第16話 ミア・ワトソン①
――母さん、昨日はキング兄さんが女の子を人質にして美術室に立てこもったんだ
――嘘だ、って思うでしょ? たぶん、家族みんながそう思った
――母さんが生きていたころから、兄上、魔法がすごく得意だったもんね
――そんな兄さんがあんなことするなんて、母さんは想像できなかったよね
――でもね、俺はずっとあの人にバカにされてきた
――あの人はずっと、魔法を使えない俺を無能だと罵ってきた
――そうやって他人をずっと見下してきてしまったんだと思う
――その結果が今回の事件だったんだと思う
――だから、あの人はもう、許されないところまで来たんじゃないかなって、思ったんだ
――だからさ、あの時、一瞬だけ……
殺してもいいかもって……思ったんだ――
二週間ぶりに雨模様となった今日、いつものように他の兄弟たちよりずっと早く家を出たアルジーノは母の墓前で手を合わせていた。
ここに来るたびに、前日に学校で起きたことや、家族からどんな扱いを受けたかを報告しているのだが、今日の話題は昨日キングーノが起こした事件についてだった。
『
彼に対して『
――果たして、それは正しかったのだろうか、とアルジーノはジーグに殺意を抱いた日と同じように考えていた。
殺せるうちに殺してしまった方が、これからキングーノやジーグに苦しめられる人間が減るのではないだろうかと、アルジーノは昨日家に帰るまではそう思っていた。
しかし、そのあと一つの答えに辿り着いた。
美術室で殺してしまっていたら、そこで何もかもが終わっていた――その終わりは、これまで誰かを踏みにじることで保たれていた彼の理想郷からの追放というだけならまだしも、これから誰しもに踏みにじられることで成される彼の地獄郷からの解放という意味も持ってしまう。
そして、精神的にも肉体的にも兄たちから痛めつけられたキングーノが、玄関先の床でうずくまっているのを見た時、アルジーノは気づき、安心した――あぁ、そうか、この人はこれからずっと苦しんで生きていくんだ、と。
兄が苦しむ姿を見てそうやって考えていることを、母であるアレクシアは決して良く思わないことだろう。
――だが、この歩みを止めるつもりはない
首からかけた金色のロケットを開いたアルジーノは、家族によって苦しめられながら死んでいった母の顔を見ながら、強くそう思うのだった。
「いやー長かった……もうほとんどミアちゃんが話してくれてるだろうってのに」
職員室から出るなり、ジョンが中にいる教員に聞こえるような声で話すので、アルジーノはそれを制する。
今朝も遅刻ギリギリで登校して一緒に教室へ入った二人は、チャイムが鳴った直後に顔を出した担任教師に呼び出される。
「アルー、ジョンー。分かってると思うが、後で職員室こい」
当然、昨日の事件に関する詳細の確認だ。
昨日家に帰ってきたキングーノの話からも、今回の事件は裁判などには発展しないであろうことは分かっていた。
どうやら被害者であるミアが、怖い思いをしたが怪我をしたわけではなかったため、魔法科でも成績トップで将来優秀な魔法師になる可能性があるキングーノを犯罪者にしたくないという旨を教師たちに申し出たらしい。
「いや、そんなことあるか? 普通だったら即牢屋行きだぞ、あんな事件」
ジョンの言葉はもっともだった。
キングーノに対して――というよりも、ローゼンベルグ家に対して、後ほど美術室が破壊されたことに対する賠償金の請求はあるようだが、キングーノ個人に対しては停学処分ということで一件を収めるらしい。
「アル、お前も美術室の窓をぶっ壊したってワトソンが証言してたけど、本当か? お前もちょっくら、停学食らっとくか?」
担任教員が冗談半分で言ってきていることは分かっていたが、生意気な態度をとると本当に停学にされかねないので、大人しく頭を下げた。
放課後に呼び出されてから一時間近く説教交じりに事情聴取されたため、既に空は真っ赤に染まっている。
二人は教室に置いていた鞄を取りに行き、そこでしばらく談笑したあと下校のチャイムが鳴ったため、二人で博士の研究室へ向かうことにした。
