも緩くなることを期待して、瀬川をお供に連れてきた。

 ガラス張りの店内は、とてもオシャレで静かで、大学生協というと、講義室に机とイスを並べただけの殺風景な食堂を思い浮かべていた沖田は、いい意味で裏切られた。客層も、学生さんと教授・研究者からなるアカデミックな雰囲気が漂っていて……でも、河野さん案内で向かっているテーブルの先には、周囲に違和感をまき散らしまくりの人物が、ふんぞり返っていた。

 パンチパーマにサングラス、右目の上からコメカミにかけてデカい傷痕。紫色のシャツに黒白ストライプのダブルのスーツ。クールビズ実践中なのか、ネクタイはしていない。「なんか、ヤのつく自由業の人に見えるんですけど」

「ウチの会長。法学部学生の星山です」

 沖田が頭を下げるまでもなく、ドツかれた。

「なんじゃ、ワレ。女の尻を追い回してるハゲっちゅうのは、お前か。ほう、なんともスケベなツラしとるのお。どれ、いっちょう、ヤキを入れてやるから、そこに座れ。椅子の上じゃねえよ、土間に土下座しろっちゅーんじゃ」

 沖田は、会長を無視して、副会長に話しかける。

「痴漢撲滅が目的で、男尊女卑的交際を咎めるためっいう口実からして、会長さんも、女性だと思ってましたよ」

 副会長は微笑むだけで、会長が沖田の言葉をひきとる。

「じゃかーしいわ。お前は、このワシが女に見えるンか? お? 国分町で、この人アリと恐れられた星山竜二様を真ン前にして、女だと? 目ん玉、腐ってるんちゃうか?」

 沖田は、無理やり営業用スマイルを浮かべて、会話を続ける。

「いや、どちらかと言えば、痴漢を撲滅するっていうより、撲滅される側に見えるっていうか……」

「ナンヤトーっ。言うに事欠いて、ワシを変態扱いするんかいっ」

 ここで副会長が、合図をしてくれて、沖田たちはようやく着席することができた。 

 星山会長曰く「目には目を、歯には歯を、オッサンにはオッサンを」。

「最後の、詳しく聞かせてくれませんか」

 ビールは私が注文しておいてあげる、と瀬川は河野副会長と仲良くメニューを見始めた。

 ヴァイツェンとペールエールと二種類あって、自他ともに認める飲兵衛な瀬川は、迷わずペールエールをチョイスする。ツマミには、せっかくだからと牛タンプレート。「トキオくん、経費で落ちるでしょ、お願い」と言われたけれど、この会合、花束の会とも写真屋稼業とも関係ない。

「あ。ワシは、ビールじゃなく、ワイン、頼んます」

 何が悲しくて、こんな任侠団体の兄ちゃんみたいな人にまで、奢らなくてはならない?

 瀬川は、副会長にせがまれるまま、マニュキュアをしたツメを見せ、化粧品うんぬんの話に花を咲かせていた。せっかく連れてきたのに、これじゃあ厄除けにならない……と沖田は、恨めし気な視線を、女性パートナーに向けるのだった。

「おい、兄ちゃん、聞いとるか」

「聞いてますよ」

「そもそも、お前さんみたいなスケベエが、ワシの女に手を出そうとしたんが、始まりや」

「それって、留学生さんのお尻を鷲掴みにした、酔っ払いジジイですか」

「そっちとは違う話や。ワシの彼女はな、三年前の当時、まだ仙台商業の生徒さんやった。夕方部活の帰り、南北線で吊皮につかまっとったとき、太ももに、なんや気色悪う感覚を覚えたところから、話は始まる。一緒に通学しとった同級生ちゃんが、痴漢にあっとると教えてくれて、ヘンタイの手の甲を、思いっきりツネったところまでは、良かったんやが……ソイツ、しっかりとアザが残っとるっつーに、痴漢なんぞやっとらん……とシラを切り続けたそうや」

「星山さんは、その場にいなかったんですね」

「ワシが隣にいて、ワシの女に痴漢するよう野郎、いると思うか?」

「……思いませんね。愚問でした」

「そのチカンの野郎、バーコードハゲのオッサンやから、ここで仮にバーコードって呼んどくか。ワシの彼女が、改札の地下鉄職員にバーコードをつきだそうとしたら、一目散に逃げよる。大声あげて、周囲の乗客にようやく確保してもらったのは良かったんやが、今度は地下鉄事務局で、開き直りおる。そんな短いスカートをはいとるのが悪いんやろ、てな」

「なんか、どっかで聞いたような文句ね」

 瀬川が、いつの間にかペールエールを堪能しながら、口を挟む。深く深くうなづいて、星山会長は説明を続ける。

「痴漢してくれと誘ってるうよなモンや。ワシが悪いんやなくて、女子高生が悪い、だと」

「反省の欠片もない」

「そうや。さらにズーズーしいことに、地下鉄職員が警察に電話をかけているスキに、バーコードのヤツ、ワシの彼女にブラフをかけよった。商業高校の学生さんなら、進学せんとすぐに就職やろ、ワシは大手の保険会社で人事部長をやっとるモンやでって。今、痴漢をなかったコトにしてくれるんなら、歩合制でノルマきついセールスレディやなくて、仙台本社の受付嬢、将来は社長秘書コースで採用したるで、だと」

「いくら人事部長でも、そんな権限あるもんなんですか。社長秘書だなんて」

「まあ、黙って最後まで話を聞け。バーコードは、そういう甘いささやきで、ワシの彼女を垂らしこもうとする一方で、脅しもしてた。……ワシの申し出を断るなら、仙台中の会社で、お前が就職できんようにしたる、だと。人事関係者は、勉強会やらセミナーやらで横の繋がりがあって、お前さんの就職活動妨害も簡単や、とか言ったらしい。ワシの彼女、いくら気が強くても、しょせん女子高生や。バーコードオッサンに脅されて、随分と動揺したっちゅー話や」

 グビグビと瀬川がグラス一つ開けたが、一向に沖田のビールが来ない。あれ、沖田くんも飲むの……と瀬川は、なぜか驚いていた。星山会長が、大きなてのひらで、バンッとテーブルを叩き、酔っ払う前に、ワシの話を聞けやコラ、とすごんだ。

「申し訳ない。バーコードに脅されたところまで、でしたよね」

「ああ。そうや。バーコードのヒヒ爺に、可憐でいたいけでウブな女子高生が、たぶらかされようとするところで、颯爽とヒーローの登場や。言うまでもない、ワシや、ワシ」

「はあ」

「両親やガッコの先生に連絡する前に、彼氏を頼ろうとする女子高生ちゃんやで。男冥利に尽きるっやろ? ワシ、眉毛もキッチリ剃り落として地下鉄にすっ飛んで行って、メンチ切ったったわ」

「はあ」

「就職の話をエサに、脅したりスカしたり、社会人として言語道断や。いや、社会人うんぬんって前に、オトコのクズや。ヤツは、クズには違いないけんど、自分がヘタこいた自覚はあったんや。だから、ワシの彼女のみならず、ワシまで丸め込もうとする。『警察が来たら、穏便に解決した、言うてくれ』……てな。バーコードの野郎、平身低頭し出したけど、女に手を出されて、エエデエエデって許してたら、沽券に関わるやろ。地獄に落ちるまで、シバキ倒したるって怒鳴ったトコで、オマワリ登場や」

「星山会長、危なく過剰防衛でしょっ引かれるところでしたね」

「なに抜かす、このハゲ。正義の鉄槌に、過剰防衛っちゅうのは、ないんじゃ」

 痴漢の他に、恐喝である。

 警察の訊問が始まると、バーコードは、例によって知らぬ存ぜぬ、とシラを切り通そうとした。が、地下鉄事務所には監視カメラが設置されており、この自称・大手保険会社の人事部長は、ごまかしようのない証拠を突きつけられて、詰んだ。

