第3話 和解譚(両性愛者と同性愛者が相互に認め合うことについて)
「仙台LGBT互助会、通称、花束の会、と言います」
事務局を名乗る名和氏と、沖田は名刺を交換する。
「葬儀専門の写真屋さんですか。ほう。珍しい」
「仙台はいざ知らず、田舎では結構増えてきてますよ。少子高齢化時代ですから」
「やっぱり、アレですか。画像をパソコンに取り込んで、加工したりするんでしょう? デジタルを扱うスキルが、一番重要なんですよね」
「いえいえ。もっと重要なことがあります。そう、意思表示できなくなった故人の意思を、最大限、くみ取ってあげることです」
名和氏は、ニヤっと笑って、言った。
「それはそれは。実は、私の仕事も、極意は一緒ですよ」
沖田写真館で、三人が初顔合わせしてから、ちょうど一週間後。
沖田たちは、利府のイオンで「敵方」2人と対峙していた。
そう、ストーカー女・森下女史と、LGBT互助会事務局を名乗る、名和氏とである。
ストーカー行為をして迷惑をかけているのは森下のほうなのだから、森下を石巻まで呼びつけたかったところだけれど、女史は激しく抵抗した。そもそも、会ってくれと「懇願」してきたのは沖田たちだし、何より名和氏は移動の時間を惜しむほど多忙なのだから、と。最終的に、杉田が「まあまあ」となだめ、利府で、に決まった。「花束の会」は正式名称に仙台の地名がついてはいるけれど、本部は仙台郊外の利府町にある。千葉にある東京ディズニーランドと一緒よね、と杉田は説明した。新館が開館したばかりのイオンモールはハンパない広さで、駐車場から待合せ場所の珈琲店に行くまで、時間を喰ってしまう。少しばかり遅刻になったが、堂々、重役出勤で行きましょう、と杉田は胸を張って先導した。そう、会合前から、虚実交えた駆け引きは、始まっていたのである。
瀬川の評だと、森下女史は、杉田に雰囲気が似ている人、のはずだった。確かにビジネススーツをかっきりと着こなしてはいたけれど、沖田の感じた第一印象は全然違う。ホラー映画の貞子。そう、無駄に長い髪で顔を隠し、ギョロッと目を覗かせている、そんな印象だった。他方、名和氏のほうはといえば、「裸の大将放浪記」の主役・山下清に似ている。五分刈りの頭に、ふくよかな大黒顔、そして太鼓腹の突き出た、相撲取りのような体型。クールビズとかでネクタイをせず、ランニングシャツが透けて見える白いワイシャツいっちょう、である。絞りの手ぬぐいで額の汗をひっきりなしに拭っているところが、いかにも田舎くさい。
テーブルを挟んで、二組は相対した。
不本意ながら、沖田を真ん中に女性陣二人が腰を下ろす形になる。
ちょっと、気恥しい。
「でも、トキオくん、今日は推し出し堂々としてるし」
先方のリクエストでは肩の凝らない恰好で、ということだった。けれど、わざわざ相手を呼び出しての交渉である。ちゃんとした恰好で、ということで、沖田は無地の着流しに紗の夏羽織を羽織ってきていた。スーツは葬祭用の黒、しか持ってないのだ。杉田は相変わらずのスーツ姿、なぜかワインレッド色のをチョイスしてきていた。正直、いつにも増して暑苦しい。反対に、瀬川は最も涼し気な恰好だ。Tシヤツ風のワンピースに、いつものクロックスをひっかけてきている。
「名和さんって、デスクワークより、野良仕事が似合いそうなタイプだね」と瀬川が耳打ちしてきた。スフレパンケーキを待っている間、世間話をする代わりに、双方の男性の頭髪の薄さの話になった。
片や五分刈り、片やスキンヘッド。
シャンプー代がかからなくていいですよ、と沖田は当たり障りのないことを言った。名和氏がなんだか、沖田に親近感を持ったようで、居心地が悪かった。外見同様、名和氏は、人当たりのいいしゃべり方をする人だった。
けれど、まあ、第一印象なんて、あてにはならないものだ。
森下が彼を慕っているのは、彼が差別と戦う闘志だから……というのが、事前情報だったはず。
「闘士ねえ。ストリートファイターのエドモンド本田みたいな戦い方、するのかな」
ずいぶん懐かしいキャラを出してくる。君は相当のゲームマニアか、それともオッサンか。
「タエちゃん。お願いだから、本人に聞こえるように本音をボロボロ漏らすのだけは、止めて」
「なによ、トキオくん。ちゃんと耳打ちしてるじゃない」
他方、杉田は思うところあるのか、無言でずーっと森下とにらみ合っていた。
「ストーカー? 心外ですね。そもそもウチの森下は、その、杉田さんを『花束の会』に正式加入させるべく、熱心に取り組んでいた、と聞きましたが」
クーラーの効いた珈琲店内でも、名和氏は、やはりひっきりなしに汗をぬぐいながら、そんな言い訳をした。
「いいえ。勧誘の『か』の字もありませんでした」
ピシャっと杉田は返事して、アイスコーヒーに口をつける。
森下は、しょっぱなから一言も発言していないはずなのに、元恋人たちの雰囲気は最悪だった。
