第22話 ミア・ワトソン⑦

――娘の……夢……?


 ジョンの言葉を、ミアの父は心の中で反芻はんすうする。


「俺の夢は、立派な魔法師になることなんです。そのために、得意じゃない科目の勉強も頑張って、放課後働いて金稼いで……。本当は、家が貧乏だから、学園に入るなんてできなかったはずなのに、両親が必死になって学費稼いでくれて」


 ジーグとの一件で事情を知っているアルジーノは、彼の両親が素晴らしい人たちであることを知っていた。


 機会があれば、是非とも会ってみたいものだ。


「だから俺も、二人の頑張りに応えられるように、もっと頑張ろうって……まぁ、それが重荷に感じることも、もちろんありますけど」


 体のしびれがまだ取れていないジョンが、ぎこちなく笑う。


「娘さん――ミアちゃんも、きっと夢があるんだと思います。そうじゃなきゃ、優秀な人がいっぱいいるこの学園で、トップクラスになんてとてもなれない……。彼女も、夢に向けて頑張ってるんだろうなーって……まぁ、知り合ってそんなに長くもないのに何言ってんだって笑われそうだけど」


――そんなことない、と治癒術をかけるミアが首を振る。


 アルジーノは、かつて魔法を使えなかった時、農民になりたいという話を父にしたことを思い出していた。


 魔法を使えないアルジーノに対する父の期待は、それ以前から皆無に等しかったが、あの瞬間に父はアルジーノを見限ってしまったのではないかと思う。


――あの時、俺も父上に夢を応援してほしかったのだろうか


 はたから見れば、幼き日の小さな出来事――それを顧みて、アルジーノは改めてジョンを羨ましいと思った。


「だから彼女は、あなたに言われたからじゃなく、きっと、自分が見ている夢に向かって歩いてるんです。夢までの道を、親が見守っていてくれるのって、すごい幸せなんだって俺は知ってます。だから、娘さんの夢を叶えるための道を、あなたにも一緒に歩いてほしいんです」


 大きく息を吸ったジョンは、ゆっくりと問いかける。


「ワトソンさん――娘さんの夢を、聞いたことがありますか?」


 南からきた優しい風が邸宅の庭を吹き抜け、治癒術をかけるミアの前髪を優しく揺らした。


 ミアの父はジョンの言葉に視線を上げ、治癒術をかける娘の背中を見つめる――その視線に気づいている娘も、父に話をしようと大きく深呼吸をする。


「ミア……」


「父さん」


 娘が力強く自分を呼んだので、父は思わずその後言おうとした言葉を飲み込んだ。


 ミアは治癒術をかけながら視線を空に向けると、懐かしむような声で話し出す。


「私ね、優秀な魔法師になるのが夢なの――父さんに言われたからじゃないよ? 心の底から、そうなりたいって思ってるの」


 父は驚きで少し目を見開く。


「私がまだ小さい頃、父さん、仕事で犯罪者を捕まえて、新聞に載ったことがあったでしょ? 銀行に立てこもった犯人を魔法で倒して、人質を救出して……魔法師って、すごいカッコいいなって思った」


 段々と傷が治ってきたジョンも、優しく笑うミアの表情を見上げて、自然と笑顔になってしまう。


「私たちが散々新聞を持って騒ぐから、父さんすごく照れ臭そうにしてたけど、それでも、私と母さんのことも一生守っていくって言ってくれたよね。それがすごい嬉しくて……。だから私、父さんみたいにカッコいい魔法師になりたいって、だからたくさん頑張ろうって……」


 ジョンの体がすっかり治ったことを確認したミアは、父の方に向き直る。


 今彼女の目の前に座っている父は、彼女が話した当時の父とはかけ離れた人物になってしまっているのだろう。


 だからこそ、彼女は願う。


「これから、魔法師になるまでにはたくさん時間がかかるかもしれない。苦労も多いと思うし、父さんや母さんに迷惑もたくさんかけちゃうかもしれない。でも、お願い……あの時みたいにカッコいい父さんに戻って、見守っていてほしいの……」


――お願い、ともう一度言ったミアが父の手を取る。


 騎士に比べて肉体的な強さが必要ない魔法師は体が細く、ミアの父も例外なくその一人であったのだが、その手には、たくさんの傷がついているのが分かった。


 おそらく、これまで誰かを助けるためにつけてきた傷なのだろう。


 娘を優秀に育てようと必死になるあまり、その手はいつの間にか、その娘すらも傷つけようとしてしまっていた。


 後悔からか、彼はその手の上に涙をこぼす。


「私はもう……この手で彼を傷つけてしまった……。ミア、お前のことすら……もう、昔のようには……」


「――いいんですよ」


 体を起こしたジョンの優しい声に、ミアの父は顔を上げる。


「俺は全然気にしていません。でも、その行いを悔いているのでしたら、娘さんの夢を応援してあげてください。これまではそのやり方が間違っていたのだとしても、『いま』変われば、それでいいんです、きっと」