「そうや。バーコードのヤツ、自称、人事部長やったんや。ホンマは、名取北のスーパーで惣菜売り場の主任っつー肩書のオッサンやった。パートのおばちゃんを3人つこうてて、うち2人を、いてこましたとかで、天狗になっとったらしいわ。けんど、この痴漢騒ぎで全部パーや。不倫も全部暴かれて、不倫相手の旦那にも、結構な慰謝料を請求されて、首が回らなくなったって聞いたわ。で、ワシ、メシウマな決着の総仕上げしたろ、思てな、最後は、バーコードの職場、スーパーの店長のとこに、カチこんだんや。お前んとこの主任のお陰で、ワシの彼女、危うくキズモノにされるところだったわ。どうオトシマエつけるんじゃ、ワレっー、てな。そしたら、店長の野郎、開き直りよる。……主任には、年老いた両親と奥さん、3人の子どもがおる。バーコードの稼ぎに一家7人の喰いぶちがかかっとるんやから、すまんけど、目えつぶってや、だと。ワシ、呆れたよ。バーコードの野郎、ヘタしたら刑務所に入るんやで。アンタまさか、バーコードの野郎をクビにせんの? と呆れてみせたよ。店長、『一家の大黒柱やから』っちゅーフレーズを、バカの1つ覚えみたいに、繰り返すだけや」

 さすがにしゃべり疲れたのか、星山会長は椅子にふんぞり返ると、河野副会長が注いでくれた赤ワインをすする。でも、沖田の分は、いっこうに来ない。

「瞬間湯沸かし器なみに、瞬時に怒るワシやが、これでも鬼やない。ワシは噛んで含めるように、店長に言い聞かせたった。……アンタ、アホか。痴漢に恐喝、不倫までする小悪党やぞ。放っておいたら、店は倒産、お前さん、夜逃げするように、なるでって。しかし、まあ、ナシのつぶてって、ヤツやったな。根負けして立ち去ろ思たワシに、店長、最後っ屁を放ってきよった。星山さん、アンさん、独身でかつ学生の身やから、社会で働く苦労も、一家を養う責任っちゅーヤツも、分からへんやろ、と。で、そういう重責を背負ったまんま生きるのんは、とにかく大変で、たまには息抜きとかガス抜きとか、必要になるんじゃ、ほてから、魔が差して目の前のカワイ子ちゃんに手を出しちまうっつーのは、男なら仕方ないこと、堪忍してつかあさい、やと」

 実際は、関西弁じゃなく、東北弁で言ってるんですよね、それ。

「じゃっかーしい。そんな細けえことは、ええの。で、ヤツは、思わず足を止めたワシに、滔滔と、たわごとをぶちかましよるわけじゃ。男なら、仕方ない。昔の男なら、許されたことじゃ。これも甲斐性じゃ。女もイヤなら、黙って身を引けばよかったんじゃってな」

「うーん。要するに、男尊女卑な持論を展開した、と」

「そうじゃ。そんなたわごとを、ワシの目の前で悪びれずに言い寄る。ワシ、膝の力が抜ける気分やった。こんなマヌケに何言っても無駄やとは思ったけど、もう一度、言ってみたわ。……お前、居酒屋でクダ巻いてるオッサンが相手とちゃうんやで? ワシは被害者の彼氏なんやで、そしてお前さんのほうは加害者の管理責任者や、世が世なら、アンタ、ワシに金玉握り潰されても文句言えん立場なんや、分かっとるか? て」

「店長さん、涙目になってたとか」

「そんな殊勝な男なわけ、ないやろ。古ダヌキや。お詫びのしるしに、現金は無粋でしょうからって、ソープランドのタダ券十回分を、差し出してきよった」

「痴漢のお詫びに、ソープランドのタダ券て。やること、なんとも、エゲツない」

「全くや。アルバイト学生や、パートのおばちゃんたちの目がなかったら、その場でヤツをはったおしてたで、ワシ」

 瀬川が、ふと、質問をする。

「で? そのソープランドのタダ券、受取ったの?」

「この店長じゃ、ラチがあかんと思って、ワシ、別の方向から、バーコードを責めることにしたんじゃ。バーコードの奥さんや。店長のオッサンは、男やから、どーしてもバーコードをかばうやろ。せやから、女の奥さんや。女なら、被害者の気持ち、分かるやろし、いっちゃん身近な女に、男のクズ呼ばわりされるんは、こたえるやろなーと思て。しかしな、ワシのアテ、すっかり外れててん。奥さん、ワシに敵意、むき出しやった。茶の間に通されたまでは良かったんやが……旦那のシツケ、どーなっとるんじゃっ、て説教すると、むくれて、屁理屈言ってきよる。ワシの彼女をアバズレだとか、美人局だとか、女の風上にもおけん、とか、無茶苦茶や」

「……それで、星山会長、ソープのタダ券、受取ったの?」

「ワシ、人より目立つ風体しとるからな、少し優しく話したら、聞き分けよーしてくれるかなと思て、女の人情っちゅーのを説いたんやけどな……やっぱりダメやった。旦那が犯罪やらかしたのは、警察にしょっ引かれとるんやさかい、紛れもない事実や。そこんとこ、奥さんに認めさせるんのに、まず苦労した。でも、認めさせてからは、もっと苦労や。ガンとして、亭主が悪いとは、言わんのや。女たる者、男を立てるのが当たり前で、間違って胸だの尻だのに男の手がぶつかった場合、相手が不名誉なコトにならんように、上手にごまかしてやるのが、女の道、なんやて。ワシ、思わず叫びそうになったわ。アンタ、一体、いつの時代に生きとるんや、て。今はもう令和やで。旦那が浮気に行くのに、玄関先に三つ指ついて送り出す時代と、ちゃうんやで、てな。女大学うんぬんかんぬんっつー時代からタイムスリップしてきた女かて、もうちっとマシなこと言うわ」

 瀬川のチャチャの代わり、沖田が相槌をうつ。

「それで?」

「それでも、ダメやった。全く聞く耳、持たんのや。男尊女卑の権化みたいな女や。さすがのワシもグリコやった」

「グリコ? なんです、星山会長」

「お前さん、一粒300メートルのパッケージ、見たことないんかい。お手上げっちゅーこっちゃ。本人にオチの解説なんかさせるんわ、無粋の極みや、恥ずいなあ、もう」

「はあ」

 瀬川が、めげずに、同じ質問を繰り返した。

「で。ソープのタダ券、受取ったかどーかって聞いてるのよ、ドラちゃん」

「ドラちゃん……? なんや、ワシに聞いとるのか? ドラちゃんてなんや、ワシ、SF漫画に出てくる青タヌキとちゃうで」

「でも、ドラちゃん、アンタ、竜二くんっていう名前なんでしょ」

「そうや」

「竜だから、ドラゴン。で、ドラゴンをかわいく呼ぶと、ドラちゃんよ」

「そんな、かわいく呼ばんでも、エエがな。お嬢ちゃん、そういうのんは、同級生のお友達と仲良くするときに、つかったってーな。ワシのような、年上目上で、立場が上の人間に使っては、アキマヘン」