下駄箱で靴を履き替えて校舎を出ると、部活終わりのバレーボール部と遭遇し、今学園で注目の的になっている彼女に声をかけられた。
「あ! あなたたち!」
練習直後なのか汗がまだ完全にひいておらず、いつもより顔が紅潮している彼女が友人に先に帰るよう告げると、ミア・ワトソンは二人のところへ駆け寄ってきた。
頭が小さくスラっとしているため長身のように見えるが並んでみるとそれほど大きくなく、バレーボール部でもセッターを務めているらしい。
「やっと見つけたわ。今日一日探してたのにずっと見つけられなくて……えっと、あなたがジョン・フォーバー君で、そちらが、アルジーノ・ローゼンベルグ君よね?」
ミアがその大きな黒い瞳でまっすぐに見てくる。
普段から女子生徒と話す機会が皆無に等しいにも関わらず、いきなり声をかけられ――しかもそれは学年一の美女であったため、ジョンとアルジーノは緊張で少しばかり体が強張ってしまう。
「お! ま、まさか覚えてくれたなんて、光栄ですよ、ミアちゃ……ワトソンさん」
ニヤニヤしてあからさまに浮かれているジョンを、アルジーノは横目で呆れたように見る。
「遅くなって本当に申し訳ないんだけど、昨日は助けてくれて、ありがとうございました。あなたたちが来てなかったらどうなっていたか……」
「いえいえ、当然のことをしたまでですよー」
――お前は何もしてないだろ……あ、いや、この子の拘束を解いてあげていたか。
勝手に自問自答をしているアルジーノにミアが尋ねてくる。
「あなた、先輩の弟さんなんでしょ? 昨日、帰ってから大丈夫だった?」
「あ、あぁ、別に。それより、自分の心配をした方がいいんじゃないのか。あんなことがあった翌日に部活なんて……」
「問題ないわよ。あなたたちのおかげで、怪我もなく済んだしね」
三人はそのまま校門の方まで話をしながら歩く。
廊下で時々見かけたことはあるが、ほぼ初対面であるにも関わらず、ミアは気さくに二人の話を聞いてくれた――これからフォックス博士という人の研究室に行くんだとジョンが話した時も、今度行ってみたいと言ってくれた。
校門までやってくると、この辺りではあまり走っているのを見かけないような、艶のある黒い馬車が止まっていた。
中には馬車に見合った高級そうなスーツを身につけた男性が座っており、こちらに気づくと扉を開けて降りてくる。
「何をやっていたミア。他のバレー部員はもう帰っていったぞ」
「ごめんなさい、父さん……」
どうやらスーツの男性はミアの父親だったらしい。
ジェルで固めたオールバックの黒髪や眩しく光る革靴から、いかにも『できる男』といった雰囲気を醸し出しており、ジョンは下から上までまじまじと見つめてしまう。
「なんだ、この二人は」
一体いくらするスーツなのだろうと口を開けてミアの父親を眺めていたジョンは、彼の言葉に慌てて姿勢を正す。
彼の眉間に皺が寄っており、その口調にはあからさまな警戒心が滲み出ていたため、アルジーノは身構える。
「彼らよ、父さん! 美術室で私を助けてくれた……!」
「なるほど? では、片方がローゼンベルグの弟ということか……。どちらだ?」
「俺……ですけど」
アルジーノが素直に手を挙げると、ミアの父親は大股で歩み寄り顔を近づけてくる。
「今後、私の娘に近づかないでいただきたい」
「……はい?」
「私の娘を危険に晒したクズの弟だ、今度は君が娘を傷つけるかもしれないだろ」
「い、いえ、決してそんなことは……」
キングーノと同じような人間だと思われるのが癪だったので弁明しようとしたが、彼は聞く耳を持たずミアの手を引き馬車へと促す。
「行くぞ、ミア。今後は今まで以上に付き合う人間を考えなさい。どうせ遊び呆けてろくに勉強もせず、そのまま落ちぶれていくだけの連中だ。お前と同じ学園にいることすらおこがましい。もう一度言っておくが、今後娘に近づくんじゃないぞ?」
念押しするようにジョンとアルジーノに吐き捨てたミアの父親は、乱暴に扉を閉めて馬車を出すよう御者に指示を出した。
二人はそれを、ただ呆然と見送るのだった。
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