◇あたたかな居場所(魔族の女視点)
◇(魔族の女視点)
目が覚めるなり、ひどい痛みが頭を襲う。
「うっ……」
なんとか体をベッドから起こした私は、左手が何か柔らかく温かいものに触れているのに気付いた……。
(手のひら……? 誰……?)
「……あ! 起きたのです! テイルさ~ん」
そこでベッドの縁に腰掛けてうつらうつらしていた少女が顔を上げ、にぎっていた私の手を離して誰かを呼ぶ。
「おっ……良かった、目を覚ましたんだな」
すると一人の男が何か作業をしていたのか、手袋を外しこちらにやって来た。
何の変哲もない、平凡な容姿をした黒髪の男。
だがその表情は、やけに人懐っこさのようなものを感じさせた。
「俺、テイル・フェイン……よろしく。体の調子はどうだ?」
彼が差し出した手を、私は思わずすんなり握ってしまう。
どんな人物なのかもわからないのに、不思議と警戒心は生まれない。
「あんた……どこから覚えてる? 俺を襲ってきたところは?」
「……あなたを、襲った?」
私は男の覚えのない言葉に、首を傾げた。
そして記憶を遡ろうとしたが、強い頭痛がそれを遮る。
「……っ」
「ああ、いい。無理はしなくて……何か思い出したら言ってくれ。とりあえず、飯は食えそうか?」
「……食事、は……出来ると思う」
私は男の言葉に、腹部を押さえた……。
前にいつ食事をとったかは定かではないが、確かに空腹感を覚えている。
だが、そんな図々しいことを頼んでもいいものか……。
「ええと……」
戸惑う私を見て男は歯を見せて笑った。
「んじゃ、なにか用意して来るから、チロル、ちょっとそいつを見といてやってくれな」
「はいなのです!」
長い耳を頭に乗せた少女が元気に手を上げ、こちらを再び紅い瞳で見つめた。
それと入れ替わるように入って来るのは、茶色耳の獣人の少女だ。
身軽そうな足取りでこちらに近づくと、彼女は兎耳の少女の隣の地面に座り込み、こちらを見上げる。
「お、ねえちゃん起きたんだな。ごめんな、血で汚れてたから、服着がえさせて体拭いちゃったよ?」
「……そうだったの?」
私の疑問に彼女は不思議そうに首を傾け、問いかけるようにもう一人に顔を向ける。
「……覚えてないみたいなのですよ」
「ふうん? まあ、とりあえずちょっと休んでなよ。ここはミルキアの街の、おいら達が借りてる家。何か聞きたいことある?」
「……ミルキアの、街?」
「うん……あ、でも、心配しないでいいから。最近は、誰も魔族なんて敵だと思ってないから、安全だよ」
「……そう」
良く分からない。
私は自分の体を自分で触って確認する。
褐色の、若い体は……まるで自分のものでないように思える。
「魔族……?」
魔族……マゾク。聞き覚えの余りない言葉の意味を理解できず、私は固まる。
「じゃないの? おいらも良くは知らないけど、あにきはそう言ってたよ?」
「……鏡を、少し見せてもらえないかな」
「いいよ? 持って来る」
犬耳の少女がパタパタと走って、壁に引っかかった鏡を取り外して来ると、こちらの目の前に掲げた。
「はいどうぞ、見える?」
そこに写っていたのは、紫の目と長い銀色の髪をした女だ。
両頬や体のあちこちに爪で引っ掻いた落書きのような黒い刻印が刻まれている。特徴的な容姿なのにもかかわらず、私はそれを自分のものだと認識できずに顔をぺたぺたと触った。
「…………」
「おねえさん、とってもきれいな顔してる! ……どうかした?」
「ううん。もういいわ、ありがとう」
現実感の無いふわふわした気持ちでいる私に、ノックの音が届く。
兎耳の少女が扉を開けると、先程の男が暖かい湯気の立つ皿を抱えて部屋に入って来た。
「よっと……ミルク粥にしといた。そんなに不味くはないと思うけど……ま、不味くともとりあえずなんか腹に入れといた方がいいから黙って食いな」
そう言うと男は、食器の置かれたトレイをサイドテーブルに置き、器を手渡してくれた。身体は正直だ……湯気の立つそれを目の前にして、取りあえず食欲が先に立つ。
しばし無言で、粥を冷まして頬張るを繰り返していた。
あっという間に空になった器を見て、男は笑う。
「おかわりいるか?」
「……下さい」
「よしきた」
皿を返すと、男はすぐに出て行って次の分を持って来てくれた。
私はそれを黙って啜る。何故か誰も言葉を発さずにこちらを見ているので、私の食べる音だけが部屋に響いて、なんとなく恥ずかしい。
拾われた犬猫はもしかして、こんな気分だったりするのだろうか……?