「アタシ、アラサーなんだけど」

「え。お嬢ちゃん、年増女なんかい。ロリババアやな」

 河野パーンチっ。

 叫び声とともに、パンチパーマの死角から、キレイな左フックが星山会長のアゴにヒットした。

「ひでぶっ」

 断末魔の叫びともに、星山会長は、椅子から転げ落ちそうになった。

「何すんねん、副会長」

 河野さんの代わりに、瀬川が椅子の上に立ち上がって、タンカを切った。

「女の友情は、かくも厚いものなのよ。ババア呼ばわりしたことを、謝りなさい。でないと、今度は股間にコークスクリュー・キックをお見舞いするわよ」

「……えろう、すんません。姐さん」

「分かれば、よろしい」

「それで、ドラちゃん、ソープのタダ券、もらったの?」

「まだ、そこ、引っ張るんかー。おい、ハゲ」

「ハゲじゃありません。沖田です」

「ほなら、沖田。姐さん、何とかしたってや。話がすすまんやん」

「いや。自分も興味ありますね。ソープのタダ券」

「女の友情はあっても、男の友情ってのは、ないんかい」

 そして、とうとう、タダ券をもらったことを、星山会長は白状したのだった。

「さいってい」

 河野副会長は、星山会長の前に仁王立ちした。あまりの剣幕に、会長は椅子の上で、無理やり土下座した。

「椅子の上じゃない。土間に土下座しろーっ」

 河野副会長の顔は真っ赤だ。けれど、怒りのせいじゃなく、どうもアルコールのせいらしい。シラフに戻ったとき、会長副会長の関係、どーなってるんだろ、と他人ごとながら、沖田は心配になった。

 そうやっているうちに、沖田のペールエールがようやく運ばれてくる。関西弁でグダクダな痴漢話を聞き、グダグダな内輪もめを見せられ、疲労の色が濃い。

「うーん、うまいっ。苦味が身に染みる」

 このまま、酔っ払って帰りたい気分だったけれど、肝心の、仙台地下鉄研究会に呼び出しを食らった……この研究会が、沖田たちを毛嫌いする理由の説明に、たどりついてない。

「ドラちゃん、続けて」

「……やから、どこまでいっても、男尊女卑な人間しかおらん状況に、疲れて怒ってあきれ果てたって、ことや」

 バーコードの奥さんが、男尊女卑の権化であることは、説明した。

 しかし、コトは、それで終りではなかったのである。この奥さんや、バーコードの両親、スーパーの従業員やパート・アルバイト、はてはご近所の住人に買い物客……みんな、似たり寄ったりの男尊女卑主義者だったのだ、と星山会長は言った。

「誰も、ワシの彼女に同情したりなんか、せん。逆に、バーコードを擁護するヤツばかりや。そして、この元凶がなくならん限り、今後も痴漢被害者は出続ける」

 真顔になった星山会長に、沖田は確認した。

「つまり、痴漢を助長しているのは、痴漢をかばう人たちって、ことですか」

「そうや。痴漢は、性欲を満たすために、痴漢をするんやない。自分が女よりエライってことを確認するために、痴漢するんや」

 ちょっと極論な感じがする。

 瀬川が首をかしげると、星山会長は即座に反論した。

「姐さん。昼日中から、こんな話をするのはナンやけど、強姦する男の動機っちゅうの、聞いたこと、あるか? レイプ魔っちゅーのは、性欲を満足させるために強姦するんやなくて、暴力衝動を満足させるために、レイプしとるって説があるんやで」

「ふーん」

「おい、ハゲ……やなくて、沖田。お前さん、最初にワシに挨拶したとき、ワシが女やなくて、驚いてたよな。痴漢撲滅をスローガンにしとって、男尊女卑反対の組織のトップが、なんで男なんやって」

「ええ。まあ」

「男尊女卑は、男が得して女が損する制度やない。彼女に手ェ出されたら、男だって損やろ。それに、この制度は、バーコードみたいな、情けないクズを産み出すんや。いや、情けない男を、情けないまんまにしておく制度、と言ったほうがエエか。やから、ワシは、徹底的に男尊女卑撲滅の側に立つ。男が男らしくあって欲しいからこそ、ワシはお前さんのハーレムに反対するっちゅーわけや。以上」

「長広舌、お疲れさまでした」

 瀬川が、その後、ソープ券のことも含めて、色々と星山会長にツッコミを入れていたところは、割愛しておこう。

 丁々発止言い合っている2人は置いといて、沖田は副会長を口説くことにした。

「のっけから否定しちゃいますけど、我々の交際、ハーレムとか、男尊女卑とかじゃ、ないですよ」

「うん。知ってた」

「え。そうなんですか」

「有香さん……森山さんが、この手の話を持ってくるときは、七割くらい割り引いて聞くことにしてるんです。あの人、極端から極端に走るタイプだから」

 公園の砂場で遊んでいる幼児たちを見つけても、男女性比が固まっていれば、ハーレムだの女性差別だのと、騒ぐ。カルチャーセンターの料理教室が女性だけで埋まれば、性別役割分業の固定をもくろむものだ、と主催者を糾弾だ。

「ほとほと、疲れるんです」

「はあ」

「もちろん、彼女の情熱が役立つことも多々あって、枯れない熱意に敬意することも、あります。いわば、コインの裏表というか」

「はあ」

「で。森山さんが、バイセクグループに不埒な男がいる、と注進してきたときも、そのまんま鵜呑みにしていたわけでは、ありません。自分たちで、簡単な独自調査もしたんですよ」

「事務局の名和さんとかに、インタビュー、とか?」

「そのへんは、企業秘密」

 でも、それなら、ハーレム交際でないと分かったなら、なんで仙台くんだりまで、自分たちを呼びつけたのか……沖田は、ストレートに尋ねる。

「理由は3つです。一つ目。ウチの星山会長が、どーしても言いたいことがあるから、と言い張ったためです。森山さんほどじゃないですけど、ウチの会長も、頑固で融通が利かなくて、男女差別とか、そういう言葉に過剰反応しちゃうほうですから。会長を止められなかったのと同時に、会長の思いのたけ、沖田さんに知ってもらいたっていう気持ちも、ありました」

「仙台商業出の、彼女さん」

「ええ。森山さんみたいな女性に正論を語られると、煙たく思う男の人も、少なからずいます。頭では理解しても、正論女に正論を語られると、なんかムカつく。心のほうが、ついて来ない人ですよね。そういうタイプも、会長の演説を聞くと、案外と協力的になってくれたりします。観念が上滑りしているわけではなくて、実体験からの差別反対だから、心に響くのかも、と幡野県議に感心されたことも、あります。まあ、あと、会長の人柄とというか、キャラクター性もあります。口は悪いですが、隠し事は出来ないタイプだから。誰にでも喧嘩腰だけど、イヤミがない。それに、ああ見えて、結構女性にモテるんですよ、会長」

「え」

「瀬川さんのセリフじゃないけれど、ちょっとかわいいって言ってくれる人も、います。それから……彼は、説教したりするだけでなく、実際に行動する人でもあります。最初の挨拶のときに言ったでしょう。目には目を。歯には歯を。オッサンにはオッサンを」

「あ。そーいえば、そういうこと、言ってましたね」

「痴漢撲滅というスローガン、結構通りがよくて、その……会長の彼女さんを通して、被害相談が何件も来ました。ウチでは、警察……仙台泉署の婦警さんと懇意になって、被害者から言いずらい話を打ち明けてもらったり、定期巡回して、痴漢逮捕の応援をしたりも、しました。けど、一番効果があったのは、星山会長が、暴力団員みたいな風体をして、被害者さんに同行したケースなんです。通学電車に一緒に乗車して、周囲の人のガンを飛ばす……ていうんでしょうか、とにかく、当たり構わず睨みつける。なんだ君は、とか、視線に反応してきた人がいたら『自分のツレの女子が痴漢に合ってるっていうから、どこに犯人がいるか探しているところだ』とかなんとか、ドスの利いた声でうなる。十日くらいすると効果が出て、一緒の車両を利用する乗客は毎度違うはずなのに、もう、彼女に痴漢してくる不逞のヤカラはいなくなるっていう寸法です。星山会長、最初は、ちょっと目が鋭いだけの一般人だったのに、痴漢をよせつけない効果があるって分かってから、どんどんあんな恰好をするようになっていったんです」

