第2話 紹介譚(両性愛者の色々な在り方について)

 写真撮影をしない、写真館。

 歴史を現像する、写真館。

 中身でなく額縁を売る、写真館。

 これが沖田写真館のモットーであり、客へのセールスポイントである。

 詳しい話は事前に伝えてあったけれど、客人たちは、物珍しいのか、来客用ソファに腰を下ろすなり、ジロジロ、あちこち見まわしていた。

「でも、レフ版とかスタジオライトとか、一式あるじゃん」

「例外のない規則はない……たまに、七五三とか成人式の写真を撮ってくれっていう、依頼があるんだよ」

 沖田はこの日、杉田紫乃と、彼女の現在の恋人・瀬川妙子を仕事場に招待していた。

 2人は対照的な恰好をしてきていた。杉田のほうは、休日だというのに相変わらずの紺のスーツ姿。正直、暑苦しい。沖田の写真館に、クーラーは未だついていない。お陰で彼女は金魚のように、パクパクと口であえいでいた。

 もっと楽な恰好でくれば良かったのに。

 来客用の応接室に、通す。2人がソファに腰を下ろすなり、氷の欠片を放り込んだ麦茶を出す。シロクマ・アイスもあるよ、と聞いてみたが、太るから遠慮する、と女性陣二人は首を横に振った。

 

 沖田がフィルムメーカーの宣伝用のウチワを渡すと「でも、正式に相談に来たんですから」とパタパタ風を起こしながら、言った。

「髪だけでも、なんとかすれば?」

 瀬川に言われて、杉田は黒いゴムバンドで無造作に、後ろで髪を束ねた。この日は細いフレームの赤縁メガネをかけていたこともあって、ちゃんと高校の先生に見えた。

 反対に、瀬川のほうはラフな恰好だった。黒い無地のTシャツを肩まで腕まくりし、さらにヘソの位置で裾を縛っている。ジーンズのショートパンツから、スラっとした足が伸びているが、靴下ははいていない。クロックスのサンダルでペッタンペッタン歩くのを見ると、ご近所の散歩にきた小学生のようだ。背も150と低く、茶色に染めたショートボブにお似合いの童顔だけど、杉田より4つ年上、もう30になるという。

「その点、アンタは涼しそうね。お坊さん」

 瀬川に言われ、沖田は、自分の頭をペタンと叩いた。

「スキンヘッドに合せて、こういう恰好をしているわけじゃ、ないんだけどな」

 この日、沖田は作務衣姿に、下駄をはいていた。涼しいうえに「ちゃんとした恰好」に見える、という利点がある。何より、近所をブラブラしていても、不審者に間違われずにすむ。

「頭を丸めているだけで、通報の対象になるっていうのは、イヤな世の中になったもんだ」

「だって、不審者でしょう、あなた。衆人環視の中、オチンチンを踏んずけられて、大喜び」

「あれは、自分から進んでやったわけじゃなくて、ペンギンっていう真正サディストが……て、もしかして、瀬川さん、写真や動画、見ました?」

「うん。見た。サディストのほうは小さかったけど、あんたのは、なかなかのモノじゃん。アタシもずいぶん、オチンチンは見てきたけど、というか、毎日のように見てるけれど、褒めてあげられるレベル」

「そりゃ、まあ、光栄です。てか、顔を合せる前に、アレを見られちまうなんて」

「あら。アタシは平気よ。気にしないで」

「こっちが、気にするんですよ」

 誤解のないように慌てて説明すれば、瀬川は風俗関係の仕事をしている人ではない。石巻市内の大病院に勤めるれっきとした看護師で、30の若さでちゃんと肩書のついた、偉い人、なのだという。気さくな人柄で、患者や医者のあしらい方が上手、と杉田は紹介してくれたけど、こう、直接話してみて、なるほど、遠慮なくなんでも言う人だな、と実感する。

