第二十五話 今までを越えて

 下層街の誘拐事件が解決して数日。

 中層街にある蔦屋敷の自室で、俺は未だ、テーブルに乗る未加工の《竜の涙》を前に、腕を組み唸っていた。


「むう……」


 作業が遅々として進まないのは、デザインが決まらないせいだ。 

 構想は無数に浮かぶが、これといった物が出て来ない。


 もう、残り製作期間は十日を切った。突貫工事で進めても余裕がない状態で、こうなると焦りが募るばかりだ……。


「……テイルさん?」


 配慮を感じる小さなノックの後、静かに扉を開き顔を覗かせたのはチロルだった。


「今、いいですか? 少し休んだ方がいいと思うのです。どうぞ、コーヒーなのです」

「……チロルか」


 俺はそれを受け取ると、乾いていた喉に少しずつ流し込む。

 ほのかな甘さが、疲れている体に沁みた。


「ハチミツを淹れてみたのです。疲れが取れるかと思って……」

「ああ、ありがとうな」


 自分の分も持ってきたようで、彼女は隣の空いている椅子に座り、それを啜る。


「デザイン、考え付かないですか?」

「……ああ。難しいもんだな。これだけ素材がよければ、なにを作ろうが、それなりの代物になるだろう。むしろ、原石そのままの方が、魅力を引き出せるんじゃないかなんて思ってな。でもそれじゃ意味がない。俺たち、細工師が存在する意味が……」


 虹色に光るこの宝石は、それだけで人の目を引き付ける魅力がある。

 ゆえに、余計なものを付けたしてしまえば、かえってその輝きを曇らせてしまうだろう。


 どうすれば……。


「あの、テイルさん……ありがとうございます」

「ん……? なんだよ急に、改まって」


 考えに沈み込もうとした俺に、チロルがほっぺを赤く染めて礼を言うので、てっきり下層街でウルガンから助けた時のことを言っているのだと思った。


「賞金首退治の時のことなら、もういいぞ? 前に言ったけど、目的を達成する前にお前にいなくなられると俺も困るし」

「いえ、そのこともなのですけど……。わたしが言いたいのは最初、出会ってこれを作ってくれた時のことなのです」


 チロルは自分の腕に付けた《赤狼の加護》を外して俺に見せた。

 なるだけ丁寧には処理したつもりだが、簡素な造りで売り物になるかどうかというと怪しい。しかしチロルはそれを愛おしそうに撫で、胸に抱きしめる。


「あの時、踏みとどまる勇気をくれた……わたしにとってはこれが一番なのです。……きっと、その宝石と引き換えでも……いいえ、他にどんな価値の有る物があろうと引き換えにしたくない、本当に大切な宝物なのです」

「んな、大袈裟な……」

「大袈裟じゃありませんっ!」


 そして彼女は、真っ直ぐに俺の瞳をじっと覗き込む。

 ルビーのような赤が、薄暗い室内の明かりを反射してきらめいている。


「テイルさんがリュカちゃんやライラさんにも与えてくれたものも、きっとそれぞれにとって特別なもので……それは、テイルさんがわたしたちのことを一生懸命考えて、心を込めて作ってくださったからなのだと、わたしは感じてます。レイベルさんが持ってきた指輪だって、決して技術だけではなく、きっとテイルさんが前のパーティーの方々との思い出をとても大切にしていたから……。そんな思いが込められていたからこそ、多くの人が認めてくれたのではないでしょうか?」

「……かもな」


 確かに俺は、特段自分の技術が優れた物とは思っていない。丁寧にじっくり、作品を作る限りは手を抜かないというのを信条にはしているが、それだけだ。


 そんな俺の作品を認めてくれる人がいるのは、見た者に伝わるようななんらかの価値をその作品を通して表現できているから……だと思う。人や物から感じとり、心に抱いた自身のイメージを作品に素直に反映することが出来るのが俺の強みなのだとしたら……。