「そうなんですか。……東北大学法学部生なんてインテリな肩書と釣り合わないから、不思議に思ってたんです。じゃあ、あれは、あくまで演技」

「……まあ、しゃべり方は、素の部分があるかな。私も、以前と比較してのあまりの変貌に、苦言したことがあるんです。会長、鬼退治には、桃太郎じゃなく、別な鬼が必要なんだって、言いました。そう、同じ痴漢ガードでも、爽やか青年風じゃ、全然効果がない。あるいは、長続きしない。威嚇するなら、一癖も二癖もある恰好で、やるしかない。つまり、目には目を。歯には歯を。犯罪者には、犯罪者っぽい恰好で」

「なるほど。で、痴漢オッサンには、オッサンを、ですか」

「ヤクザまがいの恰好をしなくとも、ガードっぽい中年男性が側にいると、やはり青年風よりは、効果があるらしいんです」

「なるほど」

「沖田さんには、一口に男尊女卑と言っても、伝統的な農村社会とか、そういうのだけじゃなくて、こういう切り口があることも、知って欲しかった。それから、会長の情熱を、会員以外の人に、こういうことに理解がありそうな男の人に、知っておいて欲しかったのです」

「はあ」

「で。仙台まで来てもらった、二つ目の理由です。私の、純粋な好奇心。私も女だから、ビアンがどういうものかは、なんとなく分かる気がするし、そもそも森下さんみたいな、カミングアウトしている知人もいるわけです。それから、腐女子の友達がいるから、ホモについても、いっぱしの知識はあります」

「いや、あの、腐女子というか女オタクの人たちの男性同性愛理解っていうのは、それなりに問題があるというか……」

「でも、バイセクシャルの恋愛とかセックスとか、イマイチ、よく分からなくて。どういうのかなっていうのを、一度当事者に聞いてみたかった」

「ムッツリスケベ」

「はははは……それ、さっき、瀬川さんにも言われました。あと、内容については、瀬川さんから色々とレクチャーされました。なかなか……興味深かったです」

「じゃあ、まあ、好奇心は満たされたわけだ」

 一つ目、二つ目の理由からは、自分たちが糾弾されるべき理由が、出てこないじゃないか、と沖田は思う。

 星山会長たちは、男尊女卑恋愛を糾弾したい。けれど、沖田たちの恋愛が、男尊女卑的でないのは、河野副会長が分かっている。以上。

「いいえ。三つ目の理由の理由があります。つまり、感染力です」

「感染?」

「ええ。インフルエンザとか、ハシカと同じ、感染です」

 外見だけでも、影響力はある、と河野副会長は断言した。

 男一人に女二人とかでデートを、事情を知らない人が見れば、ハーレム構成に見える。問題は、それを見た若い人たちが「ああいうのもアリか」と思ってしまうこと、なのだという。

「誰もやっていなければ、ハーレム形式でデートするなんて発想には、ならないんです。でも、他の誰かがやっていれば、マネしてみたくなる。いえ、マネしないまでも、許容してしまう」

 同じハーレム形式でも、非難の対象になるのと、ならないのとでは「感染力」が大いに違ってくる……と河野副会長は続ける。

「咎められれば、こっそりやろうとか、今後はしないようにしようとか、自主規制するでしょうけど、ああいうのもアリだ、と肯定されてしまえば、罪の意識もなくなります」

「実際に、罪じゃないでしょう。そりゃ、重婚は確かに法律で罰せられますけど、行政に何らかの届出がない状態……今の自分らみたいな交際の段階で、罪なんて、あるはずがない」

「沖田さん、それは屁理屈です。刑法的な意味で、だけが罪じゃないでしょう。宗教の規範が定める罪もあれば、地域コミュニティの暗黙のルールだって、ある」

 なんだか、この河野さん、森下さん並みにしつこいところが、あるみたいである。

「一夫一婦制をかたくなに主張するのは、三大宗教では、キリスト教くらいのものでは? そのキリスト教だって、モルモン教みたいに、一夫多妻を肯定する宗派があるくらいで」

「今のモルモン教、一夫多妻を肯定してませんよ?」

「そういう、揚げ足とりは、いいですから。他でも、イスラム教で、妻を四人までめとることができるのは有名ですし、宗教の規範があるから、ハーレムはダメというのは、ムリがあるんじゃないかな、と思います。それから、地域コミュニティの話ですけど、そもそも人口比・面積比で、世界の九割以上の地域が、一夫多妻制OKの時代があったとか。西側先進諸国の『特殊な』規範が広まって、どこの国も一夫一妻制の結婚形態になりつつありますけど、地域コミュニティの規範があるなら、一夫多妻は否定すべきという論理も、破綻していると思いますね」

 そもそも、一夫多妻制イコール男尊女卑じゃない。

「沖田さん。自分の論理に毒されてますよ。沖田さんは、あくまでバイセクシャルの人で、バイセクシャル特有の恋愛をしているわけで、ハーレム肯定派の人じゃ、ないんでしょう?」

 河野副会長にいたずらっぽく言われて、沖田はハッと気づいた。

「自分、一体、何を擁護しようとしてたんだろ」

「……形式だけでも、ハーレム的交際と言われて、ムキになって否定しようとした。でも、いつの間にか、自分たちのバイセクシャル交際を否定されたような気分になって、ハーレム的交際そのものを、肯定しようとしていた」

「……反省します」

 これも「感染力」の一種なのだ、と河野は言った。

「一夫多妻的なつき合いをしている人が多くなれば、数の内には、ハーレム否定派に対して、開き直る人が出てくると思うんです。そして中には、自分たちを正当化しようとする人も、出できます。大抵は陳腐で過去の言い訳の焼き直しで、わざわざ論破するにも値しないようなモノばかりですけど、たまに、今日の沖田さんみたいに、違う角度から手ごわい言葉を投げてくる人もいるんです。今日は、勉強になったと思います。バイセクシャルなんていう観点から、変化球を投げて来る人は、初めてでした。瀬川さんにも内実を聞きましたし、対処法の幅が広がったかも」

「はあ」

「フェミニズム運動家だとか、ウチの研究会のメンバーとか、意識的にこの手の問題にかかわっている人は、多少の説得があっても、流されることはないと思います。けれど、世論に……もっと砕けた言い方をすれば、世間の流行りの風潮に流されるのが、人の世の常です」

「つまり……?」

「つまり。バーコードさんや、その周辺の人たちのことです」

 蟻の一穴、天下の破れ、ということわざもある。

 その一穴が、沖田たちのデートなのだ、と副会長は締めくくった。

 当事者の一人、杉田を連れてきてないので、石巻に帰ってから、じっくり考えてみます、と沖田は河野に約束した。


 この、仙台地下鉄研究会を皮切りに、沖田は森下に紹介されるまま、次々に、幡野後援会傘下のサークルや団体を訪問した。いずれも結論は同じで、沖田たちの「ハーレム形式交際」に反対である。ただ、理由が十人十色……、いや、十「組織」十色というべきか、とにかく、「反対のための反対」ではなく、それぞれが真摯な事情があってのこと知れたのは、収穫だったかもしれない。

 沖田は、自分たちの主張を押し通すのを、やめた。

 中間報告のため、利府の事務所に立ち寄った帰り、2人のパートナーにも、少し方針変更するかもしれないと、告げた。

「自分らに正義があるように、彼女たちにも彼女たちなりの正義があるって、ことなんだよね」

 瀬川は、沖田と目を合せず、仙石線の車窓から退屈な景色を見たまま、言った。

「そんなの、最初から分かり切ってた、ことじゃない」


「ねえ。また、覗いている人が、いるんだけど」

「し。目を合わせちゃ、いけません。健全な一市民のように、見て見ぬふりをしなさい」

「なに、それ」

 3人は、シーズン中3回目の海水浴に来ていた。

 石巻地区では生徒に見つかってしまうから……という杉田のリクエストに答え、前の2回はいずれも仙塩地区で、である。そして、今日は少しばかり遠征して、気仙沼の大谷海水浴場でビーチを楽しんでいた。復興がなったばかりのせいもあるのだろうけど、浜茶屋のような露店は出ていない。けれど、400mはあるかという長い砂浜に沿って国道45号が走り、この幹線道路を挟んで、道の駅・大谷海岸がある。駐車場は、この道の駅を利用するので、タダ。何か飲み食いをしたかったら、道の駅内のクーラーが利いたところで、食事ができる。道の駅から砂浜に降りる横断歩道には、交通整理のオマワリさんがいて、海水浴客のために、イチイチ車を止めてくれる。まさに、いたせりつくせりのリゾート地なのだ。

