第4話 組織譚(両性愛者のLGBT内での立ち位置)
「沖田さん。仕事用の、名刺を差し上げましょう」
作業用の粗末なデスクの上に、それはあった。
百枚入りのプラスチックケースで、いつ作ったのか、沖田の名前入り名刺である。
『花束の会・バイセクシャルグループ統括』
LGBT団体にふさわしく、台紙はごく淡い虹色だ。そして、なぜか、左上隅に、ねじり鉢巻した純和風の茹蛸のイラストが入っている。
「名和さん。これは?」
「ああ。ウチのマスコット、レインボーオクトパス君ですよ」
花束の会は、もともと数人のゲイの集まりから始まった、単なる親睦会だった。
「初期メンバーの一人が、志津川の出身でした。彼は、花束の会が、ゲイ以外のLBTにも門戸を開く際、かの町のマスコットキャラ、オクトパス君のイメージを拝借して、自分たちのマスコットを作ったそうです。ほら、よく見て下さい。茹蛸の足。虹色になってるでしょ? 七本の足に、七色の虹の色をあてがって、LBGTのシンボルとしたとか。最後の一本は、ただの白ですけど、これはノンケの人たちのための色、らしいです。このタコ足みたいに、ノンケとも一緒に協力していきましょう、というメッセージが込められたキャラだとか」
「まあ……可愛げ、というか愛嬌、あります、かね」
「女性陣には、なせが不評でねえ。レインボーがLGBTのシンボルっていうのは確かですけど、アメリカでは、虹は六色で表現するんじゃないの、とか、あっちのLGBTが使っている虹は八色だ、とか、あちこちから揚げ足……じゃない、異論が出まして。いずれ、会のニックネーム通り、花束に差し替える予定でいます」
「花束も、レインボー、ですか?」
「たぶん。ゲイとビアンの象徴として、バラと百合。それから、バイの象徴として、アジサイを加えましょう、という話になっていたはずです」
青、紫、赤の三色が、一般的にはバイセクシャルのシンボルカラーになっており、この三色で有名な花、という意味での選定らしい。
「まだ、トランスの人たちを象徴する花が決まってなくて。沖田さん。葬儀屋に出入りしているんなら、花屋さんのお知り合いも、結構いるんじゃないですか?」
「花屋ですか? いることは、いますよ。でも、人の死には詳しくとも、人の性に詳しい人は、いません」
沖田はそれから、肩書について尋ねた。
「なんだか立派な肩書ですけど。一週間前に入ったばかりですよ、自分」
「バイセクシャルの人たちが、大量にやめてしまって。人材が払底しています。それに、沖田さんが優秀と見込んで」
「はあ」
「バイ・グループ特有の特徴のせいも、あります。シャイな人が多くて。というか、リーダーシップをとってくれそうな人、いないんですよね」
沖田は苦笑した。
「入会に当たって……というか、仕事を依頼するに当たって、少しウチの歴史を、というか、LGBT団体の歴史ってヤツを、勉強してもらいましょう」
沖田は、杉田のために労を取り、杉田のために「花束の会」加入したはず。
なのに、1週間もすると、なぜか沖田だけが「花束の会」に呼ばれるようになっていた。杉田瀬川両名とも、仕事で忙しい……とありきたりな口実で、名和氏の呼び出しを断っている。あれ以来、2人と疎遠になったわけではない。一応、LINEで毎日グループトークはしている。けれど、この携帯電話でだけつながるというパターンが、沖田には不安だった。そう、ペンギンという悪夢を経験しているからだ。不本意ながら、沖田は名和氏に相談した。名和氏は「早速、相談実績ですね」と朗らかに応じてくれた。一人ではできない仕事をいいつけるから、お二人を巻き込んではどうか……というのが彼の提案である。この手のボランティア活動にのめり込むのは不本意だったけれど、結局、沖田は名和氏のシナリオに乗ることにした。
「花束の会」本部事務局は、確かに利府にあった。
けれど、町中ではなく、塩釜や松島町に隣接する海沿いである。築60年、という年代物のアパートの2室を借りて、活動していた。隣の住人は、製紙会社勤務の夜勤専門ボイラーマンで、昼夜逆転生活をしているから、お静かに……と注意がある。
「今日は、名和さんだけですか」
「今日だけでなく、たいていいつも、私だけですよ」
ささやかながら給料が出ているのは名和氏だけで、森下さん等の幹部は、弁当代と交通費をもらうだけのボランティアだという。「高等遊民じゃなきゃ、お手伝いできませんね」と沖田は、名和氏をからかってみた。