「おいらも食べたくなってきた……」
「もうないぞ。食べたかったら自分で作れ」
「ちぇ……。ねぇあにき、しばらくお休みするの?」
「二、三日は、こいつの様子を見た方がいいだろ? 街中での簡単な依頼はやって来てもいいけどな」
「んにゃ~、たまにはごろごろしたい」
「体は動かしとけよ、チロルもな」
「は~いです!」
犬耳の少女が、嬉しそうに背を伸ばし、兎耳の少女は鼻歌を歌い始めた。
一瞬、彼らは兄妹なのかと思ったが……種族がそれぞれ違うのだ、それはないだろう。
けれど……家族でもないはずが集まるこの空間は、不思議と懐かしい温かさに満ちている。食欲が満たされると、急に体が重くなり、瞼が下がり始めた。
意識が保てない……。
「……少し、眠るわ」
「ああ……ゆっくりしときな」
優しく響く鼻歌が心を落ち着かせてくれて、ベッドに潜り込んだ私は子供のように体を丸め、ひどく安心した気持ちで再び眠りについたのだった……。
――それから三日後。
「……世話になったわ。すっかり体は回復したみたい」
それから三日後、体調は回復した私はベッドに腰掛け、目の前に座るテイルという男に頭を下げた。
「気にすんな、っても無理か。う~ん……記憶の方はどう? 何か思い出せた?」
「ううん、残念ながら……自分が魔族だというのも、未だ実感が湧いてないままよ」
笑みを見せる彼が尋ねて来るが、残念ながら数日の間に思い出せたことは大してない。自分の名前すら思い出せず、私は申し訳なくなって目線を落とした。
「……これさ、何かの手掛かりになるかもって、あんたが俺を攻撃して来た現場で拾って来たんだ。今から事情を説明するけど、落ち着いて聞いてくれな」
わざわざ探しに行ってくれたことに感謝しつつ、私はそれを眺めるが、もちろん覚えはない。そのぬめっとした輝きを放つ黒い破片からはなんとなく嫌なものを感じるが、それだけだ。
彼は、呪いがかけられた装飾品を私が身につけ、そのせいで誰かの命令の通りに襲い掛かって来たのだとそう告げる。
……まるでその時の私は機械のようだったのだと。
「……やっぱり思い出せないか?」
「信じてもらえないかも知れないけど……自分がどういう経緯をたどってここに来たのか、今まで何をしていたのか。全く思い出せないのよ」
一般的な常識や行動などは覚えているにもかかわらず、個人的な記憶だけが欠落している状態。どこか目的地に向かっていたはずなのに、突然その先の道が霞のように消えてしまったような気分だった。
「……悪いな。俺、そういうのに詳しくなくて……どうしてやったらいいかよくわからん。治療院の人にも聞いたけど、体に異常がない限りは日常生活を送りながらゆっくり思い出すのを期待するしかないってさ」
「……ねえ、私は……魔族というのはどういう者達なの? あなた達とどう違うの?」
「魔族ねぇ……。昔は人間と戦争したこともあったって聞いたな。ああ、心配すんな……今はもうそんなことはなく、普通に色んなとこで姿を見るよ。強い魔力を持っていて、生来特殊な魔法スキルを持って生まれて来るんだって聞いたな。体に刻印が出るのはその影響らしい」
「これのこと?」
私は、所々体に入れ墨のように浮き出ている、黒い筋をなぞる。特に触っても何の感触も感じないが、何となく醜いあざのように思えて、私は気持ちが沈む。
「落ち込んでんのか? 変じゃないぞ別に。あいつらだって尻尾とか獣耳とかあるしさ……。あんた、美人なんだから堂々としてたらいいと思うよ」
「び、美人……!?」
男はずいぶん自然に言ってくれたが、私は戸惑いを覚えて、顔を背ける。
すると話題に上がったあの少女達が走って来てベッドの両隣に座り込んだ。
「あ~、あにき、弱ってる女の子につけ込むなんて、ずるいんだ」
「あぁ!? 違うってリュカ、俺はさぁ……元気出してもらいたいだけなんだよ」
「お姉さん、わたしもなが~い耳で人に良く見られますけど、最近ではあんまり気にならなくなりました……きっとすぐに慣れますよ。ほら、触ってみるです?」
私の両隣に少女達が座り、肩を寄せて笑うので、私も釣られて頬が緩む。
人懐っこい彼女達の行動にも、三日も一緒にいればずいぶん親しみを感じるようになった。
「あの、ね……こんな話をするのは、ちょっと図々しいかなって思うけど、私この先どうやって生きて行けばいいのかしら? こうしていつまでも、何もせずあなた達の世話になるわけにもいかないし……。でも自分に、何ができるのかが分からないから」
すると、彼らは顔を見合わせる。
「それじゃ、俺達と一緒に冒険者でもやってみるか?」
「ボウケンシャ、って?」
それは私には馴染みのない言葉だ。