 沖田たちのように、恋人同士できているグループは、ほとんどいないようだった。7割近くが、小学生くらいの子ども連れ。女の子だけ、あるいは男の子だけで来ているグループが2割くらい。水着を着ず、Tシャツと短パンで、ただ浜辺や波打ち際を歩くだけの老人もいる。盗撮とか痴漢とかいうたぐいの人ではなく、たまたま散歩しているだけの、枯れたお年寄りみたいだ。そうそう、明らかに釣り道具を持ったオッサンが一人いて、ライフセーバーの人に追い出されていた。

 なんか、平和だ。

 のほほん、と過ごすのに、最適な海水浴場だけれど、沖田たちは居心地が悪かった。いや、今回ばかりでなく、デートのたびに、ずっと居心地が悪いのだ。


 監視がついている、からだ。


 3回に2回は、森下さんが音頭をとっているようだ……と言えば、およそ、どんなスパイが監視しているか、理解できることと、思う。例の仙台地下鉄研究会との会合直後の、一回目のデートから、見張りは張りついてきたのである。予定通り、沖田は2人を誘って、七ヶ浜の海水浴場にデートに行った。

 この、最初の監視役は、男女一組のカップル……いや、カップルを装った「嫁・姑の団結促進同盟・家父長制バスターズ」からの刺客だった。本物の探偵とかが監視するならともかく、素人のスパイ行為なんて、見破るのはそんなに難しくないものである。最初は、沖田たち3人のうちの誰かの、知合いじゃないのか? と沖田は考えていた。彼らが沖田たちを見ているのは明々白々で、けれど沖田たちのほうから視線を向けると、目を合わせないように、露骨に視線をそらすのである。見知った顔ではあるけれど、本当に顔見知りかどうか自信がない人が、よくする動作……と言ったら、いいだろうか。最初に沖田が気づき、瀬川に知らせたけれど、彼女の返事はそっけなかった。

「放っておきなさい。本当に知合いかどうか思い出したら、話しかけてくるでしょ」

 杉田は、生徒さんや他の知人がいないか、神経質にキョロキョロあたりを見まわしていたけれど、どうやら杞憂だったと気づくと、安心したのか、一人で屋台の焼きそばを3人前も食べた。「シーちゃんは、食べても太らないから、いいわよねえ」と瀬川が感嘆する。そんな瀬川だって、もちろん太っているわけじゃない。ただ、小学生並みの身長のせいで、モデル体型の杉田が隣に並ぶと、ビキニよりはスクール水着のほうが似合うかな、と別の意味での魅力を感じてしまうだけである。

「トキオくん、一言、よけい」

 ちなみに、この日、杉田は上下とも黒一色のビキニ姿。瀬川も同じビキニだけれど、こちらはハイビスカスのプリントに、大きなフリルがついたものである。

 アイスとかジュースとかはいいのか? と沖田は杉田に尋ねた。出身地の春日部に比べれば、まだ全然暑くない部類だから、と瀬川は、水平線を眺めながら言ったものだ。

「放っておきなさい、トキオくん。シーちゃんは、海が見たいの。埼玉には、海、ないからね」

 汗一つ流れていないように見えるのは化粧のせいだと分かっているけれど、そんな杉田の横顔は、大人っていう感じである。

「なによ。アタシのほうが、ずっと年上なんだからね」

「タエちゃん。それ、自慢するところと、違いますよ」

 でもやっぱり、行動パターンは、小学生っぽいと、沖田は思う。

 沖田が、海から砂浜に上がってきた時は、熱射病対対策に麦わら帽子をかぶるのだけれど、瀬川は、帽子を取りあげて、スキンヘッドにココナツオイルを塗りたがるのだ。

「もう、ハゲいじり、いいかげん、飽きない?」

「ふふん。テカテカ、アタマ」

 何を言ってもご機嫌に頭を撫でまわす瀬川に、シャレになってないと沖田は思う。この炎天下で、髪の保護もない頭を長時間太陽の下に晒すのは、自殺行為だ。第一、スキンヘッドが日焼けすると、顔の皮が引っ張られて、福笑いで失敗したようなヒラメ顔になってしまうのだ。

「ナースなら、少しは、相方の健康に気を遣っておくれ」と沖田が歎願すると、「はあい」とようやく瀬川は諦めた。けれど、それでも頭を胸に抱えて、ぺたんぺたんと叩くのをやめない……。

 泳いだり、日焼けしたり(人出が多すぎて、スイカ割りだのビーチバレーだのはできなかった)したあとは、無性に眠くなるものだ。

 沖田がテントの中でゴロンと横たわると、遊び疲れたのか、杉田・瀬川も入ってくる。

「君らも、昼寝?」

 沖田の問いには答えず、2人は目配せすると、交互に沖田にキスしてきた。

 それから、沖田の胸の上で、2人で、見せつけるようにペッティングをはじめた。まじまじと見つめる沖田に、杉田がからかうような視線を浴びせ、ゆっくりと、ゆっくりとブラジャーを外し始めた……。

「ちょーっと、待ったー」

 隣近所のテントにも聞こえるような大声で、カップルが邪魔しにきた。

 杉田が慌てて胸を隠し、瀬川が彼女の肩にバスタオルをかける。

「あなたたち、何? ずいぶん堂々としているけど、覗き? 警察に訴えるわよ」

「我々は、県議公認の風紀取り締まり係です」

「アタシたち、取り締まられるようなこと、してないわよ」

「まさに、今、ブラを取ろうとしてたじゃないですか」

「テントの中で、着替えてただけよ。公然わいせつ罪にもあたらないし、何?」

 風紀を取り締まられねばならないのは、アンタがたのほうだろう、と沖田は仙台地下鉄研究会の星山会長のマネをして、精いっぱいの怖い声を出した。

 ツルッパゲの相乗効果があってか、これは、効いた。

 カップル男は唇を震わせた。

 Tシャツを羽織って落ち着いた杉田が、カップル女のほうをキッと睨みつけて、言った。

「今、県議公認って言ったけど、本当は森下さんの差し金なんでしょ」

 いいわ、言い訳は聞きたくない……実際、県議に電話して確かめてみる……風紀取り締まり係とかいう人たちが、私たちの着替えを覗こうとしたうえ、逆ギレして怒ってきたって。

「公人の名前を勝手に騙るのは、確実に警察沙汰になる出来事だと、思うけど」

「でも、森下さんが……」

「直接、県議から相談というか、命令というか、あったの?」

 幡野代議士には、会ったこともない、とカップルは白状した。

「ほら、やっぱり。たとえ偽の命令で動いてても、犯罪は犯罪よ。主犯、森下。あんたたちは、従犯」

「勘弁してください」

 カップル男のほうは、なおも強がってみせたけど、瀬川がスマフォで証拠映像を撮ったと告げると、アッサリと頭を下げた。沖田が改めて訊問をするまでもなく、2人はペラペラと事情を語りだした。

 曰く、2人は「家父長制バスターズ」という、鹿島台に本拠をおくサークル……いや、「秘密結社」の一員で、実際に夫婦なのだという。仙台が目の前にある自治体だというのに、農村部には戦前から続く旧弊がしっかり残っていて、このスパイカップルは、ことのほか家父長制に悩まされている、という。