名和氏は、しごく真面目に答えた。
「全くです。森下さんみたいな、造船会社の一人娘で、毎月30万ずつ、お小遣いをもらっているお嬢様とかなら、いいんでしょうけどねえ」
沖田は、森下さんの正体を知って、唖然となった。
百人を超える所属会員、30年以上の歴史、そして公的機関から呼ばれて仕事をすることもある権威。「花束の会」は、宮城県内のLGBT業界では、それなりに有名だという。
「そもそも専従職員、私のことですよ、そういうのを置いている組織っていうのが、非常に珍しいんです」
「はあ」
「これだけ、人とカネを確保できているのは、ウチがそれだけの実績があるからです」
「はあ」
LGBT団体と言ってもピンからキリまであり、労働運動に関するものから、単なる親睦会、海外団体とのコラボレーション等々、色々とあるけれど、「花束の会」活動のメインは結婚に関することだ、という。
「でも、その相談の一つが、組織瓦解につながりそうになっています」
今でこそ、同性婚を求めての運動というのは、公然に語られるようになっており、実際に欧米では制度として広く普及もし始めている。けれど、東北の田舎ではそういうことを公然と語るような雰囲気ではない。それで、「花束の会」でも、真正のビアン・ゲイのために、偽装結婚の斡旋をしようという動きが出てきた。
「ウソのお見合い、ということですか、名和さん?」
「悪質なウソじゃ、ありません。皆がハッピーになる、優しいウソです。ウソも方便のウソです。……いや、そもそも、ウソと言い切れないかな」
具体的に言うと、未婚で家族から結婚をせかされているビアンとゲイを紹介しあい、お互い承知の上で籍を入れよう、という活動である。
「もちろん、偽装結婚後、周囲に隠れて、本物のパートナーとの同性婚や同性恋愛するのも、サポートしています」
「バレないもんなんですか」
「ま。仙台という大都会があるから、できている、とも言えます」
最初の5、6件の斡旋には成功した。
が、その後、案外とコストがかかるということが分かったので、今までのサークル会費に上乗せして、この斡旋費用を広く浅く回収することになった。しかし、この事務局の決定に、異論が続出した。
一つ目は、既に結婚している会員に対しては、ただ金をとられるだけでメリットはない、ということだ。
二つ目は、都会派のゲイ・ビアンと田舎派ゲイ・ビアンの分裂だ。
「都会派のビアン・ゲイの人たちは、偽装結婚なんて昭和丸出しの価値観なことは言わず、公然の、同性婚推進をどんどん推し進めるべしと主張していました」
「なるほど」
「田舎派のビアン・ゲイは、もちろん、反対しました」
東京や仙台といった大都会でなら、そういう主張も可能だろうけど、このサークルメンバーの少なからぬ人数が東北の田舎に住んでいるわけで、現実問題同性愛等に対する偏見は著しい。日本で一番遅れている地域の実情を変えていくのは大変だし、現実にそこで暮らしていかなければならない人もいる。だから、偽装結婚という現実的な手段の存続運営は切実な問題だ。
「……まあ、そういう理屈も、分かります」
「そして、どっちつかずの立場をとったのがバイの人たちでした」
「え」
「メリットがないって、言うんですよ」
つまり特段偽装しなくとも、ノンケに紛れ込んで普通に結婚できるのだから、自分たちには関係ない関心ない問題だ、と。
「なんだか、すみません」
「いえ。沖田さんが謝ることでは、ありません……それに、さらに先があります」
既婚ビアン・ゲイの人たちは、自分たちに直接メリットがなくとも、会費上乗せを全面的に受け入れると言ってくれた。対して、バイセクシャルの人たちは、会費上乗せ反対の立場に立った。
「まずいなあ」
「そう、まずかったんです」
ビアン・ゲイの先鋭派……都会派田舎派にかかわらず、もともとバイのことが嫌いな真正派が、バイたちと全面戦争に入った。そもそも、LGBT互助会に所属しているくせして、しょっちゅうノンケよりの発言をして会や会の結束をかき乱すお前たちは何様だ、と。
コウモリはコウモリらしくおとなしくしていろ、と。
「なんだか既視感があります」
「既視感? 沖田さん、なんです、それ」
「いえ。どこでも、誰とでも、トラブルの起こし方は一緒だなって」
