第15話 キングーノ・ローゼンベルグ⑤

 美術室を後にしたアルジーノとジョンは、昨日ミアが告白された校庭の木の下に腰をかけ、ジョンの魔法で制服を乾かしてからしばらく美術室の様子を伺っていた。


「ま、とりあえず、ミアちゃんが無事で何よりだよ。いやー、ずぶ濡れでも可愛かったなー」


 ジョンの言葉に呆れたアルジーノは、制服を乾かしてくれたお礼を言うと立ち上がる――昔授業で服を乾燥させる魔法を習っていたらしいが、当時魔法が使えなかったアルジーノはそのことを全く覚えていなかった。


「俺はもう帰る。ミアさんが俺らのこと話して、この時間から事情聴取なんてされるのだけは勘弁したいからな」


――そりゃ同意、と言ってジョンも立ち上がると、二人はそれぞれの自宅へ帰っていくのだった。






 その日の夜遅くになって、キングーノはようやく屋敷に帰ってきた。おそらく、学園で教師陣に詳しく事情聴取をされていたのだろう。


 今回のような事件であれば、本来は学園に親が呼び出されるのだが、騎士団の副団長である父は先日より他国へ遠征中であり対応ができなかったため、三男のマイリーノが代わりに学園へ行っていたようだ。


 マイリーノは普段、帝都の中心街で飲食店を営んでおり、毎日のように厨房に立っているという話を先日父が帰ってきた時に夕食で話していた。


 当然のことながら、子供たちには魔法師や騎士になってほしいと願っている父は、成果を上げているマイリーノを上辺では賞賛してくれているものの、内心では飲食店を営んでいる彼のことを嫌っているのを兄弟全員が知っていた――無論、兄弟で一番父に嫌われているのはアルジーノである。


「キングーノ、待ちなさい」


 屋敷に帰ってきて早々、背中を丸めて自分の部屋に戻ろうとしたキングーノをマイリーノが呼び止める。


「今回の件、相手の女子生徒が寛大だったから警備隊に突き出されなくて済んだけれど、到底許されることじゃないぞ!」


 帰ってきた二人を、玄関口の近くにある階段から見下ろしていたアルジーノは、普段は温厚なマイリーノが怒っているのを見て驚いていた。


「どうしてあんなことをした? 下手をすれば、学園の校舎が火事になっていただけでなく、あの女の子の命まで奪うところだったんだぞ? それなのに、先方の親御さんへのあの態度はなんだ!? どうしてあれだけのことをして、素直に謝罪することもできないんだ!」


「うるせぇよ……」


「なに……?」


 マイリーノの言葉に、キングーノが反抗する。


「うるせぇんだよ! 俺を振った女なんて……俺をバカにした奴らがいる学園なんて、どうなろうが知ったこっちゃねぇ!」


「キングーノ……」


 血を分けた弟の、信じがたいほど傲慢な態度に、マイリーノは呆れて言葉も出なくなってしまっていた。


 普段は屋敷にあまり顔を出さないマイリーノは、先日の夕食でキングーノが魔法科に成績トップで進級したと聞いた時は、自分のことのように目を輝かせて喜んでいた。


 それにも関わらず、たった数日でキングーノの評価は一変してしまった。


「もういい……。このことは、俺からも父上に報告しておく。これ以上勝手な真似をするようなら、父上はお前を学園だけじゃなく、この家からも追い出すことを厭わないだろうな」


 キングーノの背中へ胃の中に溜まった怒りをすべて吐き捨てたマイリーノは屋敷を後にする――住み込みで働いているらしい、自分の店へ戻ったのだろう。


 玄関先でキングーノが悔しさからか情けなさからか、とりあえず負の感情に支配されて震えているのを、アルジーノは冷ややかな目で見ていた。


 すると、突然後ろから肩を叩かれたので、アルジーノは驚き振り向くと、金髪の青年がそこに立っていた――十一男のクレイーノだった。


「惨めだなぁ、キングーノ! お前、学園での評価は、今ならアルジーノよりも下なんじゃないのか?」


 クレイーノの声でこちらに気づいたキングーノは、先ほどのマイリーノとの会話をアルジーノに聞かれていたのだと悟り、絶望に打ちひしがれていたその顔は、再び怒りの感情で豹変していく。