「悩まされてるって……晩御飯のオカズが、家長より一品少ないとか、お風呂の順番で、お爺さんが一番最初なのがイヤだとか?」

 瀬川が無邪気に尋ねると、カップル男は深刻な表情になった。

「オヤジが……妻に手を出しているのです」

 カップル女のほうが、ヨヨヨ……と泣き崩れた。

 親戚一同、知ってはいても、誰も「家長」の権威にたてつこうとせず、逆に、この息子夫婦に忍耐を強いる、というから呆れる。

 沖田は、シンプルかつ、最も効果的な策を授けた。

「オヤジをボコボコにぶん殴ったあと、別居しろ。仙台に出ろ」

 カップル男は、力なく言った。

「そんなことができるなら、今ごろ、当にやってます」

 そして彼は、自分をとりまく人間関係について、恨みつらみを吐き出したのだった。沖田は、再び精いっぱいの冷たい声を絞り出した。

「それは違うな。アンタが唯々諾々と、父親の言いなりになってる時点で、一番悪いのは、アンタの親父の家父長制じゃない。アンタの無意識に根づく家父長制が、最大最悪の不幸の原因だよ。もう一度、言う。お前だって、キンタマついてるんだろ。父と息子の問題じゃない。男と男の問題だよ。親父を殴れ」

 カップル男は蒼白になった。

「この覗きのことをしっかり警察沙汰にしたら、アンタら、二度と父親に逆らえなくなるぞ」

 警察のお世話になったら、二度と父親に逆らえないことは確かだけれど、その前に「家父長制バスターズ」に加入していることがバレただけで、折檻されるかも、とカップル女は怯えた。

 杉田が、沖田を目で制し、優しく聞いた。

「で? 森下さんに、どんなふうに、たぶらかされたの?」

「……最大の元凶は、父親の行動を黙認する親戚一同の人たちで、その親戚一同が、昔ながらの家父長制を信奉しているから、僕たちは解放されないんだ、と教えられました。本来なら都市化によって解消されるような悪弊が残ったままなのには、それを再強化している人がいるからだって。で、利府の有名な政治結社の幹部、沖田という人が、その大元凶だ、と」

「それだけじゃ、ないでしょ」

 瀬川が眼光鋭く睨むと、カップル男は砂浜に正座して、続けた。

「沖田という人が、交際中の女性2人と人前でイチャつくのは、まさに、この家父長制を維持拡大するための方策なんだ、と森下さんは言ってました。それで、3人のデートを妨害したら、僕らがオヤジの支配から脱するのを手伝ってくれる、らしいです」

「それで?」

「何かスキャンダルになるようなモノを掴んでこいと……現場で現行犯告発でもいいし、証拠写真の盗撮でもいいよ、と言ってました」

 沖田は肩をすくめて、聞いた。

「アンタの言う、利府の政治結社の大親分が、幡野代議士だって、知ってた?」

「え。そうなんですか」

「仮に、我々が家父長制をまき散らす元凶だとして、県議がわざわざ他の政治グループのメンバーに、粛清なんて依頼するかな」

「……」

「自分で手を下せばいいだけでしょ。常識的に考えれば」

 カップル女のほうが、悲し気な表情のまま、言う。

「騙されたんですね、私たち……」

「森下さん本人は、騙してるっていう意識、全くないと思うよ。本人は、至って真面目に、家父長制撲滅のために、我々を別れさせようとしてるんだろうさ」

 沖田の補足だが……と前置きして、杉田かことわけを語った。

 自分たちはバイセクシャルで、バイセク特有の交際をしているのだ……という事情から、各種サークルに召喚されて「つるし上げ」を食らってきた顛末を、だ。

「スキンヘッドさんたちも、苦労してるんですね」

「スキンヘッドじゃない。沖田だ」

 こんなことは伝授するっていう種類のことじゃないんだが、しかし伝授しておく……と、沖田は、爺さんを油断させて、アゴにアッパーを食らわせる方法を教える。

 瀬川は、カップル女の相談に乗っていた。舅が彼女に手を出してきたのは、そもそも子どもがなかなか出来なかったからで、不甲斐ない息子任せでは跡取りができない……というのが最初の口実だったという。瀬川は、自分がナースであることをあかした上で、いい医者を知っているから、キチンと不妊治療をしましょうねと、励ましていた。

 杉田と言えば、利府の事務局に電話して、いい弁護士を紹介しろ、と名和氏を脅していた。「でないと、森下さんの所業をバラす」。

 杉田が声のトーンを落として「幡野センセイにもチクりますよ」となおも煽ると、二つ返事でOKが返ってきた。


 こうして、最初のスパイ・ストーカーは退治したわけだけれど、要するに、森下にそそのかされて、訳アリの尾行者が、デートのたびについてくるようになったわけである。


 映画館で、沖田が、両隣に座った瀬川たちの肩を抱いたり、脇の下に手を入れて抱き寄せたりすれば、懐中電灯をカッと照らして「フラチ者」と怒鳴ったりする。周囲のお客さんに、迷惑極まりない。

 三陸道をドライブ、道の駅三滝堂にて休憩、車の中でキスをしていれば、いつの間にか4人ものストーカーが横にはりつき、ゆっさゆっさと車を揺する。ストーカーと言っても、彼らが隠密行動をとる気は全くないようで、あれよあれよという間に、野次馬が集まってくる。おちおち外出してデートしてられないなーと、写真館に集まって家デートすれば、頼んでもいないのに、蕎麦10人前、寿司10桶、ピザ1ダース……と出前がやってくる始末だ。

 嫌がらせの元締めは森下さんと分かっているから、彼女に再三抗議の電話を入れるのだけれど、馬耳東風とはこのことか、女史は知らぬ存ぜぬで、押し問答になるばかり。

 幡野代議士も、今や頼りにならない。

 沖田たち自身のせいではなく、森下さんがけしかけているのだと思うけれど、実際に後援会の加入している各種団体が、政治献金を渋ったリ、講演会に人を動員しなかったりと、反応、はかばかしくないからだ。


 打開策を探して、沖田たちは方々に相談した。

 ゲイグループの片桐や、トランスの原弥生はもちろん、仙台地下鉄研究会の星山・河野たちとも頻繁に連絡をとりあった。とにかくデートストーカーをなんとかする……という趣旨は理解してもらったけれど、片桐は、アイデアを出すことには、否定的だった。LGBTの外の人間からみれば、同じ穴のムジナに見えるかも、だけれど、当然「中の人」同士では、行動パターンがいかに違うか、イヤになるくらい実感してきたからだ。

 片桐は、直接会うより、電話でのやりとりを好んだ。

「沖田くん。君らバイグループがコレコレしてくれ、と言ってくれば、ウチは頼まれただけ、手助けするのに、やぶさかでない。中岡大輔くんの盗撮騒ぎのときは、ゲイグループがさんざん助けられたわけで、お互い様だ。けど、どうやったら解決するかっていうアイデアの部分になると、我々では皆目見当もつかないな。同じ、同性を愛するという部分を持っていても、我々は違うんだ。根本的に、相容れないトコロがあるんだよ」

「分かってますよ」

 原は原で、自分のグループのことで、手一杯だった。

 仲間の一人が性転換手術を受けたのだけれど、半年経ってから手術そのものを後悔、躁鬱症が激しくなり、リストカットの自殺未遂を起こしたのだ、という。片桐と同じく、原弥生も音声のみでのコンタクトになった。

「すいません。ウチは、一方的に助けられてばかりで」

 遺影の件を改めて感謝される。それより、原は、さらに沖田に何か相談事があるようだった。

「さして重要じゃないですし。また今度にします」

「途中でやめられると、逆に気になるんだけど」

「グループ同士のやり取りじゃなく、個人的な相談なんで」

 結局、聞かずじまいだった。

 仙台地下鉄研究会が、対処療法という意味では、一番役立ったかもしれない。

 星山会長は、法学部学生で「そっちの相談やったら、バッチこーい」と請け合ってくれた。河野副会長は、東北大学植物園や史料館、総合学術博物館など、ストーカーが邪魔しにくそうな学内見学デートコースを教えてくれたのである。


 そして。

 ダメ元で連絡をとってみた江川俊介の「作戦」が、一番難易度高そう……いや、面倒くさそうではあったけれど、効果がありそうだった。

「蛇の道はヘビ、バイの道はバイセクシャル」と江川は言っていたけれど、当事者だからこそ、ひねり出せた解決策と言って、いいのだろうか?