「はぁ……とらわれ過ぎてたのかもな。勝たないといけないっていうことに……」


 俺は頭を掻いて反省する。

 チロルの言葉を受け……なんのために、誰に向けて作るのかをもう一度考え直さないといけないと、そう思い立つ。


 今回のアクセサリーをピピのために作るというのは明白だ。

 彼女を助ける、なんていうのはおこがましいのだろうけど、自由にはしてやりたい。


 あいつがなにに縛られ、どんな生き方をしてきたのなんて今さら知りたくもないけど……ただ、これからは自分の人生をその足で踏み出せるようにしてやりたい。


 後はその想いをどんな形で表現するか、それに尽きる。


「……よし。うん、なんとなく行けそうな気になってきた。チロル……ありがとう。お前に助けられるなんてな。魔法も頑張ってるみたいだし、ちょっと成長したかもな」


 俺はチロルの頭に手をやった。ふかふかの白い耳と違って、滑らかで細い白髪は俺の指をすんなりと受け入れ、彼女はへにゃりと表情を崩す。


「ふ、ふぁぁ……い、いえ! わ、わたしは……ただ、テイルさんが立ち止まってしまったら、前に進めなくなってしまいますから」

「そっか。……お前がいてくれて良かったよ」


 苦笑を向け、そうして彼女の頭を撫でていると、どうしてかチロルの顔はだんだん赤く染まっていき、ある時点で彼女は思い切り頭を振って、柔らかい長耳で俺の顔面を打つとバッと距離を取る。


「いてっ、ど、どうした?」

「なな、なんでも! なんでもないのです! そそ、そう、リュカちゃんが……この後呼んでて! 唐突ですが、し、失礼しますのでーすっ!」


 彼女は口元を震わせながら早口で言い切り、ウサギらしい素早さでビュンと扉の奥へ引っ込んでいったが、自分のマグカップを忘れていたのを思い出して半笑いでもう一度部屋に押し入り、また慌ただしく去っていった。


「はは……騒がしい奴」


 トマテのごとく真っ赤になったチロルの顔を思い出して吹き出した俺は、久しぶりにリフレッシュした頭で構想を練り直す。


 この時俺の心には、どんなものが作れるだろう好奇心と挑戦心が、またむくむくと盛り上がって来ていた。



 期限当日……。

 そして品評会からちょうど十日前、俺はシルブラウン伯爵に連れられ、ジェレッド公爵家に再び姿を見せた。


「……その表情だと、満足のいく作品はできたようだな」

「ええ、自分の力はすべて出し切りました」

「では……皆さんこちらへ。公爵がお待ちです」


 小声で話しながら、再び先日の玉座の間へと通された俺たち。

 そこで跪いていると、現れたジェレッド公カルミュが面白がるような視線でこちらをちらりと見る。


「あら殊勝ねぇ。大見栄切って雲隠れしてもおかしくないと思っていたわ。面を上げていいわよ」

(ずいぶん無茶なことを言われたからなぁ……)


 突貫工事のせいで目の下に濃い隈を付けた俺は苦々しく思う。


 この数日はろくに睡眠もとらず追い込んで、さすがにふらふらだ。だが、その甲斐もあり間違いなく、今までの俺の作品の中で、最高の物を生み出すことができたと確信している。


 俺の顔からそんな自信を見て取ったのか、カルミュ様は興味で顔を光らせ、早速俺に命じた。


「では、見せてもらいましょうか。かつて一時期、装飾品界で期待の新星と呼ばれたという、その腕前を」

「うっ……知っていたんですか?」


 過去をほじくり返され、嫌そうに顔を上げた俺にカルミュ様は嫣然と微笑む。


「当たり前じゃない。交渉相手の情報を探るなんて基本よ。それにちょっとうるさい知り合いがいてね。彼によれば比類なき才能により頭角を現しつつも、周囲の妨害により一瞬で輝きを消されたという悲運の天才だとか――」

「止めてください。聞いてて恥ずかしくなる……」

「ふふ。まあ、これ以上はその作品を見てからにしましょうか。あなたがどれほどのものかは、この目で見極めないとね。自信満々で出したその作品でわたくしを満足させることが敵わなければ、わかっているわね……?」


