第9話 ヴァンダルの試練
「地母神に仕える盲目の巫女がなんだってうちのウィルに粉を掛けるんだ?」
とはローニンの言葉である。
「だからそんなんじゃないよ。彼女はその身を神様に捧げているんだから」
「でも、チューくらいはしたいんだろう?」
チューという単語に顔を真っ赤にしてしまうが、ルナマリアは平然と言い放つ。
「我が身は神と勇者様に捧げております。ウィル様が望むのならば、接吻でも夜伽でも」
「こりゃあ、早めに孫を抱けそうだな」
にやにやと無精ひげをなで回すローニン。
なんとか言ってよ、とヴァンダルのほうを見るが、彼も似たようなものであった。
「ウィルの年頃になれば生殖に興味を覚えるのも無理からぬもの。サキュバスでも召喚して女体の神秘を教えようかと思っていたが、その身を捧げてくれるものがいるのならば、不要だな」
「…………」
最後の頼みでミリアを見るが、僕の味方は彼女だけのようだ。
ミリアはふくよかな胸で僕を抱きしめると、
「うちのウィルにそんな破廉恥なことを教え込んだら、あんたたち、生爪をはぐからね」
とローニンとヴァンダルを脅迫していた。
神々の最終戦争が勃発しかねない勢いであるが、万能の神レウスが調停に乗り出す。
「いい加減にするのだな、ローニンとヴァンダルよ。それに盲目の巫女、お前もだ。あまり神々を愚弄するな」
「そういう意図はないのですが、ご迷惑をおかけしたことは謝ります」
深々と頭を下げるルナマリア。素直な女性だった。
ルナマリアは顔を上げるとレウスに問うた。
「それでレウス様はどうお考えなのです。ウィル様は旅をし、より多くのものを見たほうがいいと思うのですが」
「その件については何度もウィルと話し合った。我はウィルの意志に従う」
「それでは――」
旅立ちの許可をくれるのですね。というルナマリアの言葉を遮るのは三人の神々。
「ちょいと待ちな、巫女さんよ。主神のレウスはいいといっても俺たち三人が認めねえよ」
「剣神様……」
「治癒の女神に魔術の神もだ。ウィルは俺たちの可愛い息子なんだ。可愛い子供には旅をさせろなんて言葉もあるが、俺たちはその言葉が嫌いでね」
「ですが、ウィル様は外の世界を見たがっています」
「見せないのも親心だよ。悪意に満ちた世界だ」
「その中にも美しい善意の種も芽吹いています」
「それを見る前に悪に染まっちまうかもな。下界は誘惑が多い」
「私が防ぎます」
「なるほど、身をもって防いでくれるのか。ならばどうだ、俺たち三人の試練を解決できたら、ウィルの旅立ちを許す、というのは」
「試練でございますか?」
「ああ、それぞれが難題を出すから、それをお前たちふたりが解決するんだ」
「私とウィル様が……」
ルナマリアは「私たちの初めての共同作業」と小さくつぶやいたような気もするが、周囲のものはそれを無視するとルナマリアは大きくうなずいた。
「いいでしょう。その勝負引き受けます」
「いいのか? 負けたら二度とウィルに近寄らせないぞ」
「ならば私はそれだけの巫女だったというだけ。それに私にはビジョンが見えました」
「ビジョン?」
「ウィル様と世界を旅する映像です。昨日、神託と共に見ました。私たちはきっとこの試練に打ち勝ち、共に旅をするでしょう」
「なるほどね、自信たっぷりなわけだ」
ローニンは値踏みするようにルナマリアを見つめると、次いで視線を魔術の神ヴァンダルにやった。
「おい、じじい、まずはお前からだ。長生きして得た小賢しい嫌がらせをしてやれ」
「糞ガキが。老人に敬意を持て。……ふん、だがまあいい、可愛いウィルを外の世界にやるわけにはいかないからな、全力を尽くすぞ」
いつものように毒づくとヴァンダルは最初の試練を用意した。
ヴァンダルはコップをふたつ用意すると、指先から水を召喚し、コップに注ぐ。
「これはなんなのですか?」
ルナマリアが尋ねると、ヴァンダルは当然のように「水だ」と答える。
「ただの水……なのですね」
「そうみたいだね」
と答える僕。だけどあのヴァンダルが水を用意するだけとは思えない。
その水でなにかしなければならないだろう。
そう思っていると案の定、ヴァンダルは無理難題を突きつけてくる。
「この水を一滴もこぼさずに山の麓にある一本杉まで行って戻ってこい。そうだな、時間は一時間」
「それは短すぎない?」
「普段のお前ならば30分も掛かるまい」
「そうだけど、今日はルナマリアもいるし……」
盲目の巫女に軽く視線をやるが、彼女は軽く眉をいからせる。
「ウィル様は普段からこのように集中力を養っているのですね。大丈夫です。私も似たようなトレーニングをしています。きっと同じ時間で帰って参ります」
仮面越しに決意を燃やすので、それ以上のことは言えない。
それに試練を受けるのは規定事項だ。
達成が困難だからもっと優しいものにしてくれ、と願い出ることはできない。
もはや父親の難題をこなすしかないのだ。
そう思ったウィルは黙ってコップを掴むと山の麓へ向かった。少し遅れてルナマリアもそれにならうが、やはり彼女の動作は少したどたどしかった。
ウィルはコップの水を一滴もこぼすことなく、悠々と歩く。
普段より良い姿勢で歩くため、端から見てもかっこよく見えるらしい。山の動物たちが「決まってるよ、ウィル」と褒めてくれる。
その都度、礼を言い、微笑むが、顔は笑っていても心は笑っていない。
なぜならばこの速度では間に合わないからだ。
かなり速く歩いているように見えるが、それは常人から見てだ。ルナマリアなどはコップを持って歩いた速度記録樹立です、と、軽くはしゃいでいたが、ウィルは物足りない。
普段はこの三倍というか、ほぼ走る速度で移動している。
一時間も掛からずに一本杉のところまで往復している。
無論、その速度でも水を一滴もこぼさない。
今も一滴もこぼしていないが、この速度では一時間で往復は不可能である。
そう思ったウィルは立ち止まると、コップを切り株の上に置いた。ルナマリアにもそうするように迫る。
急にコップを置くように指示されたルナマリアはさらに驚くが、僕の指示に従ってくれた。
「私はウィル様にその身も心も捧げた巫女。どのような命令にも従います」
たおやかに微笑む顔は素敵であったが、彼女にこのままでは間に合わないことを教えると、さすがに表情を曇らせた。
「ど、どうしましょう」
と軽く慌てる。
「速度を三倍にするしかないね」
「でも、現状でも水をこぼしそうになるのに、それは無理かと」
「無理を通さないとヴァンダルの試練には打ち勝てない」
「分かりました。ですが、無策で挑むのは下策かと」
「うん、それは分かっている。僕にはちゃんと策があるんだ」
僕はにこりと微笑むと、ルナマリアに耳打ちをする。
彼女は「ふむふむ」と聞いてくれた。彼女の耳に顔を寄せたとき、とても良い匂いがした。
僕の秘策を聞いたルナマリアはきょとんとし、「ウィル様は天才ですか」と、つぶやいた。
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