「それにお前、学園じゃ意味不明な証言をしていたそうじゃないか? 『自分を攻撃したのは、弟のアルジーノだ』、とか」


 キングーノに語りかけながら、クレイーノは一階へ続く階段をゆっくりと降りていく。


 キングーノの一つ上の学年であるクレイーノが事件のことを知っていることからも、既に今回の件に関する噂は学校中に広まっているようだ――誰がどうやって事情聴取の内容など聞きつけたか分からないが、野次馬根性というものはそれすら可能にしてしまうのだろう。


「魔法が使えないはずのアルジーノに責任をなすり付けるほど堕ちたのか? そんな言い訳を、よくも恥ずかしげもなく口にできたものだな? 大前提として、あんなことをして、ローゼンベルグ家の恥さらしになると想像することもできなかったのか?」


 クレイーノはキングーノの周りをゆっくりと歩き、彼を挑発するようにその膨らんだ腹部のぜい肉をなぞっている。


「……嘘じゃない! アルジーノは、あいつは確かに魔法を使ったんだ! 俺はこの目で見た! 俺たちは騙されていたんだ……!」


 キングーノは相変わらず階段の上から自分を見下ろしているアルジーノを睨みつけ、クレイーノを説得するかのように叫んだ。


 その叫びを聞きつけたのか、それより以前からどこかに隠れて会話を聞いていたのか、別の声が三人の会話に乱入してくる。


「くへへへへへ! おいおいおい、キングぅ。お前、自分が何を言っているのか分かっているのかぁ?」


 声がした方向を三人が見ると、突然そこから氷の塊が飛来し、キングーノの腹部へぶつかった。


「ごふっ」


 巨大な氷の塊はキングーノにぶつかった後、床に落ちるとあっという間に塵になってしまった。


 その姿を見ずとも、魔法を使用した人物は明らかだった――氷魔法を得意としている、十男のシュージューノだ。


 氷が当たった腹部を抱えて、痛みのあまり床にうずくまっているキングーノの姿を見て高笑いをしながら近づいてくる。


「おまえの言っていることが本当だと言うのなら、おまえは今日、魔法でアルジーノに負けたと認めていることになるんだぜぇ?」


 キングーノはハッとして、慌てて弁明しようとする。


「ち、違う――! あれは、まさかあいつが魔法を使えるなんて思っていなかったから……」


「――『氷塊アイス』!」


 キングーノの話を遮るように、シュージューノが詠唱したことで生成された氷の弾が、今度は床でうずくまるキングーノの右頬にぶつかり、塵となって消えた。


「くへへへへへ! 戦闘中に油断するような奴でも、お勉強ができれば魔法科にトップで入れちまうんだなぁ? しかも、いくら油断していたとはいえ、ろくに魔法が使えなかった弟に倒されるだぁ? おまえ、息してる価値あるのかぁ?」


「シュージュ兄さん、その辺にしときなよ」


 キングーノの顔に触れてしまうのではないかと思うくらい自分の顔を近づけているシュージューノを、クレイーノが止める。


――くへへへへへ、と再び笑ったシュージューノは、去り際にもう一発、弟の背中へ氷の弾をお見舞いした。


「なぁアルぅ――おまえの魔法って奴をここで見せてくれよぉ? 魔法科トップを倒した魔法なんて、ぞくぞくするぜぇ」


 アルジーノはシュージューノの方には目もくれず、床でうずくまって震えているキングーノを見下ろしながら答える。


「七年生で敵なしのシュージュ兄さんに、俺が勝てるわけないだろ」


――だが、いずれあんたのことも……


 そう思いながら、アルジーノは自分の部屋に戻っていくのだった。


 弟の言葉にまた高笑いをしたシュージューノも、満足したように自分の部屋に戻っていく。


「魔法が使えることは否定しねぇんだなぁ――こいつはまた一個、楽しみが増えたぜぇ」


 二人が去っていくのを見て、クレイーノも目の前でうずくまる弟を蔑んだ目で見降ろした後、自分の部屋に戻っていった。


 その後、静けさが支配した屋敷の玄関口で、キングーノはあまりにも惨めな今の自分が情けなく、悔しく、誰にも聞こえないように涙を流していた。


 鼻水をすするたびに、氷を当てられた箇所がずきずきと痛むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る