 話は再び、気仙沼・大谷海岸の海水浴場に戻る。

 沖田たちは、監視の目に気づいてた。

 気づかないふりを装っていたのだけれど、その「フリ」にも気づかれてしまった。

 瀬川はワンピースタイプの水着の肩ひもを煽情的にズラし……LGBTシンボルの、虹色7色カラーのハデなガラだ……沖田の右手を、胸パットの中に誘った。同じくワンピースタイプ……こちらは、紫・青・ピンク3色のバイセクシャル・シンボル・カラーである……の杉田も、反対側に座って、瀬川を真似た。そして、3人で、今回のストーカー、森下さんその人と、二人の部下に挑発的な眼差しを向けたのである。

 沖田が、2人に聞く。

「どう、反応するだろうね」

 杉田が間髪入れずに、答える。

「直接対決するに、決まってるでしょ。森下さん、ご本人が来てるんだから」

 さすがは元恋人、杉田の予想はバッチリ当たった。砂浜が熱いのか、3人ともビーチサンダルで砂を蹴り上げながら、3人のテントにやってきたのである。

「私らが目の前にいるっていうのに、懲りないのねえ、沖田くん」

 沖田の代わりに、杉田が返事する。

「連れてきた2人は、何のサークルの人? 男ギライ同好会?」

「そんな名前の同好会なんてないわよ、紫乃。男性至上主義者を罰する乙女の会の皆さんよ」

「同じような、ものじゃない」

「私の言いたいこと、言わなくても分かってるわね、紫乃」

「ええ。分かってるわ。あなただって、私の言いたいこと、分かってるのよね、有香」

 森下は、杉田でなく再び沖田に向かって言った。

「ハレンチ・ヘンタイ・女を食いものにするゲス」

 森下が相手となると、杉田は黙っていられないらしい。

「そういうのは聞き飽きたわ、有香」

「あんたに言ってるんじゃないわよ、紫乃」

 森下の部下の一人……背が高く、180はあろうかというノッポの短髪美人が、「事情は知ってるんですけど、周囲に対する影響がですね……」といつしかの、仙台地下鉄研究会の河野がしゃべったようなことを、言う。

 沖田はとぼけた声で、ノッポ美女の言葉を遮った。

「周囲の影響? どんなふうに見えるっていう話、なんですか?」

 杉田が、森下以下3人の視線を、隣のテントに誘導した。

「やあ。久しぶり。相変わらずなんだな、森下さん」

[江川くん」

 そう、隣のテントには、海パン姿の江川俊介が、くつろいでいた。江川の隣には、それぞれ男性・女性が横並びに座って、沖田たちがしているように、ぴたりと身を寄せ合っていた。

 江川は、隣に座った男性と、腕をクロスするようにして、お互いの海パンの中に、手をツッコミあっていた。そして、反対側の手は、やはり女性のビキニのボトムの中に、つっこまれているのだった。

「何をやってるの、アンタたち」

 森下の金切り声に、江川は動ぜず、答える。

「沖田の後ろのテント、見てみ。男2人女2人、グループ交際が来てるよ」

 あからさまに明言はしなかったけれど、4人は4人なりのやり方で、ペッティングしあっている。

「それから、ボクの後ろのテントも、仲間だ。そっちは男子3人、女子1人」

「……何がしたいのよ、江川くん。アンタたち全員で、警察にしょっ引かれたいわけ」

「しょっ引かれるか。それもいいかもしれないな。ボクらは、どこの誰にでも、節操なく欲情してしまう性欲の権化と罵られるかもしれない。けれど少なくとも、男尊女卑なグループだ、という汚名は免れることができる。森下さんが、もう、沖田を女性差別主義者と決めつけるのは、難しくなるってことだ」

 そして、江川は、森下さんでなく、取巻きのノッポ美女に事情を語った。

 今日、ここにいるのは皆、バイセクグループの仲間で、バイセクシャルの交際、かくも種々あるよ……というのを、あなたたちに見せるために、わざわざツアーを組んできたのだ、と。

「沖田の、男1人女2人というのも、たまたま、そういうふうになってるだけ。もしこれがハーレム形式だというなら、他の……ハーレムでないボクらの交際を同時に見せれば、誤解はとけるんじゃないか、と思ったわけだ」

 森下さんが、なおも文句を言おうとするのを、ノッポ美女は遮った。

 彼女たちも一枚岩ではなく、それぞれの主張のカバーする部分で、森下さんに協力しているだけ、ということなのだろう。

 江川は、続けた。

「……ボクは、一度は花束の会を追放された人間だ。でも、ノンケ相手には、性の多様性を主張するLGBTが、仲間内では、その多様性を否定しようとしている状況が気に入らなくて、こうして出張ってきたんだ。沖田たちだけを見て、バイグループ全体を見てくれない森下女史の視野狭窄は、LGBTのためにならない。そして、もちろん、フェミニズムや女権主義者の人たちにとっても、よくはないのさ」

 江川の言葉を引き取って、杉田が逆に森下を問い詰める。

「江川さんの交際形態、男2人に女1人の逆ハーレムだけれど、この場合、男尊女卑への対抗策だって、褒めてくれるわけ?」

「それは……」

 そんなことは、ない。

 森下さんの口から出るまでもなく、そんなのは分かっていることだ。

 そして、本当は、その逆も真なのだ。

「私たちと同じ頻度で、江川さんたちがデートをしたら、影響はプラス・マイナス・ゼロでしょ。バイグループ全体で、一方的に悪影響をまき散らすっていう言い方、できないと思うけどなあ」

 森下さんが、どんな言い逃れをしようとしても、杉田がその分やりこめる。炎天下の砂浜に立ったまま問答しているのが、ツラくなってきたせいか、ノッポ美女に引きずられるようにして、森下さんは去った。

「せっかく気仙沼まで来たんだから、もっと遊んでいけばいいのにね」

 瀬川がニコニコしながら、見送る。

「アンタ、大物だな」と江川は感心した。


 森下さんが騒がなくなったせいで、幡野代議士の後援会の不穏な動きも、収束していった。沖田は、江川俊介のみらならず、ゲイの片桐、トランスの原弥生にも礼を言った。実は、江川の後ろにいた、男3人女1人のグループは、仕込みである。彼らはバイでなく、ゲイとトランスから借りてきたメンバー……つまり、全員オトコだった。

「シャークミュージアムは見学してきたし、フカヒレ寿司は喰ってきたし、サメを堪能してきたって喜んでたぞ」とは、ゲイの片桐統轄の弁。

「水着姿でも完パス……男ってバレなかったのが嬉しいって、ウチのは言ってました」と原弥生も、協力者の喜びを報告してくれた。


 そして。

 江川は言う。

「トキオ。昔、2人で考えた作戦、覚えてるか」

 他のメンバーが、大島汽船のクルーズ船で、気仙沼湾観光を楽しんでいる間、沖田は江川と2人、魚市場近辺の波止場を散策した。百トンクラスの大型漁船が、びっしりと繋留されている……宮城県内には有名漁港は多々あるが、ここでしか見られない光景だ。