沖田は、新宿2丁目AZTの悪夢を思い浮かべずには、いられなかった。
「続きをお願いします、名和さん」
「真正派でも良識的な人たちは、バイグループの人たちにも、ことわりを解きました」
「ことわり、ですか?」
「ええ。結婚では確かに世話にならないかもしれないけど、他の相談事で世話になること、あるだろうって」
たとえば、結婚後に、同性との浮気がバレて、バイだと結婚相手にバレてしまう場合。その後の泥沼の後始末に、互助会みたいな公組織が手助けに入ることもあれば、そうむげにはできないだろうと。
「はあ。てか、想定内容が、浮気の後始末って……」
「バイグループの中にも、沖田さんと同じ反論をする人が、いました。で、もちろん、その人たちに対する再反論も、ありました」
そもそも、異性愛者にバイであることを隠して結婚すること事態、裏切りである。LGBTの評判を悪くする不誠実なのだ、と。
「耳が痛い話です」
「沖田さんみたいに、素直に反省する人ばかりなら、良かったんですけどね。逆切れする人もいました。つまり、それを言うなら、今回のビアン・バイの偽装結婚だって、周囲を騙す不誠実に違いない、と」
そこからは、水掛け論である。
結婚相手その人を騙すバイと、結婚相手こそ騙さないけど、他の周囲の人間すべてを騙すことになる真正ビアン・ゲイと、どっちが悪質か、と。
「目くそ鼻くそ」
「私も、沖田さんと同意見です。……ま、LGBT団体の専従職員が言っちゃ、ダメなことですが」
花束の会は分裂の危機に見舞われた。
回避できたのは、ひとえに名和氏の功績らしい。本人は謙遜して、このとき詳しい説明はしてくれなかった。
「妥協案がたまたま上手くいっただけです。それに、強力な味方もいましたし」
田舎派のゲイで、自分自身の偽装結婚を依頼していた、中岡大輔という人物が文字通りの手弁当で説得に当たってくれたそうだ。
「一応、丸く収まりました。会費は若干の値上げ。成婚が決まった会員は、準専従職員として、無給で会のために働いてもらう。まあ、見合い経験を生かして、ボランティア活動してくれって、ことですけどね」
都会派ビアン・ゲイと田舎派の確執も治まり、バイも仲直りした、はずだった。
「けれど、バイに一人だけエキセントリックな人物がいまして。真正派に対する被害者意識、というか被害妄想がひどかったんです。江川俊介。石巻在住のバイセクシャルさんです。沖田さん、あなたも石巻の人だ。彼の名前、聞いたこと、あります?」
「天敵です」
「あれま」
田舎のLGBTは何年も顔ぶれが変わらない。
江川は高校の時分にバイに目覚め、当時からハッテン場に顔を出していたという、ちょっとした有名人だった。誰よりも長く「業界」にいるというのが自慢で、トイレで待合せようがラブホテルにしけこもうが、先輩ぶった説教をしてくる。ウザいと口答えすれば、その説教が倍になる。江川は、石巻界隈のLGBTの人物としては無敵に近かった。先輩歴に加え、職場でカミングアウトまでしていたはずだ。
「初めて出会ったときは意気投合しました。でも、一年経たないうちに喧嘩別れしました。経緯は勘弁してください。いずれ話すこともあると思います」
「了解しましたよ、沖田さん」
「で。江川が、どうしたんです」
「会費値上げに、最後まで強硬に反対しました。それから、私に何かちょっかいをかけようとしたんでしょうね、興信所か何かを使って身辺調査、されちゃいましたよ。叩いてもホコリが出ないと分かったのか、最後には、中岡さんを狙い撃ちしました」
「と、いうと?」
「LGBT最大のタブーを犯したんです。中岡さんの素性を、彼のご実家のご近所や、従兄弟親戚の人たちに、漏らしたんです」
中岡一家は村八分にあい……いや、正確に言えば、近隣住人が露骨に無視した事実はないから、親戚八分というべきか……一家離散していたったという。
「ひどい話だ」
「全くです」
陰湿なイジメにあって、それでも救いがあるとしたら、中岡大輔が田舎派ゲイから都会派ゲイに鞍替えしたということだろう。これを期に、中岡は仙台に移り住み新しい仕事についた。偽装結婚にはもうこだわらず、堂々同性婚を目指したい、とも言った。原因になった江川俊介には、背中を押してくれたことを感謝すらすれ、恨みに思うことはないと言い切った。しかし、現実の惨状を目の当たりにして、聖人のような中岡の言葉を額面通り受取ろうとする人はいなかった。「花束の会」の面々は、皆、江川を除名しても物足りない、というくらい怒っていた。中岡が、「花束の会」全体の利益を考えて、ハラワタが煮えくりかえっていても我慢しているのは、明らかだった。