「シーちゃんは、どう思う? 沖田さんのサイズ」

「……露骨にそんな話、しないでよ。てか、沖田さん、もう一杯、冷たい麦茶、もらえませんか」

 沖田は冷蔵庫から、ヤカンごと冷やした麦茶を持ってきて、杉田の前にあてがった。瀬川は杉田の上着を無理やり脱がせながら、言った。

「やれやれ。こうやって、建前を優先して、自滅するのが、シーちゃんのダメなところね」


 ストーカー女の詳細については、瀬川が教えてくれることになった。

「森下さん、ていう人。森下有香。氷の女王、みたいなトッツキにくいタイプ。会社でも友達の集まりでも、森下女史、とか呼ばれそうな、スノッブ……て感じかな。アタシより、2つ年上だったと思う。いかにもインテリですってところが、まあ、シーちゃんに似てるって言ったら、似てるかな。いつでもどこでも、カッチリ、スーツ着てるところとか、まあ、似てる。女のアタシから見ても、かわいげがない。そういえば、ほら、この子も、かわいい系っていうより、美人系でしょ。でも、なんでか、年上にモテるのよね」

「交際の詳細を語るつもりなら、ダイジェストでお願いします」

「あきれた。お坊さん、せっかちね」

「お坊さんじゃ、ありません。沖田です」

「じゃ、沖田くん。下の名前は?」

「トキオ」

「じゃ、トキオくん」

「自分のほうが、年上なんだけど」

「いいじゃない。こまけえことは、気にするなっつーの。ええっと。まず、たとえ話を聞いて。ここに、タヌキとキツネがいます。タヌキは水も滴る色男に化け、キツネは絶世の美女に化けました」

「……日本昔話?」

「もー。黙って聞きなさい、トキオくん。タヌキとキツネは、相手の正体が分からないまま、男女交際をしていましたが、ある時、お互い、偽物だとバレてしまいました。タヌキはキツネを、キツネはタヌキを、不誠実だと罵りました。さて、どっちが悪い?」

「どっちも、どっちかな。喧嘩両成敗?」

「でしょう。アタシもそう思うんだけど、森下さんのほうは、一方的にシーちゃんを責めるわけよ。バイのくせして、ビアンのふりをしてた、偽物だって」

「その伝でいくと、森下さんのほうも、偽物なんですよね。でも、偽物のビアンって? 実は女装した男だったとか」

「そんなんだったら、すぐにバレるって。森下さんは、確かに男嫌いだった。指一本触れるのもイヤだっていうくらいの、筋金入りの男嫌いよ。でも、たぶん、ビアンじゃない。彼女は女性権利拡張運動をやってるフェミニスト闘士で、男が嫌いだから、女と寝る人。LGBT団体の幹部をやってるのも、たぶん、彼女のいう『差別主義者』を糾弾するのがカイカンだから……ていう、筋金入りの戦闘狂なのよ。けれど、彼女、中身は異性愛者で、たぶん、女と寝るのも嫌いなのよね」

「言ってる意味が、イマイチ飲み込めない」

「だーかーら。森下さんは、頭の中身はビアンだけど、下半身は異性愛者っていう人なのよ」

「ややこしいなあ」

「アタシもそう思う。彼女、性行為の行動パターンだけ見れば、確かにビアンなわけよ。だって、女としか寝ない人だから。でも、ベッドの中の行為だけ見れば、実は、ビアンじゃない」