「旭山で、ゲイの連中にドヤされたときの話か」

「そうだ」

 北村の旭山は石巻界隈で有名なハッテンバで、桜の季節こそ一般観光客で賑わうけれど、シーズンオフの駐車場は、よくゲイの待合せ場所として利用されているのである。江川はここで、自らバイだと名乗り、ツレがいると事情も説明し、「一夜限りの相手」をネットで募集した。スマフォ片手に、江川に会いに来た中年ゲイがいて、江川に激高した。江川も、もちろん車で来ていて、後部座席には女性が……バイ女性が乗っていたからだ。ハッテンバとして有名な場所ではあるし、「夜のお相手募集」であるし、てっきり江川のツレはゲイ男性だとばかり思っていた、らしい。趣向があわなければ「パスして終り」で良かったのでは? というのは、バイの思い込みらしい。わざわざ石巻市内から、30分以上もかけて足を運んだこともあり、中年ゲイは、江川と取っ組み合いのケンカになってしまったのだ。

 こうして一度、ハッテンバで懲りた江川は、今度は、件の女性とノンケの一般カップルが利用するような場所に出かけた。渡波のサン・ファン館を見学したあと、日和山公園を散策である。たまたま江川と彼女と共通の男友達が一緒にいて、妖しい雰囲気になると、他のノンケカップルたちが白い目で見ながら、露骨に江川たちを避けていくのだった。

 自分たちの、場所がない。

 今さらながらだけれど、改めてバイセクシャルの肩身の狭さを実感した江川だった。

「バイ特有の、いやバイ専用の、クルージングスポットが欲しい」

 SNSでの江川のつぶやきに、沖田が反応して、2人の交遊が始まったのだ。


 みんな、バイのことをよくは知らないから「よくは知らない」という反応しかできないのだ、というのが江川と沖田の結論だった。

 ちまたにあふれているLGBT標榜の映画・漫画・テレビ番組等の多くは、ゲイ・ビアンがメインで、バイが出演することはほとんどない……少なくとも、焦点が当たることはない。キャラクター紹介で、たしかにバイとなっていても、行動パターンや心情変化を追っていけば、ゲイかビアンか……ひどいときには、LGBTのキャラクターでさえない。バイセクシャルの皮をかぶったノンケが、全ての視聴者に「バイがなんたるか」誤解させるような振舞いをする。

 ゲイ・ビアンの連中に、沖田や江川がこのことを話しても、ピンと来ない。

 いや少なくとも、ゲイの連中は説得できている。そう、腐女子の存在があるからだ。女オタクの人たちが全くの興味本位で描く同人誌のホモは、当事者不在の、性的に消費されるだけのキャラに過ぎない。同じような意味で、ゲイ・ビアンが無意識のうちに肯定している物語のバイは、ゲイ・ビアンを引き立たせるための脇役、舞台装置以上の何者でもない。

 こんな愚痴を垂れているからと言って、沖田たちは物語作者たちを非難しているわけではない。そう、「よくは知らない」人は、「よくは知らない」物語を書くしかないのだから。彼らには参考にすべき物語もなければ、代表的キャラクターもない。他人に文句を言うヒマで、沖田たちにはやるべきことがある。

 そう、書くことだ。

 バイセクシャルが、バイセクシャル当事者の物語を書く。

 一キャラでも多く書く。

 物語一本分でも、多く書く。

 自分たちの物語を書き、そして脇役として参加するときも……バイ・ビアンと並んで一登場人物になるときも、差異が分かるような存在感を示そう、ということだ。

 どんなに書いても、理解しにくい「しにくさ」はじゅうぶん承知の上で、さらに言えば、その「しにくさ」をノンケの人に説明するのが、厄介なのだ。

 ノンケ女性には、男性向けのエロ本を例に、説明することがある。

 知っての通り、異性愛男性を性的興奮させるために作成されたエロ本のたぐいは、実在の女性たち、ご本人から見たら、体型的にも性格的にも「ありえない」女性像が描かれていたりする。奇形の部類に入るような巨大な乳房を持っていたり、避妊の後先も考えずに不特定多数男性と性的関係を結んだり。明らかに、単に「消費対象」としてデフォルメされ歪められた存在なのだ。このことは、性的消費される側の女性だけでなく、消費する側の異性愛者男性にも、ピンとくることだろう。

 つまり、だ。

 異性愛者男性は、女性を「性的消費」する物語を持っている。

 オタク女性は、同性愛者男性を「性的消費」する物語を持っている。

 そして、同性愛者男性は……もちろん、両性愛者男性を「性的消費」するなんては言わないけれど、その「存在感」によって、存在そのものを霞ませる物語を持っている。

 異性愛者たちに、両性愛者の何たるかを理解してもらうには、実は、異性愛者男性……異性愛者女性……同性愛者男性……両性愛者、という、いくつもの物語の階層を上っていかねばならないのだ。

 ここまでは、江川も沖田と同意見だった。

 意見不一致になったのは、さらなる対策を考えていた時のことだ。自分たちのことを世に知らしめるためには、物語というメディアへの提案だけでなく、実際に、バイ交際中の誰かが、その交際をオープンにして、リアルで自分たちの在り方を見せつければいい、というものだ。

 特にハッテンバでゲイにぶん殴られ、普通のデートスポットでノンケカップルに避けられた江川にとっては、必要不可欠な「広報活動」に違いなかった。

 けれど、協力を申し出るという、バイセクシャルはいなかった。

 そもそも、ノンケやゲイに紛れることができ、そもそも、ノンケやゲイの人たちと違わない交際形態の人が少なからずいる……いや、ほとんど大多数が、そういう形で交際してきたのだ。

 江川その人だって、この時はたまたま3人デートをしていたけれど、本来はモノガミー派なのだ。

 ポリガミー派のバイ……LGBTという性的少数派の中の、バイセクシャルセクションというさらに少数派の中で、ほとんど目立たない存在でいる、さらにさらに少数派のポリガミーバイを探しあてるのは、容易ではない。

 でも、たまたま、沖田がいた。

 美男美女を、いくらでも見繕って紹介してやるから、バイ普及のために人柱になれ……と江川は沖田に命令した。沖田は、自分が犠牲になるのは厭わないけど、そういう不純な動機で、彼氏彼女を……交際相手を作るのはイヤだ、と断った。できるなら、自分以外のポリガミーバイにも強要するな、とも言った。

 江川は、未練がましかった。

 沖田は最終的に、条件つきで協力することになったのだった。

「バイの象徴的な交際形態であるポリガミーバイが、バイの中では異端なのは、皮肉なことではある。俊介が、ポリガミーバイに『広報活動』を依頼するのを邪魔しはしないが、それなら、バイセクシャル全体の居場所の確保なんて、やってもやらなくてもいいことを、やるな。大多数のバイはノンケやゲイに紛れることができるんだから。どうしてもポリガミーバイを巻き込んでやるなら、いっそ、ポリガミーバイの居場所の確保に焦点を絞れ」

 その後、江川と沖田はたもとを別った。

 江川は「花束の会」に入会し、カミングアウトをして、堂々、自分たちの権利拡張のために闘った。が、沖田の言葉を忘れてはいなかった。自分なりの道義を貫き通した結果「花束の会」を辞め、そして、バイの権利擁護もやめたのだった。


 だから。

「もう既に関心がないと言っただろう」。

 今回も江川は、今、夢中になっているというアニメの話ばかりして、まともに相談に取りあってくれない感じだったのだが……。

「四方山話の中で、中岡大輔の話が出てきたからさ。盗撮魔の話は、石巻に遠征してきた塩釜のゲイから、聞いた。けど、登米に『花束の会』の支部を作って、さらにその支部が、中岡大輔の実家で、軌道に乗るまでの臨時支部長がトキオになると聞いて、どうしても一言言いたくなったから、今回、助っ人したんだ」

「一言、なんだ、俊介」

「どんなことがあっても、ノンケを巻き込むな。トラブルはLGBT内部の人間で決着をつけろ。それから、あと一つ」

「あと一つ?」

「つきあっている女の子2人、大切にしてやれ」

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