「名誉棄損とか裁判で争っても良かったんですけど。そうすると、花束の会会員で、カミングアウトしていない人に、迷惑をかける可能性がある。だから我慢した。中岡さんは、そういう人です」
「それで、江川は?」
「ビアン、ゲイグループから総スカンを食らって、辞めました。ご丁寧に、最後っ屁を放って」
「最後っ屁?」
「バイグループの面々を扇動して、一緒に辞めさせたんですよ。会費値上げ騒ぎで、最後まで反対したのがバイグループだから、今後、居づらくなるぞ、と江川くん、あることないこと、説いてまわりました。バイの人たち、主体性がないというか、こういうのに流されそうな人が多かったから、あっさり、皆で辞めてしまったんです」
皆が皆、自発的に退会したわけじゃない。
江川に促されて「なんとなく」辞めていったのだ。だったら、江川と同じくらい熱心に退会者を口説いて回れば、逆に、なんとなく再加入してくれる人が多々、いるのでは……と名和氏は言う。
「人数的には、そう多くない。けど、県内全域に散らばってます」
幸い、辞めた後も名簿はしっかりとパソコンに残っていた。個人情報うんぬんという点から、消すべきなんでしょうけど、と言いながら名和氏がプリントアウトして渡してくれた。
「名和さん自身で、口説いたりは、しなかったんですか」
「個別にコンタクト、とりましたよ。でも、ダメでしたね。まあ、事務局という立場だと、口説きにくかった、というのもあります」
バイグループの多くが、実は、江川に誘われて入会した人だった……とは、退会した人たちを口説いて、初めて分かったことである。
「バイグループの新リーダー、という立場が、今回の説得には重要なんです」
そう言って、名和氏は、改めて名刺を沖田に渡したのだった。
「粘着質なプレーヤー相手にオセロをしたら、こんな気分になるんだろうなあ」
久しぶりに、杉田瀬川両名を迎えた、写真館。
瀬川は相変わらずのダボダボ・ワンピース姿。そして杉田もこりたのか、クリーム色のTシャツにジーンズという、涼しい恰好である。
沖田は目の下にクマを作り、唇をわななかせて、ソファに横たわっていた。瀬川が台所に立ち、こういうときは漢方が効くのよ、と葛根湯を作ってきてくれる。
「自分、風邪をひいたわけじゃないですけど」
沖田が、フーフー茶碗を冷ましながら飲むと、瀬川は「疲労が溜まってるんでしょ。ナースの処方箋、信じなさい」とドヤ顔で言った。
二杯目の葛根湯をいただいている間、杉田はレポートを読んでいた。名和氏に提出すべく、ワープロ打ちしたA4用紙である。
「結局、現在のところ、再加入を決めたのは…」
「十四人中、2人だけですよ、杉田さん。男ばかり、2人です」
江川を含め、退会者は15人だった。内訳は、男性11人、女性4人。江川を除く14人に、沖田は電話を入れた。
うち、4人……男3人女1人は、露骨に迷惑そうな反応だった。
曰く、「会費を取られるだけで、会員になっているメリットがない。アンタは名和さんを儲けさせるために、下働きしてるのか」。反感露わで、取り付く島もなかった。「僕は江川くんの親友だから」と言って、ガチャ切りした人もいた。「LGBT全グループ平等のはずなのに、花束の会では、やたらゲイグループが偉そうにしているのが、気に入らない」と本音をぶちまける人もいた。唯一、ノーをつきつけてきた女性会員の反応は、ニベもなかった。
「異性愛者男性と婚約しました。バレて破談になったら、あなたが責任をとってくれるの? 女の子と寝たのは、一時の気の迷いだったと思うんです。元会員の幸せを願うなら、2度と連絡して来ないでください」……。
「ま。バイセクシャルにも、色々なタイプ、いますよ」
「ゲイ・ビアンだって、そうだものね。都会派と、田舎派。異性と結婚しておきながら、ゲイ・ビアンを名乗っている年配者。バイセクシャル嫌いな人、逆に穏健派」
「まだありますよ、杉田さん。ビアンにして、女性解放運動家」
「まあ、森下さんは、特殊中の特殊よ」