「イマイチ、よく分からない」

「……彼女、まんこ、嫌いなのよ」

「まーた、露骨な話ですか。ゲイの出会い系アプリでも、欲求不満な人、よく見かけますよ。けれど、瀬川さんほどの人、いませんよ。下品」

「説明に必要だから、恥を忍んで語ってるんじゃないの。察しなさいよ、あんぽんたん」

 ビアンの性愛行為というのは、当然、手や口がメインで、乳房や性器を愛撫する、というものだけれど、この森下女史、ほとんど、杉田の股間を触らなかったという。

「……舐めてちょうだいって、シーちゃんが足を開くと、イヤな表情を隠しもせずに、顔を背けるんだって。このへんの反応が、完全に異性愛者のもの」

 森下女史は、舐めるのもイヤがったけれど、舐められるのもイヤがったそうだ。

「シラフでする話じゃないなあ。ていうか、ベッドの内容を赤の他人に暴露される、その、森下さんが可哀そう」

「ストーカー女に同情するのは、その所業を全部聞いてからにするのね」

「そんなに悪辣なんですか?」

「自分たちの手に負える範囲なら、こうやって相談に来ないでしょ」

「そりゃ、そうか」

「ほら、トキオくん。ここまでの説明で、質問とか、ある?」

「まんこを全く攻めないとしたら、手と口だけですよね。キスしたり、オッパイ触ったりするだけ?」

「トキオくん。アンタだって、露骨に言うじゃない」

「すんません」

「……不感症とか、そういうタイプじゃない。お気に入りのディルドーを持参して、シーちゃんに使ってもらう、とか。そうよね」

 さっきからしゃべらず、黙々麦茶を堪能していた杉田が、おっくうそうに、うなずいた。

「つまり、森下女史、チンポならOKなのよ」

 沖田がツッコミを入れる前に、杉田がヒジで相方の脇腹を軽くつついた。

 瀬川は、めげなかった。

「とにかく、あの女は、チンポなら受け入れられるのよ。チンポ、ちーんぽ」

「はあ……でも、ですよ、瀬川さん」

「タエちゃんって、呼んでよ、トキオくん。アタシとアナタの仲じゃない」

「ほんの三十分前に初顔合せしたのに、何がアタシとアナタの仲、ですかっ」

「で、なによ」

「一般論ですけど……レズビアンにだって、多種多様な性生活、あるでしょうし、それだけで、ビアンでないと決めつけるのは、いかがなものか、と」

「もちろん、まんこが好きかどうかだけで、決めつけたわけじゃないわよ。状況証拠は、もっといっぱいある。けれど、数ある疑惑のネタの中でも、一番アヤしいと感じたのを、説明してやったってことでしょ」

「はあ。それで、杉田さんは、相手が、その、偽物のビアンだから、別れることにした、と」

「違うわよ。最後まで聞きなさい、トキオくん。……そういう、性生活の不満ももちろん理由だけど、何より、シーちゃんをフェミニズム運動に引き入れようと、しつこかったのが、最大の原因」

 ヤカンが空になるまで麦茶を飲んだ杉田は、ようやく、ポツリと発言した。

「……私、たんに恋人が欲しくって、交際を始めたはずなのに、いつの間にか政治運動に巻き込まれることになって」

「はあ」

「どこそこで、会社ぐるみのセクハラ裁判があるよーって聞けば、傍聴に行きましょう、テレビで女性差別的なCMが流れれば、抗議のデモに行きましょう、そして、LGBTの政治家が立候補すれば、集会に行きましょう……て。私、そういうの、イヤだって、はっきり言ったのに、全然聞いてくれなくて。デートするなら、普通にウインドショッピングしたり、映画みたり観光地廻りしたり、したいって、言ったのに」

「バーター取引で、交互にデートコースを替える、とかできなかったんですかね。今日はデモに行くけど、次のデートではウインドウショッピング、とか」

「そんな、柔軟性があるタイプじゃ、ありません。紫乃は、LGBTの人間なのに、意識低すぎ、とか、お説教されちゃうんです」

「厄介だなあ」

「そうですよ。厄介ですよ」

 2人の交際は、一年と持たなかった。

 けれど、ハッキリ嫌いと断れば、森下女史が激怒して、何をしでかすか、分かったもんじゃない。杉田は自然消滅を狙うことにした。メールをもらえば、3回に1回は気づかないふりをして、無視する。デートも……というか、政治がらみのお誘いも、何やかや理由をつけて断る。夜のお誘いも、当然、体調がすぐれない等、色々言い訳して、応じなかった。察しのいい女性なら、つれない反応をされて、嫌われているのが分かるようなものだけれど、森下は、超・鈍感だった。