 その言葉に聞き覚えがあったアルジーノがジョンを見ると、彼と目が合った。


――お前の受け売りだけどな、とジョンのまっすぐな目が語っていた。


――そうか、と呟いたミアの父は、娘の手を取って強く握り返した。


 それを見たミアの母も二人の隣に腰を下ろし、自分の手を重ねると三人は互いに微笑み合った。


 そして、二人の笑顔を見た父は大粒の涙を流しながら妻と娘を抱き寄せると、誰に対するでもなく、あるいは、その場にいる自分自身さえ含んだ全員に対して、彼は謝り続けたのだった。


「すまない……本当にすまない……」






 翌日、いつものように食堂で昼食を取るために、ジョンとアルジーノはメニューを選ぶ生徒たちの列に並んでいた。


「お前、もう大丈夫なのか?」


 今朝も遅刻ぎりぎりの時間に全力疾走で登校してきたジョンを見ていたため、既に体は治っていると分かってはいたが、アルジーノは念のために彼に尋ねた。


「おー、まだちょっと背中が動かしづらいけど、全然痛みとかはないかなー。ま、これもミアちゃんの治癒術の賜物だな」


 昨日、自らの行いを深く悔いたミアの父親は、アルジーノとジョンに深々と頭を下げて謝罪した。


 それに対し二人も、家庭の事情があるにも関わらず勝手にミアを研究室に連れて行ったことを反省していることを述べた。


 今回はそれが結果的にミアの父の改心へ繋がったわけだが、アルジーノも同級生の父に魔法を放とうとしたことについては、ちゃんと頭を下げたのだった。


「ところでさ、昨日俺、とんでもないことに気づいたんだよ……」


 ジョンが突然深刻な顔をして声をひそめるので、何事かとアルジーノも彼に耳を近づける。


「なんだよ……」


「実は、昨日のミアちゃんのことなんだけど……」


 ジョンがやたらもったいぶる――早くしろよ、とアルジーノが言うと、ジョンは鼻の下を伸ばしながら耳元で囁いた。


「……あの子のパンツ、赤色だったんだよ!」


「は?」


「いや治癒術かけてもらってる時さ、お父さんに向かって話そうと思って首回したら、ミアちゃんが目の前で座ってるからパンツ丸見えでさ……!」


「あのなぁ……」


「しかも赤だぜ!? 赤って普通に履くの!? 年頃の女の子なら普通に履くの!? ねぇ!?」


「し、知るか! てかお前、夢の話をしてる時にパンツなんか見てんじゃねぇよ……!」


「パンツだって夢だろうが! あそこにどれだけ男の夢が……」


「夢がどうしたのー?」


 突然、ジョンの後ろから女性の声がしたので二人が驚きそちらを見る――なんと、ミア・ワトソンがそこに立っていた。


 どうやら、いつものようにバレーボール部員と一緒に列に並んでいるらしい。


「わあああ! ミ……ワトソンさん……! ご、ご機嫌麗しゅう……」


「えぇ? 何なの急に、気持ち悪い……。もう名前で呼んでくれていいわよ。こっちもそうするから、ジョン」


「おぉ、まじで! で、でも、気持ち悪いなんて、ひどいなぁ、ミア……」


 そう言いながらジョンとアルジーノは、失礼だと分かりながらもミアの全身をまじまじと眺めてしまい、やがてその視線は彼女の足の付け根へと向かう。


――赤かぁ……


 アルジーノが無意識に心の中でそう思うと、ミアが呆れたようにため息を吐く。


「アル……あなたがそうやって足を見ているの、女の子は意外と気づくんだからね?」


「なっ、えっ! み、見てない!」


「研究室でも見てたの、気づかれてないと思った?」


 アルジーノは昨日研究室のソファに座ったミアの足を、横目で盗み見していたことを思い出す。


 咄嗟に視線を逸らしたため、ミアの言う通り気づかれていないと錯覚していた。


 途端に恥ずかしくなったアルジーノは、弁明の仕方も分からずしどろもどろになる。


「なっ、気づかれるも何も、そもそも見てねぇし! か、勘違いも大概にしろ!」


「はいはい。とりあえずジョン、今日部活終わったら研究室に顔出すから」


「あれ? 今日も馬車で帰らないの?」


「馬車はもう終わり。これまで通りの生活に戻そうって、二人が帰った後に家族三人で話したのよ……と、そっか、最初にお礼を言うべきだったわね。改めて、昨日は本当にありがとう。二人には、また助けられちゃったわね」


「いやいや、『正義の味方』ですから――」


――またそれかよ、とアルジーノが心の中で呟く。


「でも、ごめん、今日は俺仕事入っててさー。研究室はまた明日かなー」


「えー? マッサージ装置の調整はどうするのよ?」


「悪い、アルと二人でやっといてくんない?」


 そう言われてアルジーノを見たミアは、小さくため息を吐くのだった。


「むっつりスケベと二人っきりはちょっとねぇ……」


「誰がむっつりスケベだ!」

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