きっと魔族とやらの生活には馴染みのない職業なのだろう。
すると、チロルという兎耳の少女が丁寧に説明してくれる。
「あの……冒険者っていうのは、色んな人の生活の助けをする仕事のことなのです。街で人手が足りない作業を手伝ったり、遠くに物を届けたり、危ない魔物を倒したりするのです!」
「そ~そ、皆の役に立つ仕事なんだから!」
犬耳の少女リュカは胸を張って言った。
「人の……役に立つ?」
「ま、確かに危険な仕事も多いし、あんた次第だけど。なんか魔力の扱いに長けてるみたいだし、ありなんじゃないかな? 少しこちらの環境になれる間だけでも、俺達と一緒に行動してみるか……って、こんな風に大勢でいきなり囲まれても困るよな……。また改めて……」
「待って……! その、やってみてもいいかも、そのボウケンシャってやつ」
私は思わず彼が言葉を引っ込めるのを止めていた。
この人達が誘ってくれているのだということもあったが、何か妙に心惹かれるような気がしたのだ、その言葉に。
すると彼らは嬉しそうに笑う。
「なら、決まりだな! 明日からちょっと試しに色々やって見ようぜ! ……そうだ、あんたをなんて呼んだらいいか、その前に決めないと。なんか希望は無いか? 好きなものとか……」
「特にない。あなた達に任せるわ……変な名前はやめてよ?」
「そう言われるとなぁ……。リュカ、チロル、任せた!」
「あ~、あにき逃げた、ずるいよ!」
「お前ら近所の飼い犬とかに勝手に変な名前つけたりしてたじゃねぇか!」
「そ、そういうのとはまた違うのですっ!」
「だから変なのはよしてってば……」
それを見て、私の口からつい、くすっと苦笑が漏れる。
本当に彼らを見ていると、こんな何もない私でも楽しい気持ちが心の奥から湧き上がる。
そして、リュカが恥ずかしそうにぽつりと言った。
「じゃあ、ライラ。どうかな……おいらの村の周りに、綺麗な紫色の花が良く咲いてたから、それと同じ名前」
「……ライラ。ライラか……」
「気に入らない……?」
「ううん、思ったよりまともだったからびっくりしただけ。それにしましょう」
何となくしっくりする気がして、私はリュカの頭を撫でてうなずく。
「おっ、お許しが出たぞ、良かったなリュカ。そんじゃライラ、改めてこれから、よろしく!」
「うん、よろしく」
私は彼と握手をし、二人の少女もそれに手を重ねた。
寄る辺ない私はこうして、彼らのおかげで居場所を手に入れることができたのだ……。
「ところで……お姉さん。あ、あの服は……その、また着るのですか?」
「あの服?」
「ああ、あのえちえちのやつ? おいら持って来る」
「あ、おい止めとけ!」
(えちえち……ってなに?)
制止しようとしたテイル氏の声も聞かず、リュカは扉を開けて走って行き、何かを腕に
そしてそれを元気に拡げた。
「じゃ~ん!」
「こ、これは……!?」
私は仰天し、そしてのぼせ上ったように真っ赤になる。
なにしろそれは、胸部と腰回りを短い黒布で覆うだけの、とんでもなく露出度の高い服装だったからだ。
「ほ、本当にこんな恥ずかしい服着てあなたと戦ったの……私!? ねえ!」
「あ~……まぁ、うん。に、似合ってたけどな」
気まずそうに視線を逸らすテイル。
「……処分して」
「ええぇ? 美女! っていう感じでせっかく格好良かったのに」
「処分してってば!」
「……おいら、もらっちゃおうかな」
「処分!!」
「ひゃいっ!」
私が叫ぶように言うと、リュカは残念そうな顔でそれをどこかへと持ってゆく。
もしかして、私はあんな格好で普段から街中をうろついていたワケ!?
最悪の気分なんだけど……。
「お、おい……大丈夫か?」
打ちひしがれた私はベッドに潜り込む。
「……少しだけ、一人にさせて」
「う、うん…………。ほら、チロル行くぞ」
「ライラさん……あ、後で元気が出るよう栄養満点のキャロテジュース持って行くのです……」
チロルの気遣いも私の心には届かず、涙目になりながら布団の中で頭を抱える。
(なんであんなに恥ずかしい格好してたのよ、……魔族って何? 変人の集まりなの? はぁ……でも良かった。わたしを拾ってくれたのが彼らで、本当に幸運だったんだ……)
こんな恥ずかしい出来事のせいで、私はこの先少しだけ元の自分の記憶が戻ることが怖くなってしまったが……彼らがこんな得体のしれない私を世話してくれたことには感謝の気持ちしかない。
(……本当にありがとう)
内心で深く頭を下げると……私は少なくとも記憶が戻るまでは彼らの為に出来ることをやろう、と強く心に誓ったのだった。
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