 杉田は、遠い目になって、語る。

「……実際は、森下さんだって、避けられていることに、気づいていたのだ、と思います。でも、そういうの、認めたくなかったんでしょうね。私のほうで他人行儀にふるまっても、彼女、あくまで恋人っていう立場は、崩さなかった。そのうち、珍しく、森下さんのほうから、政治がらみでないデートのお誘いがあって、仙台のTOHOシネマズに映画を見に行きました。男女の、異性愛者向けのラブコメを見たんですけど、ビアンでも恋愛の楽しさは一緒ですから、すごく楽しめました。森下さんも、普段の姿からは考えられないくらい、ウキウキしちゃって。帰り、仙石線の時間まで、少し余裕があったもんだから、五橋公園を散策しているときに……」

 気分が盛り上がっていたのか、森下は杉田の唇に、唇を重ねてきた。

 杉田は、反射的に、拒否した。

 これが、2人の別れの決定打になったのだ……と杉田は懐古する。

「森下さんは、涙目になって、私の頬をビンタしました」

「……それこそ、映画や芝居の一幕みたいですね」

 氷の女王、と女性2人は森下を評していたけれど、案外、自分に酔えるようなタイプなのかもしれない。

「ちょっとお、トキオくん。シーちゃんは真面目に話してんだから、茶化すのは、やめて」

 杉田が、森下のメール等を拒否していったのは、前に言った通りではあるけれど、この「キス拒否事件」のあとは、森下のほうも、杉田からの連絡を無視するようになったのだ、そうだ。

「お互いに、無視しあって、無事に別れることができました。一件落着、じゃないの?」

 杉田は、黙って下を向いてしまった。

「まあ、ホントなら、トキオくんの言う通りなんだけどね。キッパリ、連絡を断れなかったんだな、これが」

「瀬川さん?」

「もー。タエちゃんって呼んでって、言ったでしょ」

「……タエちゃん。続きをお願いします」

「森下さん、虫垂炎にかかっちゃって。心細かったんでしょうね。シーちゃんに、恋人としてではなく、友人としてでいいから、お見舞いにきて欲しいって、頼んだわけ。シーちゃん、よせばいいのに、頼まれたファッション誌を手土産に、のこのこ病室に来たってわけ」

「ふむふむ。そこで、ヤケぽっくいに、火がついた、と」

「森下さんのほうはね。シーちゃんは、純粋に友人としていったつもり、だった」

 2人のただならぬ様子に気づいた担当看護師が、ナースステーション管理者である上司に報告をした。上司は、病室を見に行った。

「そこで、アタシとシーちゃんが、運命の出会いをするのです。どう、劇的でしょ?」

「えー。あー。森下さんの入院先の病院、つまり瀬川……タエちゃんの勤務する病院で、見舞客と、ナースステーション管理ナースとして、2人は出会ったってことで、いいですか」

「ま。簡単に言うと、そういうことかな」

 瀬川は、プライバシーに踏み込まないように、慎重に話しかけたのだけれど、杉田は、怒涛の勢いで、2人の交際を語った。そして、ジト目で瀬川の目を見続けると、「気持ちわるいでしょ」と言い捨てたのだそうだ。

 杉田が、バツの悪そうに、言う。

「黒歴史だから。あまり、詳しく話さないで、タエちゃん」

「全部聞いてもらわなきゃ、ダメでしょ、シーちゃん。……ナースの仕事の範疇を越えてると思ったけど、同じLGBTの人間として、相談にのるべきかな、と思って。アタシもバイだよって、シーちゃんにカミングアウトしたの」