いい加減、クーラー入れなさいよ……と言いながら、瀬川がウチワを使ってくれる。
「4人が完全拒否。でもさ、逆に言えば成功率7割ってことじゃない。初対面の……というか、一度も会ったことのない人たちを相手にして、この成功率なら、なかなか悪くないじゃないの、トキオくん」
「それが、違うんですよ、瀬川……タエちゃん」
一度は、再加入しますと約束してくれた面々が、その後、やっぱり辞めますと断りの電話を入れてきたのである。
「それも、江川っていうひとの、差し金?」
「いや。全く関係ないみたいで。単なる優柔不断」
「もーなんなのよ」
「だから、最初に言ったでしょう。せわしなくオセロゲームをやっている気分だって。せっかく黒を白にしたのに、すぐにまた駒をひっくり返される。こちらが頑張って、もう一度、白を作っても、すぐに、さらに、ひっくり返される」
杉田が、全部読み終わってレポートから顔をあげた。
「あのう……沖田さん?」
「シーちゃん。彼のことは、トキオくんでいいわよ。なんなら、トッキーとか、トキオでも可。年下に呼び捨てにされたりするの、好きなのよ。マゾだから」
「自分、そんなこと、一言も言ってないですけどね」
「じゃあ……トキオくん」
「杉田さん、順応、はやっ」
「一番脈がありそうな人、この中で誰だったんでしょう。その人の攻略を参考にすれば、他の人を口説く、ヒントになるんでは」
「うーん。柴田さんかな。実は、直接会いに行ったんです。本部事務所から国道45号で15分、すぐ近くの多賀城在住だったから」
柴田亮はバイクショップの雇われ店長をやっている人だった。30年配、鼻の下に蓄えた髭がダンディな青年である。
ぶっちゃけ、再加入しても、目に見えるメリットがない……と、彼も認めていた。名和氏がよく例に出す「同性との浮気がバレた時の対処法」などは「花束の会」の専売特許じゃない。バイ・グループ内で下世話な情報交換をするときもあれば、ネット等で調べることもできる。同性婚推進など、目に見えない恩恵があるのは承知しているが(バイでも、同性婚したい人はいる)、それは「花束の会」に所属していなくとも、受けることができる恩恵だろう……。
「それに、何より、バイを見くだすビアン・ゲイがいるのが、気に入らない、と」
「まあ。自業自得の面も、あるんだろうけどね。みんな同じことを言うなあ」
瀬川が呆れ顔で、頬杖をつく。
「それより、その柴田さんから、気になる情報を教えてもらったんですけど」
「江川っていう人の話?」
「いえ。名和さんについて」
いかにも田舎のオッサン、という風体から、中身も単純素朴だろうと連想してしまいがちだけれど、実は結構腹黒いかもしれない……という話だ。
「LGBT団体専従職員、というのは仮の姿。その正体は、なんと、政治家の秘書だって」
「シーちゃん、聞いたことある?」
「初耳」
顔を見合わせた女性二人に、沖田は続けて話す。
「幹部クラスの人なら、皆知ってる話って、柴田さんは言ってたけどねえ。具体的に名前も出てきて……県会議員の幡野文子代議士の第三秘書なんだそうです」
「なーんか、キナ臭い話」
「瀬川……タエちゃんも、そう思う? 花束の会内部では、公然の秘密であって、知らぬは沖田さんばかりなり、とか、気の毒がられたけど」
団体中枢に、現役政治家秘書が居座っているのは、確かに瀬川の言う通り、キナ臭く、胡散臭い。けれど、それなりのメリットもあるんだよ……と柴田は好意的だった。
「花束の会が、県のLGBT関係のセミナーに呼ばれたり、広報誌のインタビューを受けたりするのは、その、幡野代議士の威光があるから、ていう話だった。それから、オカネ関係。花束の会の運営費、もちろん会員からの会費収入がメインだけど、名和さんのコネで、国やら県から補助金を引っ張ってきてるっていう」
収支の四割近くになるというから、バカにできない。というか、名和氏の手腕……集金の腕以外にも……があって、花束の会が運用できている、とも言える。
「ふーん。人は見かけによらないものねえ」
「タエちゃん。どーして、そう、一言余計なの」
もちろん、デメリットもある。
「政治に頼るのもいいけど、お返しもしてね、というヤツです。ギブ・アンド・テイク。集票マシーン、なんて罵られるのはいいほうで、その、幡野代議士の政党の人なんですよね、なんて色眼鏡で見られてしまう」
「色眼鏡?」