名和氏は、ストーカーの事実を真向から否定した。
杉田は、ストーカー被害の事実を、証拠とともに、名和氏に突きつけた。
ま、平行線だ。
当事者の森下が全然しゃべらないのが、気になる。沖田がそれとなく話しかけると、名和氏がフォローにまわる。「彼女は口下手でシャイで……」言いよどんだ名和氏の代わりに、なぜか杉田が続ける。「男を罵るためのボキャブラリーは豊富だけど、それ以外の言葉は持ち合わせがない。そうでしょ?」
「ねえ。シーちゃん。どういう意味?」
沖田ごしに、瀬川が杉田に話しかける。瀬川本人はあまり気にしてないようだけれど、密着されると居心地が悪い。
「沖田さんがいるから……そう、知らない男がいるから、森下さんはしゃべれないってことよ。口喧嘩はできるけど、会話はできない人なの」
かつての恋人とは思えないくらい、杉田は辛辣に言う。
森下は、顔をあげずに……いや、髪のカーテンで顔を隠したまま、パンケーキをもそもそ食べていたが、やがて、反論した。
「デリカシーのない紫乃は、嫌い」
「じゃあ、もう、金輪際、友達つきあいはやめようよ、有香」
「私のを気持ちを知ってるくせして、意地悪する紫乃は、もっと嫌い」
「もー。いつから、こんな、面倒くさい性格になったのよ」
事前情報では、森下女史が一方的に杉田を振り回しているような印象だったけれど、こうして横で聞いている限り、実態はだいぶ違うのかもしれない。
2人は、交際していた時分の話……2人にしか通用しないエピソードを持ち出してきた。どうやら、クリスマスプレゼントで贈ったスリッパを返して欲しいとか、なんとか、他人にはどーでもいいことで、もめている。たかが数百円のスリッパごときに、なんでそんなに熱心になる? 沖田が「どうでもいいことでしょう」とため息つくと、森下杉田両名から「どうでもいいことじゃ、ないっ」と怒鳴られてしまった。そして2人は、また、ごちゃごちゃ言い合い始めた。横で聞き耳を立てていても、全く分からない。もう、退屈、いや、苦痛でしかない。
沖田は、トイレに立った名和氏を追いかけた。
名和氏は、森下さんをかばうための付き添いのはずだけれど、今のところ、森下の主張を繰り返すだけで、弁護らしい弁護はしていない。
落としどころは、一体、奈辺にある?
男だけのほうが、本音が聞けるかもしれない。
名和氏も、どうやら沖田が来るのを待っていたと見え、ゆっくりと手を洗ったあと、五分刈りで青々とした頭を、櫛で整えていた。
プっと沖田が吹き出す。
ニヤっと名和氏は笑う。
歩きながら話そうか、と名和氏は沖田を誘い、トイレを出ると、珈琲店とは反対方向にフロアを歩き始めた。名和氏は、言う。
「彼女、確かに私生活はだらしない……というか、いい年していじめられっ子のボッチみたいな幼稚さですけど、仕事の上では、重宝する人なんですよ」
「……失礼を承知で言えば、ダンマリを決め込んだりするあたり、そんなに優秀には見えなかったですけど」
「私、森下さんのことを、優秀なんて、一言も言ってませんよ。ただ、重宝すると言ってるんです」
「ほう」
なんだか、含みのある言い方だ。
「花束の会」は、正式名称に「互助会」と名前がつくように、お互い助け合うのも、重要な活動の一環という。
「同性愛者なんか死んじまえ、なんていう原理主義者が、会員に悪質な嫌がらせをしてくることがあります。そう、カミングアウトしたLGBT者なら、一度は経験することです。で、その手の差別主義者の撃退を頼まれることもあります。理性的な相手なら、理を説けばいいのでしょうけど、たいていは感情的でエキセントリックで、放っておけばヘイトクライムを引き起こすかもしれない……SNSで悪口を書くなんて初歩的な嫌がらせから、リアル暴力を奮ってくるヤカラまで、色々です。目には目を、なんていう報復は、この手のヘイトクライムへの対処法としては、悪手の部類ですけど、それでも、時にはカウンターアタックしなければならない、ときもある。そう、言葉の暴力には、辛辣な皮肉や罵倒が唯一の有効手段、というときもある。……森下さんは、そういう非常時、話が通じない差別主義者との罵倒合戦を勝ち抜ける、数少ない人材なんですよ」
「幹部の肩書がついていても、裏では道具扱い。したたかなもんだ」
「お褒めに預かり、光栄ですよ、沖田さん」
「皮肉に決まってるでしょ、名和さん」
モールの中だというのに、人の流れが激しくて、だんだん沖田たちは会話するのが辛くなってきていた。そもそも声高に話すような内容じゃない。外はアマゾンのジャングルなみに蒸し暑かったけれど、だからこそ、「密談」を邪魔するような喧噪がない。
沖田は、名和氏を促して、駐車場に出た。
手ぬぐいで顔から頭から拭いながら、名和氏は言う。
「ウチの森下さんは、多分、花束の会への勧誘をしていただけ、という主張は曲げないでしょう」