 恋人と別れて寂しかったのは、森下女史だけでなく、杉田のほうも同様だったようである。ほどなくして、瀬川・杉田は恋仲になったそうだ。

「ちょーっと、待った。お二人が、ウチの仕事場に来たのは、そもそもストーカー女対策の相談だった、はずだよね。ひょっとして、三角関係……」

「ひょっとしなくても、三角関係よ、トキオくん」

「違いますっ。タエちゃん、あのとき、私、既に森下さんとは別れてたでしょ」

「そういや、そうか。でも、森下さん自身は、そう思ってなかった。三角関係だって、ずーっと思い込んでた。だから、話がこじれていった」

「つまり?」

「つまり、シーちゃんが森下さんと別れることになった理由、シーちゃんが二股をかけてたから……瀬川っていう横恋慕オンナのせいで、別れることになったんだって、森下さん、思いこんじゃったわけよ」

 この、森下女史の思い込みは鉄よりも固く、退院後も瀬川に対するイヤがらせに来たという。

「院長に、アタシをクビにしろって、直談判に来たり、ここのナースは泥棒猫だって、待合室で演説をぶったり、そりゃ、大変だったわ」

 病院長は警察を呼んで、被害届を出した。森下には政治家の後ろ盾がいるらしく、当の警察の説得で、届をひっこめざるをえなかったという。

「でも、その後、森下さんが病院に来ることはなくなった。痛み分けってとこかな」

 杉田本人のほうは、こう、スムーズに対応できなかった。

「で。考えたのよ。森下さんが、筋金入りの男嫌いなら、それを利用すればいいって」

 木を隠すなら森の中。杉田を隠すのなら、男の中。

ということで、森下のストーカーから身を守るべく、勤務時間以外の大半を、杉田はゲイバーで過ごすことになったのだ、という。

「なるほど……イマイチ、納得がいかないことが、ある」

「なによ、トキオくん」

「たとえ、ゲイバーの中に長時間隠れていたとしても、杉田さんの属性が変わるわけじゃ、ないでしょう。ビアンはビアンのまんま、バイはバイのまんま。でも、森下さんは、杉田さんを、偽ビアンって非難しているんですよね」

「そうね」

「どうして、バイってばれたんでしょうね」

「あ。それ。ばれたっていうか、ばれるように仕向けたっていうか。ウチの弟をサクラに使ったのよ。シーちゃんの彼氏のふりをして、森下さんの目のつくところ、ウロウロしてって」

「なんで、わざわざそんなことを」

「シーちゃんのこと、きっぱり諦めてもらうために、決まってるじゃない。マサキが……ウチの弟が、適任者だったから、こういう作戦をとったっていうのも、あるかもしれない。女性運動家の目の敵にされて、何をされるか分かんないけど、一肌脱いでくれって頼まれて、二つ返事でウンてうなずく男子、なかなかいないものでしょ」

「その。弟くんから、喜んで承諾すると、分かってた、と」

「うーん。ていうか。お姉ちゃんのいうことをきかないと、どーなるか分かってるの? て、説得した」

「それ、説得じゃなくて、脅迫です」

 森下が、杉田とヨリを戻すことにこだわるのは、杉田のことをビアンだと思い込んでいたからだ。喜んで、男と寝るバイと分かれば、極端な男嫌いの森下のこと、諦めるに違いない、というのが瀬川の読み、だった。

「だから、アタシじゃなく、マサキが厄除けの適任者って、思ったのよ」

「でも、瀬川……タエちゃん。それでも森下さんがストーカーしてるってことは、作戦失敗ってことじゃ」

「うんん。一応、成功してるわよ。森下さん、今では、シーちゃんと元サヤに戻ろうとしてストーカーしているわけじゃ、ないみたいだから」

「というと?」

「せめて、友達までに、戻ってほしいみたいね。もちろん、政治集会やデモに一緒についていってくれる友達なんだろうけど。森下さん、恋人どころか、友達が全然いない人、みたいだから。男への恨みつらみを吐いて、怪気炎を上げてないときは、トイレの中で一人寂しくお弁当を食べる、みたいなキャラらしいから」