「他のLGBT団体と、交流するときとか。そもそも、花束の会をLGBT団体と認めない人もいるらしいです。あなたたち、幡野さんの支持団体の下部組織でしょ、とか、隠れ蓑にしてもLGBTって名乗るのやめてよね、とか皮肉を言われるとか」
「ねえ、トキオくん。アタシら、厄介な組織に入っちゃったってわけ?」
「そんなこと、こっちに言われても……森下さんが幹部をしている時点で、アンテナ鋭い人は薄々気づく話じゃないかな……そもそも杉田さんが持ってきた話なわけで」
「シーちゃん?」
「実際に、政治嫌い、ノンポリのLGBTの人だって、いるでしょう……私みたいに」
「同じ疑問、柴田さんにぶつけましたよ。自分も不思議だったから」
今回のバイセクシャル大量離脱を好機とばかりに、政治臭さを嫌って抜けた人がいる。
神野六郎という年配のバイで、年金生活に入る前はお巡りさんをしていた、という人だ。沖田は柴田に頼んで、連絡をとってもらった。今は男女の話より、あちこち旅行に行ったり料理を食べたりが楽しいのだ、と元警官は楽し気に語った。神野は、花束の会の古参メンバーらしく、懐古談をひとくさり語った。沖田がてきとうに相槌を打っていると、沖田その人に興味を示して、色々質問してきた。手ごたえあったなと思い、再入会届の話をすると、電話はあっさり切れた。昔は愛嬌のいい人だったんだけどね、と柴田は肩をすくめた。
「ま。一応、用紙は送りました。その後、音沙汰なしだけど」
「ふーん。結局、その柴田っていう人は、加入するわけ?」
「まだ保留みたい」
ごちそうになったコーヒーはうまかった。ツーリングの後はもっとうまいよ、と誘われもしたけれど、「ハゲ頭にヘルメットはなんか居心地悪いから」と笑わせて断った。
「前途多難ねえ」
「あの、トキオ……沖田さん」
「もう、トキオでいいですよ。なんです、杉田さん」
「江川っていう人を連れ戻すことは、できないんですか? その人が戻ってくれば、大逆転じゃ」
「だめよ、シーちゃん。トキオくんと、その江川っていう人、天敵、なんでしょ」
「ええ。まあ。今は。かつては同志だったんですけどね」
江川は石巻西郊・蛇田の高級住宅地住まいで、今は化学薬品を扱う商社のサラリーマンになっていた。理工系っぽく、真面目で几帳面で、まじめ過ぎるゆえに、融通の利かない男。痩せてひょろ長い男という印象で、女性からの評判はいざ知らず、ゲイには全くモテないようなタイプである。誰かを陥れるような陰湿さは、なかったような気がする。どちらかと言えばインドア派で、接待ゴルフは苦手だけど、接待麻雀ならいくらでも徹夜できると言っていた。出不精で会いに行くのは大変だけれど、幸いなことに、2人が知り合ったゲイ向けの掲示板に固定ハンドルネームでまだ投稿していた。沖田は、直接会いに行くよりは冷静な話し合いができそうだと掲示板での接触を試みた。ちなみに瀬川・杉田にせがまれ、スカイプで実況中継しながらの、接触である。夜の9時、ゆっくりと話せる時間を狙って、ログインする。
『ひさしぶりだな、トキオ』
『自分のこと、覚えててくれて嬉しいよ、俊介』
トラブルメーカーとのコンタクトは、そっけない書き出しで始まった。
沖田は、杉田が森下と恋愛トラブルに陥ったこと、その縁で「花束の会」に加入したことを淡々と綴った。
『いま、いそがしい』
『仕事か何かか?』
『アニメ、みてる』
江川は今、アニメの感想や紹介を掲載したブログの運営をしている。アクセス数を見る限り、結構有名ブログであり、趣味と実益を兼ねて、こちらに全力投球しているのだ、という返事だった。
『もう、LGBTに、かんしんは、ない』
『でも、ハッテンバには通ってるんだろ』
『そのてのかつどうと、せいよくは、べつのはなしだ』
沖田は、本題に入った。そう、会費値上げの件で、LGTグループとトラブった話。中岡大輔のことをアウティングしたこと。そしてバイグループの大量脱退。
『おまえのために、やったことだ、トキオ』
『詭弁だ。そもそも、大量脱退って、自分が加入する前の話だろ。というか、花束の会の存在すら知らなかった時分のことだ。一体何が言いたい』
『やつらは、じぶんたちのようきゅうだけに、かんしんがある。バイのねがいは、いつでも、むげにする』
組織への貢献度が低くて、発言が通らなかっただけでは? 被害妄想じゃないのか?