 彼女は立ち上がると、ヒールを威圧的に踏み鳴らしこちらへと向かう。

 跪く俺の喉笛を、彼女は細い指でグッと握ると、緋色のキツイ目で瞳を覗き込むが、俺はそれから決して目を逸らさない。


「……その時は、俺をどうとでも。でもそんなことは無いと思いますよ」

「すいぶんと大きく出たものね……」


 カルミュ様は目をすぼめて俺を解放し、指をひとつ打ち鳴らす。

 すると傍に控えた男が、観賞用の白い台座を運んで来て、目の前に降ろした。


「では……確認するわ。出しなさい」

「はい。では……開きます」


 彼女の優美な指先が示した台座の中央に、俺はためらわず、装飾品を収めたケースを置く。そしてカルミュ様の同意を取り、それを開いた。


「――こ、これはッ!」

「な、なんと眩い……!」


 ――見る者により、その表情を幾つにも変える極彩色の眩い輝きが、辺りを埋め尽くし……しばし、広間にいた誰もが声を無くす。


 涙滴ティアドロップ型にカットされた透明な宝石――《竜の涙》を中央に据えた、ひとつの首飾り。反射された室内の照明が形作るプリズム光は角度によって無限ともいえる組み合わせを生み出し続け、どれだけ眺めようと飽きることは無い。


 それを囲むペンダントトップは、石の輝きががより一層引き出されるようにプラチナを主素材とし、鎖から解き放たれたひとりの天使が空へと大きく手を伸ばすデザインにした。


 それまで息を詰めていたカルミュ様が、やっと言葉を告げる。


「……名前は?」

「《解放の光》……俺は、彼女にとってこれがそうなることを願って、作りました」


★★★★★★レジェンド 解放の光 《装飾品》》

 スロット数:4 

 基本効果:全能力値+100 全耐性+50

 追加効果:【☆レビテイト】【◆戒めの解き手】【×】【精神攻撃耐性】

 特殊効果:《◆戒めの解き手》束縛効果のある魔法、スキルなどから自身及び対象を解放する。


 今までどうしても作れなかった……俺にとって初めての、レジェンドクラスの作品。今回の挑戦があって、やっと俺はスキルLV60に到達し、その力を手にすることができた。


《細工術スキル・獲得技能》

(1 ) 細工品質上昇 (アンコモン)

        ・

        ・

(40)装飾品装備時補正能力値二倍

(45)細工品質上昇(エピック)

(50)付与破壊

(55)最大スロット増加(3)

(60)細工品質上昇(レジェンド)


 そのまま輝きに魅入られていたカルミュ様は、やがて未練を断ち切るように目をつぶった。


「仕舞ってちょうだい」

「……お気に召しませんでしたか?」


 評価を催促する俺も、彼女の表情を見てわかっていた。


「意地の悪い男……。でも、わたくしもつまらない感情で目を曇らせるほど愚かではないの。いいでしょう、あなたの腕を認めてあげる。少し待ちなさい」


 彼女は控えていた配下の男に台と筆記具を運ばせると、ひとつの書状を整え細かく指示を送る。


「取り急ぎこれらを王都の細工師ギルド本部へ、使いの者と共に送りなさい。品評会への参加は認められないと奴らが突っぱねるなら、以後当家と連なる者は一切そちらとの取引をしないと脅し、無理やりでもいうことを聞かせて!」

「ハッ……かしこまりました。では、お預かりいたします、テイル様」


 手慣れた様子で書状と、《解放の光》のケースを抱え去ってゆく人物を見送り、カルミュ様は俺に向き直った。


「これで後は王都に赴くだけ。三日後の朝ここを発つわ。準備しておきなさい」

「……え!? 俺も行くんですか!?」

「当たり前じゃない。会場まで同行してもらうわよ」

(勘弁してくれ……)


 てっきり後は、カルミュ様の方でよろしくやってくれるものだと思っていた俺は足をふらつかせて青ざめる。そんな俺の腕を彼女はにっこりと微笑んで取った。


「す、すみません。あ、あの……仲間を連れて行っても」

「ダーメ。ふたりで行くの。それ以外は認めないわ」

「……伯爵、助けてください」

「……すまぬが、口出しする権利は私には無いよ」


 シルブラウン伯爵から目を逸らされ、孤立無援となった俺に、カルミュ様は絡めた腕の力をさらに強める。


 きっと、少し落ち着いてきたライラの怒りは再点火されるだろう。

 彼女たちのことはレティシアさんに頼んでおくとして……なによりも危険なのは俺の身柄のほうだ。なにをされるかがまったく予想できない。


「楽しい旅になりそうじゃない。エスコートよろしくね、テイル?」

「は、はは……はぁ」


 頬を撫でてくるカルミュ様から身を引きつつ、俺は品評会の成績とは別に新たに発生した心配の種……この王都行きの旅をどうやって乗り切るのかに、頭を悩ます。


 明日からも引き続き、寝不足な日は続きそうなのであった。

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