「それは、こちらの杉田さんも、一緒だ」
「それで、です、沖田さん。2人の妥協がムリなら、主張が平行線のままでも解決できる手段があるんですけどね」
「ほう」
「残念ながら、森下さんと杉田さんだけでの決着じゃなく、あなたとお連れさんも巻き込む解決策です」
「まず、聞かせてください」
名和氏は、雲一つない青天を見上げながら、「解決策」を語った。
「名和さん。それって、名和さんだけが得をする方策じゃ」
「私が、じゃありません。花束の会が、です」
珈琲店に戻ると、女性陣は、各々新しい飲み物を注文していた。
「クーラーはガンガン効いてるし、トイレが近くなっちゃうよね、トキオくん」
パンケーキと珈琲に満足したのか、瀬川はご機嫌だった。が、元恋人同士の2人は、お互いに口を聞かず、目を合わせようともしない。
「私ら、男性陣2人から、提案があるんですけど、どうでしょう」
沖田は、怪訝な顔をしている杉田のために、言葉を添えた。
「名和さんが考案したアイデアです。自分も、悪くない妥協案かな、と思います」
森下さんが、杉田さんにつきまとっているのは、「花束の会」への勧誘のため、というのが口実である。なら、ここでいっそ、杉田に、実際に、「花束の会」に加入してもらえばいい。
「入会してもらえれば、勧誘の必要はなくなるわけで、それでもなお、森下さんが、杉田さんにしつこく接するようなら、その時初めてストーカー認定してもらう、というのは、どうでしょう」
瀬川が、異議を申し立てる。
「でも、森下さんって、花束の会の幹部なんでしょ? 入会すれば、色々と口実をつけて、つきまとう機会は増えるし、そもそも物理的に距離が近くなるのは、ちょっと」
名和氏に目で合図され、沖田はコホンと咳払いした。
「自分と瀬川さんも同時加入して、監視すればいい」
「えー」
沖田は瀬川に耳打ちした。
「ストーカー被害が治まって、ほとぼりが冷めたころには、スッパリやめる。そういう密約、さっき名和さんとしてきたんだ」
「だってえ」
「これまでは、入会勧誘という大義名分があったから、ストーカー行為への注意はしずらかったけど、言い訳できなくなれば、厳しく指導できる、とも名和さんは言っていた」
「……あのオッサンに、丸め込まれてない?」
「確かに、名和さんにしてみれば、会員が増えるし、幹部の不品行トラブルは解決できるし、で一石二鳥だ。でも、杉田さんの悩み解決の糸口になりそうなのも、確かでしょう」
「アタシたち、貧乏くじじゃない」
「入会の経緯が経緯だから、入会費も年会費も免除する、と名和さんは約束してくれたよ。花束の会は、単なるLGBT親睦団体ってわけじゃなく、互助会っていう名の通り、持ち込まれたトラブルを次々に解決してる。実績があるらしい。加入すれば、タダで、トラブル解決のサービスを受けられるのは悪くないじゃないか、と誘われた」
「ホントかなあ」
「ま。少しは事務局を手伝ってくれ、とも言われたけどね」
「うーん」
瀬川だけでなく、杉田も名和氏の提案を吟味し始めた。
森下は名和氏に説教され、どうやらいち早く、降参したらしい。
「最終的には、シーちゃんの決断よね」
杉田は、沖田と瀬川に意味ありげな視線を向ける。そして、目をそらしたまま、森下に言った。
「有香。まだ、男が憎くて憎くて、たまらないのよね」
「そうよ」
「一緒に差別と戦ってくれる同志以外の男は、バイキンやゴキブリ以下なのよね」
「そうね」
「ここにいる沖田さん、完全にノンポリで、フェミニズムのフの字も知らないトーヘンボクの真正マゾだけれど、それでも、普通につきあえる?」
「……真正マゾなの? 頼まれれば、パンプスで顔面踏んずけてあげるくらいは、できるかも」
沖田は、思わずツッコミを入れていた。
「てか。アンタもバンプスかいっ」
「え? なに?」
「……なんでもありません。こっちの話です」
杉田がようやく、クスクス笑って、続けた。
「じゃあ、私がこういうことをしても、ふつうにつきあえる?」
杉田は、ごく自然に上半身を沖田に預けると、スキンヘッドにキスした。
沖田が反応するヒマも、なかった。
「どう?」
長い髪のカーテンから、森下の血走った眼が、沖田を睨みつける。
「いいわよ。ふつうに、つきあってやるから。覚悟しなさいよ」
「覚悟って……」
沖田は思わずボヤいた。
なぜか上機嫌に杉田がうなずいた。
「うん。うん。名和さん、私たち、加入します」
名和氏は、色よい返事に大黒顔をほころばせていたが、支払は私が持つ、と言い、伝票を持って立った。
「では、沖田さん。加入してすぐで悪いんだが、早速仕事、頼めますか。少し前に大量離脱していった、バイグループの面々を口説いて欲しいんです」
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