『おまえは、どっちのみかただよ、コウモリ』
江川からコウモリ呼ばわりされるとは。
宿命なのかな、と沖田は天井を仰ぐ。
『ヤツラは、ポリガミーがきらいだよ、トキオ』
ストロングゼロで晩酌しながら、こちらを伺っていた瀬川が、発言する。
「トキオくん。これって、どーいう意味さ」
「あれ? タエちゃん、ピンと来ない?」
「こない」
一口にバイと言っても、色々とあるのだ、と沖田は説明した。
単に男女の両方とつきあえるだけの状態を言う意味も、もちろんある。けれど、中には、男とだけ、あるいは女とだけつきあっていて、禁断症状的に、現在交際していないほうの性とセックスしたくなるようなタイプもいる。あるいは、男女双方と同時につきあい、夜の生活も男女双方を同時に相手したい、という欲張りさんタイプもいる、と。ちなみに江川は一番のタイプ「モノガミーバイ」で、そして沖田トキオは三番のタイプ「ポリガミーバイ」なのだ。
「えええーっ。トキオくんって、エッチな人なの?」
「違うよ。そういう性質なの」
「よく、理解できない」
「ノンケの人、みたいなセリフを言わないでよ、タエちゃん。ゲイフォビアの人がいう、男同士でやるのが理解できないっていうのと、一緒だよ、それ」
杉田が、沖田への助け船のつもりか、口を挟む。
「タエちゃん。トキオくんの場合、エッチっていうより、欲張りさん、とか言ったほうが合ってるんじゃないかな。男女双方とエッチできるから、男女双方とエッチしちゃうっていう」
「それも違いますよ、杉田さん」
モノガミーなセックスをする人……ビアンなら女同士、ノンケなら男女……にとって、参加者が増えることは、オーディナリーでないセックスかもしれない。けれど、ポリガミーバイにとって、複数なのが、オーディナリーってことだ。
「あ。分かった。分かっちゃった。お尻にチンポを挿入されながら、女の子に挿入するセックスじゃないと、興奮しないってことだ」
「タエちゃん、下品」
「いいですよ、杉田さん。大雑把に言えば、だいたいタエちゃんの言う通りですから」
ちなみに、2番目のタイプを、沖田と江川の間では「ノンポリガミーバイ」と呼んでいた。ノンポリガミーというのは、ノンケの世界では、結婚していながら婚外恋愛に走る、という意味で使用されていて、バイの「現状のパートナーと反対の性の相手とのセックスを欲する」という性癖とは、ニュアンスが違うというか、正確に言い当ててはいない。スイッチ・バイとか、他の呼び方も色々と考えたが、適当なのがない。で、仕方ないので便宜上、ノンポリガミーと呼んでいた。
「それで……そのポリなんちゃらと、江川くんの傍若無人と、なんの関係があるわけ」
「ビアン・ゲイの婚姻に関する社会活動は、だいたい同性婚推進でしょう。両性愛者も、もちろん恩恵を被るから賛成ではあるけれど、他に、両性愛者特有の……いや、両性愛者の一部特有の婚姻形態がある。いわば、複数婚です。たぶん、俊介は……江川は、花束の会活動の一環として、複数婚推進も取り入れてくれって、名和さんに頼んだんじゃないかな」
しゃべりながら、キーボードでその旨を打込むと、『せいかい』という返事が返ってきた。
『名和さんは、そのことについて、なんて言ってたんだ』
『バイセクシャルとくゆうの、ようきゅうじこうは、バイセクシャルグループだけで、やれ、だとさ』
「名和さんって、案外冷たい人なのねえ」
瀬川のつぶやきを、沖田はそのまま江川に送った。
『あるいみ、しかたない。カネが、からんでいる、ことだから、な』
『ビアン・ゲイの主張に、一理あるってことか』
『そのとおり、だ。だからこそ、ギソウケッコンでの、かいひねあげにも、おなじりつくで、へんじした。ビアン・ゲイとくゆうの、ようきゅうじこうは、ビアン・ゲイだけで、やってくれって』
「なるほど。腑に落ちた感じ」
沖田が思ったことを口に出す前に、瀬川が同じ感想を述べた。げぷーと息を吐き出し、二本目のプルトップを開ける瀬川。杉田は酔っ払った恋人に呆れた視線を送っていたが、やがて「横道にそれることですけど……」と、恐る恐る質問してくる。
「その、複数婚を求める運動、結局、バイグループだけで、推進したんですか」
沖田は、杉田の疑問を、間髪なくパソコンに打込む。
『ノーだ。バイグループのなかにも、モノガミーとポリガミーがいて、まとまらなかった』
「まあ、質問した時点で、オチは見えてたけど。バイグループで何かしようとすると、全然まとまんないのね」
沖田も瀬川の素朴な感想に、賛成だった。
『会費の件は、分かった。次は、中岡さんのアウティングについて、聞きたい』