「なんて壮絶なんだ」

 どういう人生を送ってきた人なんだろう、と沖田はフト思う。学校時代にさんざんイジメにあって、お陰で極端な男嫌いになって、ルサンチマンから、男という男を糾弾するような女性運動家になって……というところか。

「森下さんという人の、人柄、だいたい分かったような気がしますけど、それで、具体的に、自分にどーしろ、と?」

「だから、説得よ」

「話を聞く限り、理屈には理屈で対抗してくるタイプじゃ、なさそうだけどなあ」

 ハードゲイや真正ビアンがなだめるというのならともかく、バイが説得にいったのでは、逆効果の気がする。

「実は、森下さん本人というより、森下さんの上司さんに話を通してほしいのよ」

 筋金入りの男嫌いの森下さんだが、もちろん、社会生活を営む上で、男性と接触する機会は多々あるわけで、すべて避けて通るというわけにはいかない。

「そもそも、彼女が所属しているLGBT団体にも、当たり前に男性がいるわけで」

 事情を知っている男性陣は、必要なとき以外、森下さんに近づかないようにしているそうだ。そういう組織で配慮してくれるのも、LGBT団体幹部でいる理由なのだろう。

「でも、例外があるのよ。普通の男性はだめだけれど、政治的に共闘してくれる男なら、いいんだって。一緒に集会やらデモやらに行くときとか、政治討論しているときなら、普通に男性に説することができる、みたい」

「へー」

「彼女の上司……そのLGBT団体で事務局をやってる人って、そういう、森下さんが普通に接する数少ない男性で、同時に常識人だっていう話。ストレートに、彼女のストーカー行為を止めさせてください、と言ってもいいし、ストーカー女が幹部だなんて、どういう団体だ、て糾弾してもいい。建前上、その事務局さんは森下さんをかばうでしょうけど、その際、LGBTの特殊性とかを出されても、キッチリ反論して欲しい。アタシじゃできないし、シーちゃんはできるかもしれないけど、立場上、やりにくいでしょ」

「なるほど」

「その、上司の事務局さんに説得されれば、森下さんだって、考え直すと思うのよ。居心地いい職場を追われるのもイヤだろうし、数少ない接触OKの男性に嫌われるのも、イヤだろうし」

 黙って聞いていた杉田が、誰にともなく、ボソっという。

「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ」

 ことわざの使い方、間違ってるような気がするけど……。

「馬かあ。で、その馬さんって、どーいう人なんです?」

「名前だけは知ってるんだけど。名和さん、ていう名前の人。実際には、会ったこと、ないのよね」

「その、名和さんに会いに行くのに、どんな立場で、行けばいいんですかね。交渉代理人? バイセクシャル代表?」

「シンプルに、友達でいいじゃない」

「でも……杉田さんとは、一週間前に知合ったばかりで、友人と名乗るのは、説得力ないような」

 黙って、瀬川と沖田を見守っていてた杉田が、再びボソっとしゃべった。

「ハッテンバの男子便所でフルチンでいた沖田さんに、電車を乗り継いで、新品パンツを差し入れして窮地を救ったっていうのに、友達扱いしてくれないなんて」

 杉田は、わざと「シクシク」泣いたふりをした。沖田はソファの上に正座して、両手を杉田のほうについた。

「ごめんなさい。杉田さんは、命の恩人……いや、パンツの恩人です」

 なぜか瀬川のほうが腕組みをして、鼻息荒く、言い切った。

「よろしい。許してつかわす」

「いや、あのねえ」

 とうとう麦茶が底をついたので、沖田はとっておきのトコロテンを出した。これなら、カロリーがほとんどない。食しているうちに、ようやく緊張がほぐれたのか、杉田からリクエストがあった。

 せっかく、ここまで来たんだから、写真スタジオを利用して、記念のスナップショットを撮りたい。

「ウチは、写真撮影をしない、写真館なんだけどな」

 沖田は再びボヤくはめになったのだった。

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