訪問者・平井

私は実家と大学の距離の関係上、アパートで一人暮らしをしてます。親には少し反対されましたが。それは桂先輩もご存じでしたね。


その日の夜、いつも通り平井さんから電話が来るのを待っていたんですけど、いつもの時間になっても電話はかかってきませんでした。平井さんにも予定はありますし、いつもの時間と言っても決まった約束をしているわけではないので、少しくらい遅れるのは珍しいことではありません。そのままスマホを適当にいじりながら待ってたんです。


しばらくすると、走ってくる足音が聞こえてきました。そしてそれは私の部屋の前で止まりました。びっくりしてドアの方を見ていると、次の瞬間、ドンドンドン!と、ものすごい力で私の部屋のドアが叩かれました。

女の一人暮らしなので、気を付けてはいても防犯の不安はやはりあります。物騒な話も絶えませんし……。

本当に怖かったです。もしかしたらドアが破られてしまうんじゃないかって。そんなこと普通じゃありえないかもしれませんが、それくらい、ドアをたたく音が激しかったんです。

次にはインターホンが鳴らされました。一度ではなく、連打しているんです。

そんなインターホンの音とドアをたたく音にすっかり腰が抜けてしまって。スマホは変わらず手に持っていたんですが、警察どころか、どこかに助けを求めるという思考回路すら抜け落ちていました。


でも、すぐに声がしたんです。

「あず!開けてくれ!」って。

私のことを『あず』って呼ぶのは平井さんだけです。友達も桂先輩も、私のことは名前のまま「あずさ」って呼ぶじゃないですか。

それでやっと我に返って、返事もままならないまま、とにかくドアを開けなくちゃとふらふらしながら鍵に手を伸ばしました。平井さんの様子が尋常じゃなかったので、不安も湧き上がってきました。


でも、鍵を開ける前に今度は電話がかかってきたんです。スマホは相変わらず手に握りしめたままだったので、反射的に画面を見ました。

そこに表示されていた名前は「平井さん」でした。今まさにドアの前に立っている彼です。

なぜすぐそばにいるのに電話をかけてくるのか、私にはわかりませんでした。それで他に急用があるのかと思って電話に出たんです。そうしたら、


『あず!絶対にドアを開けるな!』

って聞こえてきました。平井さんの声で。


正直、私にはわけがわかりませんでした。だって、平井さんは私の部屋の前にいるんです。私が電話に出ている最中だって、ずっと、


「あず!早く開けてくれ!頼む!」


って叫んでいるんです。それなのに電話越しから聞こえてくる声も全く同じ、聞きなれた平井さんの声でした。


二つの声は同じように叫びます。


「あず!開けてくれ!俺だ!」

『あず!絶対開けるなよ!俺がいいって言うまで開けるな!』


一体どちらのいうことを聞けばいいのか。どちらも同じくらい必死に叫ぶんです。でも、万が一間違った方のいうことを聞けば、私だけでなく平井さんにも危険が及ぶんだとなんとなく思いました。


何もできずにいると、急に電話に雑音が混ざり始めて切れてしまいました。そして、部屋の前から聞こえていた声も消えて、インターホンとドアをたたく音しか聞こえなくなってしまいました。


私は決めなければいけませんでした。

私がした決断は……私は……



逃げたんです。



怖くなって、自分可愛さに逃げたんです。あとでどうなるかなんて考えませんでした。

ベッドの上で、布団をかぶって、必死に音を遮断しようとしました。ドアをたたく音も、インターホンの音も、投げ捨てたスマホから聞こえてくる着信音も。


気づいたら朝でした。ぼんやりしながらスマホを拾って、見てみましたが着信履歴はひとつも残っていませんでした。


私は、昨日の夜の平井さんが何だったのか、どちらが本物だったのか、偽物は何だったのか、そんな多くの問いに答えを出すことはできませんでした。考えてしまって、自分なりにでも答えを出してしまえば、私はどちらかの本物の平井さんを見捨ててしまったことになるんです。

あの恐ろしい様子を思い出しながら、きっとどっちも偽物だったんだと無理やり自分を納得させました。


そのあと、平井さんに電話をかけてみたんですが、つながりませんでした……。

平井さんとはそれきりです。



桂先輩、私はどうするべきだったと思いますか?


すぐにドアを開けて部屋の前にいた平井さんを招き入れるべきだったんでしょうか。


それとも、ドアの前で電話の平井さんが開けていいというのをじっと待つべきだったんでしょうか。



私にはわかりません。

桂先輩、先輩だったらどうしていましたか?


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