『ヤツは、ギソウケッコン、しようと、してたんだ』
『知ってるよ。それが、どうした? 田舎派のゲイなんだし、当たり前のこと、だろ?』
『あいてのチョイスが、あたりまえじゃ、なかった』
ビアン・ゲイの偽装結婚は、たいていは相手もゲイ・ビアンで、お互い素性を熟知の上、性生活抜きなのことを納得の上で、籍を入れる。しかし中岡さんの場合は、違った。相手はLGBTのことなんて全く知らない一般人にして、異性愛者だった。夜の営みが期待できない……というか、全くあり得ないことを告知もせず、中岡さんは結婚しようと、していた。偽装結婚ならぬ、詐欺結婚である。
『ヤツは、すでに36、しゅういからのプレッシャーがたいへんなのは、しっていた。しかし、あいてに、あまりにも、しつれいだろう』
『まあ、そうか』
『しかも、ヤツのあいては、ぼくのちじん。ぼくが、ヤツに、しょうかいした、かたちになっちまってた』
江川が中岡をなじると、彼は開き直ったという。
『ボクのがケッコンサギなら、バイグループのだって、おなじくサギだろう、ってさ。バイのばあいは、しかし、すくなくとも、よるのせいかつは、あるぞ、とはんろんした。れんあいたいしょうとしての、あい、もあるぞって』
『ふむふむ』
『ノーマルなけっこんをした、しんせいゲイは、せいせいかつをするために、ヨメをうらぎらなければ、ならない。バイには、そのしんぱいも、すごくひくい、とも、いいきかせた』
『ふむふむ』
『ケッコンするのに、あい、がひつようなのか、とはなでわらわれた』
まあ、田舎に行けば、親の都合だの、村のしきたりだの、相手実家が分限者だからだの、当事者同士意向に寄らない結婚も、未だ、多々残っているか。
『ニワトリの、ケツにつっこむつもりで、せいせいかつも、なんとかする、とヤツは、いった。いくらなんでも、ニワトリあつかいなんて、フィアンセが、かわいそうだよ』
『同意する』
江川は、中岡さんがどこまでも反省してないのを知った。それで、あの手この手で、彼の結婚を阻止しようと暗躍したのだった。ちなみに、当の女性は、江川が学生時代にアルバイト塾講師をしたときの教え子だという。学校を出てからもセンセイと慕ってくれる、可愛い女の子らしい。
無農薬野菜の生産者にお知り合いはいませんか……と、教え子に言われ、江川は中岡を紹介した。生産者と消費者、それだけのつきあいのはずが、いつの間にか、男女交際の話になっていたのだ。
『けっこんをそしするために、オレ、なかおかの、わるくちをいいふらして、まわった。ぎゃくこうかで、おしえごに、ケイベツされるハメになった。ふこうになるゾ、とせっとくしたけれど、けっきょく、くちもきいてもらえなく、なった』
最後の手段として、江川は、全部を教え子にぶっちゃけたのである。そう、中岡が真正ゲイであること、江川がバイであること、二人が知人なのは、LGBTがらみの団体に所属しているから、であること。
「それで、結婚は破綻したわけか。そのフィアンセさんのほうは、どうなったんだろ」
沖田は、瀬川の疑問をパソコンに打込んだ。
『いなかにいじゅうして、のうぎょうを、やってる。むのうやくやさいにかける、じょうねつは、ほんものみたいだ。けっこんは、してない』
「後味の悪い話」
杉田がつぶやき、瀬川も沖田も同意した。
『最後に、もうひとつだけ、聞く。バイグループの大量脱退』
『しらん』
『おい。知らんって、どういうことだ』
『あいつらが、かってに、やめたんだ』
『もともとは、俊介が引き入れた人達、なんだろ』
『はなたばのかい、ざいせきちゅうから、ボクのしじにしたがうバイなんて、いなかった。もちろん、ボクは、じんぼうがない。けど、アイツラが、みがってなのも、また、じじつだ』
再加入させる方法について、もう少し話してみたかったが、江川は、ここでログアウトした。
『いまのボクには、LGBTより、アニメのほうが、だいじだから、な』
最終的に花束の会に戻ってきたのは、柴田を含めて五人だけだった。レポートは郵送で利府に送り、沖田は事務局に電話した。「人数が少ないと、発言権が落ちて大変だよ……」と名和氏は慰めてくれた。けれど、人数が多かろうが、少なかろうが、最初からバイに発言権なんてないんじゃ? と沖田はモヤモヤした気分だった。
「名和さん、政治家の秘書なんですってね」
「今のところは、です。いずれは立候補して、独り立ちしますよ」
「えっ……」
キナ臭さに皮肉を言うつもりだったのに、もっとキナ臭い話を持ち出されて、沖田は唖然となった。
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